夢影録 随行記

「地球サミット」から始まるもの(上)

井上希道


 上の序


 目まぐるしい情報の中では、次々起こる事柄はまた次々と忘れられていく。それでいいのかもしれない。しかし、忘れては済まされない、事の重大な問題だって沢山ある。私たちは今、文明の絶頂に達して二十年になるが、その結果、地球の全体にわたって重大な破壊が進んできた事は周知のとおりである。それは文明の絶頂期の終わりを意味している。私たちはその実感に乏しいあまり、極めて破壊的な生活には気が付いていない。こうした地球の危機、人類滅亡の兆という大変怖い課題を私たちは忘れてはならないのだ。

 もうとっくに過去になってしまっている、今世紀最大の「地球サミット」は、人類の末長い健全な成長発展を願って、日本の真裏にあたるブラジルのリオデジャネイロで開催された。百七十二ケ国という空前の参加国であった。国連からの招請で、我が「京都フォーラム」もNHK隊と共に現地入りし、大きなアパートで共同生活しながら活動を共にしてきた。その時のルポから始まり、教育観点を主軸にして人間模様を見た、野に居る禅僧の随感録である。読む人をして処処に笑い有り怒りあらしめて、密かに再省三思を切望するものである。君、一読して毒気に合わば、まさに良し天下を語るに。
 

第一 ブラジルの大地を踏む


 一九九二年の五月三十一日、矢崎氏(株式会社 フェリシモ 会長・京都フォーラム事務局長・将来世代国際財団理事長)と共に大阪空港から発った。忙しいためにメンバーがうち揃ってという訳にいかず、途中成田で合流したNHK隊もひとまず五名のクルーであった。品性のよいスチュワーデスによっておしぼりが配られた。続いてジュースやワイン・シャンペン・ビール・ウイスキー・バーボンなどを満載したワゴンがきた。何でもいくらでも飲むことができるのだが、自由に動けない窮屈な飛行機の長旅を実感する。ふと目の前にあるパンフレットを手にしてみると、晩と朝のカラー写真付きメニューである。いずれも五臓六腑が小躍りしそうなほど豪華かつ美味しそうなものばかりで、またその文句が実体をいささか越えた形容をしている。詐欺とまでは言わぬが。修行者である私は、もったいないが先で、食べなかったら皆捨てられるのだと思うと、つい義務と卑しさから二食とも全部食べた。充分食べられるものではあるが、いずれも加工食品には違いはない。日本から積み込まれた食事は安心していいが、帰り、ブラジルから積み込まれた野菜などには砂があり、それでなくても疲れ切って食欲もない身にはこたえた。そのうえ加工食品のお決まりの味で、食べなくてもいいとさえ思っているところにそれであるからたまらなかった。「やっぱり、これがブラジルなのか・・」と切ない思いにかられた。これは帰りの話。
 早朝ロサンゼルスで乗り換えるのだが、待つ間通路の隅で寝っころがっていた。あれは私にとって棺桶に入ったほどの苦痛を伴う姿勢であり、すっかり参っていたから。再び舞い上がると、早速おしぼりに飲み物が日本人スチュワーデスによって運ばれた。さて朝食ということになって驚いた。機内食に日本食があったからだ。二人は文句なしにそれにした。日本から飛び立つ場合は日本食があっても不思議はないが、アメリカ発の機に日本食が出れば「うお!」とくる。「和そば」まで付いているのだから日本食も結構国際化しているのだなと思う。
 ロスからアメリカ大陸を横断する眼下の大地は、ロッキー山脈の南端をかすめるように飛ぶのであるが、相当な山々ながら赤茶けた大地丸出しであった。人家が存在するとはとても考えられない荒涼たる地帯が何百キロも続いていた。見ているうちに豊かなアメリカのイメージを一変させ、現代の混迷化が進むアメリカの様子を象徴しているかのように思えて、少々気の毒になり小さな胸が痛んだ。もちろんたった一筋の空路から見たに過ぎないので、これがアメリカなどとは思ってはいない。が、明らかに砂漠化した死んだアメリカがあることも確かなのである。私の気持ちを察した訳でもなかろうが、大きな機体はむせぶように始終揺れ、がたごとして落ち着かなかった。三年前のヨーロッパ視察が快適な飛行であったことと対照的で、いかにも今回のサミットへの旅らしくも感じた。その旅も矢崎事務局長の供養によるものであった。
 空は暗闇となり、目を懲らして覗く下は更に闇で、二度目の夜のために、期待した南アメリカ大陸大アマゾンは、さし向きおしおきとでも言うべきか、不動の姿勢のまま窓を閉ざして面会を許してはくれなかった。私はことのほか、空より大アマゾンをしっかりと見ておきたかったのだが、帰路も又闇の下。ああ。

 かすかな夜明けにサンパウロに寄り、目的地に着いた時は、なんと大阪を発って三十一時間近くかかっていた。機を出る時、この人とは一生これで会うことはないであろうとの思いを込めて、大変お世話になった日本人スチュワーデス「えみこ」さんに感謝の別れをした。五日後、この「えみこ」と言うスチュワーデスとの偶然の出会いが、大変な活動展開の助けになろうとは夢にも思っていなかった。二日目の夜が明け切り、我々を待ち受けてくれたブラジルの朝は、サミットでごったがえす世界からの人・人・人との出会いから始まったのである。次々に到着するここの空の港は、今、世界最大の玄関となっているのかもしれない。
 「アンセッド?」「イエス」こうして到着早々一般客とサミット関係者とを区別し案内をする若者はボランティアであろうか。不慣れながら清潔感・義務感がみなぎっていて大変親切にしてくれた。早くもここで、英語が話せない不自由さを感ずるが、話せない人を探すことは大変困難なほど、こうした場に出向く人たちは大概話ぐらいはできるのである。関門を一歩出ると、そこはもう世界から集まったジャーナリストの活躍の場で、至る所でカメラが回っている。異様なスタイルの私に、当然カメラが振り向けられる。レンズを通して映像化するだけの相手で、彼らにサミット的存在を感じない。人類上のテーマを持った知性がレンズの向こうにないからである。概ね無礼な輩である。しかし、我がNHKのクルーはそんな映像収集に来たのではない。世界中のジャーナリストたちが誰もできない番組を作るために「京都フォーラム」と行動を共にするのである。したがって無用なカメラは担がない代りに、さっさと迎えの車に乗り込んでいた。その中に、現地召集の一人、頭の良いハーフの美人通訳・ロージー栄さんがいた。沢山の大荷物と格闘している我々とは環境がえらい違いである。


第二 会場リオセントロとリオの街


 空港より三十分ほど走ったところはあの有名なコパカバーナである。見事な砂浜と整った都会の建物が続く。到着したホテルはフランス資本になるヘリディエンという、絵葉書でよく見る最も高い建物。矢崎事務局長は直ちに行動を開始し、私は国連公式新聞「アース・サミット・タイムス」に出す原稿の書きかけを出しては見たものの、頭が働かない。忠海を出る時に慌ててワープロから打ち出し、新幹線で仕上げようとしたが駄目、ならば空の上でと思ったがこれも駄目。ムチ打ち症があってあの姿勢は特にこたえるのだ。こうなれば後は一つだけ、一風呂浴びてベッドの人となる。

 ここリオはサンパウロに次ぐ大都市である。サンパウロは地球の表面にアイロンを掛けたような真っ平な大地に、碁盤の目のように整った道路とビルの街である。ところがリオはにょきにょきと出た山々で街が寸断されており、そのため各街の特色が自然の物理的条件によって大きく異なり、それだけ懐が深い感じがする。大地の真ん中と違い、海に面し、入り組んだ地形には湾もある。四・五メートルの大波が似合う素晴らしい砂浜と、波一つなく、何故か干満の差がさほどになく、自然そこには護岸もない。だから海面にはすぐ手が届きそうなのだ。そうした湾には観光名所の山々が映え、静かに孤円の白波を立てる水上スキーは更に彩りを添えていた。それは見事な一幅の美しい絵巻であった。いつの間にかうっとり見とれてしまう。何という素晴らしい環境なのだ! それらをそっと包むようにたたずむ大きな街路樹と、人間重視の広い歩道がみずみずしい。こうした場所がいくつもあり、老若男女に関係なく、或いは若いカップル、或いは老夫婦といった人たちが睦まじく水着姿でジョギングなどを楽しんでいる。ここの民はどうも裸姿が大好きなようだ。市街の太い街路樹は二階の窓を覆い、垂れた枝は人をかがませているが、日本のように決して短絡的に、やれ不便だ・危険だと騒いで切ったりはしていないことがよく分かる。所によっては両側の街路樹で道の空は完全にふさがれ、あの熱帯の太陽の木漏れ日さえ許さない。何という心の優しさか。完全に自然と文明が融合し、精神のすがすがしい息吹を実感する。
 明くる日、NHKのクルーと共に用意してあった近くの大きなアパートへ移った。三十畳は悠にある大部屋を中心に、他に三部屋とトイレ・洗面所・シャワーがそれぞれ二つずつ、ダイニングキッチン・メイドさんの部屋などが完備された高級マンションの四階である。メイドさんは品の良いおばあちゃん。タバコをふかし、ジャズをかけ、コーヒーを飲みながら、炊事洗濯アイロン掛けなどをリズミカルにこなしている。そのアロハシャツからラテン系特有の陽気さとリズムが伝わってくる。それは異国とはいえ結構親しみやすい光景なのだが、こうしたビル街であり通りに面しているため、おんぼろ自動車の騒音は深夜まで続いて暑苦しい毎夜であった。矢崎事務局長が持参した日本食は何と二百食。大きなトランク二つにぎっしり。いい仕事をするには鋭気がなくてはという深い思いやりからとはいえ、なかなかここまではできないことだ。早速カレーライスをいただき会場に向かう。お陰で毎朝純日本食がいただけたのだが、水と安全は只感覚の日本人。まず水を買い込むことから始まったのには、国情のずれを突きつけられた思いである。とにかく素晴らしいものが「只」であり「当たり前」意識なんて、何とひどい依存症にかかっていたものだと反省。

 サミット会場のリオセントロまでは七十キロでとばして三十分ほどかかるので、三十キロ以上離れたところということになる。戦車・装甲車・重機関銃・大砲などが会場に近くなるほどに増してものものしい。銃を構え半身乗り出した攻撃用ヘリコプターは、わずか五十メートル上空五・六機の編体で警戒している。山手の急斜面にへばりついた掘立て小屋群はもちろん貧民群で、中心以外は至る所にある。この種は後のテーマでお伝えする。
 ブッシュ大統領の宿泊所はシェラトンホテルという郊外の崖っぷちに立つ白い建物。下は大西洋、後ろは切り立った山。沖には軍艦が警護し、俄かにしつらえられた大きなパラボラアンテナはまさにこのサミットのためであろう。周辺の警備はさすがに超大国の要人に相応しい。広大な平野の中に建てられた会場周辺は電話一つないので、手続きなしに来て下ろされたらタクシーなど呼ぶこともできないから大変なことになる。歩くしかないが、夕方などたった一人では無事に街まで帰られる確立は少ないだろう。そうした獲物を待ち構えた飢えた狼たちがわんさと居るからだ。
 ゲートは兵士で大変厳重に衛られ、すんなりとはとても入れてはくれない。矢崎事務局長が見せた国連からの招待状を見て納得、無事会場入りをした、と思った。ゲートの中はあちこち兵士の小軍団で警戒されており、いつでも、どこからでも集中砲火を浴びることができ、お望みとあらば只で即座にあの世へ行ける仕組になっている。中の兵士は大地にへ張りついて戦う外の兵士の様な最前線的ではなく、やや紳士の風情がある。やはり世界の識者を護衛するために集められただけはあるなと、指導者の見識をかいま見た。眼前に立ちはだかる何の変哲もないべたっとした巨大な建物は、このような無限大な国土ならでわであろう。建物に近づくとまたゲートがあり、そこからは国連なのだ。
 国連護衛官を見るのは矢崎氏以外は初めてである。品性風格がまるで違うのだ。実に垢抜けがしていて格好がいいし信頼感がある。ここも氏の顔で通過。これでいよいよ中に入れた、と思った。ところが、次が一番の問題箇所であったのだ。

 何列もの長蛇の列があり、あの知性派の国連護衛兵が、あらゆる点検をしている。さすがの我が事務局長の神通力もここまでであった。が、昨日既にお会いしていた矢崎氏の友人であり、ストロング事務局長の深い友人でもある、元全米弁護士会々長であり歴代大統領顧問のキール氏とストロング事務局長顧問のグプテ氏が現れ、ついて来いという合図で彼と私は待たずにスイッと入ることができた。ところがNHKのクルーは、皆で一つという主体性があるようで無いがために、ぐずぐずしているうちに機を失してしまった。国連差し向けの折角の案内を棒に振り、ゆうに二時間を待って手続きを済ませ、しかる後に漸く入ることができたのである。簡単に入れたと言っても、それからその中で最後の肝心の手続きを済ませ、写真入りの通行手形ができ上がるまでに少々時間がかかった。それを胸にぶらさげて、これで晴れて会場入りができたのであるが、南の国の要人は腹を立ててホテルに引き上げた笑い話のような事が起こるほど厳戒態勢を敷いているところなのである。誰もみな差別なしに二・三時間かけて手続きをさせられるからだ。殊にこの度のサミットの重大な課題の一つに南北問題があり、利害がからんでの弱者にある南側は、何かにつけて問題化していたから、その手初めが入門手続忍耐不全幼稚性判断症を暴露した訳である。彼らには何処か甘えがある、私にはそう見えた。したたかな先進国の商人に、自然な国土を荒らされたと言う思いも無理からぬことながら、それとは別に怠慢からくる甘えのような、精神的に自立しかねている節がある。
 その明くる日からは、無残にも第一ゲートでシャットアウトされている大勢のいきなり組みを尻目に、スイスイと入ることができ、苦労して手に入れた一枚の通行手形にずっと感謝することになったのである。肝心な最後の手続きをするために並んでいた時、ストロング事務局長の奥さんにお会いすることができたのは幸運であった。サミット主催者の頂点の奥さんに相応しい、気品と知性がみなぎっている国際人そのままの美人女性である。一週間後、とんでもないお屋敷に、世界の二百人の要人を招待しての大パーティに私も招待されたのであるが、そのお屋敷へ着くや否や、私は主催者のこの夫人に手を採られ、暗闇の向こうへ拉致されてしまった。ところが・・ いや、この話は胸にしまって・・?

 私の資格はジャーナリストとなっていた。何でもよい、無事に出入りできれば。国連筋によれば、ジャーナリスト・カードの発行は九千通にも及んだと言う。世界中のちょっとした報道機関は二人や三人は必ず送り込んでいる筈であるから、その数は決してオーバーに語られたものではない。NHKでも単なる取材班として他に数組のクルーが来ていると言う。手形の種類は五種類ぐらいあって、我々のものではサミットの会議場へは入れなかった。オールエリアを授かったのは矢崎事務局長ただ一人で、それはサミットクラス(国の要人)だけである。NHK諸氏も当然シャットアウト。しかし、サミット前日であったために要人が来ていないのでその会場へも入れた。百七十二ケ国が楕円状に並ぶと、向こうは遥か遠くてオペラグラスが要るほどである。最終準備で最もお忙しい筈だから会えないであろうと言いつつ、キール氏や矢崎氏に付いてストロング事務局長を尋ねたら、出掛けられる寸前の氏に会うことができた。一ケ月半前に東京の会議で親しく出会ったばかりで、まさか私が現れるとは思っても居なかったと見えて、氏からの握手があった。何を言われているのか分からなかったが、「先般は色々ありがとうございました」と言いつつ交わす握手には大層力が篭っていた。この日出会った要人は、今のストロング氏、前アメリカ国務次官リード氏、国連事務次長の某氏(デサイ氏?)である。(矢崎氏とインタビューしNHK収録したのに、失礼ながらお名前を忘れてしまった。)国連事務次長という立場は事務総長の次で、ストロング氏も国連事務次長である。私はともかくも、矢崎事務局長は世界の要人・賢人に次々に出会い、NHKは林・深田両プロデューサーの指揮の元に、氏のインタビューを収録していった。とは申せ、超多忙の世界第一級の方々に、そうした時間を作っていただくということは容易なことではない。簡単に言えば不可能なことである。それをしたのが矢崎氏である。彼は一体どのような離れ業を使ったのであろうか。考えられることは、確かな人脈と理想、誠意、それに加えてあの情熱と利害を超えた純粋な行動力が人を動かしめるのであろう。氏のこうした鬼才はまさに計り知れないものがある。

 この日の遅い昼食は会場内のブラジル料理であった。肉食大好きで幾らでも食べたいという自信家にはもってこいだ。肉塊を丸焼きにした六・七十センチはあろうかという串を、各お皿の上へ突っ立て、物凄く切れる刀で切り落として行くのであるが、入れ替わり立ち替り、意地でも置いていくというサービスぶりには閉口した。聞いてみれば十一種類も有るという。命懸けでおいしい肉をいただいたのは初めてだ。NHKクルーは街でこれを三日続けたと言うから将に驚きである。ここでのんびりと写真を撮ったりして、来る大騒ぎを前に鋭気を養った。そこの若い女性店員に私はサインを求められた。サイン第一号は差し出された真新しい特別なノートに格調高くしたためた。筆ペンの「真友情救地球(真の友情が地球を救う)」は、わざわざサンフランシスコから呼び寄せた矢崎事務局長専属通訳兼秘書の一柳ミキさんが、これまた格調高く私の提唱を通訳してくれたので、取り囲んでいた彼女たちの態度が急に美しく輝き、魂の飛躍を見た。サインはこれから先何千とも分からないほど書くことになったのであるが、とっさに書いたこの文句はこのサミットとよくマッチして大変な受けであった。美人と言えば本当に美人の多い国である。男性軍は野暮天なのに。ここの美人には幾つかの特徴がある。私は深くじっくりと観察した。これは語らぬ。心温まる私一人の秘密だから。

 その明くる日、サミット開催の朝は象徴的な晴れであった。矢崎氏と共に初めて名高い砂浜へ出た。朝七時前だというのに、健康美を誇る裸の市民がジョギング・散歩・甲羅干しに集まり、みるみるその数は増す。砂浜はゆうに四キロはあろう、幅は五、六百メートルか。ここリオにはこのような海浜が他に三つほどあるという、素晴らしい自然に恵まれた最高の環境なのだ。また、浜には程良くサッカーのゴール・ネットや、バレーボール用のネットなどが全域に立てられているし、所々に電話まであって憩いの場所として完全に市民の広場なのだ。夜中に通った時、やはり裸で何組もがサッカーに興じ、それを取り巻き喚声を上げている光景は、真夜中の様子とは思えないほど一般的なのである。勉強々々と言われない子供たちは、大人に交じって玉拾いをして汗を流し、手を休めれば四・五メートルの波の豪音に深い神秘を感じて育っているに違いない。そんな思いを抱いて夜のコパカバーナを通過したのだ。
 我々も早速裸足で朝の波打ち際を歩き、「この見事な大自然のハーモニーを狂わせるような人的行為は人類滅亡を意味する・・。知性だけの教育では駄目で、感性が大事なのだが・・」、などサミットばかりが頭にある我々はそんな怖い話から教育に終始していた。「老師、あなたのその教育論を本にして下さい」と矢崎氏がおだてると、打ち寄せる波が、ダウン、ダウン(失敗)と押さえる。全くだと言いたげに・・。


第三 貧困と南北問題


 当地の感覚では朝であろうが、我々には明らかにこの日差しは充分に日中である。道路へ上がって引き返すことにした時、至近距離になって怪我をしている一人の女性に気が付いた。痛々しく引きずって歩く素足の左足は、捨てられた菓子袋のような粗末なポリ袋で包み、宛てのない歩き方で通り過ぎて行った。生まれて一度もシャワーを使ったことがないであろうその身体は垢で汚れ、身にまとったぼろぼろの膚シャツ一枚とスカートは何年も着ているものに違いない。こうした人たちは、生まれ落ちた時には両親に捨てられる運命にあり、天涯孤独なのだ。歳は三十から四十までであろうがよく分からない。目はうつろで死人に近い状態なのだ。知性、感性、意志が全く働いていない明らかに人間を放棄したものであった。可愛そうに、そんな同情では済まされないものだ。そうした人たちが何万人、いや何十万人も居るというのだ。
 今回のサミットの持つ重要課題の一つに南北問題があり、それは飢餓問題でもあったから、そのすぐ傍を栄養過剰処理のためにジョギングや散歩をする人達が、傷ついている人に何の気配りとて無く通り過ぎていく国民性に大いなる義憤を感じ、それが一層哀れを誘って幾度も振り向いた。矢崎氏曰く、「インドはもっと凄まじいですよ。小さい我が子の腕を、親が鉈で切断して、障害者として補助金を貰おうとするんですから・・ あんなのを見るのは本当にきついですは」。余りのひどさに言葉もない。彼はそんな世界の事情を良く知っているから、心の痛みは私以上であったろう。心根が深く暖かい人ならみなそうに違いない。何とかしなければと思いつつも次第に遠くなって、ついに為すすべ無くして見えなくなってしまった同じ人間の余りの非情な違いの姿に胸は大きく疼いた。自分の出発に当たって頂いた何がしかの餞別の金子を持って、私は急いで市役所へ飛び込もうか、新聞社へ飛び込もうかという衝動にかられていた。そうした資金の足しにして、少しでもそうした問題のために地球の裏から来た者の叫びとして、素朴な人間尊重の気持ちを大切にしてもらいたい事を伝えなければならないと思ったからである。
 借金大国ブラジルの病根は、隣人の余りの哀れさに心が痛まない人間性にあり、これこそ精神の問題であり病根なのである。そうした自国の国情を国民に認識させるべきであり、一人一人がGNPを上げる努力に欠けていることにある。熱帯という気象的肉体的条件は確かにある。働く意欲も熱さで激減もするだろう。また裸族的生活感には衣は防寒的必要性など全くないのであるからどうでもいいことであるし、家屋も生活エネルギーも汲々とする必要はない自然条件がある。だからといってそれでいいのか? 将来のことや児孫のこと、弱者のことを何とも思わんのか?

 ここリオの人たちを見ると、根から明るく陽気で、刹那的国民性は同時に人なつこく、どんな人種とも交わって仲良くやっていく良さがある。それゆえに確かに多様人種でなりたっている。けれどもそれは勤労とも努力とも改善とも関わらない。とにかく生産性とは無関係であり、あれだけ豊かな国土が活かされていない裏付けでもある。我が国に移民を求めた理由も単に人口輸入だけではない気がする。日本人は社会的にみな中流以上で指導的立場の人が多いし信頼されている。それは優れた国民性、民族性なのである。二千年余の歴史から育まれてきた、全く固有の精神価値によるものであろう。徳川封建社会に至って忠義と勤勉、義務と責任に加え、仏教思想の影響であろうか忍耐と慈悲の精神が確立した。底流には、民族の誇りとしてずっと天皇を擁護し、それを社会理念や倫理観、或は正義として生活信条のよりどころにし、歴史を貫きとおして来たことはまことに希有であり、不思議なまでも神秘である。ただ惜しむらくは、没自己と主君絶対無批判精神は健全な批判力の成長を疎外したため、自然科学系、分析学や論理性、純粋思考や健全な議論精神が育たなかっことは残念であったが。これらも決してマイナスばかりではないのだ。こうしてみると、我が国民の民族性は地球上に類の無い極めて優れたもので、実に誇るべき価値の高い精神文化と言ってもよい。それを頼りとして国情開発に取り入れたのではないだろうか。彼等が口を揃えて言うには、ブラジルの人は勤労意欲と責任感に欠けていると。敗戦後の日本人はみんなが懸命に働き、自分たちの生活を支えてきた。それを更に継続して衣食住のできない「貧困」を克服してきたのだ。確かに一面働き過ぎかもしれないが、他国の働きすぎを咎める前に現状をしっかり認識して、国情を改善すべくもっと勤労すべきなのだ。

 ブラジルに「ストリート・チルドレン」と呼ばれている子供たちが存在する。リオには山はだにびっしり張り付いた、戦後のあのひどいバラック小屋群が六百ほどあるという。「ファベイラ」という貧民街である。もちろんガス・水道・電気・下水などはほとんど無いという。迷い込んだら生きては出られないと一般市民から恐れられている物騒な所だ。今はそのようなことはないと言うが、少し前までは外部の人たちが迷い込んだら身ぐるみ剥ぎ取られ、抵抗した者は集団暴行を受け、結果的には殺されていたと言う。そのリオの現地でそれを聞くと、いや、今でもそのくらいの事は有りそうだなと思ったりする。「ストリート・チルドレン」は生まれ落ちるや捨てられる運命にあって家族は居ない。したがってそのような住むところさえ無いので、路上で犬ころのように生きているのである。空巣・強盗・窃盗・ひったくり・売春・当たり屋などの非社会的行為はみんなが迷惑する犯罪であり放任するわけにはいかないが、彼等はそうするしか生きる道が無いのだ。職につけばいいと簡単に思うかもしれないが、彼らには何等の知識も教養も無く、正式な自分の名前すらないとまで言われている。読み書きなどとても及びではない。リオは人口六百万人、そのうちこの種が六十万人とも百万人とも言われている。これがブラジル社会の一断面図なのだ。帰国して一ヶ月も経った頃、新聞でその「ストリート・チルドレン」が無惨にも射殺され、路上に転がっている五・六名の哀れな姿の写真を見た。その根底に、根深い混沌とした国民性が浮かんで仕方がなかった。撃ち殺したのは警官だったとか。何て事をするのだ! それほど彼らの犯罪性は悪質になってしまったのだが、国の将来を背負うべき若者なのに・・・ 双方の悪なる行為は分かりやすいが、そうせざるを得ない社会背景に根本的な原因がある。国家とは、だから曖昧なし崩しであってはならないのだ。
 発展途上国、南北問題の大きさが窺えると同時に、何と地球の七・八割がこれらの国々であり、ここで「アンセッド」(環境と開発に関する国連会議)を開催する意義の深さを改めて知らされた。我々二、三割の先進国が地球の資源を食い潰し、かつ環境を破壊し続けている現実の責任を求める八割近い国々の言い分はもっともである。

 あの女性を皮切りに事態を知るにつけ、私の中に言い知れぬ人間的叫びが、義憤となって重くのしかかっていた。開催二日目と三日目に国連内でちょっとした暴動が起こった。それはたまたま通り掛かった南の国の要人に対し、心無い無礼な報道人が取り囲み、しつこくこの問題をぶつけたからだ。それが導火線となって心底に潜む先進国への不平が更に問題を増幅させて、あっと言う間に危機的状況になってしまった。館一杯のはち切れんばかりの集団は不気味なほどにエネルギーを孕んだ存在だった。その要人を護衛しようとする者と、人間的地球的課題をニュースにしようとするものとの間で衝突が起きた。そして四・五人の逮捕者が出た。罵声とひしめく人間。進入禁止の大きなガラス戸が次々に吹き飛ぶ様は、私だけではない、そのような何かを携えて叫ぶ姿にも見えた。さすがに国連内の護衛官は見かけだけではなく、冷静で品よく鮮やかな対応と処置に感心した。彼等の全員が一つの神経で繋がっているかのように、指揮を執るものも居ないのに、一人一人が少しの無駄もずれもない判断と行動によって、完全に制御されてそれで終わった。本当に驚いてしまった。救われたのは、最後までそれ以上の何等も無かったことである。普通では入れないサミット会場の中に、たまたま居た私はその総てを見ていた。迫力の後の危機感からは、何とも言えない哀感と、蠅の様な報道陣の無神経な存在の怖さに、脇の下に汗を覚えた。正義感があるにせよ無いにせよ、逃げ遅れてこんな連中に踏み殺されるのなら、手当たり次第にぶち殺してでも自分は生きなければならないのではないかとさえ思った。当に犬死だからである。人間無常の一姿とは言え、たった自分一人の秩序さえあれば、このような危険で無駄な騒動にはならないものを。人間の根底に潜む自己中心に働く固執力は、逞しい生命現象からであり、それ故に知性や観念的訓練では容易にこれを完全統御できるものではないと言うことを知らしめねばならぬと思った。それが唯一私の出来る文化的活動であり使命である。この場のジャーナリストたちは、人の血を見たがっているハイエナに見えた。こうした場に対しての存在価値は全くなく、報道の自由という名を語るトラブルメーカーにも見えた。こいつらを賞金稼ぎの輩とは言い過ぎだろうか。これはジャーナリストの使命を遙かに越えた暴挙の初動なのだ。

 今の地球には代表的な三つの痛ましい大きな難問がある。一つは戦争である。イデオロギーや経済や宗教などに根ざす覇権争いの紛争であり、一つは貧困飢餓・人口増の問題であり、他の一つは今流行りで言う地球環境の汚染や資源消耗の問題である。
 戦争という固執からの抗争は、核兵器に象徴されるとおり、人間の精神史・倫理史から言えば野蛮極まりない残忍な行為であり、英知と文明が聞いてあきれる恥辱と愚昧の極である。この野蛮で危険なる行為が他国に於いて為されると、武器輸出国は商売繁盛とばかりに、人が命を落とし、血を流すことからでも儲けようとする。そうした自国絶対利潤追求精神が国事に反映している限り、双方の国にそれぞれの国が同じような思惑を秘めて支援するので、意地の正義と利害が絡むことになる。そのために容易に解決し得ないという、まさに人間の業であろう。元は実に低迷愚劣な馬鹿げた精神から起こっているのだ。このような原始型の生命維持本能からなる自我の固執は、どうしても自己絶対・他否定の相剋となり、人の命も膨大な資源とエネルギーを費やしての戦争も、その愚かささえ分からなくなってしまうほど動物化するのである。精神の根底にはこのような人間の悲しい生命現象の営みがあるということを知るや知らずや。迷える衆生とはよく言ったものである。

 貧困飢餓と人口問題は何故か南の暑い国に集中している。砂漠もまたそちらに多い。文明が極度に発達しているのは亜熱帯以北であるところを見ると、確かに極端な気象条件からは文明は余り生まれていないようである。その元は暑さも寒さも度を超えると、ホルモンに影響するのか意欲が湧かなくて知性や理想が建設的に働かないらしい。理想や希望などは知性と感性の躍動から発露するので、暑さも寒さも度を越えてしまうと精神機能のハードの一部分が減退するようである。総ての分野に於いてそうであれば、その社会は動物的・生物的には自然であるが貧困や無秩序の克服にはならない。人口問題も知性の倫理的システム化が起こらない限りは無理な事柄なのだ。倫理的システム化とは、価値観で代表される社会観や存在観・個人観・生活観・人生観等の形成ということである。健全な将来を選択するためには自覚と意識が必要なのだが、そのためには或るまとまりの思考能力がなけねばならない。つまり理想を抱く頭脳のことであり、思想的文化的な思考回路のことである。如何に人間と言えども、知性と感性がシステム化して稼働しない限り、限りなく人間動物の原始型のままである。狼に育てられた狼少年が如何ようであったかを見れば分かる。つまり、人数が、子供が、幸せが、生活が、明日が、経済が、社会が、不安が、希望が、如何にすべきか、大変だ、等々日常に於いて、実感から思考に及ぶための感性や知性的機能が生活の中で発動しなければ、個人に或る成果を求めることは無理なのである。危機を想像したり、理想を描き希望や夢を膨らませたりしていくうちに、ある程度の可能性を自覚すると実行してみたくなる、もしくはしなければならないと言った信念や使命感へと発達するのが自然なのだ。つまり、「してみてたい、そうなりたい、しなければならない」と言う意識から理想へと発展し、ついには使命感となる。それが精神エネルギーとでも言うか、或る結果を求めて自発する、それが行動エネルギー化していくのである。
 そこで問題は、その「知性と行為」の中間に位置する媒体要素が豊かに有るか無か、健全かどうかである。如何に知識が豊かであっても、その媒体要素がなかったら行動エネルギーに転化しないので役に立たない。今の学校教育が根元的に無視している点であり、人格形成の基盤とも言えるこの要素が健全に発達し得ないことをしているのである。知識があり学歴があっても自己管理が出来ないというのは、この肝心な要素が欠落しているからである。精神文化・人格・徳性を形成する極めて大切なものがこの中間要素なのだ。自発とは簡単に言えばたったこの要素のことに過ぎない。
 更に言えば、文化(意識)を形成しても、行動を起こすためには具体的なプランが必要である。それを立てるための非常に大事な精神要素が二つある。一つは予測を立て、それを数値や記号で帰納し演繹する「纏めと応用の思考力」である。あとの一つは、希望や不安で胸を熱くする「感性の発露」とがそれである。一人々々が出産調整を遂行し生産的活動をするためには、この様な精神基盤・意識基盤が必要なのである。
 ところが、生活が整い、生きるために汲々としなくて済むようになると、自己実現要求は一方向から離脱して急速に拡散と拡大現象を起こし、社会全体が限りなく欲望追求へと走ってしまう。これが富める二、三割の国々である。要するに程度問題であるが、生命現象の一つである自己実現要求が原始型(欲望)のままである限り、我々人類の限界は目に見えている。それは精神現象の底辺を、自己保存本能である生命現象が支配しているため、知性や理性の観念では精神の完全統御ができないからだ。どうして統御できないかと言うと、衣食住で代表されるように、食欲や睡眠も性欲も知的要求も、人類の存在と継承には不可欠であるために無視も否定もできない。認めざるを得ない必要な自然現象であることに起因する。一人々々が、そうした要求の程度を健全に保つことができないところが問題なのである。他からの法律的な規制など、外力の条件では統制できない世界であるからだ。それは人間の存在自体、セックスにしても各人因縁の違いと同時に、無常によって変化し続けて一定公平とすべきものなどが初めから無い存在だからである。そのため、自由を認めての健全なる統制などはあり得ないということなのである。ではどうするか。結局は個人の自覚を高めるしかないということなのである。
 したがって自分の責任は自分で取るということが最も普遍的であり原則である。この必要と行き過ぎを統理する「程度の自覚と自己制御」こそ人格の要であり、倫理の根源である。人類を救うことができる唯一絶対の道であろう。即ち反省と自己啓発で心を耕し徳力を培うしかない。菩提心(求道心・向上心)を喚起して「心の決着」を付けるということである。そのためにはまず健全な自己反省が起こらなければならない。自分で自分が見えずして、自己を律することなどあり得ないからである。こうした完全倫理の確立は、自我の固執を超えることにある。そのことは知性をはじめとして、生命現象の働き自体を健全化するということである。そのことはまた自然そのものの本質を把握することである。すると生命現象そのものが極めて自由で健全な自然律によって、既にきちっと保たれていていることが分かる。つまり、大自然には自我もなければ固執の要も無い、本来がそれであるからだ。存在に必要な要求は自然の生命現象であり、それ自体自我の固執から起こったものではない。だから必要以上の要求緊張がなく、健全なガイドラインが自然そのものに存在している事がわかる。
 例えて言うなら、食欲がなければ枯死してしまう。ところがこうした生命に直結した現象は、生命そのものの作用としてちゃんと食べなければならないように、食欲によって食べるという行動を起こすようになっている。次が大事なところで、生命維持のための必要な行動を起こし食すると、食の要求緊張が次第に消滅していく。すると「もういらない」と拒絶反応が起こって自動的に食の終わりを来たすことになる。ここに必要な程度とする本来があるというこの事実が大事なのだ。この自然現象はおのずから只そうあるのであって、それ以上のものもなくそれ以下のものもなく、欲するとか欲しないとか以前の働きなのである。だから観念や概念の世界ではなく、知恵以前だということである。
 また、冷暖を知るのに、知性が働かなければ分からないと、意識のどこかに固定化した拘束力が働いているものだ。日常的な冷暖でさえ測定器を頼りにしてしまう。端的に触ってみれば分かることである。知性が知るのではない。既にそれがそこにあるということである。味もそうである。理屈無く口に入れれば、その味が忽然とそこにある。それを深く味わっておればそれで良い。目においても耳においても、われわれの全身がもともと理屈や知性以前の存在であり、厳然とした本来がきちっとしているということなのである。
 つまり大自然の本来とする真理は、このように理屈がないということなのである。だから理屈である観念現象と、自己以前の大自然とは異質な世界であるから、その事を自覚しなければならない。これを明確にしていくのが禅の世界である。この、自我などが全くない本来の様子の大自覚が必要なのである。この本来の目覚めがあれば拘れ得なくなってしまうのだ。これを体得した世界が解脱・涅槃であり超自己なのである。自他の隔歴がないから絶対無二の世界が現成し、それ自体が救いとなり、真善となり真愛となり、これを慈悲と言う。つまりこの世界が「悟り」であり本当の救いなのである。

 世間でよく自己管理能力を開発すると言うが、まず自己をよく知り、生命現象の根源を体得しない限り、原始型の精神でしかないために、自我の固執を免れることはできない。精神の根源は知性の世界・観念の世界ではないことをよく知っておかなければならない。知性が無用であるとか軽視すべきものだとか言っているのではない。ここにどうしても自然の掟である因縁所生の法(総て関係性で存在する)を知り、その天然の秩序ある働きに目覚めなければ、根本的な精神改革は不可欠だということである。生命現象のこうした健全な働きは、観念の世界でなければ体を通して、自然の法を体得すると言うことになり、行による修得に行き着いてくる。教育ならなおさらのこと、人間として精神が構造化していくプロセスをよく知った上で、根源的でしかも自然でなければ健全なものではない。そうでなければ、却って害となるのである。

 環境問題の根元は二割の先進国による破壊的な贅沢生活が基盤と言ってもよい。それと同時に南の人口増加は、食糧問題と共に資源やエネルギーの急速な消費拡大を来す。環境問題は手が着けられなくなって行くであろう。これらはいずれも今説いた人間性に関するものであって、容易なことでは解決できる代物ではない。先進国市民は贅沢が身に付いていてその自覚が薄い。というより、総てが社会的構造として詳細にコントロールされている。従って時間的にも空間的にも、一切の無駄が無くなっていることが、個人として理想生活を不可能にしているのである。どうでも現状に追随していくしかない社会的環境にしてしまったことが原因なのである。現状への反省が遅々として進まないのは、そうした環境の中で生きていくことが精一杯だからである。これを総て解決し得ない限り、地球の未来は限られたものでしかない。このことだけは、無念ではあるが事実なのだ。総ての元はどこまでも我々自身であり、一人々々の生活自体であり精神である。根源から言えば自分一人の解決で済む訳であるから最も簡単である。ただその自覚に達するまでが容易でないというところが最大の問題なのだ。その心得を皆が持つべきであり、その事は何でもない事なのである。真の叡知はやはり十万億土の夢のかなたなのであろうか。


第四 サミットの内容


 ここは朝日新聞編集員時代の石弘之氏「地球サミット報告」を参考にしながらお伝えする。「二十世紀の総決算」という意気込みで開かれた「アンセッド」の準備は二年半にも及び、各国間の交渉を条約作成にまで漕ぎつける努力とエネルギーは大変なものであったに違いない。とにかく今、環境問題に対し世界共通の重要な課題として真剣に取り組まなければ、我々人類の未来は悲惨なものとなる。このことは誰もが認識している。ところが利害が絡み、自国の経済的防衛という現状保守論に立つと一変に色あせてしまう。政治家である限り国家を背負って地球の問題を討議するのであるから、初めからこの空しい限定付き会議とならざるを得ない宿命なのだ。政治家同士の会談とは、国益最優先で総てが語られる。相場は初めから決まっているのだ。
 ソ連の崩壊後、世界は冷戦時代が終わったと感じている。その後は旧ソ連の各連邦が独立しつつあって、不安定経済は国そのものの不安定を意味する。つまり、どうなっていくか分からない自国の将来から見ると、環境どころではないという現実がある。環境問題にも早く取り組めるようになりたいから、そのためにも我々を応援して欲しいということになる。それは資源破壊が進み、急激な人口増加をもたらせている南の国々からすれば、富める北の経済・技術の支援なくしては絶対に改善の方向へは進まないという。この度のサミットの重大な南の課題にも拘らず、新たなそうした第三国的存在が、世界的均衡のためにブレーキになったようだ。つまり、東欧のこうした不安定条件が、政治的にも経済的にも全世界と密接な関わりをもっている以上、そちらの解決は現実問題として急を要する課題だからだ。南の問題はよく分かるが、崩壊したばかりで得体の知れない混乱が生じつつあって、世界的に何を引き起こすか分からない不気味な存在だけに、各国がそちらに神経を尖らすのもよく分かる。
 こうしている間に、崩壊後のこれらの国に於いて民族紛争が生じた。また新たなる危機を呈してきたわけである。言わないことではない。人間のエゴという拘りは一体どこまで馬鹿げた事をすれば気が済むのであろうかと、人生という限られた存在の意義が分かっていない愚かなリーダー共に、哀れと共に義憤が沸とする。
 もっとも我が国の政治家が自国論に終始して、こうした重大な国連会議に首相を出席させなかったことは、「異常な富める国日本」の無責任振りを強調したサミットとなったことも、決してシラケと無関係ではない。ことの大小・遠近・時間差・将来・全体と部分・未来への責任感や国際正義といった、政治の国際感覚と能力をよく見て選挙しなければ、国民が恥をかくことになり未来を危うくする。このことは政治家の責任であると同時に、選んだ自分たちの責任でもあることを自戒しなければならない。
 日本を代表して来られた竹下元総理にインタビューするために同席した折り、私は欠席の辱めを訴えたら「野党に阻止された」とのこと。野党の政治認識力の低さお粗末さは世界的に有名であるが、同時に与党も世界の日本が果たさなければならないことの大きさの自覚がもっとあるならば、世界のための政治家として決断すべき事柄が分からんのか。最大のサミットとして、将来世界史的に話が出る度にこの恥辱は永遠に語られるものなのである。常識的な国際的役割の基本理念が無いとしたら、政治家てしての責任と義務が健全に果たせるはずがない。国内問題はいつでも討議出来ることではないか。与野党共に、「将来の人類のために、大いに高次から正当理論で訴えてきて下さい。後のことは後のこととして」と激励して積極的に送り出してこそ、国の舵取りを委ねられた政治家ではないか。お前たちは将来の人たちに対し、頭を丸めて土下座しなければならないと言うことが分からんのか。全く恥さらしの者どもが!

 恥辱と言えば、アメリカのブッシュ元大統領もまたその一人であろう。歴史的にも一番贅沢を永くしてきたアメリカは、繁栄という美名が物語っているように、エネルギーと共に資源を最も消費してきた国である。その結果、今や環境問題では国際的には弱い立場に置かれている。にも拘らず大統領選挙を目前にして産業界を敵に廻すことになる幾つかの条約には極めて消極的であった。国内事情からはもっともなことであるが、そのことを承知して、将来世代のために地球を守ろうとしたアンセッドだった筈だ。「エネルギー消費抑制は、経済不振、高失業率等国内経済に影響が高すぎる」として、「二酸化炭素排出量を、二千年までに一九九〇年レベルにする」ことや、「生物学的多様性保護条約」等への署名を反対して大きな汚点を残した。地球正義のために、進んで命をも呈し乱暴者を制してきた国民性は、当然このような事の重大性に気付かない筈がない。アメリカの過ちとしてアメリカ国民の識者からの声は依然として高いらしい。彼が落選した理由の一つには、国民生活を支えていく上で、環境問題など将来への情熱と実行力や政策に於いて、世界に果たして行く役割の重大性が充分ではないという識者の判断も大いにあったに違いない。

 まだまだエゴを剥き出しにして自国利益優先の発言が多くあったという。このことは地球が総てにわたって一つであり、一方の利を守れば他方が苦難を強いられる直接的関係にまでなり、余裕がなくなっていることを意味している。こうして見てみると、自国家中心思想や国境絶対主義であったり、自民族対他民族との利害の上での交渉のようなケチな発想では、地球は救えないということなのだ。このことの自覚に立ったアンセッドではなかったのは残念至極であった。地球環境は総てに於いて国境などは初めからどこにもない。大気汚染・海洋汚染・砂漠化・資源枯渇・温暖化などは全人類が直接利害を蒙る事柄であり、存亡に関わる重大事である。ここに於いて如何に政治家の先見性と指導性が問われるかよくよく地球人として考えなくてはならないと同時に、超時間視・超空間視のできる精神指導者の提案などを求めて、道を誤まらないように努力すべきではなかろうか。
 日本は僅かではあるが技術的には世界一進んでおり、かつ経済大国として世界から熱い期待が寄せられている。当然ながら「環境問題技術先進国として、資金・技術の両面からリーダーシップを執る」という竹下元首相の指揮の元に、準備段階から相当の力を入れ、日本は五年間で一兆円規模の融資をする覚悟でこの会議に臨むことになっていた。まさに環境大国のイメージを確立し、そのリーダーシップを執る手筈であった。が、結果は無残にも恥辱の場でしかなかった。腰を入れてきた各関係者はさぞかし無念であったであろう。とにかく今の日本は、あの湾岸戦争以来「金を出しても評価されない」不名誉をこの度もしてしまったことは、今後の外交政治に微妙に影響するであろう。同時に、更に日本人不信の度を深めたことも確かである。日本は何が何でも自国安全に終始し、地球是としての正義の確立に背を向けているが、今のまま大乗精神に欠如してしまったら、早晩国民の個のレベルに於いて崩壊し自滅するだろう。大義が無いからである。

 いずれにしてもこれだけの参加国があったということは、言葉とおり地球規模で地球のことに取り組み出したということである。これからの産業・技術開発などに対して一つの方向を定めて行こうとしたことは光明である。今のまま各自が自由経済と言うことを勝手次第とまではいかないにしても、自社拡大にしのぎを削り合い、大量生産・大量販売・大量消費を目指しているならば、資源は枯渇し環境汚染は加速度的に進み、自然治癒力を破壊するのも時間の問題であろう。生命が宿るこの私たちの美しい青い地球は、こうして極度に発達した産業の結果、死の星へと確実に近づいている。地球あっての人類、自然あっての人類という、こうした根本の大原則を踏み間違えるととんでもないことが起こる。それは自分とか自国とか自社とかの利潤追求型の個人絶対思想・経済最優先の乞食根性では、絶対条件である根本が見えていないからだ。こうした相対的・自己防衛的弊害は充分に分かっていても、当面の利害関係が気持ちを劣化させてしまう。このように人間の生命維持本能とは、自己超越の精神に目覚めていない限り、自己中心に充分条件を求めるようになっている。これがエゴなのである。また、このエゴをどのようにしたら克服することができるかが、諸悪の根源的解決であり、真の平和と貧困飢餓などの問題を、極めて自然に、そして健全且つ継続的に解消し得る唯一の道なのだ。エゴの具体的解決方法については、拙著「坐禅はこうするのだ・続・地湧社」。欠野アズ紗著「悟りへの道をつっ走る・たま出版」参照。
 そもそも八割近い南の開発途上国の言う「資源の枯渇と環境を悪化させた責任は、環境を無視して個人利益追求の経済発展を続けてきた先進諸国にある」とする不満と責任追求は相当のものであったようだ。当然の成り行きである。したがって途上国からの環境対策資金及び技術支援などの要求が問題となったことも充分うなずける。連日のこの討議はサミット最終段階にもつれ込み、合意に達したのは何と閉幕前日六月十三日の夜であった。一体誰のために?

 だいたい国民とは気楽なもので、自分の要求をどこまでも追求し、不平を社会や政治のせいにしてその日を自己本位に楽しくおもしろおかしく暮すことしか考えていない。世界の全賢人が懸命の努力をして地球環境を守り得たとしても、自分さえよければ良しとする今の殆どの人たちは、「ほら、今の技術を使えば何とかなるんだから、国がすればいいのさ」と今までとおりの大量消費生活を続ければ、忽ち環境は破壊されてしまう。私に言わせたら、こうした要人たちの懸命の努力も僅かな時間の引き伸ばしに終わるだけなのだ。自然から見ればこのような身勝手で傲慢な生物は早く撲滅して欲しいと恨みを込めて祈っているに違いない。人類は永遠に続いて貰いたいと願う傍ら、自分さえよければ良しとする者は早く消えて欲しいとさえ思う。極端なようではあるが、そうしなければ近い将来、人類はおろか大半の生物群を絶滅させる無限大殺戮を是認してしまうことになるのだ。罪状なき大量殺人であり、その片棒を担ぐことは悪に決まっている。このことに対し、変な低俗な理解者になることも危険なのである。社会全体がこうした低意識者に対し、正当な責任を求めて安易に許さぬことが肝心ではなかろうか。
 政治の倫理なき姿も、社会全体の反映であり、一人一人の無責任振りに過ぎないことを自覚すべき時節が来たと言うことなのである。即ち、精神の復活・全人格的成長と言うべき自己確立をめざしたものでなければ総ての問題は根源的ではない。何故ならば、総ては一人一人の低俗な精神から起こった事柄に過ぎないからだ。

 こうした中にも「持続可能な開発」と銘打って、できなければ滅び、できれば救われるという行動計画が宣言・条約のような形でまとめられた。即ち「リオデジャネイロ宣言」として「地球温暖化防止条約」「生物学的多様性保護条約」「森林原則声明」等、実行計画四〇章からなる「アジェンダ二十一」がそれである。とにかく地球環境新秩序というべき環境憲法ができ上がったことは目出度いことである。私はもちろん、ここに人間としての温もりと、将来の人たちに対しての責任感を感じたのだ。色々な面で色あせた部分があったにしても、叡知の結晶として、全世界の意識統一にこぎつけたということは文句なしにサミットの成果である。日本は総理を愚かにも出席させなかったが。
 しかしいくら立派な理念と行動計画ができ上がったとしても、実行がなければ何の意味もない。それを実行するのは確かにそれぞれの国家が中心とならなければならない。けれども、汚染の原因を減らして行くのは地球の生活者、即ち我々自身である。極度の無駄解消は経済の疲弊や失業問題などが当然生じてくる。しかしそんなことと比べる問題ではないことを国民がよく理解しておかなければ国家も実行できなくなる。我々が利便性と合理性を追求してきた、言わば欲望行為が今日の地球の危機をもたらせたのであるが、その償いは永く困難な道であることをよく自覚しなければならない。経済不振から生ずる如何なる問題であろうとも、忍耐・努力で克服すべき事柄なのだ。如何なる事であっても、自然復帰力を破壊してしまうような危機には、決して至らしめてはならないのだ。人類の絶滅という究極的な危険と比べるべきものなど永遠にあろう筈はないのだ。

 資金にしても南の途上国への援助額は年間六、〇〇〇億ドルも必要といわれている。贅沢はもはや罪悪である。私たちは今一度生活全体を点検し、利便性ばかりを追求しているだけで、とんでもない資源の浪費とエネルギーの無駄をしていることを反省し、同時に改めなければならない。そのことが私たちの児孫を守り、人類を守ることになるのである。だからそうした原則的な心得を充分に身に付けさせる家庭環境や社会環境、学校現場にしなければ及びも付かんことだ。そのためにはどうしても教育の根本を立て直すことが急務なのである。現在のような進学のための知育偏重教育がもたらしている人間性破壊は、家庭や社会を悪化させても決して改善にはならない。とにかく心の環境を改めてこそ、初めて地球を健全に保ち続けることが可能になる。そのことを自覚しなければならない。その努力こそが先人として我々の果たすべき将来世代への義務であり愛ではなかろうか。


第五 スチュワーデス「えみこ」


「そろそろ京都フォーラム色を出して活動しましょうか。」と言う矢崎事務局長は、早朝よりNHK隊の一部と出掛けてしまい、私はまだでき上がらない原稿をいじりながら知人へ絵葉書を書いていた。そちらに比重が移り、できたら出さねばと一人で郵便局を探しに出かけた。途中文房具屋へ入っては墨汁的なものはないかと探してみた。が無い。いや、むしろ無いのが当たり前なのだが、有るかもしれないと思うとつい探し回る。最後の手段は黒の絵の具でいこうと思ったが、大きな単品がなくてどうしたものかと思案しながら郵便局を探すものだから、あっちへ行ったりこっちえ来たりでなかなか。教えてくれる英語が理解できないに過ぎないくせに、ようやくの思いで辿りつけば、「何、これが郵便局? 何だか宅配便屋みたいじゃないか。前を何度通っても分からん訳だ。」と心で独り言。人並みに並んで順番待ちをしていたその時だ。「先生!」と聞き覚えのある確かな日本語が、それもやたら近いところから響いた。驚いて振り向くとすぐそばに、五日前お世話になった日本人スチュワデスの「えみこ」さんがいた。偶然とはまさにこのことであろう。これは渡りに船とばかり、硯と墨を探していることを告げて応援を依頼したら、その足であちこちの文房具屋を回ってくれた。有る確立が殆ど皆無であることが判明し始めると、さすがに地球をくるくる回っているだけに思考のスケールも地球規模である。「サンパウロなら何でもあるんですが、あそこは着陸時間が僅かだから・・ロサンゼルスで買ってきましょうか? いや日本へ行った時に買って来ましょう。フライトは四日後・・」「四日後? 今すぐいるんです。国連の中で・・何とか助けてもらえませんか?」
 この人しか頼れる人が居ない今、そうなれば禅僧得意の無心でいく。徹底それになり切って押しの一手。とうとう私の切なる願いは通じ、彼女は近くの自分のマンションから、「壽」という日本料亭の女将へ連絡してくれた。「壽」の女将はリオ全域に日本人連絡網をもっているようであった。えみこさんは「あの人なら何とかしてくれます。夕方来て見てくれって。行ってみたらどうです?」と手に入れたも同然とばかり安心仕切ってそう言う。因みに彼女のマンションはコパカバーナの海浜に面し、景色の素晴らしい広々とした二階であった。日本の狭いマンションとはかなりの違いである。私が当然迷うだろうことを心配して送ってくれた。単なる親切というより、得体の知れない狼の餌になることを心配してくれて。我等が基地である部屋へ案内したら、共に過ごした十何時間の空の上の出会いはみな覚えていて、懐かしく語ることしばし。
 ここリオで気を付けなければならないことや、国民性の特徴とか誤解しやすい慣習なども教えてくれた。思うに、共通言語の大切さ、価値の高さは格別である。例え言葉が道具的な存在だとしてもだ。例えば今、ここで、自分のなすべき事をするのに、一体どこで、どのような人と相談すればいいか、そこへ行くためにはどのようにすれば行くことができるか、そうしたことが明快に理解できていなければ何にもできないように。そのためには必要最低限の知識が必要である。その最も基本となるものが言語であろう。それはどのような方法の言語でもいい。それがとにかくなければ、命にさえ関わってくることもあり得るほど共通言語は大切なものなのである。それはより多く持つほど便利がよい。
 とにかく理屈抜きで同族言語の心地好い響きにはどこか安らぎがある。案外各地方に存在する方言のもつ懐かしさその他の特徴は、これから大いに必要とされ求められるような心の時代になるような気がする。その背景には、国際化するにつれて無限大の異文化が、少なからず日本の心と文化を破壊するだろうし、一般化し画一化して、どこの町もどこの駅も、一向に変わったところが無くなっていく。総て文明的洗練度を競って変革していけば、北から南までとにかく新しさで塗りつぶされてしまう。個のレベルで見ても、着るものから身につけるものから、しぐさまで流行りに流されていく。その結果、極々身近な人とさえ口を利かなくなっている一種の文明病は、知らずに孤独の空しい領域を拡大していくであろうから。そこで育った方言の響きこそ、無邪気に戯れ遊んだ、あの躍動感、感動などの強い郷愁へ誘う唯一の心の故里となるに違いない。言葉には、道具とは別の大切な心の聖域があるということである。
 その夕方、食事を兼ねて矢崎事務局長と「壽」へ行く。明らかに日本式の門をくぐると、植木に石畳に燈篭と水車、それに漢字の看板などを見れば、どうしてこれが日本ではないの? と言いたくなるほどの本格派だ。リオにはこのような完全なる日本料亭が幾つもあり、器用に使う現地人の箸さばきに見とれてしまう。我々の狭い行動半径の中でも、「寿・都・赤坂・?」の四軒に行ったのであるが、他に何十軒あるか分からないという。とにかくリオだけでも五十や百ではなさそうである。随分あるような気がする。問題の味であるが、米・湯豆腐・日本酒・ビールなどのポピュラー物は総て現地生産されていて、本場日本そのままであった。矢崎氏はどこまでも堅実派であるから、健康を害してはと、どうしても刺身だけは食べさせてくれなかった。小事を捨て大にあらしめてくれたことは嬉しいが、是非に試みたかったリオの刺身料理であった。
 こうして日本食文化の世界的庶民化を至るところで感じた。途端に親近感を憶える。こうした食文化も勿論心に伝わる大切な言語である。しかし、世界共通の言語としては、マナーと親切とユーモアに勝るものはない。人種・国籍を問わず、学歴や年齢や社会的地位を見ず、男女や容姿は無論のこと意に介せず、ただその人の持つ文化や思想など、その人の心を大切にすればいいということである。それが人格を認めるということなのである。そのことをこれからの子どもにもしっかり認識させておきたいものである。
 早速素敵な女将から新品の硯と墨を見せられた。これを入手するのにはどんなにか苦労されたに違いない。「この墨は父の形見です。」には心から恐縮してしまい、辞退したらむしろ誇らしく「是非お役立て下さい。」には耐え難い感謝でいっぱいだった。考えてみれば、地球の裏側で新品の硯と墨が、半日で入手することができたこと自体感激だけでは済まされないではないか。我々は絶対に幸運だったのだ。これこそ同族をいたわり合う本来の持ち味なのだろうか、そうに違いない。こうして手に入れた墨が、たかだか三日で無くなろうとは夢にも思っていなかった。この墨と硯はそれほどの大活躍をしたのである。食事の最中に、近くのテーブルの親子連れの少年から、ちり紙にサインを求められた。「忍者」という言葉をはさんだ会話が有ったから、私が日本から来た本物の忍者に思えたのであろう。子どものここらの発想は世界共通しているようだ。他のことは余り間違われなかったが、至る所で忍者にされて、ついには忍者になりきって一緒に写真なども撮ったことがあった。あのエッフェル塔の上に於いても、やはり私は忍者であった。日本を背負っている我々は、その少年に対し丁寧に、当方持参の紙にまたまた「真友情救地球」としたためた。喜んだのは勿論であるが、数日後テレビや新聞などで知って一層歓喜したことであろう。この少年も幸運であった。というのは素敵な女将の流暢な通訳によって、内容が完全に伝えられたのだから。その時の暖かい家族の微笑は忘れ難い。そういえば両親のあれは感謝に満ちた笑顔だったのだ。家庭教育が自然であり健全であった。家族全員が礼儀正しく、品性が高かったからだ。我々もちょっぴり心地好い思いをさせてもらって、やはり心は心に通じ、国境などは無いなと思い千般で住み家へ帰ったのである。これも元をただせばスチュワーデス「えみこ」さんの心暖まる親切からであり、縁の不思議さと有難さを痛感した一日であった。


第六 眠れぬ夜の物語


 リオの夜は大変蒸し暑く、とても寝苦しい毎日であった。床に寝ている私がトイレに行き、しばらくするとベットの矢崎氏がトイレに行く。私もまた起きてしまい、とうとう原稿のことを相談する。「京都フォーラム色を出すのに、私の論文の最後へ、筆字で一句書いたらどうであろうか?」と提案した。英字の中に漢字のしかも筆字が入れば、視感覚としては充分アピール性があると思ったからである。彼は立って部屋から出て行った。冷蔵庫からビールを取り出して来た時は、すでに例の鬼才が躍動していた。彼のプランはたちまち壮大なスケールに及び、代る代る取り出してくるビールとで、いつしか二人の目はギンギンになっていた。夜の二時過ぎである。こうなると暑かろうが調度良かろうがそれが絶頂なのだ。「アース・サミット・タイムス」紙のまるまる一頁を私の原稿でいこうと言い出した。しかも三部層に分けてダイナミックに訴えようと。まずジャーナリスト諸君へ、次に政治家諸君へ、そして国家元首諸君へ、という強烈なものであった。しかも二日間づつ、計六日間ずっと続けるというのである。いとも簡単に彼はそう決めて、そこから訴える文句を練り、それにふさわしい簡単な古文調の言葉を六日間分を筆書きする。それを大上段から簡潔に提唱した原稿もできた。
 ふーむ、見ておれ。これならきっと大きな反響があるから! こうしてでき上がったプランにはかなりの満足感があり自信作であった。それを味合って尚溢れるものがあり、はっと顔を見合せた二人はすぐに我が「京都フォーラム」座長のドクター清水に電話していた。受話器の向こうは地球の真裏の日本である。志を一つにしている我々には距離も時間も関係ない。そこからも強烈な熱気が返ってきた。我等の熱気を更に増幅させるように。あちらの先生のあの情熱は、そのまま「京都フォーラム」の事務局へ直に伝えられるに違いない。またそこに新たなる興奮が沸き上がることだろう。二人は確かな手ごたえを感じて一応床につく。
 夜の明けるのも待ち遠しく、朝食を終えるやすぐに筆字に取り掛かった。三本の筆と落款と印肉だけは持ってきていたから、作品は難なくできた。夕方それらを持って「ブラジル新聞」本社へ行く。ニューヨークの「アース・サミット・タイムス」紙のスタッフがここで仕事をしているからである。矢崎氏が頼んでくれた。もちろんOK。落款の赤色を出してくれたら最高なのにと心では願っていたが、充分アピール性はあるので快く引いた。最終日の最後の引き上げ時には、いずれの他紙も各テーブルに沢山あるのに、我が「アース・サミット・タイムス」は全く無かった。考えられないことである。さすがの矢崎事務局長も、探しながら感嘆の声を上げているのを見て、私は心から嬉しかった。総て彼から始まっているもので、その本人が満足していることはそのまま我々の慶びでもあった。これくらい見事な会心の仕上がりが、あの眠られぬ夜のビール相手の台本からとは誰も思わないであろう。
 そう思うと、人間気が付いた時が実行の時、思った時がやる時で、常識的時間観に拘束されていると、良い事もできず、悪いことも改められない。つまり惰性的人生で終わってしまうということであろうか。運命とは特別な出会いというより、常識は常識として活かしながら、惰性化した常識観の外に常に居ることが大切である。そこからの理想と情熱と行動力が、時間も空間も人や物事の拘りを超えて、とんでもない世界へ繋がっていくものも沢山あるということであろう。察するところ、運命とは常に目の前にあるのだが、ただ惰性や無気力やゲスな欲望とか低俗な拘りなど、人間にしか生息しない心のバクテリアによって、簡単に駆逐されてしまう極めて弱い存在が縁だということである。ビールは冷たい内に飲め、人は通る内に見よ。他はこれ我れに非ず。また何れの時をか待たん。今じゃ、今じゃ、と何やら腹の底からの熱気を感じていた。


第七 アートにハート(京都フォーラムの活動)


 広く大きな会場は幾つもの館で繋がってはいるが、ほどよく区分されていて、館と館との間は芝生をベースに、熱帯植物特有の肉質の厚い濃緑の樹木が、大胆な間隔で植えられている。色花は鮮やかな原色が多く、アロハシャツのように豊かで美しい。時折そんな庭の中で、どこかの国の要人が演説をする。それがどうしたと言うのだ、もう理屈は聞き飽きた、と言いたげなはっきりとした色の花たちである。それをぐるりと囲み、或は遠くからカメラなどを回したりしているジャーナリストたちは、このあでやかな美しさを感じ取る心の余裕などからっきし無い不粋な連中ばかりなのだ。植木も起伏も多種あって、広い所は池も挟んでずんと遠方まで続き、ずっと向こうに見え隠れする兵士達が、何となくおもちゃの兵隊さんのように可愛らしく、置物的にワンポイント利いているのが何ともはや。ついニヤリとしたくなる光景の、まことに珍しい庭である。しかし面白くない事もときどき起こる。そんな大大陸でほしいままに取ったゆったりとした会場は、確かにざわついてはいるが結構静かなのだ。館内喧噪とは言え、目的と熱気の集約から来ているので、それは反ってこちらのボルテージを上げてくれる心地好さがある。ところがどこかの要人がヘリで来て、辺りの空気を一変し何もかも目茶目茶にかき混ぜる。現実至る所で熱気のこもったインタビュー集録しているので、それらは総て殺され遮られてしまう。あのヘリだけは総ての人から一瞬のうちに、或る大切なものを破壊し奪い取ってしまうけしからん存在なのである。ことのほかよく共鳴する建物であることにも起因するが、どうでもいい到来方法であり、その方法を改めてほしいと思ったことしばしば。
 そういえば或る日の夕方、夢中で筆と格闘している私の後ろで物凄い騒音がした。そしてたった一度小さな川のゲートが開かれ、どこかの要人が来館し、またそこから引き揚げて行った。その時サミット会議場ではなく、すぐそばの館の中に入った時から、大変などよめきが上がった途端、近くに居た報道陣は先を争って駆け込んで行った。それは何とあのカストロ首相であった。巨大な館から暫く熱狂的な喚声と拍手が響き渡ったが、これほど熱狂視され歓迎された要人を知らない。民族の一部の人にとっては確かに彼は英雄かも知れない。だが、世界にとっての救世主的存在だなどとは誰も思ってはいないのに、なぜか多くのジャーナリスト達は、彼をまだ英雄視しているのである。あのキューバからそれほど多くのジャーナリストが来ているなど考えられないではないか。
「今日のような世界情勢になった時、カストロさん、あんたの思想と行動の結果、あんたの国の国民生活や個人の自由を含む人権などを省みて、世界と自国に及ぼしてきたものが、果たして正しかったのかね? このままいくと、あんたの国は孤立し、国情としては決して生活にゆとりを持たせることは無理のようだが、いかがですかな? またこれからは世界が一つになり、仲良くしていくしか健全な未来はないが、カストロさん、あんたのように思想に拘って、協調と寛大さの欠けたやり方では、多くの難問解決は大変困難と思われるがどうですかね?」と切り込むジャーナリストが一人も居なかったとは! こんな絶好のチャンスはまたとないのに。だから彼等に未来を憂う目と心と使命感そして情熱が、果たしてどれほどあるのか疑わしくなってしまった。こんなジャーナリストばかりではないであろうけれども、味噌糞欲望の和え物を、きちっと分別していく思想的倫理的能力と、正義感と報道使命を彼等に期待するのは大変困難ではないだろうか。何だかマスメディアの根底が怪しく思えてきた。確かに彼らはジャーナリストである。しかし、将来を設計し現実の改革を必要としている、訴える価値観を持たない点において、悲しいかな只の人である。地球是となるような普遍性を持たない以上、彼らが取り上げるその情報は、本質的な根源が無いために、世間を表面だけではしらせ騒がせる材料になることが多い。彼らはその提供者ということになる。
 考えてみると、今日のように価値観が多様化し、世界の動向が極めて複雑に絡み合って、しかも速く大きく変化する現状を、若いジャーナリストたちが的確に把握するには、能力的に大変無理がある。直ちに見て取るだけの、それだけの人間的成長も経験も無いからだ。だからどうしても表面的な現象把握に止まり、極めて部分的で内容の薄い世界しか消化する事が出来ない。正直に言えばカストロさんはもう三十年前の英雄でしかない。世界の動向に付いては行けないほどずれてしまっている。とっくに過去の人なのである。今日の状況変化を的確に理解していくには、彼の時代感覚がバージョンアップし続けていなければならないからだ。こうしたことを的確に見抜いて、更に将来からの観点で彼を見ることが出来なければ、本当の生きたジャーナリスト、文化としての取材が出来るジャーナリストではない。本当のジャーナリストは、本当の使命感を持っていて、それを大切にしているものだ。本当の使命感とは? 勿論真実の追究であり、人間的普遍的テーマである。一流の人は、心の全面に暖かい血と涙と正義感が主となって横たわっているものだ。これらは時代によって決して変質するものではないから、人間社会にとっては普遍的な道であり、古くて最も新しい世界なのである。若いジャーナリストたちを、本物に育て上げるためには、一昔の親父のように厳しく、そして暖かく深く見守っていくベテランが付いていなければならない。直ぐ時代性に流されて半端者になってしまうから。
 けたたましい派手さは彼にふさわしいのかも知れないが、騒音と共に立ち去った後の静けさに、やはり真実の平和と安らぎがある。この静けさを大切にする心が無くなった時、集団は方向を定める羅針盤を失った時で、暴徒と化し歴史を誤ることになるだろう。
 とにかく英雄にも上・中・下があって、己の野心に任せて力を欲しいままにし、人の命や自由を奪い、個人の理想や人権を認めないような者は英雄でも何でもない。危ない独裁者ということだ。知恵と徳相と私心の無い行動力によって構築されたものは決して独裁ではない。だからいかなる国とも、いかなる思想とも、いかなる文化とも健康的・生産的に共存できる。その人の出現によって社会がずんと明るくなり発展したら、自然その人は英雄として人から尊崇されるに決まっている。そうなっても、自らはただの普通の庶民として淡々としている人こそ本当の英雄であろう。
「ねえ、カストロさんよ。お前さんは自分をどう思っておるのかね? 平和とは文句なしに人を大切にし、皆仲良くすることからだが、それには強烈な自己主張は止めて、信じるという、人を大切する暖かさと優しさと大きさがいるのだ。畢竟あんたは今まで何人の人を、自己主張のために殺してきたのかな? 人間には畏れと、悲しみと、喜びと、懺悔の中から生まれた思い遣りからでなければ本当の理想じゃない。あんたは政治家である前に、人間として特徴的に強く存在しているものは自己顕示欲であり、妥協よりも対立を選び、ひたすら戦いに勝つ事であり征服することにあるようだね。政治理念もそうした上に成り立っているから、どうしても対立は免れぬようだが、どうですか? 本当に国民を大切に思っていますかな? 先ず世界の平和への願いを聞きたまえ! 国民の現実を見たまえ!」と言いたかった騒音の後の心の置き土産であった。

 とにかく地球の事態は絶対に楽観視出来る状態ではない。思想的対立などで争っている場合ではないのだ。だから第一にこの現実を全地球人が認識することであり、そこから発生する危機感と対応が救いの鍵なのである。高い理解とは、事態が自国家保全など全体滅亡の前には笑い事にもならないと気づくことからである。そして、各国の国策に超国家的対応策を求めなければならないところまできたのである。国家への固執を超えて地球対策をとる事にある。とりあえず、民族・イデオロギー・宗教等総ての対立的存在を超越しなければならない時なので、そうした意識作りの教育から始めることである。
 この緊急を要する人類の危機的状況にありながら、尚こうした類いの人物が堂々と居て、イデオロギーや宗教に固執して対立圏を拡大していこうとする様な為政者を頂点としているその国家も、それらの野望的国策を食止めようとして策に策を必要としている諸国家も、まさに世代的運命であり地球の運命なのであろうか。
 何の為の文化であり文明であり宗教なのであろうか。
 何の為の教育であり学問であり思想なのだろう。国民の安全と幸せを目的にしている政治家は、国家を最優先し総てを掛けて守ろうとすることは当然である。しかし宇宙船地球号の幾つもの浸水を放置しているからには、それは最も危険な事をしている事なのかも。

 事務局長矢崎氏は片時ものんびりしては居られなくて、要人との会談の打ち合せ等に奔走し、そのインタビューをNHKが集録していく。前半はそれに総てが注がれていた。そんな中で「京都フォーラム色」を出して活動を始めようと、人が少なくて大変綺麗な庭に面したサロン風広場のソファーに身を寄せ、彼はサイン用の紙をデザインした。こんな時が矢崎氏にとってほんの一時の休息であったろう。A四の大きさで簡単にできたとはいえ、私はこれが大いに気に入ていた。シンプルで品があったからだ。確かにみんなに受け入れられてもいたし喜ばれたのだから。とはいえ大量生産するために、彼はオールエリアの特権階級をこの時とばかり使うことにして、「ちょっと待っていて下さい。」と言い残して国連の心臓部へ入って行った。そして例の玉手箱コピー機で試みにと百枚ほど作ってきた。誰でもが入れるところではないし、自由に使える代物ではない代物を使って、意図も簡単に目的を果たして来たわけだ。それを見て正しく悦に入っているところへ、一人のアメリカのジャーナリストが質問用紙を出した。それは笑ってしまうような幼稚な質問で、このような所へ来る者が、こんな意識しかないのかと、二人は半ば呆れてしまったが、大半がこの程度のような気がしていた。我々は決して自慢しているわけではないが、高い哲学に裏付けされた高度な理念と具体的方法を充分に持っている。英語が話せなくて彼等に軽べつされても、ちゃんとした通訳が居て、いざ中身へ突入したらば、なんぞ彼等の人後に下ることがあろうか。と自負している。
「本質を突いていないし、このような質問に対し幾ら大勢から解答を寄せても、このサミットの問題とする解答にはならないから、答える価値が無い。」という意味合いを諭すようにして、我が矢崎事務局長は断った。我々は終始このくらいの見識を持って国連の中を闊歩していた。真面目で熱心なこの人は、その後ずっと我々に深い理解と興味を示し、遠まきに見守っていた人物である。矢崎氏も決して人様を軽視しない人であるから真意が響くのである。そのジャーナリストはノートを出して「サインを」と言う。事務局長はできたてのまぶしいほどの用紙を、丁寧に私に手渡してくれた。私も丁寧にこれを受け取り、慎重に「真愛救世界(真愛が世界を救う)」と書き、落款を押して矢崎氏に渡した。頭陀袋には常に筆ペン・落款を入れて持ち歩いているのですぐに応じられる。筆ペンはこの様な時、実に便利がいいものである。そして宗教的な高い説明はおもむろに矢崎氏によって伝えられた。
 始めてみる東洋文化の美であったろう。筆ペンではあるが、白い紙に黒、そして落款の上品な赤色は単純にして言葉にならない新鮮な響きであったに違いない。そこへおおよそ西洋的ではない魂へのメッセージは、底知れない内容となったようだ。

 東洋の「道」とか「徳」とか「美」とか「技」とか「巧」の底流には、必ず研ぎ澄まされた精神とすがすがしい静まり、同時に極点を極めようとする炎のような情熱と信念が秘められている。そこには理屈を生み出し続ける観念操作の世界を越えた、魂の直覚的高い響きがある。つまり、理性による認識論的自覚ではないから、個人であっても個人の価値観を越えている。だから体で感じ取ってしまう感性からの生命的直覚による響きなので、そのまま態度に反映する。だから禅家の放つ魂へのメッセージは、いわば能動感応作用をもたらせるものである。矢崎氏は既に高い一つの光明を体得しているだけに、この貴重な響きは二人の絶妙なリズムを通して相手に伝わっていく。
 突然「私にも是非」と、現地人の青年職員が所望した。気が付かなかったが、すぐそばでずっと様子を見ていたらしい。我々はさっきのとおりをして、「無我」と書いて渡した。矢崎氏は最後までこうして私を態度でも敬い、時間のある限りずっと親身に補佐役に徹してくれたのである。

 連日茹だるような三十八度の暑さである。明くる日の午後、時期到来、いよいよ「京都フォーラム」の活動をすることになった。昨日のジャーナリストが私の写真を撮らせて欲しいとの要望を済ませた頃、矢崎氏を初めNHKのクルーから通訳からみな集まって、国連心臓部の入口というかサミット会議場入口に「京都フォーラム」活動の場所を定めた。ここでの「京都フォーラム色」とは、私が筆で禅語をサインし、その説明を通じて大乗精神の慈悲、東洋の精神を伝えることであった。世界を改革をするためには一人一人の精神改革からである。みんなが先ず少欲知足と反省の精神にならなければ問題の根源的解決には向わない。この精神性の大切さを知らせることにあった。
 そもそも西洋の理想とする思想の根源は、自分そのものを主体にして始まっているので、自分の価値観が自己実現要求として能動化された時は、それは当然の権利という社会通念で正当視されている。だから自分自ら反省し懺悔して良心に悔いるという精神の発露にはなっていく筈はない。エゴのままの自分を正当視しているからだ。そうなると自然回りの外部環境を自分の欲する価値観に変えてしまい整えてしまう。要するに欲望の追求ということであり、その結果がこの始末である。だから先進諸国は自然環境も社会環境も家庭環境も、そして精神環境も破壊し頽廃してしまったのである。もはや健全な将来は望めないところまで来てしまっている。
 例を上げれば、アメリカ・フランスが代表格であるところの覚醒剤におぼれエイズが急速に蔓延していくのは、人間として自己自身を健全に守ることができないからである。簡単に言えば、その根本原因は人格の基本精神が育っていないということに尽きる。精神を抜きにした文明や科学や技術などの手段の過剰開発は、薬の過剰投与と同じで大変危険な行為なのである。精神が健全に育つためには必要な環境条件がなければならない。それが健全な家庭であり、時間と空間と指導者と仲間であろう。つまり、畏れ、悲しみ、喜び、恥じ、怒り、悔しさ、忍耐、諦め、抵抗、躍動感など、知性とは別の精神作用である感性を、美しくそして充分発動させなければ、崇高で高い理念を育むための精神基盤が育たないのである。尊厳精神がない心に崇高性は絶対に育まれない。従って健全な宗教観も信仰も倫理観も生命観ももつことはできない。こうした高い形而上的精神が知性と感性をコントロールするのである。まずは人間性の基盤となる精神性を育まなければ、健全な人格は育たないということを知らなければならない。それは筵を編むように、手抜きは絶対に許されない。その絶妙な構成とバランスを可能足らしめるのが、自然環境と指導者と家庭なのである。便利な道具で埋めつくされてしまった先進諸国の家庭は、必要な精神を練る基盤を無くしてしまったのだ。その事がどんなに重大な事か、私は心から畏れるのだ。今なおその認識すらないほど、人間の本質的理解は乏しい。とにかくこんな事さえ充分に分かっていないというのが現実である。先ずは金だということであろう。お金の大切さは分かるが、次世代の担い手が不健全な精神であれば、家庭の役割を果たす精神性の宿りようがない。そこで育つ次世代者は、未成長・自己中心となり、結果将来は寒々しい人間崩壊社会が有るだけなのに。

 「京都フォーラム色」とは国連が見落しているこの精神面への警鐘であり、いわば国連の中での辻説法と言ったところか。そうした辻説法の対象の中から、これはという人を、後ろに待機しているNHKに紹介する。世界の賢人とは別に、一般大衆の本音として彼等にインタビューし集録していこうというものである。世界の民衆の声の集録である。カメラは芝生と木陰のほど良い背景を得て、三名の通訳が事に当たることになり準備は進んだ。見上げれば抜けるような爽快な青空。雲一つない。何だか風流には欠ける空だが、それだけに木陰の存在は芝生とぴったりマッチしていて、私を絶妙感へと誘う。満足、満足。時節因縁熟したりと言うべきか。
 但し、私は木陰ではなく軒下。書く側、並ぶ人の兼ね合いからである。とにかく筆で書くためには当座机がなくてはならない。こいつはどうしたものかと思案。そこへ昨日サインした現地職員が居たのでお願いをしてみたら、何と机一つと六脚の椅子をワゴンに載せて、「どうぞこれをお使い下さい」と持ってきてくれたのだ。とてもではないが上層部の人に頼んでも無理であったものが突然現実化した。私のサインも、ここブラジルでは大した力に変貌するものだと感心し、協力してくれた彼に感謝した。

 店開きするや珍しいイベントの前に人は三三五五集まってその流れは絶えることはなかった。百枚ほどの用紙は日暮れ前にはなくなり、それを理由にその日はやむなく打ち切った。矢崎氏は何度も作ってくれたとはいえ、いつも居るわけではないので、用紙切れを理由に屡々中止と相ならざを得なかったのである。
「京都フォーラム」とNHKは一体で仕事をし、全面的に協力し合っていたので、その効果は日増しに増大し、三日目には、朝私たちが到着した時には長い行列が待っていた。また紙がなくなったかと思いきや、誰ともなく、いずこからともなく大きな紙を持って集まり始めたから驚いた。それは国連発行の幾種類もの大きなポスターであった。遂には貼ってあるものを剥がしてまで持ってくるのだから、いやはやその根性には内心辟易したが、それほどここに集まった世界の人たちに共感を得ていた。それから最後まで、その大きなポスターに朝から晩まで書いたのだから、国連中のポスターがなくなってしまったのも無理はない。内心、「これは困ったぞ。これでは早晩国連から叱られるな」と覚悟して事に望んでいた。その事を矢崎氏に話したら返答に曰く、「終われば捨てなければならないものだし、元々みんなに持っていってもらうものですから・・・それに、こんなに喜ばれているし、これなら何時までも大切にされるし・・・意義ある活かし方じゃないですか。心配には及びませんよ」と慰めてくれた。成る程、確かに主体に立てばそうに違いない。成る程々々々。そう聞けばまさしくそれに違いない。あちらがどう思っているかは知らないが、高次化認識をすることでこちらは納得。後には、事もあろうに国連より記念品までいただき恐縮の極みであった。とにかく矢崎氏の言葉とおりであったわけだ。国連も全く彼の理解そのままの高い意識で我々を見守っていてくれたということになる。そういう理解に達すると、立場の違いこそ大きいが、お互い一つ目的に対する大事な活動である。だから協力こそすれ邪魔しなければならない理由は何も無い、ということが理解できたのである。大変嬉しかった。考えてみれば当然である。
 日本の社会的風土で育つと、やれ許可が居るとか、立場が違うとか、書類を出せとか、認めて無いとか有るとか。建設的な事一つするのに、何事に依らず官僚的管理をしようとして、肝心な目的達成のための善意が殆ど潰されている。そうした社会の有り方に対して、いつの間にか主体的改革精神がどこかねじ曲げられている自分に気づいた。いわば社会不信からである。大切な自分の国を憂えるのは当たり前である。健全発展を妨げるためには、誠意を潰してしまうような官僚態度は早急に改める必要がある。
 或る社会主義国から来た人が曰く、「日本は社会主義国よりも社会主義の国だね」と皮肉られた。官僚社会が個の主体性を破壊しつつあると言うことなのである。高次目的と善意の市民意識より、管理体制の権威が社会正義であるかのようになっていて、屡々実体とずれたことをしているのもそのためだったのだ。一見言論の自由とは言うが、教科書検定に見るとおり、官僚支配意識が権威の形で国民の上にのしかかっているのである。日本の悪口を言っているのではない。行政に携わっている人の根性が、次第に目的に対する使命感を忘れて、権威でものを考え、管理体制でものを言うようになってしまったからだ。結果が不都合なことになっても、自分は間違ったことはやっていない、と言ういい訳は何処から来るのか。それは管理体制に従ったまでだということであり、善意も愛情も高次への功夫努力も、畢竟心も使命感も理念もないと言うことであり、人を大切にし命を絶対視して守る、という精神のかけらも無くなってきているのだ。実に怖いことである。これも上に立つ者の器量だと言うことになる。器量無く徳無き者が上に立つと、下は皆腐ってしまう習わしは、今も昔も同じらしい。それでは地球が守れぬのも当たり前ではないか。
 社会は善意を管理したり是非してはならない。むしろ純粋に積極的に高く評価して、善意の素晴らしさと尊さと必要性を強調し、その拡大と発展を支えなければならない。善意こそ、悪を駆逐し、健全な発展をもたらせる最大の力なのである。話を戻せば、さすが国連であった。その心意気こそ目出たけれ。

 四日めには場所を変えたのだが、邪魔にならない所とあって人は限りなく続いた。私はしばしば昼食も取れずトイレにも行かれず、限界に達するまで書き続け喋り続けた。後から並んだ人は私の所へたどり着くまでに三時間は掛かるのだが、その間みんな並んで立っている。その列は随分多彩な職種の人たちであった。日本を含めた諸外国の医師・国内の医師・国の要人(大臣クラス)・兵隊さん・ジャーナリスト・教師・建築士・企業家・学者・会社員・銀行員・国連職員・現地職員・政治家・学生(医師の卵・建築家の卵・弁護士の卵・看護婦の卵等)・モデル(もちろんぞくぞくするほどの絶世の美女)・商人等、確認し憶えているだけでもこれだけいた。私がNHKに紹介した割合は結果的に五、六人に一名ぐらいか。深田デレクターの算出によると、五〇〇名は充分に集録したとのこと。だとしたらサインの数はそれだけでも相当数にのぼったことになる。けだし、NHK独自のインタビューもしていることは言うまでもない。
 或る朝、或る場所の空気が騒然としてきた。その何十人もの集団が、足早にこちらへ近付いて来たので、こちらの人たちが俄かに色めき立った。それもそのはず、「大統領より偉い人がやって来るぞ!」「ブラジルの州知事だ!」と、民衆の声を通訳してくれた。他はジャーナリストたちであった。その老紳士は私の前に現れ丁寧に、「申し訳ないが、これは私の孫です。一つ書いてやってもらえませんか。」と頼まれた。サミットのこの忙しい中、可愛い孫にせがまれて仕方なしに来たのだ。だからといって何十人もの列を前にして堂々と割り込みをするとは全くもってけしからん爺さんだが、可愛らしくもあり大した者だとも思った。多少の面白みも時には有った方が愉快だし、この老紳士に対して文句を言う人は誰も居なようであった。そんな威厳と自信を具えている老紳士なのだ。私は安心してこの十二三才ぐらいの可愛いお嬢さんの為に「真愛は最も美しく尊い」と漢字で書き、しっかりと話した。こんな子供にでも何かが通じたようであった。昨日も遠慮勝ちにじっと見ていた子だ。さすがに長い大人の列に列する気になれなかったとみえ、欲しくてしかたがなかったのでついに奥の手を使ったという訳だ。

 とっぷりと暮れた中で、限りなく続いている我々に、いつの間にか照明が取り付けられていた。時折いかめしい態度の監督官らしき人が人垣を分け入って来て、この人だかりは何事かあらんと点検していたが、国連の配慮であろうか。また、すぐ隣のコーヒー・ショップからは何度も暖かいコーヒーの差し入れをいただき一息つかせてくれた。はじめは長い列が営業妨害だと言って叱られたりしたのだが。いつしか矢崎氏は、「これはアートにハートですな。」としんみり評していたが、私にはこれ以上に素晴らしい名言は無かった。「アートにハートか。」私はこれを何度も口ずさんでいた。東洋の偉大なアートとハートが、彼等にこんなに深く暖かく新鮮に導入されるとは全く想像だにしていなかった。「京都フォーラム」が骨子としている理念の正しさを改めて確信し、そうした内面の潤いを、心の底から強烈に求め出しているという手応えを観じたのだ。ブラジルの一人の女性が、
「我が国の大統領に先生の話を是非聞かせたいのですが」と真剣に言う。
「いいですとも。すぐここへ連れてきて下さい。将来を含めて皆の地球ですから、皆で難問を解決していきましょう。早く連れてきて下さい。」
 長蛇の列で多くの人たちが退屈するからと、NHKのスタッフがアパートのステレオのラッパを、無断で持ってきて取り付けてくれていたので、その会話は皆に聞こえて爆笑と相なっていく。因みにここの大統領は無能と不正という随分の悪評であった。帰って数か月の後、大統領不信任の大デモが起こって数十万人に達したことは、低開発勤労不熱心借金大国ブラジルの前途に投げかけられている光と影のかじ取りが容易ではない事を再確認した。確かに困難を窮めているだろうと思うと、その大統領には余りにも荷が重すぎるのではないかと同情した。この大統領夫婦はブランド志向とかで可成り底辺から顰蹙を買っているので、事は常に問題化して行くに違いない。「徳なくんば人敬せず、威なくんば人従わず」という昔からの訓戒があるが、これは永遠の君子の提言ではなかろうか。今は徳を重んずる人無く、君子無きを、君と共に悲しむのみ。
「えみこ」さんの協力で入手した片見の墨は、ずっと矢崎事務局長が中心になって擦ってくれて「京都フォーラム」の活動はこうして続いた。NHKの仕事も順調に進み、時にはワンカメ(カメラ一台)になっていた。一台は別の集録に向かっているからだ。「驚異の小宇宙・人体」という世界で十七の賞をもらった、NHKが誇る素晴らしい番組を制作したプロデューサー・林勝彦兄が、サミット半ばに到着して曰く、
「老師、凄い美女たちが目をうるうる潤ませて老師の話を聞いていたですね。凄いですね。自分は映像を通して人をじっと見ていますから、その瞳を見れば本心かどうかすぐに分かるんです。あれは間違いなく本物ですよ。」と言われた。矢崎氏がまた、
「アートにハートですな。」と結論づけた。総てこれで語り尽くされていた。遅くまで協力し合って獲得されていく成果と共に疲れも相当なものであったが、この軽快な纏めの名言が、皆の疲れを不思議にも心地よく癒してくれたのだ。帰国後、写真やテレビ放映されたのを見た時、林兄の指摘したことが嘘でないことを確認した。彼等一人々々の瞳が明らかに活きていて、とても美しく輝いていたからである。そう言えば、涙しハンカチを当てて聞いてくれていた人たちも居たことを尊く思い出した。まだまだ真心は伝わっている、と思うと本当に嬉しくなる。

 大切な墨はこうして僅かに三日で無くなってしまったのであるが、拙い私の書を通じて求める心根は、如何にも精神の貧困を意味していて、乾き切った大地に吸い取られていく水の運命にも似ていた。ここブラジルには今この精神文化が必要なのである。そうした精神が無いし、人間の中身である精神の中心を指導するリーダーが居ないというのが不幸なのである。無くなろうとしている墨をめぐって、「京都フォーラム」とNHKのスタッフは全力を投じて探してくれた。思い出してもそれは大変なご苦労であった。時が立つに連れて、たった墨一つのために、全員が奔走してくれたことの意義の大きさと親切心が有難く、私の奥に尊いものが深く刻み込まれている。とにかく最後まで続けることが出来たのであるが、全員をそこまで駆り立てたものは、尊厳性の無い人間の生き様を見るに付け、それが何かを感じさせたのである。お互い胸に詰まされ、そこから滲み出た高い安らぎへの渇望感だった様な気がしてならないのだ。合掌。

 たまたま通訳の女性が遅れた日のことである。となると私は次々と書くだけである。だから面白いほどこなしていけるのだが誰一人として帰ろうとしないのだ。みんなポスターを引っ提げて通訳が到着するのをじっと待っているのだから、決して珍しい東洋の筆による「書」が欲しいだけではなかったのだ。ボランティアで協力してくれている通訳のその人が現れて、「すみません。」と席に着くやどっと人垣ができてしまった。長いマイクの竿が何本も突き出てカメラも回る。何十人もが総て違った言葉ではあっても、底流をなしている精神を説けば、次々入れ替わってもみな一連の真理であり説教となる。
 聞いたことがないであろう東洋の大乗精神は、民族を大きく超えて求められている心であった。彼等にとって一枚の「アートにハート」はまさにアンセッドの象徴だったのだ。物質文明がもたらせた混迷の中にあって、その混迷の元は自己自身の精神にあるということを感動的に理解してくれたので、こうまでして求めるのではなかろうか。次第にメモを取る人たちも現れ、時間の経過はアートから次第にハートへと比重の移行が見えた。この事はとりもなおさず一つの事を証明している。
 それは物質文明である利便性・合理性という外部条件ばかりを追求してきた今日までの人類選択肢が、危機的状況に達したことを自覚し反省し始めたということであろうか。この歴史的転換期に当たって求められる世界観・人生観、いわば新しい価値観を模索している時、なんてことはない只人間として美しい心に成りさえすれば、自然に内部より秩序が立ってくるという魂の話を聞いて、そこに新たなる光を見いだし始めただけのことである。本当に大切なもの、本当に必要なもの、本当に美しいもの、本当の本当を探したら、それは物やお金ではなく、本当の心でなければならないということに気付き始めたからである。だから真剣に聞き入ってくれたのではないか。我々は個人々々でそのような会話こそしなかったが、彼等に深く浸透していく大乗精神の話をそのように理解していた。これから帰るからとわざわざ挨拶にさえ来てくれる人や、記念に受け取ってくれと置いていった品々からは、そんな心が伝わってくるのだ。毎日、テレビ・ラジオ・新聞のネタになったのは、一口には言えないそうした響きによるものがあったからであろうか。

 かなり遅くなっても人は絶えず、夜不思議にも寒くて震えながら続けていた日、鋭い鬼才の版画家・西岡文彦兄が遠慮勝ちに、
「老師、あそこの兵士が、どうしても何か書いて欲しいと懇願しているんですが・・明日は転属なんだそうで・・書いて上げて下さいませんか・・」と極めて丁寧に言うのだ。彼は常に全体がよく見えて凄く切れる希な人物であるから、それが今正当なことかどうか知っていて言うからには、余ほどその若い兵士に同情したに違いない。寒い中をじっと順番を待っている長い列は、我々の何かを熱くしている。それ以上に、西岡兄の優しい心遣いが私を熱くさせてくれた。
 ほどよくスキを作って小振りの紙に書いて西岡兄に渡した。兵士二人はカストロ首相が通った裏寂しいところを警護しているのだが、高いフェンスのためにそれを渡すこともままならなぬ。二人に持って行った兄は、それによじ登るようにして渡して、そして説明をしていた。その時の空気はとても心暖まるもので、誰撮るともなくその時の数枚の写真が、心の影、時の影として残されている。いずれも生涯二度と会うことはない人たちの。


第八 健全な気配りの出来る民族になれ


 サミットが始まってしまえば、総てが或るまとまりに向けて流れ、大きくしかも急流となっていく。横の関連も烈しくなり深まる。国連の中に居る人たち皆が、自分が何をしに来たのかがはっきりした動きになる。不思議なことに目的意識の深い者と浅い者とが、見ただけでその使命感が見えるのだ。知性と神経が全身に行き渡り、背筋がピント伸びて脇目も振らず歩く人は、首筋からつま先までしっかり伸びていて気合が入っている。誰の目にもそれが一目で分かるのだから面白い。そんな人たちの中に、世話をする現地人の間の抜けた歩きぶりは、如何にも日銭を貰えば関係ない、と体が言っているのが対象的であった。たぶん、彼ら自身は一切の地球的課題とは無関係だと決め込んでいる人たちであろう。世の中で最も気楽な存在者に見える。だが、根源的崩壊は、将来の人たちをも含めた総ての人が絶対不幸になる、ということが分からない無知性が哀れにして愚かであり、とても怖い。と同時に、人間的でないことにおいてやはり一番気楽な存在なのだ。存在の意義ももたず、自尊心も秩序も関係無いという市民が増加していったら、果たして個人の安全とか人権などは一体どのようにして護るのであろうか。

 館が広いとはいえ一万人近い人が存在するには大変狭い。人・人・人で一杯である。トイレから食堂から電話・ポスト・ごみ箱などは常時点検し管理していなければ機能しなくなる。それがである。ごみ入れはよく考えたもので、すぐ分かるように黄色に塗ったドラム缶を各所に置いて、それを半日で取り替えるよう管理されている。まことに行き届いた心憎い配慮ではある。が、所は国連であり世界中が注目している将来の地球の存亡に関わる最大級の討議をしている所である。であるから事の重大性に比例して、世界中のジャーナリストが集まり、自分の国へ送るための情報収集が、あらゆる所で行われている。当然なことで、寧ろその活動もサミットの広報部門と言ってもよい。世界の大多数の人々はその意義と成果を情報に期待している。それによって認識し理解を得て、それは同時に危機感の共有と共に、一人々々の生活を見直す動機に繋がっていく。深い浅いを別にすれば、ジャーナリストのクルーは、皆そうした使命感を背負って真剣に集録しているのだ。そこへキーキーガンガン、キーキーガンガンと、全く無神経に金属音を立てた清掃係の原始ワゴンが会場内を這いずり回る。通路は市内の歩道全体がそうであるように、約十センチ四角の石を波の絵模様に埋め込んだガタガタ道である。そんな通路と反響効率満点の建物であるから、油の切れたリヤカーに、直にドラム缶を乗せて来て乱暴に取り替え作業をするのだから、集録中のジャーナリストは決定的な災難である。深田デレクターの顔が何度引きつったことか。恐ろしいことに、右に左に存在するそうしたジャーナリストに、全く無配慮の行為なのだ。それがまた皆そうだからあきれてしまう。日本人だったら決してそれほど無理性にはなれない。誰かが注意するだろうし、車とドラム缶の間にむしろなりダンボールなどを敷くだろうし、オイルを差してキーキーいわなくするよう、個人の常識として次第に事の重大性に順応して行くだろう。上司も誰も注意する者が居なかったとみえて、これは最後までただの一度も配慮の様子がなかった。
 如何に文明化されてはいない自然だとしても、今、何が行われているかの単純認識が出来ない民族性に私は唖然としっぱなしだった。知性が働いていないそんな人は、歩き振りにも明らかにその無能さがある。人間には存在観と同時に人格を支える誇りが無くてはならない。それが信念である。常に最小限の知性的緊張感が漲っていなければ目的意識を失い、妄りに見聞覚知に翻弄されるのである。姿勢や態度にはその人の精神性が極自然に反映する。心を常に健全に躍動させるには、妄りに煩わしいことや、感情をかき乱すようなくだらぬ事を思わぬ事であり、姿勢を常に凛としておる事である。これだけでも精神の浄化には相当効果的なのだ。
 先進諸国は“諦めこそ幸福”という時代を迎えるのも時間の問題であるが、そうした観点からすれば、とにかく彼等は第一級の幸せ者に違いない。しかし、一般の常識人ならばこうした幸せ者になるより不幸を選ぶだろう。少なくとも人間として回りの存在を知り、可能な限り迷惑を掛けないように生きるであろうから。例えそのためにつまらぬ気遣いをしてクタクタに疲れる一日であったとしても。毎日のあのガンガン狂奏曲を聞きながら、私は彼等に同情よりも悲しい哀れを感じ、知性の低さと貧困の国の運命を殺伐とした気持ちで感じていた。

 或る日本食レストランは大変現地の人に請けていて、我々はそこの経営者の並々ならぬ努力に感服していた。そこの一人の客がついっと立った。何処へ行くのかと思いきや、ペタペタと素足のままトイレに入り、手も洗わずに元の席に帰りストンと坐った。右を見れば幾人もの仲間と来ている中の一組のカップルが、人前でネチョ! と絡み合っている。確かに情熱の都リオである。左を見ればそれだ。思わず矢崎氏と目が合った。その店へは二度と行くことはなかった。他の店ではトイレ行きにはちゃんと履物を履いていたから、彼等には区別が識別できる物理的感覚的条件を考慮した作りが必要なのだ。知性は使って知性であって、知性があるから知性ではない。衛生観念も知性の作用であり働きである。
 時折思うともなく思った。努力で繁栄を築いてきた国々から大枚な借金をするより、もっと現実が見えるように努力しろ! そうすれば借金などしなくても済むような国になるのだ、ばかめ! と。
 無神経も考えてみれば根源的には経済か人権侵害かに集約できるであろう。というのは彼等の何割かは裸足で裸で、中には今にもはち切れそうな臨月の人が、ほんのちょびっとオマジナイ程度に観音様を隠した風をして、あのコパカバーナの海浜をお手てつないで闊歩している。それに対して文明という便利な道具を使う我々は、その道具の法則に従う事で枠の中で生きているようなものだ。だからそんな大胆な事など社会事情からも精神的にも普通ではできなくなっている。そんな側から見ると、かなりの無神経無知性自己本位という評価も間違いではないし、逆に自然という角度から我々を見るなら、明らかに文明に使われ道具に支配されている哀れな存在なのである。だからあちらから言わせるなら、「そんな事、気にする事はないじゃん。自分の仕事で音が出て、それがとんでもない? へー、よく分からんが、そんな難しい仕事しているんですか、御苦労さん。」ということになるだろう。勿論経済力が無ければ人間を拘束するほど文明も無いから、音にそれ程の重大な問題があろうなどとは思っても居ないはずである。ところが、異質の目的や文化や慣習を持つ人たちと共同作業を行うとなるとそれでは済まされない。どちらもが人権侵害だと言いたくなる場面に遭遇することになる。
 ここに知性とか民族性とか文化性、謂わば人格に係わる精神環境などに直接波及する多くの問題が有るということなのだ。テレビ朝日の子守ディレクターがモニターテレビに覗き込んでいたので、「なに、なに、???・・・」と私も覗き込んだ。映像のプロが夢中で覗き込んでいれば、こちらもつい興味津々となったとしても無理からぬことではないか。「老師、もうすぐ陰毛ねーちゃんが出てきますよ、うひひひ。」と小声。「なに! なに!」なるほど若いギャルが、おっぴろげた大股に当てがったマスクほどのふんどしの両端から、確かに自然の存在がはみ出ているのだ。それもプロらしく、「見事にキャッチしているでしょう」と言わんばかりにグンとズーミングした旨さもあって臨場感満点であったが、実際そこかしこに同じように太陽様と無心に向いあっている光景は、全くのどかで嫌味がなかった。いや、それどころか、「町中じゃあるまいし、泳ぐところで裸になってなにが悪い! 誰に迷惑を掛けているのでも無し。人のつまらん小さな事を気にして何になるのかや。嫌なら来るな、ほっといてくれ!」この大自然からそんな無邪気なメッセージが聞こえてくるような気がして一人笑った。
 私は思った。経済大国日本のブランド指向か何か知らないが、虚栄をぎらぎらさせている嫌味なおば様族をここへ連れてきてはどうだろう。幾ら着飾ってみても誰も気にしてはくれないし、汗とほこりと裸足の裸兄ちゃん達に思いきり怖い思いをさせられて、あげくの果ては、「あーあ、ばかばかしい。そうだ、人の妬み心を刺激して味あうケチな快感よりも、私も人の目を決定的に無視して野性感を楽しもう。こんな物が何さ。私だってまだまだ脱げば若いのよ。若い男の目だって引き付けられるかもよ。」と首輪から指輪から鼻輪?から腕輪から皆脱ぎ捨てるという劇的脱皮を得るだろうから。そしたら心が妙に軽くなり、明るくすっきりして下根の悟りぐらいの爽快感に満足するに違いない。
 それはそれでいいのだが、この無神経さは意外な問題点を含むと同時に、本質的には或る大きな決定的障害になったりするものなので、決して無神経が良いのではない。ソウル国際会議の一ケ月後に北京国際会議があった。周知のとおり中国は旧ソビエトや北朝鮮と同様あの怖い悪平等の共産圏である。命令された事しかしてはいけないし、命令された事は絶対に実行しなければ殺されるかもしれないところだから、人権とか自由とかは全く無視されている。とにかく思想や国家批判は考えるだけでも許されない国なのである。思想的拘りから統制国家を目指してきた国家であるから当然そうなる。ホテルも売子も皆国家公務員という格調高い身分制度のお国でもある。格調高い身分は結構なのだが、極めて無愛想と言うか無表情と言うか、感性が発刺としていない女性たちばかりで、それも年頃の若い人たちがである。メモを広げて打ち合せをしている所へ、持ってきた熱いお茶をかなり乱暴に置いていく。しかもそのメモの上へ。わざとでないから、その無分別無知性無感覚無神経さが怖いのである。どうしても統制された人生が三世代続くと諦めが当たり前になってしまい、与えられた仕事を機械のごとくこなして任務としているに違いない。韓国の女性の透き通った笑顔としなやかな応対振りは、安心感と安らぎと親しみがあり、いつしかそのケナゲサに敬意さえ抱くほどだったので、一ヵ月後にかいま見た儒教の御家元に於いて、各も惨めな対応しか出来ない歪められた国民性にしてしまった国家の思想と、その拘りの罪は実に根深くて大きいものだ。「お主等は本当に国民の事を考えているのか。いい加減にしろ! 北朝鮮、ベトナム、キューバ、イラク、お主たちもだ!」という思いが続いたのだ。

 自由と人権が奪われると、夢を抱く事さえ出来なくなり、自発性というものが殺されてしまう。だから他人に対して心暖かい対応をしたくても感性も知性も充分に発露しなくなっているために出来ないのだ。しなやかな感性と希望熱はその人を自然に向上させる大切な要因なのだが、ここでは怖いからするだけで、人間としての存在の自覚によるものではないので、自然依存性が強い国民性となってしまっている。だから気が付いても精神構造上判断や行動へと発展的に稼働しないから進歩改善が出来ない、というのが無神経の現実的内容である。つまり理想とか向上心というものを個人レベルで充分もつか持たないかである。統制国家の共産圏でこうした自発精神・希望や理想を保有することはむしろ惨めさ、悔しさ、悲しみを増幅させ、国家への反発心に繋がっていくので、持つ事は不忠の輩ということになる。もし持っていたら国家とか思想への批判などがつい口から出て、何を理由にされ国の敵として殺されるか分からない。過去にそうした恐ろしい現実があったから、だから誰も個人で理想など抱こうとしない結果である。
 同じ共産圏のモンゴルも矢張り依存性国民であった。ただでさえ汚いトイレなのに、どれもパイプが切れて小便がたれながしになったままである。小便が足下を流れている幾つものそうした便器の状態を、誰も治そうとしない。それは係が違うし自分の責任ではない、誰かがする筈だ、という無神経無責任依存性民族になってしまっているのだ。皆びちゃびちゃとおしっこの上で用を済ませているのだから大したものだ。大便用に至っては更に恐ろしい状態である。大体衛生観念も美的感覚も育ち難い政治体制であるから無理も無いが、掃除など何年前にしたのか分からないあらましさで、まあ、そんな気さえするほどであった。戦時下なら止むを得ないということもあるが、全くの平常時であるからその無神経振りに凄じいものを見るのである。そのまま薄汚い食堂へ入ればラーメンの汁まで小便臭くもなろうと言うものだ。
 これはサービスで記するのだが、そんな所へクレオパトラか楊貴妃か、いやここはやはり楊貴妃でなければ歴史からして面白くない。そんな理知的で気品を漂わせた飛び切りの美女が、湯気のたった熱々のどんぶりを持って現れた。これほど整った美人が何でこんな所へ居るのだ? と思ったのは私だけであろうか。零下十何度に真底震えている我々には、小便臭さよりも観音様に見える方が断然速かったとしてもバチは当たらぬというものだ。小便臭さが一瞬に吹き飛んだのも当たり前。とにかく美女の差し出した救いのどんぶりにかじり付けば、五臓六腑が小踊りして喜び、腹の底から火照ってくるから堪らない。もう感謝以外のなにものでもない。観音様の功徳とはたいしたものだと改めて感心した。げに、あれほどの美女は、あんな所へは似合わない似合わない。世に適材適所と言うではないか。誰かが「真空パック詰めにして持って帰りたいな」と言った気持ちは極めて自然であり、そうした存在への適性観を口にして楽しむ大人の言葉遊びも面白かった。蓋し「楽しんで淫せず」は君子の力量であって、心に跡型が無ければこれ程安上がりの楽しみ方は無いであろう。これは本当の余談で、実は書くのが惜しかったのだが。呵々大笑。

 とにかくどんな事も気にせず、のんびりとした悠久の時間を持ち、且つ過ごすことは実に羨ましい限りである。が、それは健全な知性と人間性に支えられた時間のことで、それで初めて幽玄価値としての悠久なる時間というものであろう。これは悠久とかいうそんな厳かなものではなく、間抜け面した無神経人間の依存型集団に伴う無価値な時間、と悪口を言いたくなってしまうのは私の悪い癖かも。但し「のんびり」という精神の流れは大切であることに違いはない。先進諸国の民は、人間性に関する大事な部分が既に可成り破壊されている。文明の必然的機能として、一人の占める時間空間、視感覚的空間がやたら拡大し地球が本当に狭くなってしまった。裏返しに精神的空間や奥行きが極度に狭化してしまい、個人に於いて全くゆとりがなくなってしまった。その事は皆が尊貴性・幽玄性等、人生と時間の質・価値を著しく低下させてまっていることを知らなければならない。これでいいはずがないのだ。これをどのようにして改革するかである。根本は健全な自律しかない。そのためには意識と価値観の浄化である。それは精神が構造化する元からの教育しかない。だから、何をさて置いても人間教育は、人間社会の安全を形成する最大の道なのである。教育を聖域として重大視し、理念の確立とともに実行を急がねばならない。精神の健全性無くして、社会や人生が健全であり得るはずが無いではないか。景気のことばかりに走っていると、早晩次世代がとんでもない人間になってしまい、教育すら困難になるであろう。ことブラジルだけのことではない。本人が学校へ行かない、よう行かせない親たち。共に急増している我が国が、真っ先に取り組まねばならない重大事なのである。

 ここで特記しておきたい事がある。食事と美人と思想と感性の面白い関係である。韓国はあの様に我々と同じ自由諸国圏であるから、衣服も闊達自在で街ゆくギャル達ははつらつとした自然なゼスチャー交じりの会話を楽しんでいる。見るからに感性が生き生きしていて表情が美しいしこちらも楽しくなる。ところが中国の女性たちは表情が無く言葉も事務的でぱさぱさなのだ。それだけならそれだけの話だが、常に人間を丸ごと見ている私には、それだけでは終わらないから話が面白くなるのである。人間にとって感性が如何に大きな作用をもたらせているかという話である。
 食事は中国の方が質的に整っているように思われるのに、美人は圧倒的に韓国に多いのは何故なのか? 造形的にはどちらも同じような造りなのだが美しさが甚だしく異なっている。それは顔や胸の凹凸と、身体全体の躍動感透明感が明らかに中国の女性たちに少ないからである。何故だ? 食生活は結構良質なものを取っているのにという素朴な疑問が起こる。答えは以外に簡単な事で、精神性なのだ。ともかく人間は健全なる感性が発刺としているかいないかが問題なのである。心豊で希望が持てるということは、例え今は貧しくても明日への夢が膨らむと胸が熱くなり力が沸いてくるということと、顔や胸の豊さに反映されるということとの関係は興味ある事である。考えてみれば簡単な事のような気もする。諦めが総てを沈滞させるのとは別に、喜びも悲しみも希望も理想も自由にもてるその人権の自然な発露から、心も胸も表情も躍動することはそんなに理解し難い事ではない。ホルモンと成長と生物進化との関連も考えられない事ではない。今の科学では解明できていない人間生物の問題がまだまだ潜んでいるような気がする。しかし、科学の問題提起よりも、思想の拘りから民族全体を沈滞させ、人権侵害から生じる人間性低下による精神資源枯渇化の危険をもっともっと問題にすべきであり、それもぎりぎりのところに来ていることを知らなければならない。
 教育の問題とは、こうした人間の本質を思想や国家の体制まで掘り下げて、地球全体の健全な将来世代を築く教育にしなければならないのではないか。今、将にそうした世代的局面なのである。

 サミットも終わりが近くなった頃、晩の食事に素敵な肉を命懸けで食べる、あのブラジル料理を取る事にしてオールスタッフ街へ繰り出した。大きな店が満杯である。そのお店はサミット会場にも出店しているからナンバー・ワンに違いない。がらっと変えた軽快なイデタチの私をいち早く発見した者が、「禅マスターが来た。」と叫んだ。こんなところでは知らん顔に限る。総て無視々々。ところがトイレに行ってある事柄にカチンときたからどうしようもない。とにかくこんな貧乏大国ブラジルに於いて、トイレの小便坪に山盛り一杯の氷が入れてあるのだ。氷は膨大なエネルギーからできているものである。その上へおしっこをひっかけるのだ。何とも申し訳ないのと、贅沢な食事をしに来たやつばらに、ここまで行き過ぎたサービスをする必要がどこにあるのか! という義憤がアルコールに煽られるように出てきてしまったのだ。確かに匂もなく、一々水を流さなくて済むし、清涼感があってすがすがしい事は分かっているのだが。
「社長をここへ呼びなさい!」と店員頭の利れのよさそうなかなりの美女に、(エイ、こうなれば女性は皆美女だ)語気も強く言い付けていた。
「社長はただいま留守でして、私が店長で・・」と気の小さそうな利口そうでない男が出てきた。
「今、全世界の人たちが地球の裏からもここへ来て、貧困や地球環境の事や資源や、とにかく色々な大事な将来の問題を解決するために、どうすればいいかを一生懸命検討している最中だ。然るにここでは、食事も出来ない国民が沢山居ると言うのに、物凄いエネルギーが必要な氷を小便坪へ一杯入れて悦に入っているとは何事だ! 珍しさで客の目を引こうとするとは無神経すぎる! 経営者の倫理観の無さが国を危うくするのだ! 経営理念は儲けさえすればいいと言うのか!」まだまだつづく。
 NHKの林プロデューサーまでが出てきて、私が馬鹿に真剣になっているのが面白く感じたのか一生懸命写真を撮っていた。
「即刻氷を撤廃し、今後そんなもったいない事をしないと約束しなさい!」店長が遁走したのは間もなくの事であった。とにかく、それぞれの問題国は、もっと基本的な気配りの出来る民族になって、早く皆が自活できる本来の国作りに取り組んで欲しいと、酩酊寸前の奥に危機感からの悲しく叫ぶ修行者の願いがあった。
 自分でも思った。こんなところで、こんな騒動を起こさなくたっていいのに・・と。又思った。それはそうだが、しかし、この性格は今生に於いては無理だろうね、と。又々思った。法のためにも、やはり私は世間に出てはいけないのではないか? 自ら修し、一箇半箇を育てなければ。裟婆の事は裟婆の人に任そう、と。そうなると後は懺悔しかない。又々々思った。だが、しかし・・とくるからこの性格は怖いのだ。
 あの桐島洋子女史が居たら、「老師らしいけれど、やっぱり二つや三つの命では足りそうも無いわね。」と賛否の付かないあの魅力的な微笑をするに違いない。それだけでもない気がする。多分女史なら肩を叩いて、「・・」と言うだろう。私はそんな爽やかな彼女に好感を抱いている。


第九 情熱の都 リオ


 日本を金主義・神秘の国と呼び、アメリカを自由とピストルと告訴の民に例えるなら、ここリオは情熱と刹那主義の民と言ってもいいだろう。日本なら真夏のよく晴れた日の午後、あのキール氏のインタビューをホテルのプールサイドで集録していた時のことである。矢崎氏との対談は治子女史による通訳で事は快調に進んでいた。私は余りの暑さに耐えかね、法衣を脱で白衣になり、それでも足音を殺してゆっくりとその辺りを歩いていたつもりなのだが、これまた声を殺して、「老師! 白い着物でうろうろしないで下さい! ガラス窓やドアなどに姿がよく映るじゃないですか!」とカメラマンにきつく叱られた。「へい、へい!」と言うような恭順の意を表してそこを立ち去り、コパカバーナが真下に見える南のテラスに赴いた。「プロの執念と芸術性は高く厳しいな。素人と違う点は求める高さと厳しさだな。しかし、その道の人は、その道に関しては素人ではないから厳しくて当たり前だ。誰だってそうだな・・」なんて当然なことに感心していると、下の方でお祭の太鼓や囃のような激しい音楽がずっと鳴り響いていることに気が付いた。「これがリオのサンバというやつか! 相当数の楽器が奏じられているに違いない」と独り言。とにかく大々的な響きである。
 その正体何ものぞ! この目でしかと確かめて土産話にしてくれる! 突如としてそんなやんちゃ気分に誘われて、このインタビュー、私が戻るまで続いて下されや、と祈りを残して現場に行ってみた。
 十人以上の奏者が居るに違いないと思いきや、たった三人の奏者と二人のダンサーだけには少々拍子抜けしたが、それ程の響きを持つ熱狂的リズムなのだ。これが若し二十人もの奏者だったら一体どうなるんだろう? きっと或る種の回路が破壊されて狂う人間も現れる。ちょっと心配した。そうかな? と思う人も居るに違いないが、人間というものはそんなに安定度がいいものではない。感情も知性もであるが、常識も倫理観も通常機能としてのものは案外もろいものなのである。試みに大金を目の前におかれて誰もいなくなってしまうと、色々に精神が揺らぎ、果ては乱れを起こし、ついにはしてはならない事をするようにさえなってしまう。これは視感覚的刺激撹乱であるが、音に於いても香りに於いても接触感に於いてもである。如何に知性が豊であっても教養が高くても地位があっても関係なく内容が直接問われ、人格の高さを決定づける単純な刺激反応現象なのである。エロチックな写真を見ている内に、知性はセックスなどを想像する。それはそのままイメージとなり、イメージはそのまま感情を刺激し性衝動を駆り立てる。そうなると知性には有らぬ下心が存在し、平常心ではなくなっているのだ。人間の精神とは、極普段の環境に於いてこの様に不安定なのだから、特殊で強烈な刺激を複数の人間が受けると、一人が狂い始めると忽ち伝搬してみんな狂ってしまう。一般論として、ホルモンの分泌反応が激しい年代ほど狂い易いことになる。
 そんな人間との関係性を感じながら次第に近づいていく。決してミュージシャンというような芸術家的ではなく、またプロ的誇りを問題にしている様子でもない。趣味がこうじてやっている流しのようで、金持ちの観光客の求めに応じての演奏である。ぐんと競り出した路上レストランの丸いテーブルを囲んでいる観光客は、アロハシャツに単パン姿が殆どだ。ビールやコーラをのんびり飲みながらの見物は、ゴウジャスというより最高のゆとり、絶妙の癒しではなかろうか。
 男性のダンサーが何時の間にかそこに居る私を見て、「お前も踊れ」と肩を掴んで熱烈に誘ってくれるのだ。それを見た皆は妙な取り合せのやり取りに、笑いも更に快活となり熱狂していった。サンバはますます興にのる。健康的に日焼けした膚。全身の笑顔に真っ白い歯が眩しく光る。実に野性的な美しさが、きらめくエメラルドの目とエロチックな視線によって更に強調される。そんな若いリオ美人のぷりぷりの胸が吹き飛ばなければよいがと心配するほどの激しい踊りとサンバで、辺りは土族的な宗教性とでもいうか形而上的禁断の舞台と化していった。そこで踊る人とそれを見る人はおよそ半々。日本では平日の昼間、いい大人が路上で歌って踊って、何て事は有り得ないが、ここでは働くために喰らう日本人の様な生き方ではないのだ。こうして熱狂的に遊ぶために働く種族が大半らしい。それをベンチで遠巻に聞きながら絡み合っている男女がそこかしこにいる。大概女性が男性に絡みついていて、その怪しげな魅惑的な目と真っ白い歯を見せての笑顔は、サンバを踊っている人と、それを見ている人たちの笑顔と全く同質だから驚く。それがまた絡み合っている姿が熱烈であると同時に、極めて自然で嫌味が無いからダブル驚きである。
 ベンチで絡みつくのは物理的にも空間的にも、またムード的にも不思議とは思わない。しかし日本食専門の店の中でも公然とそれをして居るのには少々不潔感悪感が走った。彼等は幾人もの友達と来ていて彼等の目の前での行為である。それ以外の何等の様子もなくただ親しみの極の情熱的接近ポーズに過ぎないのではあるが、生きる事への真面目さと礼儀を社会のルールとし、且つ健全な誇りをもっている目には絶対に何かが欠落しているとしか思えない。別の日本食レストランでも見掛けたから、決して彼等だけが特別とは思えない。座敷という畳の感触とあの空間が、彼等に取って或る種の解放感を与える存在なのかも知れない、という理解は出来るのだが。どのように説いたとしても結論は、健全なマナーより、個人主義と情熱による刹那的快楽主義に行為するという結果である。これは無配慮無神経へと堕落に繋がる動物的本能的行動であることへの警戒心のないことを意味している。つまりそれは、見方を変えるならそんな事が身についているということなのであるから、倫理観や責任感に次いで、理想をかかげそれに向って献身的努力を継続するなどということはちょっと困難なのだ。働くより遊びが面白いし好きなことは誰だって同じであろう。けれどもそれが身についた民族には、それなりの結果が待っているので、「歓楽極まって哀情多し」の格言を我々は忘れるわけにはいかないのだ。
 しかし日本も確実に民族の良さを失いつつあるので、この格言を格言としてではなく、実質的な平素の在り方にこの精神を大切にしなければならない。そうでなければ文明によって人類が滅ぶ前に、人格不全と自己コントロール不全による無秩序社会が加速され、そこから権力の横暴と暴力と不信と欺瞞が横行してとんでもない頽廃社会となり、建て直しが利かなくなった時が滅亡の最終幕が始まった時なのである。どっこいそうはさせるものか、ここに私が居る限り。この気概と努力心と純粋な行動と、それに掛ける普遍的な情熱が今必要なのである。先ずは修行々々。

 東洋の懺悔から始まる大乗精神は、こうした民族性の持つ精神文化の低迷を是正し、人格の形成と共に健全な社会性を喚起して、国際的に通用するマナーの自発と向上心啓蒙に大きく貢献する力を持っているのだが、その指導という具体的なことになると行き詰ってしまう。その理由は、それを成し得る師が余りにも微弱だと言う事に尽き、だから一箇半箇を急がねば成らないと言う古来からの結論に戻らねばならないのだ。
「矢張りお前は世間へ出ている暇など無いではないか! 何を血迷っているのじゃ!」と久しぶりに慈師の峻厳なる一喝を喰らった思いがした。是々。惨愧々々。


第十 禅僧拉致される

 

  一 とんでもないお屋敷篇

 サミットも佳境と言うか総てが出揃い、会議も各国調印すべき決定事項が整い始めた後半の九日夕方、ストロング事務局長夫人の友人の豪邸へ、世界の要人二百人が招待された。レセプションである。その招待状のあて名には感心した。手書きのアルファベットデザイン文字の素晴らしいものだったからだ。筆文字の美しさとは全く赴きを異にした、単調な線の曲線美である。筆文字の様な太い細い・かすれ・濃淡・大小・くずれなど、わびやさびの赴きが全く無い替りに、整った曲線と螺旋形と直線の見事な幾何学性を重んじた調和は、いかにもロジックの世界から生まれたレタリックの美であろうか。それを持って入場するのである。一切の報道関係を入れない純然たる晩餐会である。矢崎氏は同士として仕事をしているNHKの全員を同席できるよう思案していた。結果が面白い。あの辻説法で大活躍している日本の禅僧がサインしている姿を取材するだけ、という分かったような分からぬような理屈で了解を取り付けてしまった。国連も実に面白いというかいい加減なところが有るようだ。実は環境庁も郵政省の偉い人たちも、誰一人として招待されてはいなかった程、人選のグレードは高かったのである。矢崎事務局長はとにかく頑張って、環境庁三名と郵政省三名を招待する事に成功したのだ。だが、今もつて省丁六名の官僚は、自分たちが固有で招待されたと思っているかも。日本はそれ程高く評価されていないことを知るや否や。
 貧しい小さな家が立ち並ぶ街道沿いに、見るからにお屋敷の門と門番用の建物がある。勿論門番の検閲を受けて入ると素朴な石畳がずっと続き、両側の生け垣が屋敷へ誘う。広い駐車場は既に車で埋まっていた。運転手はここまでで、パーティーが終わるまで何処かに車を置いて待っていなければならない。車から下りてまた門をくぐると、特設舞台からは生演奏が南天の空にこだまし、屋敷の中まで続いている大きな変形プールに色とりどりの照明がさんざめく。茜色の空の元は、着飾ったあでやかな礼装夫人のファッションショウか。事もあろうに私は下痢が続いていた。今白状するのであるが、矢崎氏が「生野菜は食べないように、水が雑菌だらけで危ないから」と注意をしてくれたにも拘らず、それ程の事はあるまいと、たかをくくって食べたのがバチ当たりの始まり。ぐっと堪えてここまで辿りつくや、急いでトイレに飛込んだ。みっとも無いことだがそれより手はないではないか。そういえばトイレを教えてくれたのは、あの素敵なストロング事務局長夫人ではなかったか。多少痛む腹を庇いながら、ふと今の夫人の事を思った。すっきりとして、やーれやれ、これでよし! と出た途端、乗馬姿のその艶やかな夫人が待っていて、私の右手をぐいっと掴むや人垣の中を通り抜け、巨木が鬱蒼とした森へと吸い込まれて行った。やがて抜けたところは、完全に照明も届かず人声も消え、ほんに微かに舞台の音楽が聞こえてはいるが、それよりも静けさの方がはるかに深くなっていた。無言の優しい拉致である。だって私の立場など全く無視した不届きな行為と言うべき筋書だからだ。私を一体どうしようというのだ?
 深閑とした大古木の森を出たところは、多少起伏のある素晴らしい芝生の庭であった。ぐるりを囲む生け垣の外は貧民たちのぼろけた小さな家々であろう。夫人は手を離した。薄明かりながらまだはっきり見える光景は、あちらの宴会とは程遠い寂とした世界であった。真ん中の焚き火は呪術的でまことに丁寧に焚かれていた。それもその筈、本物のインディオの呪者が、ここで一週間、夜も昼も祈りを続けたそれだと言う。その焚き火を円形に囲んでじっと坐っていているのは、何故かみんな若い女性たちばかりである。二人しか居ない男性は呪者で小さな太鼓を持っていた。後は皆無口の若い女性たち。ただ焚き火をじっと見つめて、蝋人形のように身じろぎもしない光景は不思議な空間である。しっとりとした雰囲気と言うには少々重すぎる。誰も、少しも動こうとしない。突然太鼓が打ち出され、祈りの歌が四・五分続き、ぴたりと止むとまた元の静寂が耳元につんとくる。連れてきた夫人も坐り込んだので、いよいよ立てなくなってしまった。これを遥かなる東洋からきた禅僧に見せたかったのだ。白衣に裟の黒衣の私も結構ここの雰囲気に合致していて、後は東洋の雰囲気で決まりとなる、筈である。私は静かに手を延ばして太鼓を掴んだ。その男は静かに私を見る。確かにインディオ系の顔であった。どこか堀の深いところがアイヌに似ている感じだ。私も大きく目を開けて彼を見る。微かにうなずいた。承諾と受け取ってそれを引き寄せ、おもむろに叩いく。御祈祷用のリズムと盆踊りのリズム、後は創作を織りまぜて。謂わばでたらめであった。が、最後は特に東洋の幽玄を感じてもらうべく、細く、細く、細く、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、果てしなくゆっくり。いつしか消えていった。つんとくる静けさから、静けさの無い静けさに替っていた。ちょっとしてから、また二人の男がさっきと全く同じリズム、同じ文句を、同じ節を付けて唱えて終わった。やや元の堅い静けさに戻った。皆がさぞかし心配しているだろうと思うと、動いてもよい暖かい静けさを作る必要がある。辺りには酒を忌む女性たちが何時の間にか増えていた。どうやらここは、神秘主義者の寄ってくる祈りの神聖な場所として有名なのかもしれない、がよく分からない。いよいよ空も暗くなり、人の顔が判ぜんとしなくなってきた。この今の神聖で堅い宗教的静けさと、日本の格調高い静かな歌とは合うような気がしたので、一つ日本のわび・さびと幽玄な心を披露して、そこからにげる突破口を見いだすことにした。私が歌に自信などある筈がない。彼等にお礼の気持ちも込めて。
 ムードよし。月の砂漠と荒城の月を低音でゆっくり口ずさんだ。何故この歌だったのか? これしか知らないし、これが好きだったから。極力わびとさびを加えて歌ったこの歌は、異なった神秘性に響いたようである。焚き火の炎が呪術的なものから詩的文学的芸術的な明るさに替ったような気がした。感性が美しく動き、観念の固定から開放されるはずだ・・ 果たせるかな二人の女性が辺りの空気を少しも動かさず立ってベンチへ移った。私もこのチャンスにあやかって静かに静かに立った。私としては上出来な仕上りであった。
 神聖な祈りを後にして、生演奏と灯りを目当てに森を進むと、会はすっかり盛り上がっていた。色とりどりに輝く水面のプールサイドを行き交う人は皆グラスを持ち、明るく花やいだ会話をしていた。これ程対象的な人間模様は珍しい。そのまた外には、食べることも出来ず帰る家さえない人たちが大勢居る現実の一画でのパーティーは、私を慰めるどころか、「ちょっと無神経すぎるのではないか!」と、外の彼等に対して聊か心が痛んだ。
「老師。一体どこえいらしてたんですか? 皆心配してこの屋敷全部を探し回ったんですよ。何処にも居ないじゃないですか! 本当に心配したんですから!」
「さっ、老師、本へサインして下さい。NHKの人たちは老師が居ないので動けんじゃないですか!」確かにNHKのクルーはカメラや機材を膝にして奥のソファにじっと身を寄せていた。もう平身低頭しかない。「はい、はい。はい、はい!」もう二つおまけに「はい、はい!」である。こっちの身も知らないで・・! と思う余地がなかった。とにかく到着早々三十分以上行方不明となると、それは問題だったはずだ。早速百冊近い本へサインを始めた。何だかさっきまでのあの静かすぎる静けさが尊く懐かしい思いに駆られながら。と急にお腹が空いた。それもその筈、昼はうどん一杯であったし、バチ当たりの下痢で腹の中は空からである。なのに回りは飲み放題の連中であるから堪らない。私だって酒は嫌ではないのだ! しかも相当に疲れているのだから。こうなったらこの俺だって、書きながら「次はワイン」「次はシャンペン」と私も結局は我侭放題。建て前のNHK集録も終わっていたので、矢崎さんのお嬢さん、ロージー・さかえさん、ミキさん、NHKスタッフの方たちが何でも運んでくれた。適度のアルコールは筆にとって益々快調。書き終わった時は可成り出来上がっていた。世界の著名な人たちと大勢出会ったが、適度を通り越したアルコールで、上等な会話などへは発展して行かなかったのは返す返すも不覚であった。モナコの王妃グレィス・ケリーとか、ロバート・ラウシェンバーグ(現代美術の頂点)さんと握手をしたり抱合ったりしたのは憶えているのだが・・

 私が拉致された経緯を矢崎氏に話したら、「是非そこへ行ってみましょう。」ということになり、グラスを片手に森へ入って行った。森の中は暗く、道も分かれていた。片隅のほこらにはローソクがゆらぐ。突然黒裳束の番人に呼び止められた。
「ここから先は神聖なところだから、そのグラスを置いて行きなさい。」真剣なその婦人の顔に妥協は全く見られなかった。先ずは楽しんで鋭気を養いましょうということになり、いさぎよく引き返した。これでどうやら私の拉致騒ぎの流れを分かってもらえたようだ。が、地球の真裏で異国の人たちへの日本からの贈り物として努力した、私の静かなる「わび・さび」精神芸術奮戦記までは通じていないかもしれない。
 宴のたけなわを越えた頃より、この様な人まで招待されていたの? と不審に思われる不釣り合いな人物を見掛けるようになった。話をしてみてもさっぱり高尚なものもなく、ただの人たちである。なんと我々の運転手まで入っているではないか。どうやらどさくさを見計らって進入した珍客たちらで、旨いものにあやからんとの手慣れた無銭飲食組らしい。一見して見分けられるのは、そうした場に集まる紳士達は、自分のたち場と他の紳士達の格に対して、失礼の無い相応の服装をし態度をしているものだ。が、珍客たちはただの平素の神経しかなく、また招待を請けるに相応しい文化性の様な高く鋭いものが無いから、無論自信等あろう筈が無い。全身から哀れな尻尾を出しているのである。道ある者は道ある者を畏れ、眼ある者は眼ある者を畏れる所以である。畏れと恥を知らぬ者ほど恐ろしい者はない。道を滅ぼすからである。
 我々は充分に楽しんだ。帰るにあたって誰に挨拶をするでもなく、皆さっさと無遠慮に去っていく。あのストロング婦人より頂いたとてつもないオリジナルプレゼントへのお礼なしに引き揚げるのは、如何にも私の気持ちに反していた。そのことが途中酩酊の中で微かに後ろ髪を引かれていた。私に髪はないが、ほろ苦い後味は混沌としている地球のための「アース・サミット」だけに、今夜の宴の限りない明暗に対して、出来すぎるほどマッチしていた。
 もし、今夜の宴がとてつもなくゴウジャスで、興奮する程の会であったら、私は贅沢を享受することで外に居る親も家も無い極限的状態の彼等の事を、一時でも忘却していたに違いない。その事は後で自分の二面性に対して何とも疎ましく思ったことであろう。
 その明くる日、また一人になっていた。ジャーナリスト・ルームへ向って歩いていたら、元アメリカ国務次官のリード氏と共に後ろ髪の婦人と目出度くも出会った。専ら日本語専門の私は日本語で、後悔のないように昨日のお礼を申し述べた。無論あちらは英語の専門家であるから、言葉は単なる心のリズムでしかない。でも、ちゃんと気持ちは通じているから面白い。婦人はリード氏に私を指さしては何かを懸命に説明していた。一体何かな? 数日後、矢崎氏より次の様なメッセージを聞いた。
「ストロングさんの奥さんは、この今の地球の問題は精神の荒廃からだと結論を出しておられて、それには本当の宗教がどうしても必要だと言われる。自分は将来禅堂を建てて禅の高い精神性を以て教育の建て直しを計りたい。日本の禅指導者・平田精耕老師に相談すると言っておられた。老師、老師の出番がいよいよ近付いていますぞ!」
「いや、私の出る世界ではありませんよ。ああした高貴性と虚栄心が身についた人たちが禅を広めようとその中心に立つと、己を捨ててかかっている指導者に深く信頼や尊敬が集まり、お金を出して作ったのはこの私なのよ。それなのに何故私を尊敬しないのか! と言う不足の念から嫉妬へ、そして怒りへとエスカレートし、必ず問題を起こす。結果的には失敗に終わってしまうんですよ。」
「そうでしょうな。何となく分かりますな。」さすがに矢崎氏であった。
 とんでもないお屋敷での拉致から始まった一連の運命にも似た結論は、以外にも私の本命とする坐禅の話で落ちた。決して後ろ髪の女性を非難したのではない。稀に見る素晴らしい女性である。ただ、本当に涙して人の苦しみを何とかしなければ、との信念と祈りとが体からほとばしり出る程の、そんな純粋な情熱が有るとは思えないからだ。禅による精神の高い開けは当然高次化していく。するとその人は価値観の移相が起こる。人間関係の質が変化し、禅指導者にほとんど絶対信頼をおく。このようなところから問題となるということが言いたかったのである。彼の女性は決して血みどろにはなれない運命の女性のように私には見える。したがって折角の素晴らしい発想も行為も、自分を確かにしてから始まるのだと言うことを知ってもらいたいと思った。普遍的に生かされることを願う私としては、良き師を持つことを提言したいのである。虚栄心や他の目的であったりする輩が理想とするレベルというものは極めて程度が低い。自己が強烈にたっているからである。「どうぞこれを人類、いや道のために御存念にお使い下さい」と、決定的に投げ出す力のある人の理想でなければ皆失敗をする。俗に言う、金を出したからといって口を出したら死んでしまうと言うことである。俗念からの理想は必ず問題を起こす、そのことは古来からの因果律である。

    二 裸の対決篇

 話はロマンチックなものとか探偵ものとか童話とか限りなくある。現代とみに貞操がなくなって、強烈な感応刺激効果で販売拡大を狙う嫌らしい商人が闊歩している。性の衝動化からの犯罪は手が付けられなくなっていくだろう。純粋無垢なる青少年がこれから美しく高い理念と概念を形成して行くべき時に、低俗な情報と刺激の与える影響は計りしれない。確かに俗悪窮まりなくて、稼げばいいとする商人の、倫理無き自由競争がもたらせた典型的な世代悪の一つである。腹を立てたくなるのは私一人ではないと思いつつも、「アース・サミット」参加の体験談として、ややそれに近い語り方で実話を録す。蓋し、禅僧がここにそれを記するには、世間とは別口の好時節が有ることを知られよ。

 本場の生のサンバには熱帯特有の激しさがあり、或る意味では五十倍辛いカレーが寧ろ夏の暑さを涼しくさせる後味の如く、そんな爽快感を味わってキール氏のインタビュー現場へと急いだ。上がってみると緊迫した空気は全くない。個々ばらばらに動いているから事態は流動的となり、下手をすると私はどこへ行ったらいいの? と言いつつべそをかかねばならなくなっていたから慌てた。しまった、遅かりし由良の介だったか。
「老師、何処へいってたんですか。キールさんが老師と一緒に御風呂へ入ると言っておられたので、どうぞごゆっくり入ってらして下さい。私どもはちょっと打ち合せが有りますから」。言葉の終わらぬうちに軽快なスタイルで現れたので、そのホテルに完備されているボデービル等健康増進施設へ連れ立って入った。先ずは安心。彼のおごりで受け付けからタオル等を借り受け、パンツになった。可成りの御高齢ながら筋骨隆隆たる大男の、一面黒々とした胸毛はその胸を一層広く大きく見せ、これぞ本物のヤンキーを実感した。子供が悪さをする程度にあれこれ挑戦し、「御先にどうぞ」と勧めてくれた小さな部屋へ入った。盲腸の手術を受けたことがあるが、あの手のベットがあった。何じゃこれは? 三角油げ程の海水パンツを被着した小柄で利口そうな若い女性が白い歯をちらっと見せて挨拶し、簡潔なゼスチャーで私に指示した。彼女の身振り手振りは或る種の踊りにさえ見えるほどに優雅で滑らかであった。要点を完全に伝えてくれたので、私が行動するのに迷いは何もなかった。
「着たものは脱いでその篭へ入れられよ。そしてここへ上がられよ」であった。ああ、マッサージか。となると日本では上着ほどは脱ぐが下着はそのままなので、シャツとパンツになって上がろうとしたら、皆脱ぐべしの指示が来た。これは何やら怪しげな空気になってきだぞ、といぶかしげに彼女を見れば、何食わぬ涼しい顔をして、ぐずぐずするなというふうに顎でしゃくって催促するではないか。まあ、これほどの高級ホテルだ。客を素裸にしていきなり金玉を噛み切ったという様なことはないはずだから、郷に入れば郷に従うしかないなといさぎよく脱いだ。ぴったり密着していたパンツがなくなれば股くらにはすずよかな風が心地好い。みれば如何にも重そうな奴が、風鈴にはおおよそ遠い姿でみっともなくぶら下がっていた。自分の余りなおぞましき姿におののいてしまい、慌ててタオルを巻いてしまった。年は取りたくないものである。白けに白け、妙にふてくされてまな板の上で背筋を延ばしあぐらをかいた。手は法界定印になっていたから坐禅の姿に極めて近い。何食わぬ顔をして私の調理人を見下ろすとも無く見てみたら、「こんな客は初めてだ。ここへ何しに来たんだ?」と言たげな顔であった。それはこっちが聞きたいところだ。変な客だと思ったからであろうか、腰に手を当てて、さてどの様に料理しようかと考えているのではないかと思えるほどゆっくりとした口調と美しいゼスチャーで、うつ伏せを求めた。
 と、突然背中に‘ねたっ’とした感触がした。確かに人膚である。何じゃこれは? と思う間もなくその行為が連続し、している内容が少しずつ判明してきた。右手の腕にオイルを塗ってはこちらの膚へ塗り付けてくる不潔感のするものである。どうやらオイルマッサージというものらしい。しかし現実にこんな商売が存在している限り顧客があるからであろうが、こんな気持ちの悪い変てこなものをよくも受けに来る者が居るなと、理解できない男性の存在にこれまた変な感心をしてしまった。とにかく揉むでもなく指圧的に押さえるでもなく、これが何でマッサージなんだ? もうちょっと増しな、肘でもいいからツボを押さえるとか出来んのか。日本だったら詐欺だぞ! そんなつまらん妄想を見抜いたかの様に、仰向けを指示してきた。おぞましき物を見られぬようにタオルに注意を払って上を向いた。今度はつま先から塗って次第に上がってくる。股くらに近づいた時、妙に慎重になっていたことに気が付いた。こちらを深く観察し心理を読んでやっていたのだ。私も鈍い男である。今頃気が付くのだから。そう思って観てみると、プロの執念というか技術というか、自分の簡単な力で男の感能作用を高め、そこで起こる羞恥心をどうするか観てやろうという魂胆に思えてきた。あちらがプロならこちらもプロである。そういうゲスなことに誰もが自由になるものと思われては片腹痛い。されば骨折り損のくた振れ儲けを味わすのも面白いではないか。東洋の安定した精神世界、とりわけ禅定の凄さを分からせてやろうと言う気になってしまった。私はこの手の悪戯など結構いい線を行くし、仏祖には叱られるが嫌ではないやんちゃ精神の持ち主である。
 ねったり責め込み、皮一重のところで引き下がる。かと思うと一息間を外す。今度はどのように来るかな。触られるかもしれないな、と相手が妙な期待や妙な危機感を抱くであろう想像の時間と言うか速度を、何やら絶妙な観測と実験から得た手法を駆使してくるのだ。若者だったり禅定力がなかったら一たまりも無い。ほうほう、やっちょるやっちょる。これはあっぱれ感心ものである。矢張りここまで心理を読み、絶妙な膚への挑戦を色々に試みるとはまさしくプロの世界と言うべきか、企業努力と言うべきかよく分からないが、プロの意地としか思えない執拗さでくるのだ。
 こちらはというと、相手のなすがままに任せて意を用いないから感情が動く動機が無い。一瞬のそれをそのままにしているだけである。だから何等の反応も起こる余地が無い。

 勘違いしてはいけないから余談を呈するのだが、人間の体は蚊が刺せば痒いし火が当たれば熱い。あそこは適度の刺激を受ければ、血液が注ぎ込まれ膨張するようになっている。体は例え眠っていて無反応状態に見えても火が当たれば熱くて瞬間に反応するが如く、あそこも眠りにあったとしても適度の刺激には矢張り反応し膨張する器なのである。ただあそこの違うところは、感覚的であれ言語的であれ、性的感情を刺激されると感応することにある。つまり、人間は高度な精神的知性的存在に見えても、性刺激に対しては鋭敏に反応し、性欲へと転化するようになっている。そうした原始精神はプライベート空間に於いて自らを拘束する自律性が低ければ、高い確率で性衝動を引き起こし易い。それは、総ての動物進化の過程に見る通り、前提として先ず種が存続することにあるからだ。そのための性的行動であり、それを促して種の保存と繁栄をもたらせるような仕組になっている大切な将に聖器なのである。そうした自然の計り事が無かったならば、高等な種はことごとく絶滅したに違いない。高度な理念を持ち、高い教養があるにも拘らず、それらを簡単に破壊して単なるあのような激しい動物行為がなされるということを根源的に理解し、体に潜むその保存本能の使命の強さを知らなければならない。我々は生命誕生からのこの命を、遺伝子と染色体によって伝えてきた。その生命を遺伝子の若返りと言う形で次世代へと伝えて行くのである。性行爲は生命とその種を温存せしむるためには絶対欠かせない重要な行動なのである。だから何の感情がなくても、適度に触ったりして刺激を与えれば、御役目として膨張するのは、意志とか知性とか感情とか欲望以前の自然な様子なのである。眼耳鼻舌身意、いずれの器官であろうとも、その向きの刺激は大脳の性的感情を刺激する仕組になっていて、内在している種の保存本能がその継続の任を全うすべく、強烈にして荒々しく表面に立ちはだかることになる。簡単に反応する仕組になっているから面白いと同時に、大変危険なエネルギーでもあるのだ。その事は理性と本能とが相克状態を起こし、動物としての人間と、人格を誇りとする人間性とが、精神と肉体とを掛けて相争い相苦しむという、将に青春に苦しむ根源的要因がこれである。異性同士を深く意識合うように仕組まれ、異性の意識を引きつけるための自意識過剰時代を迎えて、後に大人に達するようになっているのだ。こうした生命現象というものは、生まれて死ぬまでの流れの中で、それぞれの存在の役目を、段階を追って促進させ、区切りを付けてしまう作用がある。だから早くから性的感応作用を刺激すると、性衝動を促進するホルモンが急に大勢になり、種の保存本能が極度に優先する。ために精神性人格性の向上が一時ストップしたり、又は限界が早くやってくる。多くの場合、最も宗教性や哲学とか文化性などが発達しなければならない時期なのに、種を保存する力に転化されて、高い概念とか高度な観念操作が成長しにくくなってしまうのもそのためである。異性に徹底心をとられ、学問も研究も修行も、自然の仕組んだ大きな流れに巻き込まれ見失うことになる。極めて普通に観るこれらの現象は、性衝動を促すホルモンに駆られて起こることなのである。それほど体に仕組まれた種の保存本能は強烈なのだ。
 教育を考える場合は、こうした自然の計らいである生命現象、生存本能の様々な様子を充分知っていなければならない。大事な事は生命現象に潜む衝動的破壊力や闘争本能を、より高度な精神性人間性によって超越し活性化し調御し得る力、即ち人格を育てることを第一としなければならない。これが本当の教育の目指すところである。この精神的相克というか葛藤のエネルギーが美しく花を咲かせる時、素晴らしい芸術や哲学などが生まれ実を結ぶことになるものである。人間を根底から揺さぶり、悩ませ、悲しみ、多くの悲喜劇をもたらせるこの遺伝子若返りのためのエネルギーは、また我々の理想そのものを育み、多くの文化・文明などを生み出す元でもあるのだ。知性による理念とか概念とか知識などは、簡単に言えば分かるとか分からんとか定義とか理念とか分析とかの観念的問題に過ぎない。一端感情が乱れ出したら精神全体が動揺し、一切の知性的なもの、観念的なものなどは、精神を正常化させることは全く出来ない。だから野心家たちは種々の欲望に翻弄され、地球の歴史が示してきた通りの事をして来たし、これからも人類が続く限りするのである。知性は決して善でもなく悪でもない。自己を正当化し、自己実現要求の手段を構築する機能である。従って健全な人間性を守る究極の助けになるものではない。知性を人格の根源であるがごとく思っている教育学者が多く居るが、とんでもない浅薄な知識である。共通一次試験などを発想した根底には、知性第一尊厳主義が有ったから出来たことで、本当に人間を知っていたら大変な事で、共通一次試験など決して出来てはいない。日本の将来を危うくしているこの制度をこしらえた者は、歴史によって手ひどく裁かれる時が必ず来るであろう。我が国の教育を駄目にした最悪のものが、偏差値制度とこれなのである。人間を知的機能の面しか観なくなった学校制度が、ここまで子供達を駄目にしたのだ。教師と親とが一緒になって。
 それでは何が働いてブレーキとなり、自律し倫理的安定をもたらすのか。人間は絶えず向上心を持っていなければならない。それは平素の心掛けを磨くことであり、健康的な自尊心と共に高い霊性的尊厳を大切にする事である。そして人生に希望を抱き、感性・感情・情操が美しく働くようにする事である。そのためには心の平安と質を保つことであり、負をもたらす環境や刺激の場は避けることである。道を愛し、古人を慕い、先人を敬うことであり、畢竟精神の麗しさを培うことである。こうした内容のある人は姿勢まで凛としていて、道義に優れ、責任感は元より誠実さに満ちていて、無用な事柄には携わらないものなのだ。つまらないテレビも雑誌も物にも人にも関わらないから、自ずから泰然としているものである。
 恐怖・羞恥心・激怒・悲しみ・嫉妬・憎しみ・忍耐等は限界があり、性衝動同様に度が過ぎると大変危険な負のエネルギーになってしまうので、そのような極限的な精神状態に成らないことが肝心なのだ。例え衝動的行動にならなくても、それを理性等で押し殺している場合は、何時行動化するか分からない。状態としては実に不安定なのである。とにかく感情は生命力を元とした巨大なエネルギーを秘めているので、如何に多くの知識や高い判断力を具えていても、強く働き出した感情を理性などで統御出来る代物ではない。知性や理性の機能と感情機能とは元々が全く質の異なる作用であるからだ。強度の恐怖や羞恥心や悔しさ怒り自己嫌悪とか巨大な欲求願望等に打ち勝って、自然体を保つにはそれ相当の精神エネルギーが必要である。若しそれが一年以上も続いたら、それは寧ろ心身のバランスを壊し、病気に至るほどの内部に於ける葛藤なのである。先ずホルモンのバランスが崩れ、自律神経が異常を来し、眠れなくなり同時に内臓の異常から、心身が硬直して色々な病状を呈してくる。私の知人がこのてで二人自殺した。どちらも国立大学学部トップの秀才であった。知性はこうなると何ほどの力もないと言うことである。つまり衝動化する臨界状態に至らないことが最も安全なのである。
 こうした精神と身体との不分離の現実があるから、子供は子供らしくガキはガキらしく生活させて、精神から身体へ、そして身体から精神へと、平衡を保つための相互作用する機能を健全に育てることである。希望と感動は精神を何時も豊にし美しくさせる原動力である。どんなに貧しくても、どんなに苦しくても、希望と感動を豊かにもって生活していたら、それだけで充分幸せなのだ。当然溌剌と努力する事が出来るのである。同等に恥を知り畏れを知った深みの有る人格を育み、美しい恋をさせたいものである。彼等の恋が回りを暖かくし美しくするからである。そして回りの皆から祝福されるようなそんな恋を。あなたがした様なそんな恋を・・・

 禅定とは何物の拘束をも承けない精神の世界を言う。では食欲も大小便の要求も関係ないのか、という理屈が起つはずである。普通の知性とはそのぐらいの短絡的思考から出発するものである。大小便は命に直結している作用であり、自然の機能である。従って精神の如何にかかわらず起こる現象であり本来である。さすれば、すべきところで理屈なく素直に只すればよい。そこには何の計らいも無用であり道理も必要はない。つまり、物事を心に留めて認識し、そこから無用な思念を巡らせたりして、天然の妙用を暗ませる愚をしないことである。大自然の作用、本来のまま、そのままの世界が禅定である。ペニスを適度に刺激すれば、自然の様子として勝手に膨張する。それを自然のまま計らわず放置しておく力を言うのである。こちらに何者もなければ、そのものだけの世界であり自然そのものである。だから刺激にしたがって或る種の反応があって、もそれだけで終わっている。その反応自体は有るが侭の自然の姿であり、汚れてもいないし清らかなものでもない。だからそのこと自体に対して善悪を付ける事は間違っていて、天然の作用を殺す事になってしまう。だから、余分な気持ちを挿まぬ事である。であればそこから計らったりするものがなければ、それはそれで自然の侭消滅し成仏しているのである。見とめたり執着しない端的の世界が禅定であり、これが大自然の道なのである。意志的に耐えたり無視したりの計らい事とは全く異なっている。謂わば次元の違う自律力の世界なのである。誰もがこの究極の解決を求めて大いに坐禅して頂きたいものだ。この世界が既に成仏していることに気付けば、成仏の凡情三昧が無限の法味をもたらせるであろう。平和なんてそれのほんの端くれで実現するものを。いやいや、さてもまた長い蛇足であった。

 彼女はとうとう匙を投げた。私が何等の反応をしなかったから、どうでもよくなってしまったのである。言うなれば、相手が少々悪かったと言うことなのだが、無論現物を直撃すればそれ自体は自然な反応をして、硬く高く聳えたであろう。そのことは目を開けば世界が見えると言うことと同じ作用だということである。問題はそれをそのまま自然にして、取り付かない力が有るか無いか、ここが善悪の生じる瞬間のところである。心に留めると引き摺られ、引き摺られると性衝動へと事態が転じて行くから問題化する。そこが精神の修養とされる所以である。とにかく相当の時間を費やしたプロの意地と努力も御苦労々々々。途中キール氏が、如何にも長いではないか、何ごとかありつらんとて見に来られた。懇切丁寧にねっちこねっちこの最中だったから、「これは失礼!」とてさっと退散された。珍妙な一幕、御粗末さまでした。
 身体中にねっとり油を塗られたまま、「プリーズ、ツゥ、シャワー」と相なり、部屋から追い出されて終わった。全身油攻めである。こんなにまで塗りおって、全くけしからん。せめて石鹸で洗い落としてくれよな、などとシャワーを浴びながら変てこなマッサージの後始末にそんな思いを抱いた。サウナにも入った。そんなに長かったとは思えないのに、すでにキール氏は出られていた。私で手間取ったために可成り簡略省略されたようである。早速矢崎氏が、「老師、随分長かったですね」ときた。私は彼に或る部分を極めて強調して象徴的に何度も話した。今以て、「長かったですよ。真っ暗だったですからね、出られた時。」入る時既に夕方だったし、六月のここは日本の十二月で真冬に当たるところ。俗につるべ落としと言うではないか。それにあんなところへ何時間も居れるものではないではないか。げに、待つことの辛さはお互よく知っている。待つ人に取ってはそれは矢張り随分と長い時間であったことであろう。禅僧のとんだ拉致事件であったが、オイルマッサージというものを体験して思ったことは、日本で発達した按摩とかマッサージとか指圧こそ、日本人のための優れた癒しなのだという確信であった。今後、あの手のマッサージだったら例えクレオパトラや楊貴妃に誘われても二度と入るものか。と、本当か嘘かは分からないが、ふてくされた決心をした、本当に珍妙な体験であった。どうしてもあの矢崎事務局長と金先生を騙しに掛けて一度こいつを体験させてみたいものだ。その時は、「どうでしたか? ニヒヒヒ!」と私が意地悪く笑う番である。失礼ながら、果たしてあの攻めに勝てるかな?

   三 老師が又誘惑された!の巻

 こちらは朝から晩まで、長い列の人が持つ大きな紙に「アートにハート」を連写する。トイレも昼食もままならぬ身柄で、その事がどの様な反響を呼んでいたのか知る由もなかった。トイレの限界を宣言して本当にやむを得ず行かせてもらう。トイレから出るとさすがにどっと疲れが出る。一つの大きな館は碁盤の目のように仕切られ各国が事務所を運営しているところだ。ほぼ中央には日本食を初め何種類かのレストランがある。内緒で簡単な食事をしておこうと思いつつも、身体がどうしてかふらふらと元来た道へと進んでしまう。どこかが朦朧としていて昆虫的行動をしているらしい。ちょっと食べに寄ればいいのに、そうした判断が行動化しにくくなっているのが不思議であった。そこへおばあちゃん風の年寄りと子供を抱いた若い母親がにこにこしながら近づいて、「子供を抱いてやってほしい。」と差し出してくる。何でだろう? 私はぼーと意味なく存在している抜けがらの自分を、奇妙奇天烈な感じがしていた。とにかく不器用ながら抱っこした。私が何の愛想も表情もしないので、「・・・・」と多分名前を教えてくれたのであろうが、全くうさん臭そうに抱かれた我が子を哀れに思ったのか私の手から取り上げた。どうも相当に知名度が上がっているらしい、と思いつつも、どうも普通でない精神状態を感じていた。とにかく私を勝手に高僧だなどと思っているやも知れぬが、そういう思いに因んだ対応が出来なくなっていた。確かに相当に疲れているのである。それでも帰って席につくと、手は動き、口が勝手に喋りまくっているのだから、便利がいいのか悪いのか知らないが人間とは不思議な存在である。

 それからというもの、通りはなるべく中央を避けて壁に添って歩いた。若い女性がとにかく任務中であろうがなかろうが飛出してきて、やれ写真だとかサインだとかに責められるから、なるべく人目に付かないようにするためである。捕まったらそれは運命で、出来るだけ愛想よく応じるよう私としては精一杯努力した、積もりである。
「老師はまた美女に誘拐されたな。」返るために先ずはゲイトへ向うわけであるが、一緒に居なければそういうことになっていた。
 ボランティアで通訳してくれていた宝石会社から「是非立ち寄って欲しい」との依頼で、矢崎事務局長と共にお礼を兼ねて立ち寄ったところ、早速皆で写真ということになった。出来上がったのを見て自分が完全に感性の疲労を起こし死んでいるのを見た。全員明るくはつらつしている中で、どよんと死んでいる禅僧の姿は如何にも見苦しかった。
 傑作だったのは、あの厳しく格好のいい国連護衛兵に書を頼まれた結末である。もう毎日顔を合せている周知の間柄であるから、そろそろ自分も頼まなければチャンスが無くなるぞと言ったところであろうか。ゲイトのごった返している所で、その時のためにと用意していたらしく例の大きな国連ポスターを持って私を待っていた。「明日。」と言って受け取って帰り、翌朝出る前に書いて、そして渡した。完全なる約束履行であるから事の外喜んでくれた。まではよかった。又々写真ということになり二人の兵隊さんに囲まれたところを映った。しかもプロが。回りは人、人、人である。その写真も矢張り私は宗教家的雰囲気も暖かさも無くだらしのない死人であった。
「これは凶悪坊主を逮捕護送中というところですな。」と矢崎氏。
「全く。」と皆。とんでもないけしからん評であるが、良く見ると完全武装した厳しい大男にしっかり挟まれていて半ば肩を落とした姿では、その方が説得力と言うか写真の雰囲気が余程合っているのだからしかたがない。自分ながら情けなくなる。けれども世紀の大サミットの国連の中で、えり抜き護衛兵に挟まれて厳かに収った写真ということは矢張りいい記念なのかもしれない。が、それが又風流な傑作ときたから堪らない。我々の大ドラマの大切なる証明者と言うには何というか、侘しく切ない哀愁と同時に、あの時の疲れを強烈に思い出させる貴重なものとなったのである。

 サミット終了の明くる十六日、世界一とも言われている宝石会社の本社に、矢崎事務局長とそのお嬢さんの仁美さんと三人で出かけた。通訳をしてくれた水谷リラさんにお礼を申し上げるためであったが、そこでも捕まってしまった。沢山の日本人女性が中堅幹部としてまことに品性高く麗しく働いていたのには感心した。こんな素敵な女性が・・・よくぞ地球の真裏まで来たものだ・・・と。人生に秘められている祖国脱出のドラマを詳しく聞きたかったのであるが・・・ その裏には必ず男ありきで、そのことがとても人間的に感じられた。個人の意志で人生を選択し、明るく積極的に生きている姿に感動した。ここを自分の世界としてやってきた男性は容姿から知性からすぐれ者ばかりを奥さんにしていて、男性もすぐれ者ばかりが来ている感じである。だから幹部になっても自然なのであろう。
 惚れたら国も故郷も肉親友人も、決定的制止条件でなくなってしまう不思議な精神作用がある。不条理にも働くこの感情との精神性は、生きて親と別れる運命を背負っている女性の本質的生命現象である。男性も「惚れたら総て」と言った強烈な形でその女性を絶対視する。その性的衝動力を根底にした愛によって種が温存しているのだ。大自然に仕組まれている生物的運命である。とは言えそれは悲しくも大胆であり、ある場合には大変美しく輝く。恋とか革命とか戦争とかには可成りの破壊的な部分が存在しているが、建設と破壊をなし得る根底の力はこの生命力によりものである。建設より破壊性が高く大多数の者に不安等を抱かせればテロとなり、理想の元に合意形成の上でなされる破壊は建設である。この生命力を失ったら、もしかすると改革も起こらない、無関心社会となり、殺伐とし混沌として不気味な社会に成るはずである。だから破壊と建設をなさしめる「恋の力」は大きな推力となるいい点ではないだろうか。

 とにかく住めば都。しかもここは随分と明るく陽気で、日本の様にねたっとしていない爽やかさが何とも言えない。それが異国人の個性をも自然に受け入れてくれるのではないだろうか。そうした現地の人間性が異国人にこの国への愛着を深くさせてくれるのであろう。壮大な自然とともに、こうした単純な魅力が、「住めば都」感を抱かせるのではないかとふとそう思った。とにかく誰からも「帰りたい」などと女々しい言葉を聞くことは遂になかった。地球の裏側から来た私には心臓の奥にじーんとくる心地好い心の土産であった。我が国の教育による知性のせいか、この国に対して精彩を窮めた批判を呈しながらも、ここは決して住み悪い世界ではない、ということを強調していたのには又々感動した。確かに快適性を充分に具えている魅力在る国なのである。或る意味では今の日本よりも。
 大変危険度の高い国であるにも拘らず、いつしか私も完全にここリオが好きになっていて、不安定国家・労働不熱心民族ながら人柄の良さ、ダイナミックな自然に妙な愛着をもつにいたっていた。大きな目的を持って、私はここへ必ず返ってくるだろうという確信さえ抱いたのだ。

 ここは又宝石の国である。宝石と言えばダイヤモンド。煌めくその魅惑の美しさ故に、飾りとしての王座を保ち続けているのだが、虚栄と一致する最も危険な存在でもある。自然の産物、ダイヤモンドには何の罪もない石ころなのに、その絶対美と高価さを保有していることが誇りとなるらしい。が、その石が人間の虚栄心を駆り立て占拠する。まさに魔物である。石ころだらけの不毛の畑から宝石が出て、忽ち巨万の大富豪となった例はここには幾つもある。ひょっとしてここリオの労働不熱心は、そんな思いがけない宝物の性で、くそ真面目に働くのがばかばかしくなったのかもしれない。人間を駄目にするものは幾つもあるが、虚栄のために大切な物事を軽視すれば、人間の髄は腐って当然である。リオがそうでないことを心から祈った。祈りを捧げた褒美にと、私は生まれて初めて、安物ではあるがその店で本当の宝石を記念として家内と娘に買ったのである。ホテルへ届けますからとのことであった。確かに届いた。ところが、
「老師、預り証御座いますか? それを出さなかったらどうしても渡しよらんのですわ。」と矢崎氏は自分のを受け取って来て、そのことを知らせてくれたのではあるが、そんな物を貰っていないから困ってしまった。しかたがなくミキさんに付いてきて貰うことにした。顔を出したら、
「やっぱりこの人だった。」「お名前を見た時、もしかしてテレビや新聞に出ていた人ではと皆期待していたので・・」「どうぞサインを」「自分の息子は先生の記事を全部切り抜いて大事に取っているんです」何て全員の美女から言われると、飽き飽きしていたはずなのに立ち所に元気が出る私である。人間の気持ちなんて本当にいい加減なんだから! と呆れてしまう。
 これぞ最後とばかり思いっ切り愛想を良くして書き、喋り、写真にも応じて、店はサミット同様に相務め華やかに締めくくった。こうして聞けば男名利に尽きる? リオの拉致事件は、煌めく宝石の前で、四名のリオ美人たちに囲まれ、はち切れんばかりの素晴らしい宝石の笑顔で幕を降ろした。
 出来上がった写真は、美女の生きた美しいダイヤモンドの笑顔とは対象に、これまた押し黙って不貞腐れ、如何にもくたぶれた自分の姿にがっかりした。一方では同情しながら、あの時をしばし懐かしく回顧した写真でもあった。げに、リオ美人のあのはち切れんばかりの健康的で開放的な笑顔は、まさしくダイヤモンドの煌めきである。同時にブラジルという途方も無い広大な大地に育まれた豊な自然感が国民性なのであろう。それが身体のすみずみに染みついているから躍動感となり開放感となり、或る部分は清潔感となり、それが魅力を一層引き立てているようである。とにかくここには飛び切りの美人がうようよしているのだ。それは無理なく多種の民族融合の結晶からであろうか。その結晶は元々国境を越えた深い愛と寛容共存精神の結晶と言っても決して過言ではない。本当の愛と信頼は、元もと国境もなければ宗教や民族性、いわば環境的外部条件などで左右されるものではない。左右されるものは本当ではないからだ。但し、無知性となり闇雲になる恋の盲目は、確かに美しき迷いでもある。禁断を犯すことができる、それが本当の恋なのかも。我知らず。地獄をものともしない、それが愛の力であろうか。「リオは本当に美人の多いところですね。」と感想を述べられた金先生の真摯な回顧録は、そのまま重みがあった。
 その後、ベトナムでふとしたことから、同僚の先生方には私の美人感は多くの謎となり、何故か余り信用されていない。彼らに言われたのは、
「老師は嘘ついた。」「美人でもない女性を美人だと嘘を言うた。」「嘘付きは泥棒の始まりですぞ!」とのこと。厳しいと言えば厳しいのだが、視感覚だけで見ていない私の審美眼は、又別の好思慮があるというものだ。「只見る」目がある者だけが見る、別口の世界があるからである。心清き人、努力の人、謙虚な人、親切な人、明るい人、心に邪が無い人、親切な人は皆美人である。文句があるか! 男には、その上と言うやつがつくからややこしくなるのだ。若くて、教養があって、金が有って、スタイルがよくて・・エトセトラ。地獄に落ちろ! だ。


第十一 泣き笑い回顧録


 矢崎事務局長は自分を頼りに地球の裏側からやって来た関係者を、なんとか入れるために奔走する。一人を無事入れるにはゆうに半日はかゝる。それでその人は入れるのだから幸せというものだ。が、多忙でなかなか接触できない国連の有力者に重ねての無理を頼み、とにかく手続きが取れるように計らってもらうよう努力を続ける彼の貴重な時間とその働きは、どうみても余人にできることではなかった。こうしたことに対して人間相互の関係で、見えない影の大変な尽力にはなかなか気が付かないものだ。実社会に於いてはこのようなことはしばしばある。飛び回りながら彼は「それはあそこであれだけ待たされたら叶わんですわ。何をしているのか、早くしてくれと思っている筈だから・・」と言う。何もかも承知しているのだ。万難を排して努力する彼に同情せざるを得なかった。また彼の素晴らしい一面を見て敬服させられた姿でもあった。
 またこんなこともあった。サミットが終わった日、NHK本社の横着者が、アース・サミット・タイムズ編集局経由で矢崎氏に、リオの某氏へ、空港まで迎えに来るよう伝えて欲しいという旨のファックスが入った。既にアパートを引き払いホテルに居た我々の元へ、すわ一大事と秘書のミキさんが飛んで来た。ばらばらになっているので相手が今どこに居るのやらさっぱり分からない。しかし、もしこのまま迎えに行かなければ、空港へ降り立った者は途方に暮れるしかない。疲れや夕食どころではなく、同朋のとんでもない災難を思うととても放ってはおけないので、彼は手がかりを求めて八方手を尽くした。やりようがないことほど困ることはない。悲痛な思いでNHK東京本社へ電話したら、何と打電した本人が居るではないか。それはよかったとばかり、どうしようもないことを告げたら、
「それはもうこちらから連絡を就けたから心配しなくていい」という。
「それならどうしてそのことを知らせてくれないのだ」と言うと、ふてくされて軽く、
「わかったよー」の一言で電話を切ったらしい。彼の器が大きいから、
「ま、よかったですわ、連絡が取れていて・・」で済んだが、両肩を落とした彼の疲れは隠しようがない。このことに対して、彼は後にも決して語ってはいないが、大変重要な事柄なのである。陰の苦労が読める人こそ本当の大人であり社会人である。逆に、迷惑をどれほどかけているかが見えない者は、人間として決して成人してはいないということなのである。しかも言われて反省がなく、詫びもできないような者は人間として甚だ下等である。こういった非常事態に於いては、自分の役目さえどうして全うしようかと全力をかけて模索している。無理だけはかけないようにしなければならない。けれども陰の並みではない苦労が見えないだけに往々にして起こるのだが、結局は頼まれた者に殆どの皺寄せがあるという一種の災難なのである。然し、俺がしなくて誰がする、との義侠的情熱を惜し気もなく発揮するところに尊敬と信頼が自然に集まるものだ。本当のリーダーには尋常一様ではないそうした深い思い遣りと、惜しみない行動力が備わっているようである。能力があるから出来ることだ。だからと言って迷惑を掛けて良いと言うことにはならない。
「隣の馬鹿に使われる」と言う格言がある。能力があり、その上真面目で気が弱わかったら、ずる賢い輩にかかったらたらひどい目に遭うことがある。私の弟子も一人この手で潰された。小さな仕事が積もり積もって過重となり、大きな責任となってしまった。じわじわと精神が犯されてノイローゼになり、努力し切った結果が自殺だった。「イエス・ノー」の決断は命に関わるほど大切なのである。親切で優しければよいと言うものでは無い。親切も結果をちゃんと考えて対処せよと言うことだ。

 また、NHKがチャーターしたバンの車で移動している時、ただでさえがたがたの車にいきなり、がくん・がくんと大きな衝撃があった。高さ十センチ程の中央分離帯へ乗り上げ、又がくん・がくんと反対車線へ降りた。ものの十メートル程先には信号機の付いた往来のための道路があるのに、そのようなことを平然とする。チーフカメラマンが「何てことをするのだ! 微妙なカメラだぞ! 一台八百万もするんだ。これが故障したら我々は何しに来たのか分からんことになるだろうが! よく言っとけ!」とこれまたチャーターした若い現地の日本人通訳に厳しく言った。その明くる日からは別の車と別の運転手であった。二台のカメラが無事であったから良かったものの、もしものことになれば事態は深刻であった。この車は一週間のうちに三度パンクしたツワモノだが、どうも車だけのせいでもなさそうであった。事務局長と私だけで会場に向かう途中にもパンクした。幸いそこは大変素晴らしい景色であったから、修復時間我々はのんびり写真を撮ったりして待ったが、鬱陶しい鼻ひげを生やしたその親父は、どうも初めから信頼できなかった。

 サミットが始まって三日もすると、あの広い会場は世界からの人で文字通りいっぱいになった。至る所にカメラが据え付けられていて、目ぼしき人にインタビューをする。それらのカメラの日本製の多いこと。ソニー・ナショナルとか。私は時折たった一人になることがある。当然通訳がいなければ粗大ゴミの私なのだ。好奇心からちょっとコンコースへ出た途端に、例によって外国の報道陣に囲まれた時の話である。何を聞かれても分からないものは分からない。丁度通り掛かった日本青年会議所会頭・副会頭等一行が及ばずながらと通訳してくれた。
「どうして英語が話せないのか」と来た。それも一理はある。ならば、
「どうして日本語が話せないのか」と応酬した。爆笑が起こる。
「三つほど質問しております。第一は、何しにここへ来たのか・・」
「こんな処へ遊びに来るものは居ないだろう。そんなくだらん質問ならするな!」と言ったら、これがまた他の報道陣を引きつける結果となり、あっと言う間に黒山の人だかりになった。
「何故、地球環境がこのようになったと思うか?」これはまともである。
「今の倫理なき自由経済は、自由なるが故に経済帝国社会を形成してしまって、総ての価値観は経済価値観から始まり、経済論理で進められてしまい、社会も教育も家庭も人間性不在の不気味な時代を作ってしまった。だから儲けるためには何でもするし、便利の良い物ならなんでも買う。高消費はいずれにせよ環境破壊を伴うものだ。価値観の根本的な見直しをして、生き方の本質的転換が必要なのだ。物や金に溺れていくからである。それはどうしてか。ここが問題の源なのだ。こうした精神の根源を改革しなければ、人類は欲望追求によって巨大化した文明で滅亡するしかないのだ・・」などと、口に任せて熱っぽく語った。
 ところがこれがまたジャーナリストの聞きたいところとなって、この次は私のカメラの前でお願いしますが続発した。「えい、こうなれば縁に応ずるまでよ」と開き直って、次々とカメラに向かって行った。すたすた歩いて一番のメインコンコースの、しかも宇宙から見たあの美しい青い地球がステージの上で静かに廻っている処に来た。(一九九四年一月にワシントン会議の因み国連本部へ行った時、コンコースの一画にあの懐かしい大きくて青い地球儀があったのだ)。私はかなりのインタビュー時間に疲れていたので、ひょいとそのステージの端に腰を掛けたのが悪かった。黒い板ではなく、ただの布をぴんと張っただけであるから堪らない。見事に後ろへひっくり返ってしまった私は、事もあろうに法衣姿の両足を空中高く差し上げ大股をおっぴろげての大サービスをしてしまったのである。釈迦の説法もへ一発ではないか! 館一杯の報道陣からは、館が割れんばかりの大爆笑が上がったのは当然である。こうなればしかたがない。ひっくり返ったまま「助けてくれー」と両手両足を差し上げて助けてくれるまでそうしていた。もちろん日本語である。そういえば日本人も幾人か居て、不細工なことはしてくれるなよという笑いであったが、手を貸してくれたのは異国人であった。それから数日間、その時に立ち合った幸運なジャーナリストと擦れ違う度に、彼等から笑い・指差し・その時のジェスチャーなどが続いた。マドンナ霧島かれんさんだったら恥辱に耐え切れず切腹をしていたかも。私の方は「使命感もなく禄な質問もできんジャーナリストのくせに・・もっと勉強しろ・・」と負け惜しみ的反発をしてみたりして恥を凌いだ。しかし、ミスは文句なしに自分がしでかしたことなのだから。今でもそれを思い出すと赤面する。死にたいほど。
 この時、アメリカのABC放送であったか教育のことが話題となっていた。その話をするために移動したわけである。常に私が一番心している事だけに本気で語ろうとしていたその意気込みは、今思っても相当な気迫だったなと感心する。「健全な人格を形成するためには如何にすればいいか」と言う設問に対し、私としては何も特別な話ではない。生まれ落ちてより精神が構築されていく過程に於いて、精神要素の何を最も大切にしなければならないか。それを自然に健全に成長させるにはどのような条件が不可欠であるかという、成長段階の特殊性を説きながら教育の大切さを、腰を降ろしてじっくり語るつもりであった。自分のふとした失敗が全体の失敗に及んだその結末のみっともなさもさることながら、大切な時節をぶち壊しにした、事の重大さに対して如何に負け惜しみ的反発をしても、この自らの恥には自虐的忍耐以前に、甘んじて堪えなければならなかった。
 しかし、人間とは失敗から如何に大きな反省と深い気付きを得る事が出来たとしても、その失敗を取り戻すことが出来ないこともたくさんある。人間とは何度でも失敗を繰り返し繰り返しするものである。いや、二度とあの手の失敗だけは絶対にしたくないが。ただ、それを畏れたり避けたりしない前向きの新鮮な精神と、一層の注意力と、より深い反省と、さらなる気付きの追求を忘れない事こそ人間の宝ものの一つではないだろうか。何故なら、そうした心得を向上心と言うのであるが、健全な恥は必ず難問をクリヤーさせてくれるし、自然人間的成長を得ていくからである。日本の文化は礼儀の文化である。礼儀の文化とは恥と恐れの文化でもある。恥と恐れを知らぬものは、日本の文化を本質的に理解することは無理である。恥と恐れを知ることこそ、礼儀の大切さを知ると言うことなのだ。それは人間存在の自覚であり、人格の基礎なのである。

 国家的事業にはいつの時代もその時の文明を最大限に駆使する。初日にサミット会場の心臓部で見たコピー機には思わず見とれてしまった。特別大きくはないのに、幾ページものコピーをした後、ちゃんとホッチキスで綴じられて出てくるのだから驚いてしまう。三十年前なら完全に魔法の玉手箱である。ジャーナリストといえば、ノート型あるいはラップトップ型のワープロと携帯電話が大活躍していた。携帯電話も圧倒的に日本製が多かったのは、我が国の技術がいかに優れているかの証明でもある。もちろんNHKと京都フォーラムは共同作戦を執っているので、言うまでも無いことだが、二台の携帯電話が意志の疎通に絶大な力を発揮していた。事務局長もまた我々の基地へファックスを申し込んではいたが、遂に間に合わなかった。当然ながらここに国力の一端である技術と社会的活用システムのレベル違いを感じてしまう。もしうまく取り付けられていたら、日本の「京都フォーラム」事務局をはじめ、総ての連絡網の便宜を得て、もっと早く軽快に理想は進められたに違いない。それは別にしても、膨大な数の電話が瞬間に登場したのだから混線するのは無理もない。特に外国向けは当初さっぱり通じなかったので、走り出しの時であっただけに、このレベル違いの価値はやはり高価なものだなと痛感した。我が日本の企業だったら、あっと言う間に解決するであろうと思うと、事ほど左様にして日本製の評価の高いのは当たり前で、むしろ努力の当然の結果ではないかと言いたくなる。それが国際社会より技術価値に於いて求められ、それによって黒字続きであることで顰蹙を買うとは、いやまっこと難しい世の中ではある。

 ジャーナリストのための特設コーナーには、それぞれ十台以上のコンピュータ、ワープロ、ファックス等があるのに、それがフル稼働しているのを見ることはなかった。その理由は、自分の発進基地にファックスなどが用意されているからである。つまり、コンピュータもファックスもワープロも遂に日用品になり、個人持ちの時代だということである。だから日中はニュースを採集し、クーラーのよく利いた溜まり場で思い思いにキーボードを打っている人、鉛筆を走らせている人が目立つ。その熱気はまさに執念と言うべきであろう。

 事務局長の提案が効を奏し、私のことがそろそろ新聞やテレビ・ラジオなどで取りざたされ始めた頃、ジャーナリスト・ルームで一人静かに事務局長を待っていた時である。高貴な感さえする典型的な金髪の、すらりとした背の高い美女がいきなり私の前に座り込み、持っていた新聞を見せて「これはお前か」と言う。私のインタビューが始まったわけだ。どうも私を探していたらしい。目は鋭く攻撃的な口調と深い洞察の利いた切り口には殺気さえ感じる人物である。ペンで世界をかけめぐっている一匹狼であろう。
「なぜ英語が話せないのか?」国際語である英語が話せないような者が、こうした大きな国際舞台に居ることが彼等には魔訶不思議なのだ。自分の教養の無さは認めるが、英語が絶対だと言わんばかりの態度は認め難い。
「ジャーナリストなら日本語ぐらい勉強しろ!」と、通じない英語で応酬した。
「オーケー」と言ってカメラも何もかもそこへ放り出して行ってしまった。まことに素直であり直線的である。暫くするとおどおどした若い日本人男性を連れて返ってきた。連れて来たと言うより捕まえてきたと行った方が適切である。自分の友人だと言うが、全く貫禄の違いと併せて使命感と真剣さが彼を圧倒していた。通訳をさせられるのだがさっぱり役に立たず、彼女に「キッ」と鋭く睨まれっぱなしで逡巡し切っていた。彼女はそんなことには目もくれず、鋭く鋭く切り込んでくる。貧困など地球の諸問題に対して、自分なりにペンで解決への努力をしているのだ。その人の奥底に涙と怒りと使命感がぎらぎらしている。これで随分の要人を切ってきたのだろう。私は目前の人物が女性であることをとっくの昔に忘れて、私も大きなテーマに一生懸命になっていた。その時、同じテーブルに居た日本人紳士がしびれを切らせて、ついに大変流暢な英語で極めて忠実に通訳をしてくれた。それが彼女を一層真剣にしてしまった。その垢抜けした国際マナーの豊かな紳士は、ストロング事務局長に招聘されて来たと言うのだから、この人も相当の人物に違いない。大いに助かったのである。この通訳の後、返ってきた矢崎事務局長の発声で、この紳士と一緒に食事をとりに日本食レストランへ行ったら、元外務大臣の大来佐武郎氏(失礼ながら私は全く知らなかった)が居て、氏はそこへ行ってしまわれた。そうしたレベルの人であったのだ。
 帰国して一年がたち、ようやくその紳士の消息が判明した。財団法人・大阪市都市工学情報センター顧問であり、WPF(国際問題研究所)の代表幹事・藤原宣夫氏であった。連絡が付き、大変御丁寧な書簡を戴き恐縮した次第。再開の早からん事を切に祈ることしばし。
 これを記している最中に運命の無常を証明しているかのように大来氏が逝去された。サミットの国連の中で、疲れた痩身をソファへ埋めている夫人をいたわりながら、私にいろいろ話て下さった温容な人柄がふつとして思い起こされた。国家及び世界の大功労者に対し一時の合掌を手向けご冥福を祈った。願わくは、氏よ、一切衆生を善導し賜んことを。合掌  

 珍しい大きな事柄をひたすら早く取り立てるだけのニュースの運び屋が殆どである中で、こうした人類的テーマに対して執拗な真剣さで取り組んでいるジャーナリストは珍しい。しかし、ジャーナリストとしての倫理観とか理念と言うより、人間としての本質的確立が浅いところに限界がある。もちろんジャーナリストが自分を売るためにペンを走らせたらおしまいなのだ。超自己の目、即ち人間が本当に幸せに生きるためには今何を為すべきか、何をしてはいけないのか、何が一番大切なのか、悪の根源は何か、真の平和はどうすれば築けるかといった道を、人間として自分自身に問い続けることからである。それから千年もその先も観て、そのための選択の道を広く掲げると共に、世界を救うにふさわしい隠れた碩徳の師を世に出し、その高い教えを広め、過まてる現状を分析して世界に知らしめることがジャーナリストの美学であり哲学であり根元的テーマでなければならない。これが使命である。大使命としての救いの道をたった一本のペンに託すことができるところにジャーナリストの命と醍醐味がある。などと禅で完成されていく精神の様子を織り交ぜながら、このようなことまでも話た。何事を取り立てても精神の豊かさと純度が良くなければ真実は見えない、などと語っていくうちに殺気は消え、目的の姿がより鮮明になったことを大層喜んだ。礼を言う時ふと見せた瞳は、今まで誰にも見せたことがないかもしれない一人の女性の可憐な目に転じていた。
「お主ならできる! 頑張ってくれ!」と言って握手をして、くるりと振り向いたかと思うや、さっそうと消えて行ったが、後ろ姿に見せたものは既に肩で風を切って舞うあのペンであった。このような人物が(ジャーナリスト)世界を動かす力になることを何の抵抗も無く爽やかに確信した二時間であった。
 情熱のペンが活字になった時、それは既に女性でも男性でもなく、又個人でもない。全人類的課題の前には時間空間を越えた、なさねばならない理想へ向って輝く高く美しい心しかなく、国境も民族もイデオロギーも、また宗教にも拘ってはおられない。このことが分かっているジャーナリストが今必要なのだ。それは地球を早く一つにし、三つの悲しい難問の解決を急がねばならないからだ。

 矢崎氏に二言三言このことを話た途端、
「私も考えていました。さっそく勇気あるジャーナリストに集ってもらい、世界ジャーナリスト・ネットワークを作りましょう。」と言ったかと思うと、手元の電話は編集室に繋がり、何やら指示していた。いつもながら鮮やかな働きである。その明くる朝には、ちゃんとアース・サミット・タイムズと共に質問形式になった呼びかけのパンフレットが各テーブルにあった。何という手際の良さ。「勇気と情熱と知性溢れるジャーナリスト諸君。我々のペンで地球を救い、人類を救おうではないか。本日午後一時三十分、第三スタジオへ集まれ!」と。この簡潔にして明快なセリフにもしびれた。

 我々の考えたことはこうだ。今ここには全世界のジャーナリストが集合しているので、その道の超一流を見つけ出すことができる。その人たちと全世界規模のネットワークを作る。そして各支局で掴んだ質の高い情報や現状を、京都にある将来世代国際財団・京都フォーラム本部に設置された「将来世代総合研究所(所長・金泰昌先生)」へ電送してもらう。集まった情報を専門家によって高い分析をし、世界最高の新聞原稿を作る。それを各支局へ打ち返し現地で印刷発行する。リアルタイムで世界最高の情報が手にできる寸法である。各国の要人はこれを読み理解しておけば、世界の最も大事なテーマに対して、自国は如何にあるべきかの参考になる。自国を他の国々の視点からも観られるし、地球を外から観て、また千年の未来からも観ることによって、全世界の要人の高い認識を共有することになる。世界を一つにするためには、最高レベルの情報を同時認識し、高い価値観を共有しなければ絶対一致することは有り得ない。もしこのネットワークができれば、世界を健全に司どる本来の国連となるであろう。国連が中心となることによって、政治経済教育のバランス調整と質の向上をもたらせば、思想も宗教も価値観も浄化と健全化が容易にすめられる筈である。何となれば、彼等もまたその情報を持つことで真の国際人たり得るからである。
 いわゆる一般の新聞は事件を中心に現象面の列記が殆どである。それは局所的視点であり、切断された時間観からしか物事を見ていないからだ。物事の総ては、存在たらしめている必要充分条件がある。どんな些細なことでもその背景の原因を求めるならば、必ず深い混沌とした大きな原因に行き着く。存在が大きければ大きいだけ、人間丸ごと関わるのでその原因も複雑であり多彩である。もちろん世界的な関わりになってくる。したがって事柄の把握をより本質に迫ろうとすれば当然、政治・経済・技術・文化・歴史・思想・心理・宗教観・民族性・年齢等々から見なければならない。こうして人間もその外部条件も多角的立体的に深く解析し把握して、最後に血が通い神経の繋がった暖かい救いの新聞になっているかどうか、大乗精神でまとめ上げるのである。愛と祈りとで危機感を共有しつつ心を一つにして事態を明るく処理して行けるような、人間としての温もりのある、精神的影響の高い新聞に仕上げるというものである。

 例えば、旧ソ連邦で掲げたペレストロイカは、近代化・自由化により国力増強をして国民の貧しさを克服しようとしたもので、それ自体は大変よくできた、思い切った政策としてゴルバチョフ元大統領は国際的にも高く評価された。が、結果はますます無残な状況へと転落してしまったことは我々の記憶にまだ新しい。私は一気に自由化するという彼の政策が信じられなかったのだ。今の現状でそれをしたら大失敗をすることが目に見えていたからである。と言うのは、五・六十年以上もの間、言われたことだけをするように、それさえしていれば生活が保証され、それ以外のことをしても、喋っても、書いても殺されるような社会で過ごせば、労働に意欲も無く感動も理想も自由も無い。最も危険なのは人間としての人格的自覚が疎外されるために自発性が決定的に後退してしまう事である。ただ命令に従っていればいいしそれしかないのだ、という極めて無気力な数値合せとなり、いい加減な作業内容になってしまう。つまり、そうした政策によってでき上がった精神構造の国民性が、二世代三世代ともなるとあらゆることが低下してしまう。あのまま続けていればもっと悲惨な国情となって行った筈だ。個人の意志も理想精神も、とにかく自由が極度に剥奪されているので、そこへいきなり死の恐怖から開放され自由が与えられてしまうと、もう殺されないから強制的に働かされずに済む、働かなくてもいいのだ、と簡単に思ってしまう。抑圧の解放感から来る意識とは一般にはそのように働くものだ。反発と放棄の要素が最も強く働きマイナス方向へ走ってしまう、それが精神の自然の様子と言うものである。
 そこで個人の理想と自由を協調し、夢をもたせ希望熱を高め努力心を培ってプラスの向上心へと誘えば、希望ある政策ならば少なくともみんなで実行してみようと言うことになる。こうした精神構造が明確に見えるならば、自由になった場合、一人一人が自発的に働いて賃金を稼がなければ誰も生活の保証などしてはくれないということ。自由なるがゆえに自分のことは自分で責任を持ち義務を果たさなければならないこと。替りに力いっぱい能力が出せるので、努力すれば誰もが豊かになれるという基本理念を数年かけて教育し理解を促すことが必要だったのである。それが自由政策の第一歩であり、それから政策実行ということになるわけだ。解放感からの無秩序は我れ先にと言う争奪感さえ生んでしまうので、或る特定状況の精神が機能する場合の法則性を、充分理解した上で展開しなければ全くとんでもないことが起こる。たったこれだけの事を熟知しての対応をしていれば、間違いなく国は救われていたものを。

 おおむね数の力から成り立っている今の物事の決定法からすれば、狭い視野と陰湿な力から起こる過ちを避けることはできないであろう。それを回避するとすれば本質に目覚めた識者を一人でも多くするしかない。特に旧ソ連は目覚めた賢者を殆ど殺しているので、このような事態の打開には、世界の識者の力を直接間接的に活かし活用することができるかできないかで運命が決まってくる。もし、我々の言う新聞のようなものがあって、かのゴルバチョフ氏を初めソ連邦議会人諸氏の目に届いていたとしたら、世界の賢人識者がもたらす適確な情報と現状に即した、本質的な政策の実行ができたかもしれないし、現在生じている旧ソ連邦内のああした悲惨な事態にはならなかったであろう。また、そうした国の人達がそのような新聞等を見ていたなら、少なくても自由社会とか資本主義というものがどの様な世界であるか、経済とはどういう仕組なのかぐらいは感じ取れていたであろうし、独裁権力というものが如何に危険であり人間を駄目にするかという自覚を持ったはずである。今からでも遅くはない。世界が将来の危機感を共有することにより、自我の固執を自然消失へと高めていくことができる。それが精神の大乗昇華というものである。そうした識者が大勢居たら、確かに旧ソ連邦は大きく救われていたに違いない。
 教育を或る種の洗脳に使い、情報を操作し限定して価値観を操作することは、知性の尊厳と働きを著しく歪めてしまう。即ち、教育そのものを冒涜していることなのである。そうした国家はあらゆる面において無理と虚偽をおしすすめるために、国力ににつかわぬ権力と武力を備えなければならなくなる。理屈が合わぬからだ。それが圧制である。そうした国家はやがて衰滅することになる。それは思想洗脳のために教育を歪曲した、自然の結果なのだ。

 また、戦争の抑止と平和は核兵器に依存した力の均衡という綱渡り式であったものが、旧ソ連経済の疲弊によって国家維持不能を来し、その結果ようやく冷戦の終わりとなった。今や国連安保理へと移り、平和が力から対話へ進んだ。ということは綱渡りの危険が終結したということであり、これほど結構なことはない。しかし世界の安全を形成する国連の議会構成が安全保障理事会であっても、大国五ヵ国の常任理事国で決定されている。彼等が自国利潤保守観よりも本当に世界の将来を思い、公平安全平和のために南北を越えてあらゆる小国の願いをも反映する確かな世界観の持ち主であるかどうか。地球の指導者として彼等の一人々々に大乗精神が有るか無いかが問題である。とにかく彼等がみな核保有国であり武器輸出国である現実の怪しげな力の驚異を、一体誰が制御し保障し合うのであろうか。
 まず常任理事の五ヵ国自らが核兵器を放棄し、武器製造を止め、進んで軍備縮小をする絶対平和精神が、世界平和の元となることを分かって欲しい。これこそ世界の健全な識者による、一致した平和構築のための単純明快な論理なのである。理論があっても実現しなければ意味がない。それに一歩でも近づくためには、現状の正確な情報発信と、意識向上の精神改革とその指導性にかかっており、世界の世論を高めることにかかっている。本質的自覚と認識は自然に統合一致するものである。この世は慈悲・大乗の心・自他不二の精神でしか救う力にはならない。そのためには自我の固執を超え、自国家とか自民族絶対主義の生物的原始型の固執を超えた、全人類的絶対価値観に目覚めることでしかない。まさに地球の将来は単純明快なる健全な精神にかかっている。そのことを深く知ってもらうためにも、また政・経・技・教の健全性を高いレベルで保つためにも、卓見識者の頭脳と慈愛を結集しなければならない。さればこそ勇気と情熱と知性溢れる世界中のジャーナリストの力が必要であり、そのネットワークがどうしても必要なのである。
 こうした結論と具体的方法を持つに至っている我々は、大いなる義務を感じ、一日も早い実現を祈っていたので、ことのほか、今、ここでの絶好のチャンスに大きな期待をかけたのだ。二人の胸は熱く、熱気もいよいよ高まってきた。第三スタジオの集団が世界救済の大きな担い手になってくれることを祈りつつ、私は懸命に書き、ひたすら喋っていた。


第十二  無念!「第三スタジオ」


 その日は程よい薄日の天気であった。乱暴な運ちゃんのパンク騒動で三十分以上遅れたために、私たちが到着した時は既に机から何から総てが整っていて、大きな紙を持った人の列は三、四十人にも達していたろうか。一体誰が準備してくれたのだろう。通訳の女性ともすっかり呼吸が合い、私の言葉に躊躇することがほとんどなくなっていたから、「アートにハート」の響きは一段と冴え、心なしか列に並ぶ人の品性から社会的レベルから知的性からもぐんと高くなっているように感じてきた。通訳といえば、これがどんなに大事であるか、内容の質を左右するその通訳のレベルが極めて問題なのである。これも後のテーマとして。
 NHKは総スタッフをもって朝から晩までインタビューを続けている。すぐそばであるから双方にとって効率が良い。矢崎氏はNHKの林兄に対し、
「午後の第三スタジオは、ひよっとすると国際的にも、歴史的にも思潮を左右するほどの驚異的な影響力を持つ存在になる可能性があるから、第三スタジオへカメラをセットして下さいませんか。」と指示していた。もろんNHKがこんな重大事を見逃す筈はない。
 私は絶え間なく書き、そして喋る。それを通訳している合間に、何かと世話をしてくれる矢崎事務局長と第三スタジオの事について手短に相談する。列はいっこうに減る気配はない。昼が過ぎて次第に一時三十分が迫る。平素と少しも変ってはいないが、「世界ジャーナリスト・ネットワーク」を形成しようとしているこちらは、それだけの動きをしなければならない。食事もしたいしトイレにも行きたい。がこれだけの人をほったらかして姿を暗ますほどのずうずうしさを持ち合せていないので、「世界ジャーナリスト・ネットワーク」構想を説明することにした。
「皆さんにお願いがあります。私たちには今から二時間という時間が必要なので、それを私に是非与えて下さい。と申しますのは、一時三十分より第三スタジオに於いて、世界ジャーナリスト・ネットワークを作るための、知性と勇気と情熱溢れる超一流のジャーナリストに集まって頂くことになっています。そのための会議を持つからです」と言ったくだりから始まり、
「今の私たちの地球には多くの問題が山積しています。これを解決しなければ近い将来人類は存亡自体を問われるとんでもない事態となります。・・ ですから高い意識と使命感を持ったジャーナリストが、情報を密にして真実を語り、正義のペンを取らなければ間に合わなくなります。そうなれば世界の意識を統合一致させる事ができるし・・」と言う理屈を一通り並べた。そういうテーマを持って集まっている人たちだけに寧ろ積極的に協力し了解をしてくれたので、その拍手に胸を撫で降ろすことができた。大勢の支持者に気を使いながら、心地好い薄日の差す芝生を横切って我々は第三スタジオへと向った。空腹? それは聊かながら大事の前には提灯と釣り鐘。

 クーラーのよく利いているジャーナリストの溜まり場の奥に、大小のスタジオが設けられている。目的のスタジオへは少し前に着いたのではあるが、我々以外には全く誰も居なかった。二、三の人が顔を見せたが、誰も居ないのを見とどけて直に立ち去って行った。結果は無念の涙の煙と化して消えた。これで地球を救う一つの有力な手立てが実現できずに終わったのだ。これから世界に呼びかけて同士を集めるとなると何年もかかる。それを思うと、このチャンスだけは如何にしても惜しい気がしてならなかった。矢崎氏も西岡兄もNHKスタッフも、それぞれの思いを抱いてそこを引き揚げて行った。一体何故だ? この世界が、今とんでもない魔の淵へと進んでいる危機的状況が、ここに来ているジャーナリスト達には分からないというのか? 我々の地球を救わなければならないと本気で思うジャーナリストは居ないというのか? そんな事なんて信じられぬではないか! 彼等が或る意味では一番本当の姿を知っている筈であるから。
 直にその理由が判明した。超大国の要人達がその時間に現れたためであった。ニュースの運び屋としてはこれを取材しに来ているのだから、そちらへ我れ先にと駆け出して行くのは職業柄上当然である。運が悪かったのだ。素直にその事実を受け入れて諦めたのではあるが、この失った計り知れない重みは、決して失ってはならない希望であり祈りであり光であった。だったらどうして時間をずらさなかったのだと言いたくなるであろう。そこが総ての始まりと言ってよい。ここ国連のスケジュールは二つの理由で、当日の朝ジャーナリスト集会所のモニターテレビで発表されることになっている。それぞれのジャーナリスト達は、そのテレビの情報にしたがって思い思いの取材活動に奔走している訳だ。それ以外には国連の動きを前もって知る手立てもなく、当日の動向も知る術はないのだ。第一には安全確保のためである。これだけの大問題を討議し決議するために、二年半もの時間をかけて準備を進めてきたのだ。各国の多忙な要人のスケジュールは一年も前からびっしり決まっているので、何時来るのか分からない筈はない。しかし、前もって発表する事はテロ活動を可能にする事にもなりかねない。いま一つは、いよいよ煮え詰ってくると、会議も会見時間もずれ込むために、その日にならなければはっきりした時間が分からないということなのだ。我々もまた時間の設定に苦慮しながら決定的に外れたのは、そうした混沌とした背景の中であったからだ。一切の情報がない以上はこれも又致し方がなく、運が着いていなかったと言うしかない。まあ、既にあるものを失った訳ではなし、たまたま外れたまでだという形で整理されていったが、私はそこから今日の不気味な文明の方向が、全世界規模で問い正されるために、新しい健全な精神文化の発展がどうしても必要であり、教育の内容・質ともに変革していく将来を夢見ていたので、断然大きな時節を失った感がして本当に心で泣いた。
「では食事をしましょう。」ということになり、時々来ていたメインコンコースの二階のレストランへ上がった。昼の頂点も過ぎていたので珍しくごったかえしてはいなかったが、私には総てが白けて見えた。冷やかなスチール製の丸いテーブルに、矢崎兄・西岡兄と私の三人はゆったりと腰を下ろした。「老師、もうここの紙幣は必要ないですから、貸して下さいませんか。無駄になっても何ですから。」と私のためを思って言うてくれたので、ついぞ忘れていた紙幣を取り出して彼に渡した。「後でお返ししますから。」と言いつつ彼は受けとったのだが、その言葉の響きが、私には彼の言葉ではなく、妙に今失ったばかりの将来と重なっていて、ついぞ不運を呪うように、「いいですよ、たったそれだけのものなど返して貰わなくても。それっぽっちのお金なんか貰ったってしょうがないから・・」と口に出た。何と意地の悪い言を。地がそのまま出たのであろうが、決して彼に言ったものでもなく、お金の事を言ったものでもない。チャンスというもの、時節因縁というものがどれ程決定的条件になるかを思うと、そんなことなどどうでもよいではないかと言いたかったのである。こうした心は知る人ぞ知る世界であり、それだけ深く見える人は滅多に居るものではないので、通じない悲しさも付加していた。しかし、つまらぬ事を聞かされて嫌な思いで食料の調達にでかけた二人の心中を思うと、心から申し訳ないと思いいささか恥ずかしかった。普遍的な別口の全体への思いがあるために、こうしたズレた表現をすることがある。大概の人は誤解するはずであるが、そんな自分を別に嫌ではない。が、相手の気持ちを考えると自分の思慮不足を「この馬鹿めが!」と呪ってやるのだ。だのにそれが未だに治らぬとは困ったものである。
 と、そこへ頼みもしないジュースがすーと現れた。超美人三人が経営している、あの天然の旨いやつだ。しかも決してしない出前をその超美女二人が私のためにしてくれたのだが、それも妙にうっとうしく感じられた。この話も後で。

 嘗て大変失礼ながらモレシャンさんに、「あんたの口はかまどより大きいぞ。」と言ってしまって皆から顰蹙を買った事があるが、そんな口を百二十パーセント開けてもとても食べられない乱暴な厚みのサンドイッチを平らげて、予定より三十分速く我々の戦場兼平安ポストへ返った。そこには出かける前より増えたと思える大勢の人が待っていた。
「皆さんの深いご理解と暖かい思い遣り、そして神仏の慈愛のお陰で、こうして三十分速く返る事ができました。心から感謝致します。」とこれも心から出ていた。返ってきたのは本当に暖かく思い遣りのある皆からの拍手であった。やはりここが私の私の安息と生き甲斐の場だったのだ。拘りの小我を捨て大我の心であれば、暖かい思い遣りと感謝の世界となり、自然に地球は大切にされるし、私たちの社会もまた救われる。私に言わしたら自然を守るのも真の平和をもたらすことも大した事ではない。乱れの原因は総て自分の世界、拘りから起こる精神によって進めるからである。とにかく理屈が多すぎるから一々が問題化し複雑化して、大切な人間の豊かな徳性を失ってしまうのだ。技術論的改革の欠点は、主体の人間を抜きにし、人間の側に都合よくしようとして始まったものだ。だから文明に依って劣悪化する精神公害を、何もせずにそのまま放って置くところにある。この事を速く全世界に自覚させ、生活の反省と変革をもたらせるためにも、ジャーナリストの正義のペンの活躍が物を言うのだが、時節至らず。噫乎。


第十三 「アース・サミット」最後の時


 六月十五日、サミット終了の日はとっくに暮れて、いつもより冷える。夜のライトに照らされている私の列は絶える事なく続く。「アース・サミット・タイムス」のスタッフ達に、激励とお礼にいく手筈になっていることを知らされてもどうにもならない。矢崎氏は列する人達に「ここまで」とぎりぎり一杯までの人数限界を伝達してくれているのだが一向に帰ろうとしない。とにかくNHKスタッフも最後まで協力をしてくれた。とうとう二、三〇人を残して心ならずも店をたたまなければならなくなってしまった。私は彼等への詫びと別れの挨拶をしているうちに涙してしまった。
「皆さん、最後まで希望を捨てずに待って頂いて本当に有難うございました。今からどうしても新聞社へ行かねばなりません。皆さんにお応えできない事は本当に辛いし待って頂いた事にたいして申し訳ありません。私たちは、今、自分の事だけを貪っている時ではないのです。本当に自分の身の回り、生活全般を省みて深く反省しなければなりません・・ 自分一人の我侭が、一人の無秩序が世界を混乱に導き、将来を危なくしてしまうのです。一人とは自分自身のことです。自分自身とは総ての人のことなのです。・・皆さんはご両親に心から感謝をしていますか。国家の恩恵に感謝していますか。軍人は今現在も命を掛けて国を守っているのですよ。お百姓さんは朝早くから日が暮れるまで毎日野良仕事をして食料を供給してくれています。私たちは、そうした献身的に働いて私たちの存在を助けてくれている総てに報いなければならないのです。感謝報恩と慎みと努力を忘れた社会は、貪りと怠惰と欺瞞の社会となって、真実と思い遣りが無くなった瞬間から皆が苦しむ事になるのです。私たちがその様にならないようにしなければなりません。今の地球が苦しむようになったとしたら、これは私たち自身が作った愚かな姿に過ぎないのですから・・
 私たちは私たちの児孫、そして将来世代のために真剣に頑張らなければなりません。それは健全な地球実現のために努力するしかありませんが、大を成し遂げるためには多少の不利益は我慢する事が大切なのです。そして皆で協力し助け合って、健全な社会建設を推し進めなければなりません。私が今ここに立って、皆さんにこうしたお話をするのは偶然ではないのです。人間同士の真心が出会うべくして出会っているのです。皆さんは私の話を聞くようになっていたのです。そして実行して頂くようになっているのです・・
 皆さん、本当に申し訳ありません。もし、私にお便りを下さいましたら、必ず作品をお送り致しますので、今日はこれで私たちを開放して下さい。皆さん、本当に有難うございました。皆さんのご健康と御幸せを心から御祈りしております。そして皆さんのご家族と国家のご繁栄を・・」
「アース・サミット」の国連内で聞いた最後の拍手は盛大だけではなかった。心が篭っていた。口々に、
「頂けなかったことは大変残念ですけれでも、先生の今の御言葉を御聞きして、私たちは先生の心を一人でも多くの人達に伝えなければならない大切な事だということが分かりました。本当に有難うございました」。と言った激励の言葉がしばし続いた。そして若い兵士の力強い握手を皮切りに、次々と握手を交わし解散となった。その時を待っていたかのように、飛びきり美しい若い女性から、涙ながらの人生相談を持ちかけられた。通訳の方が「先生は大変御疲れだし、世界的な活動のために時間を使っていらっしゃるので、あなたの様な個人的な相談など失礼でしょう」と私たちを庇ってくれた。しかし帰りながら歩きながらのその時間を有効に使うべしと私の方から「どんな事ですか」と聞いてみた。若い夫婦の危機的関係であった。心配して一緒に付いてきていた友人まで涙していたから可成り深刻に違いない。聞けば至極当然な事柄であった。
「貴女は結婚する前、無条件に彼の総てを愛し、信じ、許し、貴女の総てを彼に与えましたね。そのことを喜びと感じ幸せと感じていたでしょう。」
「その通りです。」
「人間の精神とは、自我を克服して道をふむ力がない限り、必ず自己中心となって作用するものなのです。つまり時間が経つに従って、貴女の愛は純粋性を失い、愛の報酬を求め始めたのです。私は貴方にこれだけして上げているのに、と言う不純な心が生まれ、それが次第に増幅してきたのです。つまり、貴方の愛が濁ったからなのですよ。」
「・・」
「お互の愛に対して、感謝と信頼を大切に出来ない夫婦は、必ず自己中心であり我が侭になり、相手に求める事が多くなるのです。それにしたがって、そこから互いが傷つけ合うようになるのです。」
「・・」
「貴女の愛が本当なら、相手に求める事を止めて、自分に内在している真実の愛を確かめるように、ひたすら彼に尽くしなさい。彼に尽くすという気持ちではなく、自分に豊にある愛を人間の誇りとし、貴女の大切な夫に只捧げなさい。そうすればかつての様に、彼の内に宿っている神の心が美しく輝くはずですから。貴方の真実の愛によって。」
「・・」
「貴方のかけがえの無い大切な彼でしょう? そうでしょう? 違いますか?」これがここでの最後の説法であった。
「先生、目が醒めました! よく分かりました! そうでした、私が甘えてしまって本当の愛を忘れていました・・。本当に有難うございました。勇気と希望から何やら力が湧いてきました!」背が高く私を上から見降ろしている典型的なラテン美女。その泣き顔は喜びの涙となっていた。泣き顔であっても喜びの瞳というものは美しいものだ。いや、彼女は美し過ぎる。すっかり生き生きとした若い二人を見たとき、疲れ切った我々を癒す存在になっていた。心から「良かった!」と思った。

 そうこう語って歩いているうちに本館へ入った。何じゃ、これは! 「アース・サミット」が終わった途端、総ての警備は解かれ、国連のスタッフは忽ち姿を消してしまっていた。あれほど厳戒体制で出入検査をしていたところが完全開放され、一度入ってみたかった組がどっと雪崩込んだから様子は一変していた。子供から運転手から家族連れから住民にいたるまで、まるきし御祭騒ぎである。私の列が何時までも絶えなかったのは、来れなかった人達が任務が解かれて並んだからであった。とにかく世紀の大サミットの終焉にしては、より深くより広く浸透すべき余韻を、聊かも考慮していなかったことは、かくも精神に事の根源があるという大事な自覚が世界のリーダー達に全くないという証でもあった。こんな事ではとてもではないが、少々の外部条件を整備してみたところで頽廃現象が改善に向う筈もない。矢張り青く美しい我が地球は、これから五十年の健全持続は不可能なのか。リーダーたち、お前達は何を考えておるのだ! せめて主催国が、余韻の高まりとその精神の共有を目指した「続、地球サミット」を、庶民レベルのためにも引き続き行うと良かったのだ。私に言わせたら千載一遇なのだから。

 矢崎氏とお嬢さんが、しこたまピザとビールを買込んで来て、我々は新聞社に急行した。よくぞ事無きまま全うしたものだと、一同一時の休息をし感動と感謝を分かち合って別れた。矢崎事務局長の立場ともなると、誰に相談するとて、第一に時間もなければ根回しをしている余裕もない。事が事だけに一人で苦悶し悲しく辛い思いも多々されていたが、私などどうする事も出来なかったのが事実である。又スミス治子女史と一柳ミキさんも、とうとう最後まで音を上げなかった。それはもう夜昼なく翻訳・交渉事・通訳等々本当に大変なハード続きであったにもかかわらずだ。とにかく素晴らしいスタッフに恵まれていたからここまで出来たのだ。我々は密かに自負していた。この「アンセッド」に於いて、とにかく我々が最も内容の高い発展性ある活躍をしたに違いないと。その事は今日の我々の活躍ぶりが真に証明しているではないか。「アース・サミット」から始まった東洋の大乗精神布衍の様子は、今や世界的規模で広がり始めているのである。我々が健在している限りやすやすとこの地球を沈没させるものか! 必ずや脳天気の眠りを揺さぶり起こして、全人類の安全と平和とその継続を確立するために、自立精神を世界の教育に導入して一人々々の健全性を育まなければならないのだ! と内心息巻いた。

 新聞社からの帰り、随分と世話になった「赤坂」という日本料亭に寄って、慰労兼最後の晩餐を三人で取った。偶然にもあの藤森大統領一行が入ってこられた。丁度私は矢崎氏のお嬢さん「仁美」さんに頼まれて、一生懸命書いているところであった。仁美さんはサミットの中でどうしてもと頼まれた由。場所を探しながら、これからその書を届けに行くというのだ。疲れ果てた極限状態にあって、なお約束した事をそのまま実行するこの仁美さんの素晴らしさと同時に、日本人の実直さを如実に物語る仁美さんであった。私も確かな誇りを感じていた。
 彼の藤森大統領であるが、テレビで拝見した通りで、遂に一度も笑顔を見せなかった。外の護衛二十名の外、中に三十名は居たであろう要人たちは、大統領に習って皆慣れない箸で食事をしていた。その光景は決して健全とは思えなかった。私には媚びているように見えたからである。本当に個人の人格と自由が確立していたならば、もうすこし個性が躍動しているべきであり、秩序の利いた自主性による幅のある集団である方が、ずっと健康的であり総ての面に於て発展的建設的であるはずなのだ。不愉快そうに食べている姿は、まるで与えられた餌をつついているようであった。この大統領が、もしそうした精神の個性性と発展性の根源に着目し、そうした心の文化面を尊重して、もっと教育的知的ユーモアで、人間性に幅を持たせたらよいのにと思った。そうすれば一人々々の責任感と義務感が自発的に強化されて、政策もずっと理解され協力も得られてやりやすくなっていくであろう。ここブラジルと同様に、ペルーもまた大層な借金国であり不安定国家なのである。店の主人が、「藤森大統領殿、・・」と、同じ祖国を持ち、同じ血を引く親しさを込めて挨拶しているにも拘らず、心暖まる只の瞬間さえもなかったことは寂しかった。仁美さんが、「大統領に老師の書を差上げては如何ですか?」と言われたのに対して、「仁美、禅師の書というものは一般の芸術的なものとは本質的に違う。大統領が心の糧として自らが頂きたいと所望した時に初めて上げるべきものなので、こちらから上げる必要はないのだよ。」と矢崎氏は明快に言い放った。力強い仲間、「この男、何時の間に・・」と嬉しさの影での感想であった。
 それから三年後、一九九四年の一月。我々は国連本部の次長室に於て、クリントン大統領・ヒラリー婦人・ゴア副大統領・ガリ事務総長・ソレンセン事務次長、その他の要人に差上げることになった。特別仕立の料紙に書いたものは、当然格調高い禅語であり、金先生の名通訳による深い提唱付であった。それぞれの宛名には、意味深い漢字を当てて、こちらの理念を託したのである。何故なら、それは積極的に、或る意志を伝えなければならない我々の理念があったからである。それしか真の平和と健全な将来はないとして、積極的に国際的展開をうけいれていたからだが、この時はまだ個人が対象で、縁にしたがってという程度の展開でしかなかった。

 それから暫く、私たちは純日本式の豪華な鍋料理から、最後の晩餐を始めた。そんな時にミキさんから電話が入って来たのが、例のNHK局員の空港出迎え騒動であった。矢崎事務局長は本当に休む間もなかったのである。


第十四 さらばリオよ!


 明くる朝、何もかも終わったリオの朝は程よく晴れ、程よく薄曇っていた。昨晩の内にホテル・ヘリディエンへ来ていたので、朝食は気の利いたテラスで静に取った。そして、例のコパカバーナの海浜に出て間もなく、後ろから「ゼンマスター」と言う声に、二人は突然昨日の延長線上へ返ってしまった。この姿は誰にも見せたことはなかったのに。もう無視無視、全く無視。
 極めて波に近い処まで出た。誰に邪魔されることなく、我々は半ば茫然と果てしない海に見とれて、襲ってくる深い疲れをいたわっていた。口さえも容易に開かない自分を、だらしなくなったなと、疲れと事故の後遺症の重みを感じる一時であった。裸の行商がビール・アイスクリーム・タバコなど、こんなところで必要とする殆どの品々を売りに来る。白く砕けてすーと静に走って消える波を見ながら、ほろ苦いビールを飲む。こんな時のビールは、ここの浜辺の砂のように淡かった。眠たいのに眠られない、変な体になっていたから、真綿のように優しく包んでくれたら、さぞかし解けて無くなるほど眠る事が出来るのに・・ 誰かに抱かれて・・ そう、リオの浜辺よ。

 昼食はホテル・ホリディエンの上階にあるポールボキューズという、世界三大のフランス料理最高レストラン、リオ支店で頂いた。成る程。初めての芳雅なるフランス料理なるものを口にして、これはこの種の趣向を好む種族には堪らないだろう。自分の五臓六腑に聞いてみた。確かにそれはそうであるが、そこまで味覚を高めるには貧乏修行者には一生や二生はかゝるから、湯豆腐で満足している味感覚程度こそ、人生のバランスがとれた最も素晴らしい食道楽だからと言う返事であった。然るに、その一年後の十二月、パリーの有名なギメ東洋美術館にて、「京都フォーラム」主宰による、私の初めての禅講演をした時、彼のレストランの本店へご招待頂いた。私たちは世界の食道楽が集まる地域の、最も高価な食事を頂いてしまった。矢崎事務局長は、遠くの地まで連れてきたのだから価値あるものをと、常に皆に気を配り最高のもてなしをされるのである。この地は、肉・野菜・ワイン等の選ぐれ物が揃っているために食通が集まるという。修行者にとっては何れも分不相応なものではあるが、供養は有難く頂き、それ以上の努力をすることにしているので御勘弁頂きたい。

 飛び切りの昼食後、我々はずっと通訳をして下さった「水谷リラ」さんへお礼に伺って、いよいよ帰り支度に取り掛かった。二百食という途方もないインスタント食品と百冊に及ぶ本が無くなっただけ、増えたものと差し引きしても相当身軽になった矢崎氏である。最後の最後まで親身になってお世話をしてくれた一柳ミキさんには、本当に頭が下がった。人柄の良さと飛び切りの頭脳だけではない。責任感と音を上げない粘り強さと暖かい人間味は、出会う人を悉く美しくする人である。彼女から悲しさや悔しさなどの思いを伺うことは殆ど出来ない。いつも爽やかな笑顔があるからである。しかし、混血というどうにもならない運命を背負っている場合、外部環境的にも内部環境・精神環境に於いても日本人にもなり切れないであろうし、またアメリカ人にもなり切れず、精神的に第三国人的悲哀感を抱くこともあるはずである。接していて感じたことは、その様なことは既に承知の上ですっかり超越しているのだからたいしたものだ。その高い精神性こそ、彼女を一層素晴らしく高めているエネルギーなのかもしれない。
 そんなミキさんと別れて空港へ到着した時は、時間的に猶予がない有様であった。来た時の逆現象として、一期に帰る人・人・人・人。歩くことさえままならぬ。荷物検査に要する時間を思えば、この人数ではどうなることかと思った矢崎氏は、空いているファーストクラスの検査場をこの際活用してはどうか、と交渉したらしいが拉致があかなかったとか。そこへやや遅れて私が到着したのだが、何だか分からぬまま、矢崎氏がニヤリとするのを見た。すると、係管が「こちらへ来い」と言う。ファーストクラスでの検査をしてやるからと言うのである。
「老師、私が頼んでもしてくれなかったんですよ。そこへ老師が現れて、見た途端特別な計らいをしてくれたんですわ。」と言う。誰も居ないのだからすんなりすぐ終わる。最後のゲイトに差し掛かった時、その事を知らせてくれたので直に振り向いた。彼は直立してじっと我々を見守ってくれていた。私は反射的に合掌していた。有難たいという感謝の気持と同時に、この国は大事なことは大事なのだとする人達が随分と沢山居ることに感心したのである。ずっとデレビ・ラジオ・新聞を見、且つ聞いていたのであろう。そうでなければ私などに特別な配慮をする筈もない。彼の真摯な態度が未だに目に焼きついている。出国に当たりパスポートを出す番が来た。簡単に済んで、受け取ろうとした時、軽く笑顔をして、「ごきげんよう」と確かな日本語で語りかけてくれた。「どうも有難う」と私も答礼をして、さっきの紳士を振り向くと、まだ彼は私たちを見守ってくれていた。思い切り手を振って別れをした。ゲートを出た時、お嬢さんの仁美さんが、「老師はたいした英雄ですね」と言う。とんでもない恐ろしいことを。[老師は、もう二三回来ればフリーパスですな]と又々冗談を言う矢崎氏。そう言われて注意して見てみると、確かに心なしか敬意を注がれている事に気が付いた。機上の人となるまでに何かと面倒なことが、至ってスムーズであったことは活躍の功徳と言うべきか。これほどにこの度の「アース・サミット」は、国民上げて最大事の感心となっていたのである。

 機体は僅かな興奮と疲れを満載して、日本の真裏の夜の空に舞上がって行った。この国は紺碧の空が一番似合う。あのはち切れんばかりの笑顔と快活な動きは絞り立てのあの生のジュースの如く瑞々しい。そのような人間性が私を強く引きつけて離さない力となっていた。親切で人なつこく暖かい国民性に感動すら覚えながら、唸りを上げて暗闇の空を失踪する巨大な文明の後ろに思いを残していた。感傷に浸るとは禅僧にしては甚だ御粗末な醜態ではある。ビールを口にしながら、「この下あたりは既にアマゾンにかかっているのではないだろうか。とうとうこの目で確かめる事ができなかったな・・・きっと又返ってくるに違いない・・・きっと・・・」。
 全くどこへも行く事なく、疲れ切った体が成層圏に達し、我々の果たした成果を反省しながら飲んだ酒もまわってきた頃、私は異国の人達の為に涙していた。あのファベイラ郡とその人達の悲惨な環境。表浜の怒涛と湾内のあの静かな湖面、全体に連なる豊かな街路樹。豊な大自然に抱かれ育まれた生産不熱心借金大国のもつアンバランスは、何とも語り尽くせない魅力となり、不安定国家の心配とが重なっていたのだ。ビールからウイスキーに変り、ほろ苦い味が一層涙を誘う。ほんの二割の贅沢者によって南北貧困の落差は益々深まり、その余りの貧しき人達を思うと深く胸が痛んだ。文明に毒されていない感性豊で、身心頗る健全なリオの人達の影に居る貧しい人々の為に、再びこの地へ返ってくるような気がしていた。私は二三年後、国連を動かし、或るプロジェクトを組み、大使館を通じて経済的自立と同時に彼等に社会生活が営めるような精神改革を試みるだろう。などと、自分の疲れている体の底に、当てにはならないがそんな熱く燃えるものを見た。と、そこへ矢崎事務局長が立っていた。彼の疲れも相当なもので、その満足気な顔にも隠し切れなかったようだ。無理もない、あれだけ弧軍奮闘されたのだから。私の顔に何を見たのかは解らないが、彼は私の手をしっかりと握り、互いの努力をそこで労い合った。肩を叩いて席に戻って行った彼は、二言三言の単語程度の会話ではあったが、きっと私の意図を汲み取ったに違いない。彼の目にも涙を見たからだ。


第十五 ファベイラを救うには


    一、「ファベイラ」と「ストリート・チルドレン」

 私の「ファベイラ」と「ストリート・チルドレン」救済作戦とは次の様な方法である。彼等の集団は貧困と無知蒙昧さと動物的機敏さによる狂暴さ、そして倫理観の皆無による非社会性を共有しているという存在である。下手に手を出すとピラニアの生け巣に放り込まれるようなものだ。だから市民から疎外されているのである。それでは彼等が一市民として公平な存在と法の功徳に預ることは永久にできない。そうした大きな原因の一つは親が居ないことである。まことに哀れなことである。そして「ストリート・チルドレン」を、立派な「ファベイラ」に育て上げる大先輩が居て、彼等に守られ養われながらあらゆる悪の手法を教育されて行くのである。彼等にはそれしか生きていく方法がない事に起因する。つまり、彼等の集団に於いてはきちんと統制が取れていて身分出生を問わず、こうした身なし子を育てているのである。考えてみると彼等の方が心根が優しく暖かい人間性を有している部分があると言えるのだ。ここにポイントが存在している。
 何故多くの「ストリート・チルドレン」が存在し「ファベイラ」が存在するのか、ということになると社会科学として面白い。国民性、その背景の歴史、気候とかリーダーとか国土の質とか、経済や文化面、教育のあり方とか、とにかく何れも関わり合い干渉し合って無し崩しに今日を迎えたので、原因は総てにある。が、親が生んでおいて捨てたとなると、人間性ということになる。では、どうして捨てなければならないのか、となると相当しぼられた話になる。その前に、何故育てられもしないのに生むのか、を問うてみる必要がある。それは男女の関係が極めて開放的であり性衝動化しやすく、簡単に妊娠する条件が充分にあるからだ。その条件とは、第一に気候である。あの気候から、第二としての陽気性が育まれ情熱的となり、行動も単純化してしまうのは、同じ様な気候の国々に見る状態と同じである。とにかくほとんど慢性化した熱狂化しやすい国民性にあるといえる。人目を憚らず、極めて開放的に絡み合う事に、何等の倫理的社会的意識が無い様子を何度となく見てきた者には、「ストリート・チルドレン」と「ファベイラ」がその象徴的結果であると断定したくなるのだ。と同時に義憤口外もしたくなってくる。
 では、何故人間の徳性によって健全に律せられ得ない国民性になったのだろうか。それは歴史的に磨かれた思想がなく、倫理観・価値観・世界観・生命観・人生観・国家観・家庭観・夫婦観等が健全に育ち難かった致命的な国家の形成史にあるということになるであろう。では、何故その様な形成史を辿ったのか、となると私にはさっぱり解らない。熱帯性特有の自然任せ的運命形成とでも言うべき、気候帯共通の成り立ちがあるようにも思えるのと、結局は歴史的なリーダーを与えられなかった不幸な運命にあったと言うしかないではないか。そこへいくと日本は優れた指導者の何と多かった事よ。
 生まれた者はしようが無いと、これも陽気に認めて、育てられないのだからしようが無いと子供は捨てられてしまう。子供こそとんでもないとばっちりで、どうしてくれるのよ、と言いたい時には、立派な「ストリート・チルドレン」になっているのである。

     二、彼等に家を作らせる

 とにかく彼らに、人間としての自覚を持たせなければ、秩序を守らせ責任感を形成することができない。そのためには人間らしい生活が人用なのだ。先ず、彼等に最低限の生活をさせるために、電気、水道、下水、シャワー、ベッド等のある小さくてもいいから個人の存在、家庭生活が実感できる家を持たせる事から始まる。その土地と資材は国と州と市から供与してもらい、資金・精神指導や家財道具等は国連を始めとしてODAやNGOなどから供給してもらう。家の建設は彼等自身にゆだね、そこらから自立を促していくのである。都市計画と家屋の設計等は国連の中で出合ったこの国の若い秀才たちによる技術指導に託せばよい。私はこの国に存在している多くのこれからのエネルギーを見たからである。書を求めて並んだ中に、大学でこの種の技術の勉強をしている学生が相当高い比率で居たことが印象的であったからだ。彼等は真剣に、どうしたらこの国を健全に発展させることが出きるか、貧困を無くすことが出来るかを私に尋ねていた。一人や二人でなかったからこの国のエネルギーとして感動したのだ。芸術的デザイン的にといった豊さの環境作りではなく、あのバラックから開放し、個人として安らげる最低でもよい、今日的人間の条件を満たした家庭生活を持つことに意義がある。そうした生活環境の家屋確保が必要なのだ。それも出来るだけシンプルで、素人でも建設出来る設計が大切なのである。

     三、倫理観の元は知性と感性である

 さて、どのようにして彼等に作らせるかで、基本的知性と感性の成長を左右する。考えてみると、不潔で不合理で不健康で不能率に加え、無秩序・無責任・無道徳なのは、未来への創造性や希望的計測性や情熱がないために、わくわくする夢を描くことがなかったから、知性と感性の健全な発達が得られなかったのである。従って行動の推進力である「やってみたい」という興味と躍動感が発露しにくい精神状態になってしまっいるのである。これらの精神要素と回路が備わらない限り、人格的な成長も使命感も備わる筈がない。人格形成にはそれらが育つメカニズムがありプロセスがある。彼らは生産性の極めて劣悪な状態にあって、それもすでに慢性化し構造化している。それは生きる第一原則に、人間的な環境条件がないことにある、ということが問題なのだ。発展成長していない国家の民は、自分の生活環境を整えようとする意識も意思ももっていない。当然ながら衛生観念も自尊心もはなはだ低いのが特徴である。人間誰でもそうであるように、明日もたらされる楽しい旅とか出合いとか、プレゼントとかの特別なイベントに心踊れば夜も眠られなくなってしまう。創造力によってイメージし、感動を豊に持つことで、自発心が強烈に台頭し知性を押し上げてくるのである。自立させなければ彼等の社会参加も建設もあり得ないので、自律と自立を促す根源的な精神改革がなされなければならないということだ。
 誰がそれを促すことができるか。ここである。行政やボランティア等、物やお金を提供すれば協力していると思っているととんでもない間違いである。物やお金は使って初めて生きてくる。如何に生かして使うかというところが理念の問題となり、それを教えるのは大変な教育であり技術である。ここが実は大変むつかしいところなのだ。反省力もなく向上心が希薄となると、現象面や単なる知識教育という技術などでは到底救えるものではないと言うことだ。

    四、「ファベイラ」のよきリーダーを育てる

 ボランティア若手技師による簡易家屋の設計と都市計画が出来たところで、「ファベイラ」の一番の実力者でありリーダーに、全面協力してもらうことから始まる。その彼に「ファベイラ」の人たちの将来に対して、彼等を幸せにしたいということをよく理解してもらわなければならない。その具体的構想として、出来上がった彼等の家、そして町の完成図を見せ、
「ここが玄関で、ここがシャワー室、ここがキッチン、外の庭には薔薇などを植えて」、と説明し、町作りの構想は「ここがマーケットで、ここが公園で、ここが学校で、ここが病院で・・・。君自身がこの様な町を欲するならば、土地もある。資材もある。設計図もある。建築の指導者もいる。後は皆がやるかどうかであり、自分たちの町を作りたいと思うかどうかだ。君のリーダーシップがどうしても必要なのだ。」と説得する。
 その次にボスが一番信用できる人物、頼りになるサブリーダーをスタッフとし部下として指導体制を確立する。彼等が直接の指導者となって、全面指揮をするスタッフの体勢作りである。
 それらの体勢が整えば、後は実行である。その一貫した全体で一つの流れを、日々皆の意識に結びつけていく。秩序によって行動することの合理性と、計画に従って一人々々の任務が有り、それらを全うすることの大切さを体で実感させることである。計画にもとずいて労働をし、義務と責任を果たすことが公正な社会人であることを、体験を通して意識させ自覚させる。何よりもやる気を喚起し、努力心を触発し、与えられた任務を、楽しく遂行できるように指導するのだ。
 実行に入ったら、一日の労働に対して一家が食事が出来る程度の日当を出す。労働に対する適正な社会的評価をすれば、義務には恩恵が伴うということも分かるであろう。希望熱も発露してくるであろうし、責任感も感謝の心も培われるであろう。
 三家族を一チームとして、一軒を作るのがよいだろう。始めは技師がして見せて、それをボスが体得して、次にサブリーダーが覚えていく。技師を頂点とし、言われる通りにボスが従い、セメンの練り方から煉瓦の積み方、図面の見方を教わりながら、下へ教えていくのがボスとサブリーダーである。そして父親を指導する。その父親がが子供を指導して無理のないように運搬などをさせ、一家で組織的に行動が出来るよう知的訓練、集団訓練をするのである。彼等全員が単純技師となり指導者として育てるのだ。
 一日が終わったら、皆で安酒を飲みながら、今日の労働を労い、技術論をぶち、語り、歌って心を通わせ、明日への情熱を駆り立てていく。次第に家の形が見えてくると、明日はこれだけ出来るし、明後日はここまでいけそうだ、その次は・・・というように先が想像されイメージ出来るようになると、初期思想回路が確立する。計画を立てる思考素地が整うと言う事である。現実性が実感できると、人間は身も心も熱くなり労働も楽しくなり希望心が自発力となっていくものだ。だから労働が終わってからの語らいの時間が大変大事なのである。
 言葉で理想を描きあい、見えない世界の価値ある計画を共有し、それを達成して行くために守らなければならない個人としての自分と、全体としての自分との区別とその存在理由や価値を認識させて行かなければ社会へは入れない。そのことを充分に教育することがよき社会作りになるのである。自分たちで作っていく町を、より健全にするためのアドバイスをリーダーに注ぎ込んで、本当のリーダーを育てて行けば、後は自然に成長発展していく筈である。
 どの様な集団であれ、ボスというものは可成り優れた資質の持ち主である。全体の統率には彼等に勝るものはない。設計も決して難しい手法を使わず、ちょっと訓練をつめば出来る範囲のものが大切であろう。こうして次第に技師の言われることが理解出来、忠実に行動が出来るようになっていけば、三軒も建てればそれなりに自信も付くであろうし、指導の要領もうまくなり、五軒も建てていけば立派に職人的になってもいくだろう。また、整然として勤労し、終わってからはよい雰囲気で安心して飲み、語らい、歌って明日への希望に燃えている姿を見たら、皆引き込まれていくだろう。こうして「ファベイラ」全体の人達に働く意義と面白さと、心の深い折り合い方というものを実感してもらいながら、単純技術から習い覚えていくようにすると、やがて健全な市民意識へと成長もするであろうし、ちゃんとした家庭も育まれるであろうし、全体の秩序も整うはずである。
 そうして建設された手作りの町には、自分たちの誇りと見事な秩序と、立派なリーダーを有した極めてエネルギーに満ちた良い町になっていくのではないか、と私は思うだけでも嬉しくなってしまうのである。

     五、国連指導型で世界の「ファベイラ」を救え

 もしこのような構想で貧困の解決ができたら、教育として実践し成功したなら、もっと有効利用できるようにマニュアルを作り、国連指導型にして世界の貧困撲滅の一環としてやってみても悪くはない。リオの彼等が世界的な指導者にさえなれるであろうし、ボスを中心にしてチームで指導に当たれば最も効果的に作用するはずである。馬鹿げた軍事費を半分に削減すれば、世界の貧困を救えるし、健全な教育をももたらせて、情勢不安へと化しつつある精神の頽廃を活性化することだって可能ではないか。リオの彼等を知っているわけではないが、彼等なりにその世界に秩序が保たれているという現実からして、その指導力と人情と知性と機を見る力は立派なものがあるような気がしてならない。だとしたら、それをより所として貧困を無くし、反社会的存在を改善すべきではなかろうか。

 あれから既に四年が来ようとしている。私は本気で愛するリオの改善策を考え、色々なプランを持ってリオへ返ることを密かに願っていた。しかし事態は局所的にのみ対応しては居られなくなってしまった。矢崎事務局長と金先生とが立てていく、「将来世代救済の理念を地球全体に確立する」ために、矢崎氏はニューヨークを本部として「将来世代国際財団」を設立し、世界ネットワークを先ず完成させるべく奔走することになってしまったからだ。財団の一員として私の出来ることと言えば、出来上がった国際会議のプランに対し、要請に従って出席し、ディスカッションとか時には講演するだけである。リオ以後の三年は決して平坦ではなかった。私はともかくも矢崎事務局長と金先生は片時も休むことなく、世界を駆け巡って大乗精神に基づく将来世代哲学なるものを布衍し続けている。失われた故に社会システムの荒廃と良知不在の不健全性は、ただ精神にある事を説き、教育に、そして経営に、そして社会の一般思想へ反映させることに懸命である。それらの基本的力というか、信念の基軸となっているものは、矢張りあの地球サミットに纏わる多くの見聞と活動実績からのものである。



無影録 随行記

「地球サミット」から始まるもの(下)

井上希道


 下の序


 何の構成意識もなく前編も終わった。これから後編ということになる。遠く過ぎ去ったことなのに、今更何ゆえ「アンセッド」などに拘るのであろうか。確かに無駄なことである。ただ私たちの住む地球の歴史的危機に対して、将来世代が健全な存在であって欲しいという願いが私を誘ってしかたがないから。健全な未来を選択するためには、今の私たちの生活全般が健全であるかどうかであって、それを点検するレフリーと修正方法は、既に物言わぬ過去に総て存在している。人間として如何にあるべきかは、二千五百年前には完全に解決されているのである。特に釈尊によって見出された、自我執着を超えるという方法である。それは諸悪の元は自我であり、自我の元が空であることも究明し尽くされている。我々は反省と修行により、根源的解決を図らねばならないのである。とにかく安らぎと潤いのある将来世代のために、今を正しく生きるのが私たち先人の当然の責任ではないだろうか。しかしそのことに目覚めた意識階層は少なく、混沌としているのが実情である。そうこうしているうちに、深みへはまるばかりである。
 そこで生活の根源的な見直しのために、一人々々の自覚が必要条件となってくるのであるが、そうした自己自身への目覚めは益々困難な時代を迎えた。それは一にも二にも経済価値観で進められ、それ以上の合理的方法が他に無いからである。どうしても総てがそれによって流れてしまっている世界的な現実がある。その結果の行き先が暗黒の道であることが明らかになってきた今、そのまま放置してはおけなくなって開かれたのが「アース・サミット」である。
 地球規模で総括して行われた大規模な「アンセッド」(環境と開発に関する国連会議)は、そうした意識統一をもたらせたことに於いて大変素晴らしい成果であった。だから私は今もって心から拍手を送っている。現世代人はあの「アース・サミット」から地球人としての根本的な理念と健全な信念を学び取らねばならない。贅沢は最早罪悪である。そうした深い反省が今必要なのである。このままでは五十年先の世界は惨憺たる状況となるからだ。この事は世界の著名な科学者が明白な事態として口を揃えて訴え続けているのである。この大変な事態に対して、もっと真摯に心を傾けてほしいと願うばかりだ。
 これはそうした心と指とのハーモニーであり、奏でりに任せて我が意を投影したものに過ぎない。
 ともかく前編を纏めて粗末な小冊子にし、心通う識者に読んでもらい大方の目を汚した。中には裸でタラの木に登らせてくれるような激励を蒙り、別口でやる気を起こさせてくれた。その時は広島市民病院入院加療中のベットの人であった、元広島平和会館理事長・広島将来世代フォーラム座長の河合護郎氏より、「随行記 地球サミットから始まるもの、を拝読し感銘を受けました。洞察あり、哲学あり、静かな怒り、情熱、軽妙なる描写等、病中の小生にとって快い刺激と意欲を与えてくれるもので、ありがとうございました。・・とにかく早く治して奮闘しなければ・・。」という親書が届いた。人に活気となって伝わったとなると、こんなものでもその人にとってそれはそれなりに価値ある存在なのだと思った。
 また、あの桐島洋子女史からは、「夢影録ご恵送ありがとうございました。ブラジルの混沌、サミットの光と影、多彩な人間模様が見事に活写されて痛快を極めた名リポートです。一気に読み、一読賛嘆・・はいいけれど、シロートにここまで達者に書かれては、プロの物書きの立つ瀬がないじゃないと、いささか落ち込みました。」とファックスをいただいた。
 こんな評価をされれば、「そうか、そうなのか。それじゃ自信をもってもう少し頑張らなければいけないかな」とつい思ってしまい乗ってしまった。電話・手紙などでそれぞれ感じたところを知らせてくれた数は相当にあった。これらははっきり言えば待って下さっているということで、「次ぎはまだか」というサインとうけとっている。人間は乗せることも、乗せられることも、時には必要な事だってあるということを痛快に感じたのだ。私は責任感と同時に、かくも見事に乗ってしまった。それはおそらく、読んで下さるみなさん一人一人が、未来への不安と共に、人類が滅んではならないという確かな目的を抱き、そんな悪夢の実現を掻き消す祈りに励まされているような気がしている。確かにこのままでは滅亡するしかない。
 世界の総人口はおよそ五六億人(一九九三年に書いた時はそうであったが、一九九七年の今は五十八億人を越えた)、一年に約八千万の人口増加と、毎年日本列島以上の面積の森林が消滅している。因みに大地総面積の〇.三パーセントしかない我が日本に於いて、エネルギー消費は地球全体の十三パーセントと言うことである。正しく異常でしかない。また、七・八割の発展途上国の半数は考えられない勢いで急成長しており、資源・エネルギー等の世界消費率が倍に達するのは僅かに十年だという。これは資源・食料・酸素・エネルギー・環境問題だけではなく、産業構造自体が行きずまってそれが政情不安やイデオロギー・宗教紛争・民族紛争等に拍車をかけ、この点からもこのままでは決して持ち堪えられるものではない。また人間を育てる教育環境は精神を練る時間も場も無いので、健全な人格を形成することは殆ど無理である。この先五十年の安泰は寧ろ大変な夢である、とまで言われているこの世代の住人として、今こそ如何に在るべきかの問い直しを迫られているのである。
 こうした問題意識を持つ諸兄に目を通して頂けることを感謝し、我が指にもう一踊りしてもらうことにする。ただ、野僧は決して物書きでも思想家でもない。一修行者であり野で仏法を伝えている無教養の一人の禅僧に過ぎない。この事は知っておいていただきたいとお願いする。つまり、文章力・表現力等の力不足を御詫びしているのである。では、この祈りが深く通じる事を信じて・・


第十六 通訳の大切さ、心の掛け橋


 白けている口から、「私の大事な友人が二人いる。彼等の分もないのなら結構だ。」と美女の出前のジュースをあっさり断った。私の成ってない英語が何故か通じて、「オーケー。」と言って直に二つが届けられた。ところが、そのジュースは紐付きであった。「サインして下さい。」はいいが、「ここで?」「そうです。」美しい四つの目は真剣であった。サインぐらいは簡単でも、「紙も道具も無いのに無茶を言うな。」とまたまた美女を観察しながら、ありったけの身振りを加えて応戦する。すると一冊の本が現れた。これなら簡単々々。頭陀袋から筆ペンを取り出しそれに   明日ありと思う心にほだされて今日も空しく過ごしぬるかな
 としたためたまではよかったのだが、その説明となって聊か困惑した。私の手に負える事ではないではないか! が、自分で書いたのだから文句の持っていくところが無い。そこへタイミングよろしく、矢崎事務局長と西岡兄が、豪快なサンドイッチと一リットルもありそうなコーラを手に返ってきた。二人は、美人に囲まれて困っている私を見て早速援護してくれた。道歌の意味を通訳するにあたって、その母親まで出てきての奮戦振りは、東洋の深い精神世界を伝える事の難しさを物語るものであった。
 私も敬意を表しようと立って驚いた。私は何と美女たちの肩までしかなかったのだ。何という大きさ! 何というバランスのとれた見事なスタイル! 二人は私の言葉とおりに訳そうとして苦慮していた。「言葉の通訳などいい加減でいいんだよ」と言ったのだが、その心は、まず内容を深く理解し、言葉はその人その人の言い回しで語るこが大切なのだということである。心を伝えると言うことは、決して容易い事ではないが、又特別な事でもない。言葉以前にとにかく豊かなその言葉の心が必要なのである。どうにか通じたようなところで彼等は引き揚げ、我等はダイナミックな食事にかかった。束の間ではあったが、まことに珍しい楽しい一時であった。その夜のこと、西岡兄が、「余りの美女で、びびっちゃった。」と洩らした。一同に無論意義はなかったが、通訳の難しさという点でも異論がなかったのが面白かった。

 サミット開催前日、アメリカの前国務次官デサイ氏に、矢崎氏と私がサミット会場内のロビーでインタビューした時は秀才のミキさんが通訳した。全体は素晴らしいものであったが所々で和訳に苦慮していた。その間の惑いの空白は失礼でもあり白けてしまうものだ。若さによる日本語語彙の不足からである。多彩な方面の翻訳を実に見事にやってのける彼女にして、通訳となるとまごつくとは本当に難しい事柄らしい。その明くる日、グローバル・ガバナンス委員会の共同議長であり国連改組委員会共同議長でもあるシュリダス・ランファル卿に矢崎氏がインタビューした時はロージー・サカエさんであった。ツーカメ(二台のカメラ)を指揮するのは深田ディレクター。流暢な彼女が突然詰って止った。終始うつむき加減で腕組みし指揮している深田ディレクターの眼光が上わ目使いに鋭く走る。二度目のつまずきには顔を硬直させて眉が吊り上がっていた。相手が相手様だけに大変失礼であり、日本を代表するNHKとしてはこんなみっともないことは許されないということなのである。その晩、果たせるかな通訳の質の問題が協議された。サカエさんが明くる日の朝、対訳ブックで勉強しながら現れたのを深田ディレクターが見て、「彼女は頭もいいし努力家なんだがな・・・」と残念そうに洩らした。とにかく一流の人の通訳には使えないということだった。私の最初のコンビはサカエさんだったが、精神・文化面の日本語が不十分なのは若者でなくても誰もそうで、一つ々々説明をしなければならなかった。こうして私には三・四人の人が立合ってくれたのであるが、どうしても私の日本語に慣れるまではでこぼこである。一日二百五十ドルの通訳者も含めて、若い人は大人の文化人の言葉には弱かった。ところが、一般者がそれを補足してくれたのだ。現地で仕事をしている二人の日本女性であった。いずれも若くはない。ここに練度としての人生経験がものを言う。深田ディレクターは大変造詣も深く思い遣りの厚い紳士である。私に「どの通訳が一番いいか。」と聞いてくれた。ボランティアで通訳してくれたあの女性、世界一流の宝石会社本店の中間管理職をされている水谷リラさんを指名した。深田ディレクターはその会社に行き、その人にわざわざ頼んでくれたのだ。この深田という人は誠意の人、未来型理想追求型の人だと敬服した。これは「京都フォーラム」の目的に対して実に成果の高い人選であった。水谷さんは人生観が非常に深く、清潔感溢れる方であった。そのために宗教的哲学的精神面を容易に納得し共鳴されたのであろう。だからこそ東洋の大乗精神を深く伝えることができたのだ。私は深田ディレクターと水谷さんに心から感謝した。今もって感謝している。合掌

 サンフランシスコより待ちに待ったスミス・治子さんが到着した。矢崎事務局長が兼ねてより通訳として全信頼をおいていた女史であり、一柳ミキさんの上司である。器量不足を自覚していた今までの通訳全員、「勉強になるから。」と、キール氏(ケネディ・元アメリカ大統領を始め歴代大統領顧問弁護士、元全米弁護士会会長、矢崎氏とアース・サミット紙共同発行人等々)のインタビューに立合うことになった。治子さんの闊達自在な通訳ぶりには一同全く感動し、全員完全に兜を脱いだ。メモ一つ取らず、一気に双方十分間以上の内容を適格に伝えるその迫力と知性の高さには感銘を通り越して驚嘆した。実にたいしたものである。要するに内容というか、語彙もさることながら相手の心を完全に理解する能力とキャパシティと記憶力の豊かさがずば抜けているのであろう。それからの大事なインタビューは総て治子女史となったのである。深田ディレクターも絶句した。「いや、文句なしです。満点です。」文句なしに満足され一同安心したのである。さすがに矢崎氏の秘書であった。これはここだけの内諸であるが、その彼女のダイナミックな目は鬼才のシンボルであろうか、忘れられない魅惑の目の一つであった。
 治子女史の様な素晴らしい通訳は滅多に居るものではない。特に通訳者にとって我々が面倒なのは、専門語の多い学者グループであると共に、大変深い造詣の哲理を専門とし、加えて仏教のしかも禅が入っているのだから通訳者としてはたまったものではない。満足に出来なくて当たりまえなのだ。それを完全にこなして我々を満足させた人物が韓国にも居た。韓国のハンベック財団と共催した、あの韓国会議である。それを担当した若い女性の見事な通訳は忘れられない。とにかく責任感が違うと言うか意気込みがまるで違っていた。前日より内容の検討に入り、入念な推考を繰り返しての誠実さは実力を物語るだけではなく、態度に高い品性と自信とスマートさがこのような心地好い余韻を与えてくれたのであろう。
 通訳者として内外から一流と称せられる人は、人としての完成度というか人間性が素晴らしい。技術者である以上はその道の練度は命である。当然それが真っ先に問われる。しかし、本当に問われているところのものは、言語を通して真意が伝わることであって、単に言葉の変換技術的良し悪しではない。オーストラリアのトップと言われている中塚美沙子女史・ブラウン典子女史等や、アメリカのフランセス・シーズ女史等は常に国家的重要な橋渡しをされている。「これはこれは大したものです。私の英語よりもずっと柔らかく、美しく、心が自然に伝わっていく素晴らしい表現です。この人が来て下さったときは、私はもう英語では語らない」とまで金先生に言わせるものは決して概念変換のことではない。あくまで真意であり心のことである。その本質的なものは何か。やはり真心であり祈りであろうか、その人の誠実さであろうか。そうした心を通して言語が選ばれ変換されていくとき、もう一人の善意と祈りが付加され増幅すると言うことではなかろうか。先般行われた日米構造共同協議は、硬派のカンター通商代表と、当時橋本大蔵大臣とであった。両国のこうした会議には珍しく、極めて深い理解を得、それによって強力な建設的協力体制の決着をみたのである。その通訳に当たったフランセス・シーズ女史のあの心があったからに違いない。オーストラリアに於いては「中塚美沙子・ブラウン典子両女史は、我が国の誇るべき大切な通訳者です」と州政府高官が絶賛していた。
「老師、こかれらはシドニーへ来られるのも楽になりますわよ」
「それは有り難いことですが、どうしてですか?」
「守秘義務があるんですが、先般広島県知事さんと州政府高官とが、広島空港ーシドニー路線開設の締結をなさいましたから」
「本当ですか?」
「ええ、確かです。私がその時の通訳を致しましたので、数年は掛かると思いますが」と中塚女史。我々はかくも優れた人たちの力によって、重大な会議が支えられてきたことを誇りに思っている。彼女は二度にわたって私の元へ参禅に来られた。責任を全うするための心の研参であった。もうすぐ完成する「坐禅はこうするのだ」の英訳は、心の時代に一陣を送って清風となすに違いない。
 だから通訳の話題には必ず彼女等が語られる。誰もが自分の意志を完全に伝えてくれた満足感と感謝と尊敬が一種の伝説的魅力として心に刻まれているからに違いない。自分の専門に対して、責任と同時にスマートさというか品性を重んずるところに自然体の美学がある。それが全人格の自然の働きなのだ。その事はとりもなおさず自分を大切にしているということであり、職業が完全に生命になっていることを意味している。本当に自分を愛すれば、こういう美しい働きに達するものである。私たちは、同じ事ならこのような人たちと一緒に仕事をしたいと願っている。今の若い日本人を見ていると、随分と闊達自由で気持ちがいい。しかし、気配りや責任感、品性とか礼儀とか我慢といった徳性に通ずるものが未成長でお粗末なのには不安が残る。私一人の思い過ごしであろうか。

 最も惨めだった通訳は、ベトナムとタイランドだった。特にベトナムではなまじっか教師という知性を売り物にしている人物だったばかりに、私観で内容を憶測してしまうものだから、とうとうしまいには意志を逆に判断されて、折角矢崎理事長が深い思いを致してこの国の再建策を呈し支援しようとした事が総て懐疑的に働き失敗に帰した。国際会議等からその後の支援策等の事務一切を仕切ってくれた、ベトナム社会科学院の女性科学者を日本が招待留学し、ベトナム国家の再建と日本との健全な関係を夢見ていた矢崎氏にはどんなにか無念であったろう。ベトナム会議の通訳はその初めもっと悲惨な状態だった。日本語をベトナム語に通訳するという人物のひどいこと。日本語そのものが理解できないのである。「まあ、お手元の論文を呼んで下さい。」と言う調子である。それでも通訳か! とうとう京大で四年間勉強したというベトナム高校の教師に替った。前よりは可成り通じるようにはなったが、決して疎通が出来るものではなかった。韓国語に至っては全然通訳が出来ないのだからつんぼさじきでしかない。英語・韓国語・ベトナム語・日本語という語域を必要としていたが、そうしたニーズに対応し得る語学文化が育っていなかったのである。秀才ばかりとはいえ、日本語や韓国語の出来る人など未だいない。せめて英語に訳し、それを日本語や韓国語に訳そうかと二重訳案が出たが、だったら同通からすれば三倍の時間が掛かることになるではないか。しかたがなく韓国の人は英語でやってもらったのである。

 ベトナム会議では一つのエピソードがあった。われわれは人類の将来を健全に迎えるために、今現実の生活とその意識や価値観を、いかに高め浄化するかと言う、いわば大乗精神を定点にして、総ての国策を図っていかなければ成らないと言う理念作りのために来ている。一国家のためとか、過去の歴史的、現象的な事柄などを論ずるためではない。どのような歴史的経過や背景があろうとも、将来世代のために、今から何を一番大切にして行かなければならないかの、これからの実行可能な現実問題を論じることにあった。一日目が終わった。こちらの意気込みが響いたのか、純粋な科学者や教育者が近づいてきて、
「井上先生、とにかく我が国が最も間違っているのは思想です。徹底的に共産党員に管理束縛されていて、何一つ自由にできません。これでは健全な成長がありませんし、みんなその事で不満を抱いています。お願いですから、政府の批判、思想の否定をしていただけませんか!」政府や共産党批判をすれば、命に関わってくる恐ろしい世界なのだ。それは個人の目覚めを意味し、政府指導者の自覚によって改革していくのが最も自然で無理が無い。みんなで違った切り口の接得は、確かに効果があるはずである。自由を奪うと自律精神が育たず、義務よりも責任よりもいい加減適当精神で反発するような国民性を形成してしまう。人権を拘束する思想と国策は必ず退廃するのも、そうした理由からである。自由も取り違えると同じであるが。事が重大なだけに、さりげなく先生方に持ちかけた。
「それは老師の世界でしょう。われわれは鉛玉を食らいますが、老師なら大丈夫ですよ。しっかりお願いします。」
「衣が救ってくれますから、心配要りませんよ。もしものことがあっても、骨は大切に拾って奥さんに届けますから・・ がっはっはっはっ。」もしものことがあったら、化けて出てやる! と決心して、薄暗い電灯の下で、汗のため滑るボールペンと格闘すること三時間。原稿の加筆である。十二月二十七日と言えば日本はストーブの世界。ここは真夏である。三日前は零下二十度のモンゴルであったからたまらない。
 二日目に私は、鉛玉覚悟の厳しい思想批判と、国民をないがしろにしがちな、管理行政の行き過ぎを指摘して、教育の基本目的が如何に有るべきかを論じて終わった。壇から降りて席に戻る途中、「ブラボー、ブラボー」と、若い科学者からも小さな声の賞賛が続いた。終了記念昼食会の時、同席していた文部大臣クラスの人が、
「井上先生、あなたの論文を使わせていただいてもよろしいでしょうか?」
「お役にたつのでしたら、いかようにもお使いください。」
「実は、一週間後に全国の教育長が集まります。それに使いたいのです。」何と、鉄砲玉ではなく、極めて明るい発展形の申し出が打ち返されてきたではないか。確かにベトナム民族は勤勉であり、前向きに走り出そうとしている。それであればこそ、自由が大切なのだ。ベトナムは実に長い間、列国の屈辱的支配を受けつづけてきた。それをホーチミンと言う優れた民族解放指導者のおかげで、その忌まわしい歴史から脱却することができた。そのことは間違い無く健全化したと言える。けれども今日なお、個人の意思と理想が自由に発揮できない国家体制とは、いかにも馬鹿げている。個人の力が発揮できることこそ、国の命が大きいということだ。個人からすれば、それを阻害する思想の軋轢は、列国支配による統制と本質的には全く同じだということである。アメリカが大きな犠牲を払いながら、人間にとって自由がいかに大切であるかを訴えつづけた訳はここにある。これからの教育は、思想と人権と国家と安全等々、一人々々が責任を持って自立していくための精神の背景をしっかり育まねばならない。その任に堪えうる教師や理念が存在しているかどうかに運命がかかっている。
「ね、老師。何事も無かったでしょうが・・ がっはっはっ!」有ったら大変じゃないか! 何とか言いながら、同僚とは本当に隔てが無くていいものだと痛感。もし通訳が完全であったら、今頃は教育、経済、文化を中心に、ベトナムと日本は大きく開かれていったろうに。

 タイのバンコク会議もそうであった。日本軍が進駐した時に覚えた、と言う通訳にあらざる通訳。挨拶からの感触がいかにも不安を呼んだので、「金先生、通訳大丈夫ですかね?」と尋ねると、「井上先生もそう思われますか。再三通訳のことを確かめたのですが、どうもいいのが居ないと言う返事でしてね。これは大変ですよ。」という危険な出発であった。矢崎理事長の挨拶は果たせるかな全然訳されず、しらーとした開幕。しかたがないでは済まされない。
「先生のはこれでいきましょう。この通訳では全然いけませんから。」と金先生。ワシントン会議で使った原稿を、幸いなことにもっておられ、早速数十部コピーして配り、それを読んで終わった。私が読み終って、席に戻って暫くして通訳が終わった。変なことである。それでも助かったのである。幸いメインメンバーに、千葉医大で学んだ医学者が居て、それから最後までその先生が通訳されて何とか成り立ったのだが、こうした遅れた国こそ先進国のノウハウを吸収する必要があるのに、橋渡しの窓口が劣悪状態である。国力と文化とは意外なところでも正比例していたのだ。人が育たないから国力が上がらないのか、国力が無いから人が育たないのかを決めるための議論をする必要は無い。後れている国は、文化人を育てる土壌が虚弱だということでよい。

 痛快と言えば、オーストラリア会議であった。今までに一番響きが良かったところである。終了と同時に、即共同作業の提案があり、それがまた随分練られた具体的なもので、驚きと歓喜で当惑さえした。とうとう我々は、基本的活動拠点とする殆どの条件を、このオーストラリアに有ることを知ったのである。これは結果であった。
 会議二日目のこと、金先生の講演を日本人男性が通訳していた。立て続けに三回も頓挫した。正確を期すため、概念の確認を本人にしたのだ。ところが、英語圏の中からせせら笑ったものが二三人いた。終わって暫くしてレストランに来られた金先生が、
「今、少々叱ってきました。」
「え?」
「さっき通訳の方がつまった時、笑った人達が居たでしょう。」
「ええ。ちょっと不愉快でしたね。」
「私は連中に、貴方たち英語圏は英語で会議するのが当たり前だと思っているのでしょうが、それは貴方たちが優位意識をもっているからであって、そうした西洋意識の独断が偏見をもたらせ、無秩序に開発をしたからこの様な地球環境になってしまったのだ。これほどの内容を同時通訳することの難しさを貴方たちは分かっていない。今や英語圏文化が一番優れているなんて誰も思っては居ないんだ。私たちは一歩も二歩も譲って英語でしているので、何でしたら日本語で貴方たちが通訳を頼んでやってごらんなさい。それがどんな困難なことかが分かるから。とあの連中を叱ってきたところですよ。」
「そうでしたか。考えてみればそうなんですよね。大体哲学も浅いくせに、分かったげな態度でつまらない議論ばかりをして・・・。しかし痛快ですね。さすが金先生ですね。」ビールをあおりながら思わず顔を見合せて、ニタ!
「先生、昼からは少々荒っぽく行きますかね。」
「そうしましょう。私が段取り付けますから。そこで井上先生が仏教の大乗精神で皆をスパッとやって下さい。お前たち、何時までも何をつまらないことばかり喋っているのだ! ヘ理屈ばかり言うな! とね。」又々ニタ! 金先生の今のニタ!は殺気があった。無邪気な笑顔には相手の能力を知りつくしたゆとりと、彼等を教育しておかねばという数段高次に掌握した深いゆとりからであった。それからは総てこちらサイドに論点が運び、結論の成果に彼等は大変満足していた。それだけ理念も深まり精神性の重要さが理解できたということになる。彼等のその大きな精神的開けから始まった大展開に、矢崎理事長も驚いたし私も実は驚いたのである。ここオーストラリアは、イギリス的でもヨーロッパ的でもアメリカ的でもなく、又アジア的でもない。文明にそれほど毒されていない全く固有な国民性である。キリスト教による偏った倫理観・宗教観もなく甚だシンプルと言っていい。私はここで一生お付き合いをするであろう素晴らしい友人を三人も得ることになった。こんな痛快な事は滅多に無いし、限りない発展が約束されたようなオーストラリアの素晴らしさに惚れ、暖かい郷愁を覚えた。私たちはここへ帰ってくる、と言うリオと同じ気持ちになって、世界一美しいシドニー湾を見下ろす空の人となったのである。

 予測した通り我々はそれから間もなくここへ帰ってきた。新たなる友情に加え大きな使命感と夢を具体化するために。そこには我々を必要とする学者及び企業グループが待っていた。それは世界初の、精神性を基盤にした大学を建設するという夢であった。大乗理念の共有から、直接秀才の精神教育・人間教育をして、優れた人材を世に送り出そうと言う発想であった。とにかく二年後の開校には世界が目を見張るはずである。そうなるといよいよ私には、日常的に優れた通訳が必要になるのであるが・・・。

 まだ通訳の話である。ランファル卿を迎えての広島国際会議の時、法友池田真暁居士が言われるのに、「この通訳は宜しくなかった。老師の訳を間違っていました。通訳にお金を惜しんだら何にもならないことがある。」と言われたことをフツと思い出した。しかしこんな大事な事に金惜しみなどする様な、大小前後を見間違う矢崎氏ではない。だが、下馬評の内容を判定するのは何時に於いても、何事に於いても難しいことなのである。こうした事は結果が悪ければ総てが悪いことになってしまう。責任が重くのしかかってきて、関係ない無責任な者どもの格好の批判の的にさらされる訳である。ご用心々々々。

 通訳には言葉の通訳(ロジックー知性)と心の通訳(感情・気持ちー感性)と伝えるものも無い、通訳できない通訳とがある。良き友や先輩や師という存在は、結局自分の奥の心を分からせてくれる、そういう存在でありそれが本当の先輩であり通訳者であろう。確かに知識や思考方法の導入もあろうが、それらによって分からせて貰うということには変りはない。常に分かるのは自分自身なのである。しかし、本当にそのことを分からせてくれる通訳こそ、自分を知るための最も大切な存在ではないだろうか。
 私たちは平素人のことや又聞きの噂を伝達することやされることがあるが、仲立ちを含め通訳者の心の質によって立ち所に内容がゆがめられてしまう。或る場合には友情や信用を壊滅させられたりもするし、素晴らしい方に仲立ちしてもらったお陰で総てが快調に運んだということは屡々ある。仲立ちも通訳者も両者を取り持つ立場には変りは無い。だから通訳者の質が、通訳者の向こうの人の人格を左右するということになると大変な立場で、あたかも対岸へ渡る船のような大きな責任ある存在だということだ。只でさえ殺伐とした時代であるから、直接間接を問わず、せめて因縁が結ばれた人たちに対してその人の心を明るくし、信頼を深められるような豊かさを生み出すことができるような、暖かくて救いになる通訳者になりたいものである。みんなが。道元禅師曰く、(一二〇〇ー一二五二)「向かいて愛語を聞くは面を喜ばしめ心を楽しくす、向かわずして愛語を聞くは肝に命じ魂に命ず」と。


第十七 韓国会議始末録


 韓国会議といえば、三軍の長である李養鎬参謀総長の官邸に於いて、総長主宰の晩餐会に招かれ、韓国料理のフルコースを御馳走になったという特殊な厚遇を受けた会議でもあった。その李将軍は盧泰愚前大統領のブレーンであったにも拘らず、政権交代後金泳三現大統領よりたっての推挙にて再び国防の重任に拠しておられるという、信じられない信望の塊の様な人格者である。武将というイメージは全くなく、本当の学者の様な知性派で聖職者風な高い清潔感が漲っている将軍なのだ。確かに韓国は急速に民主化が進んでいることを実感した。金永澤先生の案内で清水先生と私は展望のいい高台に上ったのであるが、写真撮影は国防のためとやらで禁止となっていた。北朝鮮のゲリラがこの山を越えて来るため、軍事要塞として機密にしなければならないという理由は御尤もである。隣の狂国より狂人が度々乱入して来たのでは隣国はたまったものではない。あの狂国にも本当に困ったものである。
 かつては朝鮮半島の高い文化によって我が国の成長があった。ところが秀吉と言う乱世の英雄が侵略の気違い沙汰をしでかしたことは、例え歴史的世界的に我が国だけが行なった行為ではなかったとしても、当の国民からすれば悲しみと怒りでしかない。二回の蒙古襲来に於いては、朝鮮国民の密かなるゲリラ的非協力をして日本への侵略を阻んでくれた。だからあれだけですんだにも拘らず、そのあげくは植民地化し、名前まで日本名に変えさせてしまった。特に誇り高い彼等の国民性と固有の文化を否定し踏みにじった事は、怨みを千歳に残すことになってしまったのだ。それも極近代ではないか。彼等をして本音を言わしむれば、「憎っくき日本人め!」でなくて何であろうか。今又、日本にとっては狂国の乱入を食止めてくれている、全くもって大恩国の隣国なのである。平和な国民が上げて国の安全のために努力している厳しい現実を目の当たりにし、それによって見えない恩恵を蒙っている日本に、まだ無神経で軽薄な輩が居て、昔の怨念を新たにさせていることは慎まねばならない。異常なほど日本を敵視しようとしている一部の韓国扇動派に流される事があっては、両国の将来にとって決してプラスにならない。
 我が国の広島は核の犠牲者として決して消えない意識があり、沖縄は無残な戦場と化して廃墟になったやるせない憤りを生々しく抱いているが、それらとは質的にも歴史的にも大いに違っている。韓国の人々が日本を語る時、それは秀吉のあの怨念から始まり、慰安婦に至るまで、それこそ怨恨心頭に達したところより語るというものなのである。民族としての誇りを再三再四踏みにじられた悔しさがどんなものか、それが驚くほど深いということを日本人は決して忘れてはならない。同時に韓国も又台湾のように未来型客観的認識をして、怨念主義から早く脱却して欲しいと願うものである。台湾が今日有るのは、日本がしてくれた教育や農業政策や港湾施設の改善などであり、もし無かったら、東南アジアの国々に見る状態であったろうと総統自身が語ったと言う。極めて現実的であり建設的ある。だから健全な進歩をしているのだ。韓国もそうあって欲しいと心から願う一人である。
 李将軍も金永澤先生も知性豊で温容な人柄は勿論親日派・国際派・平和派である。現代の日本に対して万事紳士的高次認識に加え、深い友好感情を持っておられるので本当に救われた思いであった。立派な人は立派である。どうにもならない過去の過ぎたことには重きを置かず、将来への夢に誠意を捧げている姿は誰もが敬服せずにはおられない。隣国である韓国は、日本にとって極めて大切な友好国であり兄弟国である。日本人はそのことをもっと反省を込めて自覚すべきである。
 時に韓国のジャーナリスト朴泰赫氏が「醜い韓国人」という書物を書き、それを日本で出版して韓国で問題となっていた。この本全体が大変な力作で、それだけに説得力がある。自国史の惨たらしさを曝け出されて愕然とし、そのショックの模様が伺える騒動であった。李王朝の腐れ切った体質と、一部の韓民族の残忍性や怠慢性など、恥辱に耐え難い歴史的記述もあるからだ。日本礼賛的な書き方は確かに堪えたであろう。ただ、儒教を敵視した視点とか、儒教は人肉を食することを許していて韓国民も食していた、と言う件は聊か捏造に過ぎる部分で、それが気になるところか。内容だけなら良かったのだが、日本での出版と末尾の加瀬英明氏による論説が気に入らなかったらしい。とにかく反日感情を煽って、日本のしてきたことは総て悪い、と決めつけている韓国側に立つなら、そいつ等を頭の先からつま先までどついても余りあるだろう程のインパクトである。本当に日本がしてきたこと総てが悪かったか、という大きな疑問に対して答えを出している本である。だから両国民は目を背けずに、この本と「玄海灘に架けた歴史(姜在彦・朝日文庫)」は是非読んでおく必要がある。事実の深い理解が、これからの隣国間の感情清浄化と友好化には有益となるであろう。両国間には絶対信頼が益々必要なのだ。
 とにかく客観的でなく過去の怨念感情から、新聞・ラジオ・テレビ・週刊誌等で新たなる日本叩きをしていた渦中に、我々は偶然にも立っていた。そんな騒動をやらかしているとは露ほども知らぬ我々は、その真っ只中で会議を持つことになってしまったのだから不運と言うものである。
 時恰も抗日派で著名なジャーナリストや李洪九という首席副議長や国会議員も出席された会議である。国会議員はともかくこれで又へまをやらかしたら徹底的に叩いてやろうという筋の参加である。だから精神的密度は増し、各先生方は一段の精彩を加えた論点でフォーラムは展開された。とにかく真剣な会議であった。最終日の記念パーティーに於いてそのジャーナリストは、新聞紙面に於いて会議を絶賛した。有識者による正当な韓国認識を持つ日本の科学者と宗教家たちが、将来への不安とその解決策を求めて誠実漲る会議をした、という論評を新聞記事にして、こうしてくだらない騒動はひとまず決着したのである。
 帰国当日の昼食は親日派の国会議員・韓日議員連盟会長である金潤煥氏のご招待にあずかり、国会内で頂いたという大層思いで深い締めくくりであった。
 かの将軍は我が金先生の義弟君で、両家は取り分け秀才の血筋なのであろう。その一年半後、その将軍は国防大臣の重責を担われ、李洪九国会議員は首相となられ、金潤煥氏も閣僚となられた。勿体ないことに、国防大臣就任記念の立派な時計を私も賜った次第である。合掌。
 参加者の若い秀才たちは皆日本語を流暢に話してくれるので助かった。韓国々民は極めて優れた民族のようである。秀才といえば、私の講演を聞いた二三人の若者が、禅について色々質問してきたのには驚いた。禅の研究をしているというのである。驚いたというのは皆日本語をよく話し、日本語を正確に書いたからであった。是非にと言うので帰国するやすぐに例の本(坐禅はこうするのだ上下)を送ったら、達者な返事が返って来た。更に嬉しかったのは、一九九五年の夏に必ず私の元で参禅するという申込みであった。北京会議でも勿論若い禅研究者の鋭い質問に好感を覚えたが、書くことは勿論、日本語のマスターまでは遠く至っていなかった。とにかく韓国の秀才の勉強ぶりは日本の比ではなく、あらゆる面に於て近く日本を凌ぐであろう。儒教の精神が廃れつつあるとはいえ礼儀とけじめ、恩とか徳とかを大切にしている稀な民族なのである。そこから輩出した品性豊な美人通訳ときては、忘れ難いのは当たり前ではないか。
 ソウル会議より一ケ月後、一九九三年十一月十五日から十九日まで北京に赴いた。十五・十六日の「二十一世紀を目指す新しい東アジア国際会議」のためである。本当は十四日入りすることになっていたのであるが、北京上空がひどい濃霧のため伊丹空港へ引き返した。ところが韓国の機はみごと着陸したと言う。空軍のパイロット上がりが多いそうである。戦闘訓練の賜物かもしれぬが、万が一という事態を避けるとしたら、普通出来ないことは出来るだけ回避した方がいいだろう。後で聞くところによると、設備が国際水準に達していないため、計器に頼れないので一寸としたことが大事故に繋がるとのこと。こうした止むを得ざる事態は、大事故大惨事になることと比較すれば問題ではないのだ。しかし、国際会議と言う、準備段階から大変な苦労をされた裏方の立場を思うと、突如ずれることは、それはやはり忍び難いことなのである。

 一九九三年のあの韓国会議から四年が来ようとしている。その間、世界の変貌は予測を絶し、功罪相半ばしながら速度だけは間違いなく速くなり忙しくなっている。民主化されたという韓国では、閣僚であった李養鎬国防大臣を投獄した。期せずし求めずして評価されたその信望の厚さが、次期大統領候補の噂となりそれが広がったために、権力者の恐れるところとなり理由無き理由を付けて縛したと言うのである。民主化されたと言っても、現実がこれではまだまだ怖い国だと言うことになる。何が怖いのか。私念と国家権力とが結びついていることにある。それは今なお独裁的要因が濃厚に存在していることを意味し、真に民主化し脱皮していないと言う証明であろう。金先生は、「なに、大統領選挙が終わればすぐに解放されますよ。今は殺される心配がないだけ、却って良いんです。韓国とはまだそんな変なところが有るんですよ」と、私はお聞きしたままをここに書き記した。金先生のお嬢さんは当然ながら秀才である。ところが健全な判断力を持たない児童の時から、日本憎しの教育を授けられたために、日本人が訳もなく嫌いで警戒していたという。斯様な立派な両親の元で育てられてもである。今ニューヨークに留学しているが、日本人は親切で礼儀正しく信頼できる人ばかりなのに、どうしてあのような教育をするのであろうかと、自国のあり方に急所を付いた疑問を投げかけているそうである。真に民主化し、健全で建設的な将来を願うのであれば、寧ろその逆の意識を育てる方が救われるであろう。これからの教育の指針として、マスコミの宣伝や広告などに惑わされるような、非科学的な理由で意志決定をしては成らない、と教えることが大切では無かろうか。巷の無責任な噂に噂を加えて走る流言卑語は、その影で多くの正義が破壊され傷付く人が居るのである。
 常に我々は、普遍的で健全なる国家とは、或いは社会とは如何に在るべきかを、信念として明確にしていなければならない。それが主権在民の基本的意識であり意義であろう。正義とはその上に成り立っているもので、責任とか義務とはそれが機能し作用した姿に過ぎない。それがしっかりしていない正義は中心がないと言うことである。隣国に対して、一日も早い健全な民主化と同時に、南北和合協力の実現を祈って止まない。それが世界の平和と安らぎにどれ程貢献するか、思うだに心が豊かになる。本当に成って欲しいのだ。食べる物さえなくて死んでいる国民を後目に、軍備の増強と侵略に向かっている政府があるとしたら、どうみても狂気沙汰である。これからの世界に共存していくための協調性がなく、人間の尊厳が分からない輩は地球に住む資格がない、と言う意識さえ必要な時代である。そうした連中をどの様にしたら目覚めさせられるか。世界中が今躍起になって模索しているのだが・・・ 我が道場で、三十年ばかり、血反吐を吐いて命乞いをするまで朝打三千暮打八百に会えば人間に戻るかも。だが、相手は嘘を付いても、国民を見殺しにしてでも、隣国侵略の野望のためには何でもする輩ぞや、今までの彼らは。でも同じ人間なのだ。


第十八 歴史的感動と知性の躍動


 一九九四年九月三十一日より十月二日まで、「将来世代の守護者ー国際法上の位置」と言う国際会議がマルタ大学で催された。私もあわてて調べた口であるが、マルタ共和国を知らない人が多い。ところが、知らないことが当然ではないわけで、行ってみると地中海という存在は、おおよそ海に於ける歴史の中心地と言ってもよい。その地中海の中心に位置しているのが、小豆島ほどのマルタ島であり、西洋では極めて重要な軍事要塞であった。だから小さな国なのに歴史的な遺産としては大変結構な物があって、知らないことにおいて改めて東洋と西洋との隔たりを実感した。更に地球人として実感を新たにしたことがある。
 それは冷戦終結の決定的始まりとして、実は我々が持った会議室にて、当時ソビエトのゴルバチョフ書記長とアメリカのブッシュ大統領が、世紀の会談をした舞台であったからだ。ところが当日は大嵐になり、急遽海上の戦艦で行われたのであるが。そわ、何が語られたのか。ここが新しい世紀の始まりと言ってもよい。我々の知るところの事実としては、一九八九年十二月二・三日の会談によって、世界新秩序協議・戦略兵器交渉・欧州通常戦力交渉を九十年中に合意確認し、冷戦終結宣言となったことである。私はこの事を知った時、地球の歴史を動かすのは、もはや思想や軍事力ではなく、如何に義に目覚めるかである。将来世代的観点から現在を見ることが出来るかと言う理想と理念、それを具体化しようとする勇気有と決断である。国家間・思想間に於ける力の政治時代から、超国家的理念の対話時代が幕開けしようとしているのである。核配備は多くても少なくても無意味であり、武器製造などを産業として考えること自体狂っていることである。
 それから急テンポで東西の軍事的雪解けが始まり、政治的にも緊張が激減し、遂に喜ばしい結果が出た。そのニュースを聞いたのは海蔵寺であった。それから一週間が経つか経たない内に清水先生が立ち寄られた。「中距離核弾頭を廃絶することになったのだが、弾頭を処理する技術開発がなされていないので、放射能の危険と対策のために世界中の関係者が、今大慌てをしている」ということであった。「そのために広島の原爆被害調査研究所などへ、アメリカから来た科学者を案内して来たところだ」と言われた。この言が、尚耳にみずみずしく残っているところへ、世紀の会談場所に立ったのである。このような小さな国でそんな重大な会議がもたれたことにも感動した。
 マルタは絶えず列国に支配されてきた。制海権を得るためにはど真ん中のこの拠点は絶対的であったろうから。海抜は六十メートルしかなく、従って山も無く木々らしい物もない。従って動植物が豊かに宿り繁殖する条件など殆ど皆無で、その点では寂しい国である。されど、地中海のあの海。地中海のあの季候。静かでゆったりとした離れ島は人を引きつける何かがある。入り組んだ湾が幾つもあり、そこには立派なヨットが海面も見えないほどにびっしりと係留されていた。見事な要塞の壁面を、更に浮き立たせるように夕日が横から照らし上げる夕刻になると、外洋ではためいたであろう沢山のヨットたちが、美しい海に美しい航跡を引いて、音もなく湾に入ってくる様子は決して貧しさを思わせない。イギリスの植民地であった時に駐屯していた家族らは、ここに深い愛着があって季節的に訪れるという。
 我々は一九九五年九月に、「将来世代と遺伝子工学」国際会議のために、NHKの林兄も加わり再びここを訪れた。他にイギリス・アメリカ・ドイツ・イタリア等から集まったレベルの高い専門家の、その時の講演録が出版されようとしている。「禅の世界と精神要素」と言うテーマの私の講演は、多少の理解者が居たようであった。その会議の指揮を執ったイマニエル教授は神父でもあった。彼は特に美しい日本の瀬戸内海に来て、私の元で一週間ほど血の出るような坐禅をし、大きな開けを成し遂げた熱血漢である。が、あの絶景の白滝山から見た光景との対比は、些かの驚きと自然の運命の差を深く観じたことであろう。日本は本当に自然に恵まれた国なのだ。その会議終了にもたらされた晩餐会に、本物のオペラ歌手によるカルメンを間近で聴いた。その素晴らしさは今以て耳と心に再現できる。二人の女性歌手が歌い終わったとき、水を打った様に静まり返った興奮が、次の瞬間大爆発した。厨房から、鍋・フライパン・皿などが床の石畳に叩き付けられてもの凄い音が轟いた。それが又如何にも相応しい讃辞であったし、興奮が更に増幅したのだ。本物の魅力、それは決して消されるものではない、ずんと奥にぴしっと響く力があるからである。それが本物の感動なのだ。

 我々はその脚でアイスランドのレイキャビックへ飛んだ。「アイスランド未来研究センター」と共催する国際会議のためであった。地中海季候とは打って変わって、荒廃感に襲われる北欧の季候は充分冬感覚である。それもその筈、まさに五分おきに晴れと吹雪とがすり替わる珍しい歓迎を受けたからだ。でもまだ九月なのに。このように聞くと如何にも荒々しく感ずるであろうが、それがどうして。地球儀で見る限り地球の北の果てである。北極圏に近いから真冬は大変に違いない、と思いきや、大西洋の暖かい海流が当たるからマイナス五度以下には成らないと言う。夏は二十度前後となれば最も凌ぎやすい。人口三十万人も居ない小国ながら、GNPは世界第三位であり、自動車の保有率は一人当たりで行くと日本より高い。また、日本に次いでの長寿国である。主な産業は漁業。日本の加工技術指導のお陰で、最高の品質として世界に輸出されているという。大変水準の高い国であったことを知った。何より空気が旨い。その筈である、総ての家庭が暖房に電力を使わないからだ。発電も化石燃料を全く使っていないのだ。ではどのようにして。地熱と水力であるが、その発電能力の十九パーセントしか消費していないと言うのである。今は仕方がないとしても、危ない原子力に依存しているどこかの国とは大違いだ。(余談だが、ハイレベル・低レベルの放射能汚染した廃棄物は、稼働している限り出続ける。しかも半減期の長いものは数万年である。結果狭い日本中が危険なゴミ置き場となり、それにおののきながら高消費生活をし続けるのであろうか。我々が豊かに暮らすために、今日的に処理できないゴミを、後世の人たちに付け回しを平気でする人間性は何とも不気味である。国民の一人々々に絶対観が欠落している限り、勇気と果敢な決断が伴わないがために、将来にわたって日本民族が安全な道を選ぶことは不可能であろう)。吹雪いていない限り何十キロの果てまで鮮明に見える透明度である。こんな純度の高い自然が有ったことすら不思議であり有り難い思いがしたのだ。技術水準も世界に誇るレベルで、三百度以上の地熱を、質の高い真水に熱交換して熱湯にし、それを何十キロも送るのであるが、断熱加工されたその技術は、何と六十キロの間に僅か〇,七度の低下率というのだから驚く。そうしてそれを全国民に供給しているので、暖熱費が只のようなものだ。水は日本以上に良質で、ミネラルウォーターとして特にアメリカへ大量に輸出されている。どのくらい美しいかというと、シンクヴェトリルの聖地一帯は、自然公園(とても日本庭園的)として大切に保護されていて、そこを流れている静かな川が、急に狭くそして深くなっているところがある。私はとっさに、とても深いと直感して百円玉を投げ入れてみた。右に左に揺れながら落ちていく。それが何時までも続き落下が止まってしまったのかとさえ思うほどであった。それほど底がはっきり見える。これは少なくても十メートルは有ると見た。矢崎氏に聞くと「三四メートルでしょう」。普通はそう思って当たり前なのだが、案内人に聞くと、十三メートル有るというのを聞いてみんなびっくり。いや、感動。加えて、西暦九百三十年「アルシング」と呼ばれる世界最古の民主議会が開かれたシンクヴェトリルという聖なる丘がある。聖地に相応しく高らかに国旗が建てられていて、これまた感動。透明で素晴らしい水の彼方に見るその旗は、平和への努力と幸せへの願いとが、この美しい自然と共に凝縮しているように輝いて見えた。またまた感動だ。やはり人間も自然も素晴らしいではないか、と自分に再確認する。(東洋における共和制民主議会の最古は、紀元前七世紀頃からである。そのための議事堂まで有った。アルシングに先んずること千六百年以上である。インド北東部の釈迦族国家であった)。又、素晴らしい温泉が各地にあるかと思えば、吹雪の中、ストロックと言う有名な間欠泉に集まった人たちが、大地からのおどけたメッセージに、吹雪に飾られながら感動する。道路脇の何でもないレストランの庭が、只の温泉プールと来ているのだから話にならない。ここは温泉と自然に限れば全く贅沢過ぎる。レイキャビックは首都である。そのど真ん中に立派な温泉プールがあり、プールサイドには直径三四メートルの風呂が三四個並んでいて、水着の男女が入っていた。脱衣所の電光掲示板には、それらの風呂の温度が示されていて、豊かな自然の恵みを完全に国民の物にしているようであった。自然の恵みと言えば、レイキャビックから車で一、二時間、一面銀世界の高台に立つと、何と視野いっぱいに広がった壮大な滝、グトルフォスがある。幾段もの溶岩層を水煙を上げながら落ちていく様は、その水量と言いスケールと言い豪快であった。ナイヤガラのように近づけないその恨みは有るが、遠くからにしても静かな北欧の空に虹を描きながら、腸に染みわたる怒濤の声と共に落ちていく、豪壮華麗な水の怪物には文句の言いようがない。グトルフォスとは黄金の滝、と言う意味とかや。水量と全体のスケールから言うなら、黄金の滝は断然ナイヤガラの親分である。「物静かでゆったりとした大男」と表現するのは大変失礼だが、自ら自動車を運転してずっと案内をして下さったその人は、「どうですか、文句がありますか」と言いたげなほど誇らしげであった。その人は、恐れ多くも先のアイスランド首相、現中央銀行総裁のヘルマソン氏でる。国際会議も無事終了して、主要な研究所を初め地熱発電所から色々な処を案内して下さったのだ。我々にとってその明くる日の案内場所が世紀的な処で、とにか深い歴史的感動と同時に、人の世の無常と、勇気ある決断を語り尽くした処であった。

 冷戦の立て役者は何と言ってもソビエトであった。が、時代の趨勢と言うべきか、国家混乱と言うべきか。とにかくソビエトと言う国家は消滅した。それに至る主要因が国家経済破綻と聞くと、経済力があれば今なお睨み合いの冷戦が続き、さらに危険になっていたとぞっとする。ここに男のロマンか意地か、政治の限界・政治家の限界を見るのである。覇権と平和とは全く異質であるように見えて、やはり自分の価値観や論理に固執して、しかも互いが武器を持って自分の平和を唱え合う限り、覇権争いが根底を成していると言わねばならない。争いは起こっても、そこから本当の平和が生まれるはずはないではないか。権力とは合法化し正当化された絶対力である。それは他否定精神から生まれた超個を強制する力のことである。超個や没自己は自発してはじめて光となるもので、或る目的のために人へ強制すべきものではないのだ。我が国の徳川幕府が取った参勤交代は、財政困窮による闘争力削減策であった。見事に成功して、日本は世界史的にも最長期平和を達成した。が、力による秩序は必ず時節因縁によってズレを起こし、崩れる時が来る。同じ事で、ソビエトは財政的に行き詰まり、核開発競争が決定的に不可能になったが所以に、始めて本気で対話による国家の安全保障を考えるようになったまでだ。まさに本能から一歩も出ていない、荒々しい男の論理丸出しではないか。何て鈍く、歯がゆいことか。だが遅蒔きながらであっても、真剣に対話が為されることによって冷戦が終結したのだから、喜ぶべき事には違いない。その前夜の寝物語は、一般には全く知らされていない劇的な歴史があったのだ。
 ある日、突然ゴルバチョフ書記長より、時のアイスランド首相であった彼のヘルマソン氏に電話が入った。「核軍縮に関する重大な相談を、アメリカ大統領のレーガン氏と相談したいので、至急連絡をして欲しい。場所は貴国で。段取りは貴方に任せる云々でした。直ぐにアメリカ大使館へ連絡したら、大使館は本国へ連絡した。本国はそんな話は聞いていないと言うことで、アメリカ本国もここの大使館も大慌てでした云々」。こんな重大な出来事の裏話を、直接当人から聞かされるのだ。驚くな、興奮するなと言われたって無理である。だって、あれだけ世界を震撼とさせた超大国ソビエトが間もなく消滅したのだ。それに至る過程での一つの舞台となり、その手はずを整えてきた首相自らの案内で、その場所へと赴いたのだから。
 海に面した一角にぽつりと立っている白い館。まさにホワイトハウスであった。世紀の聖域として大切にされ、何本ものポールが整然と並んでいる。一切の脚色はなく、全面芝生であった。その様な会議をするほどには思えない、極こじんまりとした二階建ての四角な建物である。二階の海寄りにしつらえられた普通のテーブルに三人は座った。SDI(戦略防衛構想)では合意を見なかったものの、核軍縮の大枠で合意した。その瞬間から超大国消滅劇の筋書きが、潜在的に始まっていたと言うわけである。それもその筈、ソビエトが大陸間弾道弾に積んだ核弾頭は十発前後の複数を搭載し、それぞれの目的地に極めて精度の高い的中率で飛んでいくものを開発した。これに至るまでの開発費は国家予算をとことん危険にさらしたわけだ。これでさしものアメリカさんも甲を脱ぐであろうと計算したからやったのだ。子供でも分かることで、これほど危険にさらされたアメリカが簡単にギブアップをするわけがない。敵を知らないと言うことはこのことである。忽ち総力を挙げて開発した迎撃ミサイルを、アメリカ全土に配備し、人工衛星から核攻撃をするための技術開発を急ぐと発表した。参ると思っていたものがとんでもないことになり、核開発競争にギブアップしたのはソビエトであった。もう完全に潜在体力を消耗し切っていたのである。それ以上核開発を続けることは全く不可能な状態に至っていたのだ。こうなれば出来ない競争をすることより、平和という大義名分に最も効果的な、核開発の反義にある核軍縮に持ち込む以外には、ディスク無く安全を確保する道がないと判断したのである。それが一九八六年十月のことであった。三人のその時の写真が真後ろの壁に掛けてあり、当時のままの佇まいが、地球の歴史を見守ているようであった。ソビエトはこの年の六月に、あの「ペレストロイカ」をかかげて、ようやく個の人権を認めた政策を始めたばかりであったのだ。巨人たち三人の胸中は、その人の世界故に本人でしか分からないが、確かなことは、新しい時代を迎えざるを得なかったであろう迫られたゴルバチョフと、新しい時代が来たと開かれた思いの二人であったろう。そしてこれからの新しい世界秩序のために如何にすべきかを論じたことであろう。
 その三年後、一九八九年十一月、遂にベルリンの壁が崩壊した。「方丈さん! あのベルリンの壁が壊されていますよ!」と言う家内の声はトーンが可成り高かった。興奮したときの様子である。私は巻紙で手紙を書いていた時だった。筆を握った手に涙が落ち、嗚咽にさえ成りそうであった。心地よい秋空が胸の奥の奥まで広がり、世界は着実にある方向へ動きだしたことを実感し、涙して感動した。(その年十一月三日「京都フォーラム」発足)。その十二月、マルタに於いてブッシュ・アメリカ大統領とゴルバチョフ書記長との首脳会議によって、事実上の冷戦終結となったのである。何と目出度いことか。外部的には思想対立から解放され、内部的には共産主義による階級闘争を退けたのだ。ソビエト国民の人間性復権に対して、私は言いようもなく安堵した。世界がどれ程はらはらしたことか。これで殺し合いにしか必要のない、馬鹿げた大量殺戮兵器開発競争もひとまず収束したことになる。しかしこれで安心したわけではない。武器製造の全面禁止から、武力解放へと向上し、その結果を出さなければならないからだ。けだし、国家の武器全面撤廃は危険である。何となれば、戦乱を好しとする悪魔が必ず現れて、それにつけ込む悪魔の商人が必ず居るからである。技術が進んだこんにち、色々な武器を密かに何処で製造するか分かったものではないから。これからは国家間・民族間・思想間・経済間の対立ではなく、こうした悪魔との対策に世界を上げて協力しなければならない、世界は一つ、未来は同じ地球の上だから。
 その翌年、一九九十年三月、ソ連も西洋に因んで大統領制を導入。ゴルバチョフ氏は初代大統領に就任した。国内の大変動をリードし掌握するに、その容易ならざることは想像を絶っする。しかし大変動の根元が如何せん経済の破綻とは。それも意味のない軍事費によって。その又根元が共産思想への拘りから。何という馬鹿げたことを。超大国といえども人間のすることであるから、ざっとこんな事なのかも知れない。そのために何百万人が粛正されたか知れぬ事を思うと、悲しみよりも、その愚かで、独善的で、危険な政治家共に許せない憤りを感じている人は多かろう。それによってベトナム戦争も起こってしまったのだ。勝たなければ意味がないと言う戦争使命感の行き着くところは、どんなことをしても勝たねば成らないと言う発想になり、人間性よりも闘争本能による固執と意地が最優先する。もはやその心理の根源は動物的使命感である。そして枯れ葉剤の大量散布となった。つまり、勝か負けるか、殺るか殺られるかと言う原始的闘争本能で思考していると言うことなのだ。戦争という局面の政治判断というものが、根底は如何に質が悪いかと言うことである。これが極限に於ける政治家の、甚だお粗末な結論となる精神構造上の欠陥である。被爆後遺症同様に、枯れ葉剤による毒性は染色体を破壊してしまい、今なお奇形児の出産が多発し続けているのだ。我々はサイゴン病院に於いて、取り返しの付かないぞっとするその現実を看た。玄関正面にずらりと陳列されているホルマリン漬けの奇形児は、脳が無いもの、目や腕や足がないもの、二児結合体や手が何本もあったり、その異常形態は知らされているものより遙かに悲惨なものであった。染色体破損が持たらせる異常胎は凄まじいものである。戦争さえなければ健康で大地を跳びまわっている子等なのに。私の小さな良心が辛く叫び続けて、この貧乏修行者の私は金子の殆どを置いてきた。が、こんな事で何の解決になると言うのだ。
 又豊かなアメリカが、経済的社会的に急に荒廃し始めたのはこの時からである。そのうえ核開発競争をもっと進めていたとしたら、さしものアメリカさえも、それは大変なことになっていった筈だ。超大国アメリカの不安定さは、そのまま世界が安定を失い、その揺らぎは極めて危険な状況となる。そうなれば日本だけが無関係でおれる筈がない。だからゴルバチョフ大統領の出現は極めて重大な意義があったのだ。ソビエトがもっと速く、思想に拘っている愚かしさに目覚めていれば、国家の状態は元より、平和への視点がはるかに質の高いものになっていたであろうし、総ての局面が今よりずっと健全であっただけに修復がどんなにか簡単だったのだ。どうするのか分からないが、あの原潜に投じた財政と、今後の処理に費やさざるを得ない莫大な経費を思うと、その初期判断の過ちはまさに国家が滅亡するに値することを知るべきである。今尚、核開発や武力競争で安全保障を求め続けている国家は、やがてこれに準じた局面に立たされる。何となれば、それ自体はただ危険なだけで何らの生産性のない、いや大変な経済消費を続けるだけの代物だからだ。同時に隣国が否応なしに危機感を持ち、より強力な武力を備え、互いに敵視と恐怖感をそそり合う悪循環の危険な存在となる。核兵器を持った時、その事で世界から狙われ、自らが滅亡の危機に立った時だと言うことを自覚すべきなのだ。連鎖的武力競争の行き着くところは、ソビエトや北朝鮮に観るとおり、国家自体が潜在体力を完全に消耗し尽くし、国民が飢え死にすることしか残らない破局状況が待っているということだ。だから国民は、政治家の選択と監視を軽々にしては成らない、と言う教訓を肝に命じなければならない。我々自身が知らぬ間に、とんでもない運命に追い込まれてしまうからである。とにかく平和と自由がどれ程大切で、価値が高いかを自覚することである。そして、そのための努力と協力は、一口に義務と責任であるが、そのことを決して惜しんでは成らない。今の日本は平和症候群に罹って二三十年、そこから派生した病巣は随にまで達してきた。まだまだ沈みはしない、と一様に言う。確かに今日明日のことではない。だが、決して健全方向ではないので、時間を掛けて進む先は、混沌でしかないと言うことである。
 とにかく思想であれ宗教であれ科学であれ豊かさであれ愛情であれ、固執した時から不気味な事が起こる。人間のエゴによって、自然の因果が変形したときから恐ろしいことが始まる。何故そのことが分からないのだろうか。二十一世紀前半が人類史の決定的ターニングポイントである。とすれば、それはまさしく一人々々の精神改革であり、エゴの超越を最大課題とした教育を目指す以外にはないと言うことなのである。とわ申せその指導者が大問題なのである。それをどのようにして育てるのか。速く、而も大勢を。誰が育てる? 誰もが出来る世界ではないのだ。

 その一年後、一九九一年十二月二十一日、あの超大国ソ連邦があっさり消滅した。因果を侮った報いは是の如し。世界は驚きと安堵との彼方に平和を見たであろう。人類の歴史はいよいよ急変貌の時代を迎えることになったのである。滅亡を急ぐのか、滅亡から回帰しようとして急ぐのか・・・? それは我々地球市民が決める事柄かも・・・。断を下した男として、ゴルバチョフ氏の切実なる胸中は察するに余りある。とにかく江戸城引き渡しより厳しい内的問題に堪えた彼は、男とし人間として立派であった。馬鹿げた拘りのソ連が生んだ、極めて健全な思想感覚の政治家として評することができる人物であった。彼のお陰で世界家族として、一つの地球市民として更に開けと収斂への道が早まったのである。彼の元大統領は今どうされているのであろうか。自己との戦いが終わっていれば、今安らかな人生をむかえている筈であるが・・・。私もそっと縁の椅子に腰を下ろし、「ご苦労様でした」と密かに呟き、そして深く合掌した。矢崎理事長も金先生も、この歴史的な椅子に深い思いを込めて座り、それぞれ写真を撮った。ロシアの安定健全化が世界の安定にどれ程貢献することか。本当に頼りになる国になって欲しいと心から祈っていた。

 滅多に語れない話として。ここの民は嘗てバイキングであり、その本拠地であった性か、男女共に屈強そう(でかい)である。私など肩ほどもない。食欲も驚くべき量で、私の四五倍というところか。そんな昼食を済ませて或る研究所へ着いた。三時にはほど遠いというのに、用意されたケーキを大皿一杯にして食べ尽くす。何処までも豪快である。さてトイレともなると、金先生と先を争うことになるのだ。大便用に入らなければ、或るものが届かないからである。子供はどうしているのだろうかと心配する。たまたましてやられた時、背伸びをし思い切り或るものを引き上げての苦労をしている写真をまんまと撮られてしまった。それもまた風流か、無風流な記念であった。国民性としては大変謙虚で丁寧、静かで穏和、しかも忍耐強く真面目なところは嘗ての日本人以上であろうか。女性論と言うほどではないが、美人揃いである。リオ美人の如く顔いっぱいに口を開けて笑うと言った快活さはない。それだけに余裕があり総て品性が高い。何故に皆美人なのか。簡単ではないか。美人と見れば略奪してきて、美人でなければ他処へおいてくる。それは無いか。ではどうして? 分からぬ。分からぬが、双方幸せで有ればそれで良いことだ。ヘルマソン元首相の語ったところに寄ると、アイスランドには犯罪が殆ど無いために、警察は取り締まの用がなかったそうである。従って拳銃を所持していないしする必要がなかったそうだ。その会議を警護するために急遽武器を持つよう法の改正をして、五百人の警備体制を執ったとのことであった。ところが次第に国際化するにつれて、現在では悲しい哉、自動車にさえ鍵を掛けねばならなくなりつつあると嘆かれる。秘境とも言うべき自然と安全、そして質の高い国家は本当に敬意に値する。これから地球規模・絶対将来といった、深く遠大なテーマを論じ研究するとしたら、この国は必要条件が殆どそろっている点に於いても重要な拠点の一つであろう。とにかく誠実な国民性・人柄は世界一であると確信している。どこの国にも、とてもいい人が居ればとても悪い人も居る。それは漠とした率の問題である。とにかくアイスランドは国民全体の自律性が高い。それ自体が国家の質を大きく左右することなのである。国民が誠実なだけ国家を信頼し大切にしているということであり、国民によって信頼できる国家を形成していると言うことなのである。

 NHKの林プロデューサーは一足先に帰国し、曇よりとして朝か昼か夕方か分からぬ暗い午後、我々は多くの感動を胸に秘めて空の人となった。ボストンでの「科学教育と将来世代」をタイトルにした国際会議のためであった。前回はMIT(マサチューセッツ工科大学)であったが、この度はハーバード大学の、しかも最も美しいキャンパスにある「アメリカン アカデミー オブ アーツ アンド サイエンス」と言う一口に「アメリカン科学アカデミー」と言われている館。学問を語る場としてアメリカで最も権威有る処と知らされたが、成る程食事以外は関係者も勿論総てが格調高い。しっとりとした重厚な建物であった。これぞ知性の本場、と言った感じである。空全体一転して明るく、秋の最も美しく心地よい季節であるから堪らない。大木が空いっぱいに広がり、適当にある木漏れ日の大地ではリスが軽やかに踊り、野鳥が芝生や木々の下を徘徊している。静かな静かな自然公園である。木の下に佇んでいるだけでも、中で坐っているだけでも、外を眺めているだけでも、知性感性が共に研ぎ澄まされテンションが上がっていく筈である。環境の持つ力として、この自然の浄化作用は実に大きいことを実感するだろう。ボストンはハーバード・MIT・タフツその他の有名大学がひしめき合っている、いわば学園都市なのである。ここの図書館は百万冊以上の蔵書があり世界一として有名なのだが、それを遂に見ることが出来なかったのは残念であった。しかし、早朝金先生と共に広大なキャンパス内を散策する楽しさは格別であった。国の発展、人類の発展は文化無くしては有り得ない。アメリカが一世紀にわたって謳歌し、文明や技術を斯くも押し上げることが出来たのは、優れた文化人がここに集まり、お互いを刺激しあい、そしてここから新しい文化人を多数排出したからではないだろうか。そんな事柄を話しながら広い館の庭に入り、古めかしくも価値の高い建物を眺めていた。その時、金先生がアメリカを代表する詩人ロングフェローの居られた邸宅を発見され、歓喜の声を上げられた。朝が早いために誰も居なかったが、透明ガラスの窓からは展示してある数々の記念品なるものを見ることが出来た。そしてその偉大な詩人のことを色々語ってくれた。アメリカン・ドリームを形成するために必要な、勇気と夢と努力心を喚起した人物である。近くに彼を讃える立派な記念碑があり、それを囲む小振りの公園が、その人となりを物語っていた。古都ボストンは、日本の京都と比べるべくもないが、若い国家アメリカ及び世界の近代史に於いて、この古都の意味は自ずから深いものがある。アメリカ形成史に於いて最も重大な存在であり、アメリカ近代文明発祥の地なのである。
  
 禅僧ながら私にとって、この会議ぐらい知性が燃えたことはなかった。久しぶりに満足感と言うか、知性の奴目が躍動するのを覚えた。議事進行方法も定めず、人間の本質的な究明に全員が焦点を合わせて知力を重ねていく。次第に新たな気付きや発見があり、正しく文化の融合による新しい文化形成、文化生産の場であった。勿論人間の本質的究明には限界があり、その点に於いては異質学際間による本質的な違いであり仕方がないことである。それよりも多彩を極めた学際の、しかも頂点を極められた科学者が、それぞれの専門的立場の視点から、立体的に人間を掘り下げた成果は甚大であった。その学際とは、生物学・政治学・天文学・天文物理学・科学教育学・NASA・未来学・科学博物館館長・大統領科学顧問・化学・哲学・素粒子物理学・数理科学・ヒューマニスト化学・環境学・地質学・政治哲学・神学・ハイテクノロジー教師・禅等である。国別ではスイス・フランス・イスラエル・ハンガリー・ロンドン・イタリア・日本・オックスフォード大学・ハーバード大学・タフツ大学・カルフォルニア・ニューヨーク・ボストン・ワシントン・イリノイ・テキサス・アイオワ・ニューハンプシャーシー・アリゾナ・マサチューセッツ各州からであった。
 精神面に於ける禅の人間解明は、西洋科学の認識法や分析法からすれば可成りの違いがある。それだけインパクトがあったようだ。この度のねらいには、重大な将来的課題があった。自然が如何に大切かということは分かりきった上で、斯くも進歩した文明を無視することが出来ない以上、現状維持だけでもしなければならない現実問題がある。持続可能な技術革新を迫られた人類の運命的課題である。ところが世界的傾向として科学への関心が低下し続けている。それは概ね科学技術が自然を破壊する元凶だとして、警戒し否定するものが増えていることを意味する。それでは忽ち大混乱をきたすので、科学に関心を抱かせ、科学者・技術者をどのようにして育成するか。その事の教育的対策である。そこで精神が構築されていくメカニズムの問題となり、知性と教育との関係性に対する認識法が問題となった。
 一つの例であるが、小学二三年生にである。同じ分量の水を、細長い器と丸い器に入れて、どちらが多いかと訪ねると、長い方が多いと言う。ここからが問題なのだ。西洋流では知性というものは注入し教え導くことによって成長する、と捉えている。だから器には関係なく同量なのだと理解をさせるためには教育技術が必要であり、そうして育てることが教育だと言うのである。今は我が国に於いても殆どこれ式であろう。そこで「あいや、しばらく・・・」となる訳である。東洋の本来の人間把握は、人間だけとか知性だけを抽出して捉えないで、本来持っているものであり内在しているものとし、その子供の資質とその全体との環境によって発露するものだ認識している。長い方が多いと認識している時は、まだ視感覚的に、いわば距離の広がりで多い少ないを計量している時期なのである。いわば体積という概念が形成されていないからであり、立体的純粋知性に達していないと言うことである。もっと根源的に言えば、概念を形成するための精神要素が現れていない時期なのである。鳥で言えば、羽ばたくことはできても舞い上がるまでに羽が成長していないということである。だから教えなければ、と考える馬鹿な教育者や教育学者が大勢いるから、沢山の落ちこぼれと登校拒否を生み出すのだ。これが精神の健全性を阻害し、円満な成長を妨げる危険な発想なのである。
 何となれば、感覚刺激からの情報に対して、微妙な違いやずれを瞬間に識別認識して、外界認知力の精度を高める、知覚の繊細さが育っていく大切な時期なのである。つまり、体の機能は、外界と直接的密接な関係にあってこそ、機敏且つ健康的に発達するのである。刺激と反応の中で、興味や感動から不思議さへ、そして素朴な疑問などが知性の多彩な因子を育くむのである。精神要素が刺激し関係しあって、急激に概念が成長する時期だということである。この時期にはこの時期にしか発達しない大切な要素がある。特に体という感覚器官と精神性との混沌一体の時というものは、人生の中でのほんの一時しかない。
 間もなく知覚情報に多くの別の概念がプラスされ、複雑な思考作用が始まる。即ち縦・横・奥行きという概念が形成され、自然界の存在に対して色・形・大小・遠近という思考以前の光学的認知から、体積・量の数量的因果関係的に把握されていくようになるのである。これが健全な知性の成長であって、言葉を理解させた知識の詰め込みと異なる様子である。平面的現象的認識から三次元的立体的認識へと成長したことを意味している。とにかく元の要素があって始めて体積とか量という概念が確立することを知らなければならない。平面的動物的知覚認識の時期には、それによって知性や感性を刺激し、経験的に情報を吸収している時であるから、過度の抽象的な観念操作を、外圧で強いては成らないと言うことなのだ。この時期に無理やり思考判断ばかりを刺激して、他との関連性を破壊してしまったら取り返しがつかなくなってしまう。このことは自然の成長を妨げるばかりか、経験実証によって刺激され育まれる多くの他の要素との関係が破壊される。ここのところが恐ろしいのだ。精神の健全な成長とは、布に於ける縦糸と横糸との如く自然で安定した全体関係が必要なのである。(ここらを全く無視した今の教育の有り方に驚くばかりだ。していると言うであろうが、目茶目茶になっていく子供らが結果である。あれでしているというのであれば、いよいよおかしいのだ。)自然であれば、子供にとって道具や機械ほど興味深いものはない。そこえ理想とか高い価値観がくっつけば自然に適量に人材は育つものである。まま、この様な発言をした。

   初恋の意義

 これからは分からぬが、西洋と東洋とでは、人間理解というか本質的な把握の違いがこのように顕著であり、そのために育てる定点が基本的に異なっている。
 もう少し進めるならば、自然の中で自然の速度で成長していると、感覚による刺激と知性と情操と行動と、即ち心と体とが極めて密着し一体で育つ。やがてそれぞれが分化し確立していく。双方向で互いが関係補足し合って、急に人間動物から霊性的人間になる。それがこの時の成長である。自尊心や正義感が最も純粋に形成する時でもある。同時に男児となり女子となって、異性意識が台頭し自意識が過剰になる。十才前後の体の成長と精神構造の成長からして、よくある初恋の依って起こる様子がこれである。知性が知性を刺激し、感情が次の感情を誘発し、知性と感情とが複雑に関係し始めて、心の奥行きと広がりが急に起こる。それは次々と新たなる概念を構成し、また、メルヘンの世界、霊性の世界へと扉が開かれていくのである。メロディや色彩に感動し、あこがれとか希望とかの空想・想像世界、いはば心に秘密を持ち始めるのだ。その地場が整ってきたということであ。本格的に抽象的思考が可能になるのもここが境である。急にそのようになるのは何故か? 体の成長と精神発達とは、ホルモンを形成する生理的成長に共ってあるということである。健全な成長発達をするなら、先ず体の中から成人へ向かっていく。初恋は児童から男子女子となるホルモンの供給が始まったことを意味し、生殖機能が整い始めたと言う信号でもある。精神的には、もやもやっとした恋心の前兆として、感情が不安定になる。そのことは感情領域が急激に膨張し、知性を超えてしまうからだ。急に怒りっぽくなり腹を立て、息ができないほど笑ったり、テレビの漫画を見て感情移入によって悲しみ泣きじゃくると言う現象は、思いがけない感情に加え、生命力であるエネルギーが直接関わるからである。自分ではどうすることもできない状態、即ち衝動的になるのはそのためである。総て年相応のホルモンによるもので、感性の因子が表に現れて、人の気持ちや大人の心を鋭く感じ取ってしまうのも、知性ではなくこの感性である。感性が先に心の領域を拡大していくのだ。豊かで美しい感性は豊かで美しい概念を形成して、知性もまた美しく豊かに成長する。
 そのためには自然な速度でなければならない。でなければバランスがとれた健全な発達ができないからだ。何故なら、ズレを起こすと体の働きと感情と知性との関係が崩れて、精神の全体統一性を失い、すぐに乱れてしまう人間になってしまう。すると快活性が無く感動するというその繋ぎの役をする要素が育たず、次への興味に発展する自発性が無いと言う簡単なメカニズムである。無感覚・無感動・無関心状態はここから始まるのだ。つまり躍動させ感動させ行動化させるためのホルモンが分泌しなくなった結果である。既に体が自然ではなくなった証拠である。精神だけが自然である筈がないではないか。体全体が自然であり、それらが或る時期に当然として働き出し作用する。総て自然の力である。大脳の発達も、全体の整理現象との関わりに於いて成り立っているのである。だから自然な速度でなくてはならない理由があるのだ。初恋一つにしても、その状況が如何に精神的肉体的に大きな影響を与えているかを理解しなければならない。
 精神性は自然の流れの中で、文化に接することにおいて発露するものである。心は自然のものであり、言語を含めた環境と共に育つものである。人間が教育と称して過度に注ぎ込む情報と異常なまでの観念操作は、その元の自然なメカニズムを破壊するということである。記憶量ふやすために、あるいわ思考作用だけを過度に刺激し続けると、精神の成長バランスが崩れてしまい、心身が発刺と作用しなくなってしまう。その結果、不安定さが自己を乱し、他との健全な関係を保つことが出来ず、理屈は言うが行動が伴わない人間になってしまう。いわば自律心が育たず、自己コントロールが極度に出来ない怪物になると言うことである。日本では、この手の怪物がところてん式に育てられていて、どこで、どのような凶悪事件が起こるか分からない状態にまで達している。教育を論ずる前に、少なくても人間を本質的に究明していなければならない根本的な理由がここにあるのだ。これから地上に現れる子供達に、両親環境教師ともに恵まれたところへ出るしかないことを祈る。

 最後の晩餐は大いに盛り上がった。テーブルスピーチはノーベル賞受賞科学者の先生であったが、お名前すら記憶していないほど頂いたアルコールのために、貴重なその内容に関しては物の見事に忘却の彼方である。そんな私のために、あの名通訳フランセス・シーズさんと、カナダからわざわざ来ていただいたエーデルマンさんのお二人がずっと通訳をして下さったというのに・・・ さわさりながら、とても満足をした会議の連続であったことは幸せであった。

 今回はそれで目出度しであったが、前回マサチューセッツ工科大学での会議に際し、その大学の或る科学者が図らずも漏らした言葉は、変革する時代の象徴とも聞こえた。流動的ながら世界が平和への決義に同意したため、国防省からの研究費が下りなくなって財政的に困窮している、と言う訴えであった。純粋げに見える学問の場も、国家の安全保障に関する事柄とは言え、ある種の紐となって研究所を拡大してしまうと、ご用の筋が終われば途端に維持することさえ困難になってしまう。学者が資金繰りのために学問を売るようにさえ成っていることは、空しく侘びしい限りであった。このような場合は迷わず、健全な理念に基づいて成功した矢崎会長のような一流企業家に相談し指示を仰ぐことである。経営学とか経済学と言った理論系での学問が如何にしっかりしていたとしても、実地となるとまるで役に立たないのは、現象自体が時間と共に有機的な絡みのために、常に変動していて、そこえ一人々々の思惑が介在した、いわば発展的な関係が生きているうちに手を打たなければ死んでしまう、最も短命な生物現象であるからだ。その現象化していない見えない多くの条件は、机上理論の世界からは到底見て取れるものではない。だから経営と学問とは世界が全く異なっているので、そのバランスを執るためにどちらを優先するかでその大学の質的内容が決まってくる。学問の尊厳性を重んじすぎると経営が難しくなり、その逆は質の低下をもたらす。ここに手腕と理念とを兼ね備えたリーダーが必要なのである。前回の会議中、国家の安全保障と学問との関わりに於いて、国家も研究所も苦悶しているアメリカの姿が去来していた。彼の大学はその後どうなったのであろうか?

 明ければ空の人。無事帰国、はいいけれど、我々は三日後にはシドニーへ向かう空の人であった。地球を一回りして南下しながら思った。やはり人間が問題であり教育が問題だが、人間の究明が知性の範囲において行われる限り、本質的解明は永遠の課題となってしまう。人間は知性が総てではないし絶対ではないからだ。それではどうしても人類は滅んでしまう。私の案とする学部を設けるような、理解と勇気がある国家や大学が早く出現して欲しいものである。どうしても本当の禅と学際が今協力する必要があるのだ。つまり実践とロジック、知性の練りと知性の超越である。知力と人間性であり、科学と心である。いままでは知性の部分ばかりであったから、経済性や利便性ばかりに向かってしまったのだ。自己を知り、自己を超越した力が真実の叡知となる。だがこれを得るのに学問では絶対に無理である。そこで禅が必要なのだ。その力で知力を尽くし理論武装するのである。これしか真のリーダーを育てる方法はないし、人類を救い地球を守ることができる教育の道はない。としばしそんな思いに耽っていた。
 着陸すれば、志を同じくする掛け替えのない友人たちが待っていると思うと、又新たな力と感動を覚えるのだ。
  

第十九 人類の永続と繁栄を祈って


 世界の各国で開かれた純粋な学術会議に出席して思うことは、願いは皆同じではあるが、多くの学者は自分の専門分野の研究に総てが掛けられていて、全体の運命的危機的状況などについては余り意を向けて居らず、議論しても議論のための議論になって、それが人類に何なのよ、と言いたくなることがしばしばあった。それがどうのこうのと言うのではない。ただ、局所的視点の追求は、学問的には意義が高いにしても、それらが全体に関わっている実体だけでも知って居る必要があるのではないかと思う。特に生産技術・開発技術などに通じる学問に携わる科学者は、全地球的に、全歴史的に深く責任を感じ反省と教訓を全面に出していかなければならない時代ではないかと痛感する。何となれば、今日の文明国が消費し、環境と資源とエネルギーの悪化窮乏を促進せしめているのは、高消費社会を象徴する道具であるからだ。道具は技術開発・生産技術によって企業が作り、企業が大量販売を仕掛けるわけではあるが、そう成っていく怖い扉を自分たちが開いているという自覚が欲しいのである。科学・技術の発達は、今世紀に入って特に目覚しい進歩を遂げた。それは確かに人類の叡知が輝いた姿ではある。それだけで我々人類は叡知と称し、真に公平にかつ持続的な平和と安全と幸せを勝ち取ったであろうか。否、科学が万能とはとても言えない。寧ろ科学が独善的独裁的となり、そこから精神面人格面がなし崩しに軽視される社会を構成してしまった。その罪は人類にとって計り知れないものだ。我々人類の真の願いは、殺戮や欺瞞の無い、本当の平和の世にし、心豊に自然体で生活することではあるまいか。勿論、科学者が武器製造のための学問を研究したと言っているのでは決してない。人間に野心や獰猛性が直ぐ裏に存在している限り、それらが必ず自己実現要求の標的になることを恐れながらやって欲しいのだ。
 学問とか科学・技術と言えば実に聞こえは良い。が、技術の行き着く処は、次第に人間の精神構造が変質して、人間性がなくなると言うことなのだ。そのような結果となる究極的知性の追求に、果たして絶対価値があるのであろうか。とにかく人間は生き物であり自然の存在である。科学・技術が進歩する度に、真実と称する世界が明らかになると言う。しかし、それだけ情操というか感性の分野というか、霊性が宿る精神的基盤を削ぎ落としている事も知らなければならない。
 どう言うことかというと、一九六九年七月八日、アポロ十一号によって人類が始めて月面着陸をした。それは紛れもなく科学と技術の成果であり、知性の極まるところであった。が、あの美しい月の世界が荒涼とした砂漠であった事を究明した科学・技術が、人類にどれ程の夢と希望をもたらせたか。寧ろもたらせたものは、知性的にその物体の事実としての姿を知らしめたことに対して、美しい月を愛でて心をほっとさせ豊かにさせる感性とのギャップであった。月面着陸と言う科学・技術の偉業は、同時に知性と感性との遊離現象を起こす決定的動機となり、大宇宙の神秘と不可思議と言う、人間唯一の共通なるメルヘンの絶対存在を破壊することになったと言うことである。つまり人間と科学との精神史に於ける新たなる相克関係の始まりであり、魂の世界を荒廃せしめる知性の行き過ぎが、科学と技術によって正当化された歴史的瞬間でもある。こうして次々と知性が興味に従って開かれていく科学・技術の向こうにあるものは何か。確かに病気の根元を解明して治療を可能にする絶大なる恩恵も数多くある。だが人間の基盤である魂に潤いをもたらせ浄化していく情操・感性が、じわじわと無力化して、知らず知らずの内に、一人々々の心が月の砂漠ならぬ心の砂漠化を促進しているのだ。とにかく天文学的な莫大な経費を掛けて追求している、この手の科学・技術のもたらす成果は、確かに知的興味としてはわくわくする事柄であり夢ではある。しかし地球と人類の存亡を問われている今日、人類的課題としては有っても無くてもさしつかえるような絶対的意義はない。人類の将来にとって、今何を最大課題としなければならないかと言う選択と決定に当たって、科学者は深い洞察が必要なのではないか。その原点となるものが人間的命題と倫理観なのである。いかなる学際においても立場においても、自分が人間であって、その一箇の人間が、人類全体の運命を左右する事柄に深く関わっている事の重大性を知ることから始まるのだ。人間は運命と自然と生滅との関係性的存在に過ぎない。しかし、存在としてはそうであっても、科学技術や権力やお金が絡んでくると、事態は個を超えて全体的関係となる。因縁は一蓮托生と言うことだ。言うまでも無く必要以上の、過度と言うべき知性の展開は、寧ろ悪魔の世界をより大きく作り出す危険がある。何でもそうであるが、必要以上なものは結局「無きに如かず」なのだと言う事を自覚して貰いたいと思う。上位存在である人間の尊厳が、よりもっと探求された科学・技術であるべきなのだ。最早、知的興味や功名心からの単純科学者や単純技術屋は、その上位存在としての先輩や先生の、宗教的人間的な心に従わなければ、人類にとって危険な存在となる可能性が極めて高い。

 又、経済学者は経済システムや経済動向の経緯とかその因果関係とか計量計算、その歴史などに留らず、これからの地球市民に、これからの将来世代にとって、どのような経済構造が必要とされ理想とされるか。安心な人生を送ることが出来る社会作りのための経済と、それを持続させるための意識教育をどのようにすればよいか。現在の経済活動がこのままいくと地球全体、人間の関係はどうなるのか。自由経済社会は人間の徳性にどのような影響を及ぼすのか。経済に対する個人の意識はいかにあるのが健全なのか。こうした人間重視の学問であるならば、どうしても人間そのものの意識構造にまで立ち入らなければ生きた科学には成らない。学者のための科学や学問の主流時代ではない。たとえ純粋学問であっても、まず人間的命題と倫理観をきちんと確立してから携わることが本来の学者と言うべきであろう。

 健康と医療に関しても、我々の環境は既に人工化されており、毎日の食卓には一種類としては微量であっても、かなりの科学薬品を口にしている。あらゆるものを浄化してくれる自然から離れ、こうした科学物質を取り続けたなら、将来世代には健全な遺伝子も健全な染色体も覚束なくなるのではないだろうか。不幸な人類、末期的症状を迎える時が来ても不思議ではない。本当の健康とはどのような状態を言うのであろうか。風邪とかの現象がそのまま病気として、色々な多くの薬を無神経に投与したり、高度な技術と費用をもってすれば、人の臓器で命が買えると言った風潮が蔓延して、果たしてそれが長い人類史的に見た時、本当に人間を幸せにする本当の医療なのだろうか。人間の命には限りがあり、生まれたら死ぬことになっている。また、この生身は何時、何処で、何事に遭遇するか解らない因縁無量の関係性で生きているだけである。長生きだけが本当の幸せなのか。皆百才まで生き長らえたとしたら、地球上は一体どうなるのだろうか。そう成ろうとして莫大な代償を払って研究努力をしているが、それによって将来確かな夢の世界があるのであろうか。全地球的に、全人類的に見て、明らかに全体的不幸への道なら、その価値は絶対視すべきどころか、早速回避すべきものである。道元禅師曰く、「いたずらに百歳生けらむは怨むべき日月なり、悲しむべき形骸なり」と言われ、また「たとえ百歳の日月を声色の奴び(女へんに卑)と遅走すとも、其の中一日の行持を行取るせば一生の百歳を行取するのみにあらず、百歳の他生をも度取すべきなり。この一日の身命は尊ぶべき身命なり。貴ぶべき形骸なり」とある。豈、命を長短のみで片付けて好いものであろうか。
 人間は本来の母体は動物であり、自然のあらゆる命と直接関わって生きてきた。生まれて成長していく長い過程に於いて、自然界の動植物から水や氷や雪や、月や星や風や、海から山から岩から、晴天も嵐も雨も吹雪も、極寒も極暑も、とにかく四季の全体を通じて全身で関わり合って、体の全細胞に潜在している生き物としての機能を、健全に刺激し引き出してきた。所謂鍛えてきたのだ。その時は、目の悪い少年も肥満体の少年もノイローゼの少年も自殺をする少年も、陰湿ないじめをする少年も極めて少なかった。自然が健全に育ててくれたからである。ところが今は違う。不健全故の対処に回る時代となってしまっている。それも又不健全なのだ。例えば、今日の肥満に対する視点一つを取り上げてみても、甚だ御粗末に見える。大抵の先生たちはカロリーの摂取量と消費の範囲でしか見ていない。この事は、人間を物質的ロボット的観点でしか見ていないと言うことが解る。これこそ西洋の分析的部分的計量数値的認識法であり、もはやその毒性の付け回しに翻弄している世代であるのに。
 本来で成長した体と言うものは、自分の適性度をしっかり確立しているものだ。従ってどんなに沢山食べても、適性以上には吸収することなく総て排泄してしまう。人間ばかりではなく、動物は吸収機能と排泄機能とがあり、そのバランスがしっかりとれた状態に育てなければ本来の成長ではない。食べたらすぐ太ると言うのは、排泄系がサボって不全だからである。幸せの一つに、人間は食べたい時に、食べたい物を、食べたいだけ食べて、そして常に変らぬ健康こそハッピーなのだ。これが本当の健康体と言うべきものだ。カロリー数値でしか肥満の実体が見えないようでは、自然の健康体は如何にあるべきかなど、到底解ろう筈が無い。
 肥満の人を良く見ると、足首が抜けていて、ぺたぺたした歩き方である。更に見ると、重心が左右に移動した動きであり、外股である。骨盤が開きすぎているのが排泄系の鋭敏さを鈍らせ、最適ラインが不鮮明になった結果であろう。すらりとした人の歩行形態は足首が締まっており、足首の屈伸が良く利いていて、重心が上下に運動しているのだ。ここらから推論してみると、排泄系はどうやら上下運動系を司どっている部分にあるのではないか。特に股間節と膝と足首であろう。骨盤が開きすぎると、左右の運動には適するが、上下は難しくなると言う極めて自然な形態生理学的理由と言うことが解る。では肥満を解消するにはどうするか? 排泄系を健全にすることが決め手である。骨盤の開きすぎを締め、足首をよく利かせた歩行と、重心が上下運動するようなスマートな動きから、縄跳びやバレー・バスケットと言った緊張感あふれる激しい跳躍運動も効果が高いはずである。これらは特に足首が利くからである。つま先をよく利かせて歩くと、確かに足首が締まる。相撲や柔道家と、剣道やボクシング家の形状と動きを比較検討してみるとよい。どのようにして骨盤を締めるか? 形態物理的に、自分で考案し実践してみることである。骨盤を開かせると逆発想なども使えるのではないか。
 今は幼くして寒くもないのに靴下を履かせた生活をさせている。足の裏で、しっかり粘着性を確認して、思いきり踏ん張りを利かせた動きが大事なのだ。足の裏の敏感な感覚はそのまま大脳の運動系に反映するであろうから、常に滑る状態にあれば逡巡し呻吟した動きでしかない。締まりのない間接になると言うことになる。しかもエネルギーの不燃焼状態はすきっとしたいい精神環境をもたらせない筈である。こうして人工環境のもたらせている、生き物への負の部分は以外に大かいものがあり、精神面から健康にまで及ぶ無意識破壊が進んでいることを知らなければならない。最早、後ずさりは利かない現況下に於いて、如何に子供を育てるか。体の健康ばかりではなく、精神面も人格も、決定的に教育を見直さねばならない、まさにターニングポイントなのである。

 安心と幸せは本来一体であり、不安や恐怖のない状態でしか味合えない、精神のみずみずしさである。一番の不幸と一番の悲しみ、一番の恐怖は殺戮し合うことである。人間の行為の中で最も愚かで野蛮なものだ。それが二十一世紀を迎えようとしているこんにち、輝かしい文明を築き上げた二十世紀に於いて、なおこのおぞましい行為が為されている。人間というものは、であるから決して知性万能でもなく、安定した精神力をもった存在でもない。自分の内側で、憎い!嫌だ!という感情が働いた瞬間から、自分はその感情の極めて強い拘束力を受けて生きることになる。種を守るために外敵に対する防衛本能が働くが、天敵観念として今尚我々の細胞の中に、潜在している生命現象の一つなのである。疑心暗鬼の元である。常に外敵を想定し、警戒し、不安や恐怖を抱き、防御のために兵器を具え、ついにはあの核兵器にまで達してしまった。自分の心のたった感情の揺れに過ぎないのに、自分で作ったその感情の影帽子に脅えての結果がこれである。ちょっとした感情の乱れによって世界が振動し、人が殺し合い続けているのだ。山僧から見れば、余りにもばかばかしくて笑おうにも哀れが先にたつ。そうしたイメージを形成する元の元は知性をつつく原始精神、即ち生命現象であり本能である。人間の存在が、かくも不安定であることも、知性の矛盾と無軌道性もそこが元であることを深く自覚し、そうした危険な要素を我々自体が携えていることを大いに恐れなければならない。そして大いに恥じ、自己管理の大切さと自律性の強化が絶対必要なのである。そのことが精神の健全性を持たらせ、社会の安定を得ることが出来る。ここから平和を構築していかなければ本当のものではないのである。人間はだからどうしても自己超越の精神修養が必要なのである。

 又、教育学者はあらゆる心理学を基礎としている。教育心理や実験心理、幼児心理等の基礎学は勿論必須であり、そのためにも古典に学ぶべき事柄は多い。だがこれは純粋な学問であり理論であって、実社会に於ける現場の先生方が子供達に教えるために必要な教育基礎力ではない。分かってもらいたいのは今日の子供たちの実体である。実体というのは精神の全般がどのようになっているかということである。明らかに親の意識が時代の変化と共に異なり、生活環境そのものが違っているし、投げかける言葉も、それらを受け取るのも、その質や内容も異なった状態で生活しているのである。夫婦であっても兄弟であっても、個々バラバラである。文明が玉手箱や宝石のように珍しく驚きをもたらせた時代は、家族として一貫したものがあった。父親を中心にして家庭是と言うべき規範があり、倫理観を育てる信条のような精神性が空気のように自然に存在していた。個々でありながら、人間として健全に生きる姿勢が一つのまとまりを見せていたものだ。今は全然違う。文明は即効性と利便性をもたらせるために、限りなく求められ、それら無くしては生活が成り立たなくなってしまっている。従って精神の構築状態と内容が全然異なっているので、純粋学問から発せられる教育論というものが事実上マッチしていないことを知って欲しいと思った。加えて、生き物としての人間、動物として持っている本能と基本的な生命現象をよく理解し、人間の精神構造はどの様に成長発達していくのか。と言う原則的観点から、現代の環境が持たらせているその因果関係の究明にも力を入れて、今日の青少年の精神構造が構築されていくプロセスを理解しなければならない。しているというが、私の目からは本質とは程遠いものである。自分自身の一念すら分からず、感情の始末さえ出来ない以上、精神の本質が分かっているとは言えない。
 文明社会で育ち、そして親になった場合は未熟性が多分にある。それは本能として体が持っている子育て情報が健全に発露し得ないからである。その状態で親になり、そして子育てをしているのが現状ではないだろうか。子供が可愛い事には違いないが、質的に問題がある。この文明環境のなかでは親子の関係が本来の人間的関係ではなくなっていく。逆にペットが人間的関係になってきている。世間ではこの現象を動物愛護と言う観点から、美しい思い遣りととり、人間性の豊かさの様にさえ思いがちである。何も心配していない様だが、人間と動物との明確な境が無くなるのは危険なのだ。感情移入が起こり、知らず知らず動物を可愛がる可愛がり方で子育てをするような母親も出てくるからである。確固とした人間の尊厳がなければ、人間としての動物的要素が濃厚となるのも当然であろう。ペットをきちっとしつけるのは、人間にとって危険であったり迷惑をかけないため、即ち人間の尊厳を大切にするためなのである。動物を動物としてきちっと育てることができれば、子供を人間らしくきちっと育てることができる。私の目には、この現状がもたらせる結果が、大変リアルに見えるために心から危惧して止まない。動物を飼うことが悪いと言っているのではない。
 この手の愛情ではどうなるかというと、一口で言えば子供が宇宙人化するということである。なぜか? 親に尊厳性が育っていなければ、人間たらしめる秩序と言うものが曖昧となる。そのことは同時に社会性が低く、公益的価値観の共有が出来るまでに成長しない、親の内容に問題があるからである。ために、円満な人間の心を育てることができないということである。生きることの基本的意義や信念、即ち考えるための中心、価値観の中心、人間関係の中心、こうした人間の中心が無くなっているので、健全な倫理観や社会性が宿らないのである。ずれているから浮き上がってしまい、全く別世界の人間になると言うことだ。妙に分かった風な理屈は言うが、自己管理も出来ないし第一何が健全なのかさえも分からない。おまけに不安で孤独で常に不安定である。自己を支える何らの力を持っていないために秩序も貞操も恥も誇りも滅茶苦茶になっていくであろう。自分の行為が自暴自棄であることの自覚作用も無くなっていく筈である。だから麻薬もエイズも当然反乱するであろうし、社会的道義も欠落しているので犯罪行為が急増していくのは道理である。こうなってしまってからでは健全な家庭に回復させることはほとんど不可能である。戦争という究極的大事件によって、死ぬか生きるかの瀬戸際で、親子共に血反吐を吐いて瓦礫の中をのたうち回り、一口の水の有り難さを本当に観じ、親子が手を取り合い涙を流して感謝する心が湧くようにならない限り回復することはないであろう。従って今日の固定化した社会構造に於いては、通常の努力で社会体質の改善は出来ないということだ。戦争という物騒なことは絶対に起こしてはならない。同時に、平和ぼけして滅ぶということも絶対にさせてはならない。それ故に他に打つ手があるとすれば教育しかないのだ。だから今、本質的教育を目指さなければならないと言っているのである。とりわけ家庭の健全化が急務であり、そのためには親が本来の親にならなければならないということであろうか。はてさて、どのようにすれば成れるのでしょうか? と言う声がする。

   夫婦円満は家庭円満

 とみに家庭崩壊が時流の如くになっている。誰もそれを望んでしている訳ではない。あれほど愛しあい信頼しあい、且つ絶対視しあって一緒になったにもかかわらず、いとも簡単に崩壊するほどに、現代人の心は安定性が悪い。だから離婚は当然なんだと言うわけにはいかないのだ。親の都合でかってに父を失い母と分かれなくてはならない子供にとっては、正当な理由など一つもない。その子がどんな精神的苦痛を背負って成人することになるのかを思えば、親は滅多なことで離婚などしてはならない。離婚に至らなくても、家庭の崩壊はそこから育っていく子供にとって致命傷なのである。そうであることが分かるようになってから結婚すべきである。でなければ、親がセックスを楽しんだ偶然の副産物が自分だったんだ、と言う自棄的存在感になってしまったら悲劇ではないか。無防備の子供にとっては生まれて来なければ良かったのだ。一つこの辺りで好きな様に生きてみようぜ、兄弟。となって悪餓鬼共とすね回しでもしたら地獄絵そのままとなっていく。それからでは遅すぎるのである。ところが人間的未熟児、いわば馬鹿親は増える一方だから、分かってから結婚するとかセックスをするとかなんてとんでもない。まるで人類以前の先祖返りが急速に進んでいると思ったほうが理解しやすい。
「そんな家庭でいいのか!」「好い訳はないだろう、なにを言ってんだ!」「だったらちゃんとしろ!」「どんなふうにして?」「そんなことは自分で考えろ、この馬鹿!」「やかましい、俺が考えて分かるくらいならとっくにやってら。そんなことも分からんのか、この馬鹿!」「お前に言われりゃ世話ないわい。勝手にしろ、失礼しました!」。と相成るわけである。分かったものが頭を下げる結果になっていくのが現代である。とにかく狂っている。だから人物は野に隠れてしまうだろう。野に隠れては子供が可愛そうだから、家庭円満のちょっとしたコツを実行してもらうべく一言。

  家族は思い遣りと愛語から

 仕事と言うものは常に結果を求めてするものである。それは現実であり実際だから、結果を出すべく原因を積み重ねていく作業と言ってもよい。それらが明確化している場合は対応しやすいが、他との関係が深い物事は不透明で、どうなるのか、どうしたらよいかさえ分からない場合が少なくない。今日の様に複雑で細分化し、しかもスピードが要求される時代は、総てに余裕がない。効率主義の極を行く日本である。その管理システムは社会主義より管理されている。おまけに気が利かない部下だの、力量が無い上司だので疲れは倍増する。考えるまでもなく、宮仕えはみんな同じだから諦めるしかないことでもある。そうであっても、帰宅して奥さんの顔を見た第一声は、「ただいま。今日も別段なことはなかったかい? 君も留守中大変だろうから、疲れたんじゃないかな? 心配だから、無理しちゃいかんよ」と居なかった間の奥さんが頑張った労に対して、優しくねぎらう言葉が出るほど、家庭への思い遣りがなくてはいけないのだ。俺は一家を支えるためにこんなに働いて草臥れているんだぞ! と言う幼稚性自己主張が先に出るような男だったら、奥さんは頼り甲斐もなく情けない思いをするのは当然である。男は疲れるほど働いてこそ男であり一人前なのだ。充分に疲れていても、「いや、今日も疲れたんだが、君の元気な笑顔を見たら安心したよ。そしたら疲れも取れちゃった」と言って爽やかに笑う人間的余裕をもっていなくてはいけない。それが主人であり家長としての大きさなのだから。
 そういう暖かくて優しいご主人を粗末にする女性は多分いないはずである。なぜなら、安心して頼り切れるし、ひたすら付いていけばいいからである。
 そんな素晴らしいご主人が帰宅したら間髪を入れず、それとなく案じている心を言葉にすることが必要なのだ。外でくたくたになるまで働くものにとっては、家庭は最高のオアシスであり、それを期待している。そんなご主人に応える最も重要な心得が、まず暖かい心遣いであり言葉である。「今日もお疲れ様でした。お仕事で何か辛いこととかございませんでしたか。貴方のことですから信じてはいますけれどもね。思わないことって有るもので、何事もなければといつも思っています。子供達もお蔭様で元気にやっています。元気で働いて下さる貴方のお陰ですわ。でも気を付けて下さいね、疲れ過ぎとかに」と、心から一日の仕事を労うことである。心温まる言葉を交わし、新鮮な再会にするのである。関係の活性化というとキザかもしれないが、それでもいいではないか。とにかく良い関係でお互いを確認することが、心を開放させることになる。何故それが大切なのか。人間誰でも疲れたり悲しかったり辛かったら、総てが消極的となり否定的になり、人が楽しんだり余裕があって笑ったりしていると、ついムっとなり嫌味を言ってみたくなりすぬてしまうことにもなる。早く疲れを取りたい願望が基本的に働いていて、家庭そのものに安らぎを求めているからである。早い話が、奥さんに甘えたいのだ。

  家長は健全な父権が必要

 そうした主人を大切にし暖かくいたわる姿が家庭の心になっていく。威張る必要はないが、奥さんのそんな心配りを、「おお、ありがとう。おかあさん」と言って毅然と受けて甘えていれば好いのである。主人を立てて、家長としての威厳と風格を培うのは、こうした平素からの互いの対応からである。主人を軽く扱ったり蔑ろにしていると、家長としての責任感も希薄になり、一家の主人としての権威も威厳も全く育たない。つまり健全な父性が家庭に宿らないということである。それがどう言うことに繋がるかと言うと、子供に適切なけじめを植え付ける指導力のない家庭になるということである。子供の成長には必ずアンチ家庭・アンチ学校・アンチ社会、即ち反秩序・反権威の時期がある。けじめの無い状態でそれを始めたら始末がつかなくなるのだ。父親に威厳がなかったら、立ち止まらせることも、超えさせることもできない。人生をしてきた経験実績も響かず、尊敬するどころか、人としての大事な示唆でさえ耳にしようとしなくなっていくのである。もし奥さんが、家長とし主人としての格付けを怠ったら、子供は無力ゆえに従う必要のない存在、本能的に頼りにならない親だと意識し、不安と同時に暴走する事になる。だのに「お父さん、あんたがだらしがないからよ!」と言う。おまけに「こんなお父さんみたいにならないでね!」とくる。馬鹿女房の典型であり、もうお終いである。お終いの典型はもう一つある。奥さんが相談を掛けてきたときは、「貴方、助けて下さいよ。私の限界を超えていますから」と言うことで、既に問題の処理に手こずっているときなのだ。つまり、内的に混乱や不安が起きていて、事の処理に必要な事態の把握が出来ない状態なのである。それを聞いた途端、「何と、そんなことになっていたのか。それは君も大変だったな。今まで何も知らなくてごめんよ。とにかく力を合わせてこの様に解決しようよ」と真剣に事態を重く見て対策に当たるのだ。責任感に漲ったそんな主人の態度が、奥さんの心を安心させ、お互いを見直すことによって信頼が深まる。事がある度に惚れなおす関係であれば、生涯これほど幸せなことはない。が、「今そんな話をしないでくれないか。俺はくたくたに疲れているんだ。日曜日にしてくれ」。土曜日になると、「明日の日曜は上司とゴルフに行かねばならん。子供のことはお前に任しているんだから」。確かにこんなケースもあるであろう。だから平素より色々な事象を縁にして、世界観や教育論や生命観など、教養を高めていなければならない。第一女房に軽蔑されるような貧弱な内容では、奥さんも悲しいはずである。平素ちゃんとしていれば、とっさに起こる主人の立場を理解しないはずはない。ところが、ゴルフの日は午前様となり、挙げ句の果てに酔っぱらいをお供に帰ってきて、やれ酒だつまみだとくれば、疫病神を摘み出したくもなり、離婚してやろうか、絞め殺してやろうか、等と物騒なことが頭をよぎっても不思議ではない。こんな身勝手な亭主に泣く奥さんも結構居るだろう。馬鹿亭主の典型は奥さんを狂わせ、家庭をめちゃめちゃにするから罪も大きい。
 そんな人間にしないために、子供には父性としての威厳も権威も絶対に必要なのだ。道に外れた場合は、父親ほど怖いものはいない、と意識される存在でなければ、健全な人間に育っていかない。何故かというと、成長過程において自律性が整うまでは、動物的な要素が多分に働いている。そんな身勝手な無軌道要素が抜けきらない間は、怖さを感ずる存在が、子供の心を浄化するからである。どうしても必要なのだ。辛さや悲しさ同様に、恐れを知る人間にならなければいけないので、そのためには怖い人が居なくてはならない。それが父権なのである。

  父権と母性が円満な社会性を育む

 道に従って生きなければいけない理由は、みんなで健全な社会を形成し、共存することが前提であるからだ。
 家庭は家庭であって、それがそのまま社会ではない。だが社会は健全な家庭とその家族を育む土台であり、その義務がある。従って家庭の義務としては子供を、社会を担える良き社会人に育てることである。そのためには健全な父権と母性を確立していなければならない。父権と母性は、子育ての動脈と神経であって、それ自体が社会との動脈であり神経なのである。子供が母親にさからったりしていたら、「それはお母さんに向かって言う言葉ではないだろう! お父さんが許さん!」と叱って、言葉遣いや心得をたしなめ是正して、母親の権威を護らなけばいけない。逆もまた然りである。こうして親としての主体性をきちんと出していくのが家庭教育である。知性を主体にした教育とは異なり、これが健全なる精神構造確立の母体なのだ。さらにこれを慈愛で包み、継続することが円満な家庭なのである。
 思い遣りと暖かく優しい包容力と、お互い感謝を忘れなければよい。夢、主人を軽視したり、奥さんを蔑視するような言葉も態度も禁物である。それより、お互いが活力になり、安心してすがって居れる夫であり妻であったら、どんなにか毎日が素晴らしいことか。だったらそうすればいいではないか。簡単よ。平素の自我主張を陶冶すべく、向上心をもって生活すれば良い。必ず心豊かになり、充足感に包まれた人生になるから。

  人生は甘い旅ではない

 とにかく人生と言う旅は、立ち止まりも引き返しも利かない、無常というベルトコンベアに乗った、一方向だけの旅である。ここで既に厳しい運命を知り、且つ知らさねばならない。あきらめも決断も妥協も忍従も絶対必要だし、信頼してもらえる人間にならなければという自覚もいる。とりわけ男たるもの、主人になり家長になり父になっていくのである。男の力量次第で奥さんも子供も一生の質が左右されるとなると、人生とはそうそう甘い旅ではない。かと言って苦しみだけの道のりでもない。そこが面白いと言うものだ。未来という茫洋漠とした無限大世界に、叡知と努力と決断実行、それには度胸がいるし犠牲も伴う。がチャンスを見て躍り掛かる、と言えば少々攻撃的ではあるが、とにかく人生とは現実であり具体的な中にギャンブル的要素も多分にある。運が時に決定的な結果をもたらせたりするのも、総て因縁であって、だから面白いのだ。夢も少々はいいが、ほどほどにしておかなければならないと言うことで、現実に則していなければ結果が無いのが実に明快でよい。出過ぎてもいかんが、恐れて引っ込みすぎるのも後で泣きを見ることに成る。さりとて調度好いと言う客観的固定的なものも無い。同じ事をしても、同じ事を言っても、人によって違った結果が出るからである。ここがまた面白いところである。あとは何があろうと、日々是好日といける、さらりとした境界しかない。となると人生は修行ということになる。どちらに転んでも「雲の如く水のごとき淡生涯」が最も素晴らしい人生と言うことだが。

  母性無き女性は可愛そう

 女性の人生旅も楽そうであってそうでもない。主婦として家庭をまかされるということは、機能する家自体が女性の城だということである。主たる役目として食事・洗濯・掃除というふうに捕らえると、それらは総て生産性の無い片付け仕事である。誰だってそんなことで大切な人生の日々を過ごすとなると、晴れた日でも鬱陶しくなるではないか。会社等でお茶酌みをさせられることを女性蔑視ととるは、まさにその程度の軽薄な認識度しかないということである。男性と張り合って、同等の責任ある仕事に就き、地位に就くことが、女性の社会的地位向上だと言う。一面においてはそうだが、そのような局面対等主義で張り合うことは、人生全体から見ると幼稚だし、一面から言えば愚かである。勿論能力にふさわしい仕事こそ生甲斐になることで、それを否定しているのではない。キャリヤーウーマンとして華々しく働き、それなりの立場で指導力を発揮している女性も沢山いる。とにかく猛烈仕事女性で成功したかもしれないが、それで女性としてより幸せになったかと言うと必ずしもそうではない。例のウーマンも五十になった。良いマンションにも住める収入を得て、外部条件としては確かに男性同等の価値を得た。が、気を付けて欲しいのは、女性として優しく、憧れの眼差しでは見られなくなる、即ち女性として相手にされなくなる可能性が高いことである。何故だろう? 目つきから言葉遣い態度までやり手の女、であって、母のような常しえに優しく暖かく、心ときめかして甘えたいと言う雰囲気が薄らぎ、かさかさ女になっているからである。どうして? 男性と対局するとなると、意地や根性と闘争心が必要となり、男性的なホルモンが常時供給される。従って身も心も男性化して女性らしさが無くなっていくからである。人生五十を過ぎると、不思議なことに仕事に対する自信と同時に、自分の力量を知って不安も伴ってくるものだ。それに体力的な限界もきて、ふと人生に焦りなどを感ずるような、そんな気がする歳なのである。その時は既に遅いのだ。女性の最大の武器は、女性としての優しさと華麗な弱さにある。それが女性・母性の美しさなのだ。内面に秘められた能力というものは隠し果せるものではない。そうした自然体で滲み出るものを生かすことが一番良いのである。従って対局的に切り込む必要はない。お茶出しすら満足にできないような女が、そんな立派な仕事が出来るとは思えぬ。
 疲れたとき、心を込めて可能な限り美味しく出したお茶を、「お疲れさまですね。粗茶で恐縮ですが、一息お入れになって下さい」と言って、笑顔で、優しくそっと差し出されたお茶には重みが籠もっていて、頂く人の心を解す。やっつけ仕事には不平はあっても心がない。深みがないから文化も哲学もなく、ただの物理的なお茶に過ぎない。心というものは成る程一見客観性はない。ところが、その客観性のない心を誰もが持っている。心に滲み渉るとき、頂くその人の大切な人間性に潤いとなって広がっていく。そのお茶は具体的物理的な物の世界から形而上化し、文化化・哲学化さえさせていくのである。このような女性が粗末に扱われるはずがないではないか。父性の本能作用とは本来騎士的であり、貴公子的華麗さを秘めているのである。男性はだからそんなに馬鹿ではない。馬鹿ではないにしても、見るからに男の仕事師の手、逞しいが野暮ったい手でにニューとお茶をだされたら、「お前も疲れたか。俺も疲れた。こんな仕事はめんどくせーんだよな」「全くだぜ」となり、詰まらぬ意識を刺激するだろう。「お疲れのようですが、大丈夫でしょうか?」と静かな笑顔で声を掛けられれば、「私ですか。大丈夫です。この通り」と、微笑みながらそう答えてしまうものだ。この時、妙に力が漲ってくるのを覚えるだろう。母性こそ、男性を男性らしくする力であり、女性の一番しなければならない仕事と言うべきか。
 女性の社会進出はその点に於いても大変良いことである。ただ、女性であることの自覚が希薄になったり、馬鹿にされ軽視されてたまるか、と言う対局自意識にならぬことである。でないと仕事は出来ても男性の質を低下させることもあり、女性の特性を失うことによって人生の潤いを無くすことも知っておくべきである。

  家庭をサロンに、オアシスに

 このような理解を深める夫婦であれば、敬愛に加えて尊敬しあった盤石な家庭を形成すること間違いない。となると、母性の一番美味しいところを引き出すのは、矢張り健全な父性なのかも知れない。所詮、人間とは両性あっての存続であり自然である。良きも悪しきも絶対関係にあることを、もっと潤いし合う、与え合う関係から見直してはどうだろう。
 もし、専業主婦という恵まれた状況で居られるのなら、家を先ずサロンにする事である。帰宅し玄関へ入った瞬間、きらっと輝ける文化やその心があると、出迎える奥さんの態度も言葉も自然グレードが高くなるというものだ。床の間・仏間・居間にはじまり、家全体に四季折々の変化を付け、家族の心に花を添え精神文化を刺激するのである。そうした行事には世代的隔たりがないので、お年寄りから子供まで一緒になって楽しむことも感じ合うこともできる。夕食の時などどちらの親であれ、もし亡くなっていたら、「あなた達、良く聞いてね。今日はお爺さまのご命日なの。お爺さまがもし居られなかったら、あなた達のお父さんはこの世に居なかったのよ。当然あなた達も生まれることは出来なかったの。あなた達とはご縁がなかったけれど、無いどころか決定的な大恩があるの。だから、今日はとても大切な日なの。お父さんに感謝すると同時に、お爺さまにも感謝を忘れないでね。今日のごちそうはそうした気持ちからなのよ。人間は感謝と恩を忘れたらお終いなの。お父さんの仰ることはよく守るのよ」と言うだけの精神性が滲み出るサロンにすれば、食事の付加価値も上がり、頂く姿勢に気が通るし、とても気品が漲るだろう。こうなれば特別な教育などを考える必要はない。素晴らしい子供達になることは間違い無いからである。家事は何でもない様に見えるが、総て因果関係であり、生活科学であり文化や芸術である。家全体の構成要素を見ても分かるように、玄関・仏間・客間・居間等々、それぞれが醸す尊厳や文化や機能等、重視する内容が異なり、単なる部屋でありかながら存在価値が違っている。それを弁えて使い分けるから文化となり価値が出るのである。その弁えの心が秩序となり礼儀となるもので、この倫理観の基本を生活で体得させるのである。これら総て主婦たる奥さんの全体構成能力と指導性からである。それらを生活全般に反映した家庭を企画し経営すれば、ご主人も子供さんも生き生きとして、それを見るだけで幸せを感じるだろう。これが最高の家庭教育でありオアシスなのだ。

  円満は愛語を根本とするなり

 物質的に贅沢に走ることは、心の豊かさが無いために起こる、物足りなさや空しさからの要求現象である。そうした心の虚無領域を拡大させてはならない。もちろん才能が発露し伸びようとする場合は、それがどうなるかは別にして伸ばせる条件を提供するのが親の役目である。本当に必要な物事には夢をも加えて積極的に叶えているなら、平素は寧ろ積極的に慎ましやかにさえなるものである。家庭はサロンであり母性の最高傑作であり、全員の命を預かる大切な城なのだ。女性は家庭の健全経営の重要性と面白味を学ばなければいけない。素晴らしい家庭を築くために、母性を遺憾なく発揮すべき時代なのである。社会の混迷化が進む中で、家族の身と心を健全に護る実力者になることである。それには愛情豊かな人格と知性・文化の向上が無くてはならない。その逆は世間でよく見るところの悲惨な家庭である。本当のサロンには、未来を形成し希望を生み出す豊かな精神性がある。健全な精神から家庭という社会も、家族という社会も育つ。家庭のサロンそしてオアシス、それは本当の母性、即ち慈愛によって育まれるもので、それこそが女性の人類的役割であり最大課題ではなかろうか。先ず温かい心がなくてはならない。あれば自ずから愛語が生まれるものだ。
 道元禅師曰く「愛語というは衆生を見るに先ず慈愛の心を発し顧愛の言語を施すなり。慈念衆生猶如赤子の懐いを貯えて言語するは愛語なり。徳あるは讃むべし。徳なきは憐れむべし。怨敵を降伏し君子を和睦ならしむること愛語を根本とするなり。面いて愛語をきくは面を喜ばしめ、心を楽しくす。面ずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず。愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」と。これ七・八百年昔の慈訓なり。

  家長は率先垂範と教訓を垂れよ

 教訓こそ人格の基礎であり栄養である。ここで子供にとって決定的となる環境が、言わずもがなの家庭環境である。白紙の状態にある赤ん坊には、言葉を初めとして総てが影響していく。親はせめて食事の時くらい姿勢を正して、正しい箸の使い方をするよう注意することだ。食べればよい、というのは動物と同じであり餌である。食事には慎しみとけじめが必要である。人間であるからだ。他の命によって生きていることを知らしめることである。感謝を欠かすことなく、食べることさえ出来なくて死んでいる人間が居ることを、折々に話しながら頂くようにするとよい。禅宗の食事に何時も唱える「五観の偈」は良い教訓である。親がこれに照らして、折々に反省自戒するなら、自然に子供の心には尊厳が育ち自律性が育つ。絶対嘘ではない。
「五観の偈」
一つには 功の多少を計り彼の来所を計る。
二つには 己が徳行の善欠を計って供に応ず。
三つには 心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。
四つには 正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり。
五つつには 成道の為の故に今この食を受く。
 父親の健全な存在観とは、こうした秩序ある態度から滲み出る人間性が、家族に伝わって育つものである。それが父性としての威厳となり、家族を守り育てる指導力となる。どんな不愉快な腹立たしい一日だったとしても、全員の心を掌握して、いつの間にか堂々とした安心感をもたらせる力が、父親には必要なのだ。父親が信頼され尊敬される要素とは、そうした内容に対してであり、家族一人々々の心に堆積したものが家長としての尊厳となるのである。子供のけじめのなさや贅沢、態度が悪いのは、何て事はない親の反映だということだ。心にけじめもなく、また心を貧しく育ててしまうことを恐れなくてはならない。何となれば幾ら物金を得ても心が満たされず、人が羨ましく悔しくて、嫉妬や羨望心を限りなく増幅する仕組みになるからだ。それはまた不安定な情操故にストレスが貯まりやすく、怒りの感情が働きやすい性格になる。つまり、そうした負の精神を凌駕する高次の要素が育たない状況にしてはならないと言うことである。生のまま固定して、性格化し構造化してはその子が可愛そうではないか。
 知能の成長は情報の吸収と平行している。昔と異なり、雑多で而も不健全な情報が氾濫している真っ直中にいるのだから、次々と無差別に刷り込まれているのである。ところが聞いた瞬間、見た瞬間に、「お父さんが言っていたこととは違うから、変だぞ。無闇に人のことを批判してはいけないはずだが」とか、「いやらしく淫らな物事に心を惑われては駄目だとお父さんが言っていたから、僕はそんな雑誌いらない」といった認識力が備わっていれば、情報を適宜処理することが出来る。子供の精神環境を護るとは、情報や刺激に汚染させないようにすることである。それには情報窓口に当たる処に親がしっかり存在していることである。それが平素のけじめある態度と、人間としての普遍的な教訓などである。
 とにかく親の心、親の教訓がないと、判断する基準値がないために心の拠り所が育たず、精神が構造化していく課程で安定性が育たない、即ち自信が持てない子供なると言うことだ。親の慎みと豊かな教訓はその子供にとって一生の宝であり、これほど素晴らしい贈り物は無い。子供に語る話しというものは、人間性に富んでいて、美しい言葉と美しい考え方を注ぐんだという目的を持って語ることが大切である。

  日常がポイントである

 我々の時代は自然なかたちで命の尊さと共に、自分の命の繋がりを実感して育った。これも親の慎みと教訓の一つである。両親を大切にし先祖を敬う生活が、尊ぶ心と敬虔な精神を育んでいた。また親の存在以前の、深くて大きな不思議界という誤魔化しも邪な心も一切許さない因果の世界がある、と言う語りが自律を促していったようである。
 また、日本の家屋であれば必ず床の間の付いた部屋がある。その部屋の持つ深淵さを平素の生活から知らしめているなら、最も神聖な位置とか上席といった秩序の基本を実感して育つ。このけじめがその人を更に美しくしていくのである。掛け軸にしろお花にしろ、その床しさと深い文化性の大切さを通常の生活から身につけたなら、決して宇宙人的精神構造には成らない。情操の基本的要素がしっかり培われているか否かと言うことである。
 また、季節のけじめと言った古来からの習わしを楽しむことから、世代の違いを越えて、共通認識や価値観や感覚を持つことが出来るのも家族なればこそである。家庭がこうした生活をしている限り、挨拶やけじめの基本的精神が自然に育つと言うことである。相手を尊び、謙虚に美しく、筋目を忘れることなく対応しなければならない、と言う心得である。こうした基本的な訓育は家庭以外では育てられるものではない。心に父が宿り母が微笑んで教えてくれた事柄が、人格の核となって存在するから力になるのである。勘違いをして、「懸命に働く親の背中を見て育つ」と言う昔の社会事情や生活様式と同じ発想をして、会う機会も話す時間もないまま済ませていると大変なことになる。そもそも親の働く姿など見ていないのだから。成長の過程に於いてちゃんと話し、訓育していなければ両親の信条や教訓が無いまま年代が過ぎてしまう。要するに両親から何も学ばずして親になっていくことになるのである。教育に手の掛かる今日の親は、中堅層として最も過酷な社会的しがらみがあって、早朝より夜遅くまで働かなければならないからだ。家庭では父親を最も必要としている大切な成長期にである。このような父親不在を「親の背中を見て育つ」とは言わないのだ。
 そんな状況の今日、悪差別と我が儘が人権として横行し、必要なけじめさえ見失うまでになったことは、家庭が家庭の意義を持たなくなったことを意味する。親が健全な状態ではなくなったと言うことでもある。即ち、日本を支えている社会のあり方が、限界を超えた幾つもの事情によって歪みが表面化してきたのだ。家庭、その存在の大事さと使命を、改めて問い直し健全化を図らねば、我々の社会はむちゃくちゃになると言うことだ。健全なそうした文化的緊張感が精神の浄化作用となり、平和に繋がり差別撤廃に繋がっていくのである。平和は個々の毎日の生活からである。そして心の平和からである。決して特別な心得とか知識とかによるものではない。ただ、心が健全でなければ健全な信念が備わらないと言うことだけは確かだから、幸せのためにも平和のためにも、日々心の健全を保つ努力はやはり欠かせない。特に家庭による初期段階の親の心得が重要な要素だと言うことである。人格の根本は家庭にあると言うことを、若い世代の親は改めてもっと自覚すべきではないかと心配をする。

  危険な教育

 今の我が国の教育を鑑みるに、本質的な教育とは余りにも懸け離れている。知識の詰め込みと抽象的思考力の強化に殆どの教育エネルギーを傾注しているからだ。その結果、能力の枠を越えた思考を強制するために、多くの子供には無理がきて、自信をなくし不安感を募らせる。結果登校拒否が続出する。付いていける者は、如何にして良い点を取るか、と言うことに固定化していく。毎日そのための圧力が掛けられっぱなしだから、健全な目的も育まれず、志を立てるゆとりがないのだ。将来色々な角度から、豊かに自由に物事を見つめていく、多元化のための精神要素を悉く破壊しているのである。小賢しく表面的理解にばかり心が刺激されればそうなって当たり前ではないか。このような精神状態に置かれていて、その様になっていく事実を、少しも理解しようとしないのだから、恐ろしい教育であり国である。
 日本の教育行政は、人間がまるで解っていない学者グループに諮問し、それを鵜のみにしているところが間違いなのだ。成長には段階がある。脳構造・精神構造が整い成長していく過程や程度の因果関係を無視し、低年令に於いて高度な思考をさせることが教育の高度化だと思いこんでいるのだからたまらない。教育学者は「発達心理学」などと纏めをしているが、その様な角度で子供を見ている限り、健全な心のための条件を整えるその年代では大半が理解できない程のものである。低年令より高度な思考訓練をすべきだと愚かにも思いこみ、それをカリキュラムとして押しつけているのだ。それは自分の研究した教育理論を知的興味から実証しようとして作られたとしか考えられない。その年代の本当の様子が分かっていたら、絶対に現行のカリキュラムを実施する筈がないからである。何故なら、これらは高度な概念が形成されていなければ、それが何を意味するものかさえ分からない内容である。平均的なその年代では初めから分からないほど高すぎる。ために、大いに不安がらせ、自信を無くさせ、思考世界を迷わせる元になっているのだ。とにかく人格形成に於いてもこれほど危険なことはない。論より証拠に、だから今の小・中学校で多くの落ちこぼれを作り出し、それらがずっと累積して人間性を破壊し続けているではないか。

  滑稽な採点方法

 また、採点方法の不平等さ、乱暴さはおよそ教育の本質性から懸け離れている。頑張って平均点九十以上取っていても、その上位人数が多ければがくんと評価点が低くなる。クラスの順位性が、個人の努力や能力より重要視しされているからである。これでは頑張る気にもならなくなるというものだ。平均点九十以上とれれば、それを教育したものとしては誇りに思うべきであり、それに見合う評価をしてこそ教育した意義が備わるのである。三名に最高順位を付けたら、最低順位も三名付けなければならない、と言う評価理由の正当性は全くない。何のために段階方式の採点制度にしたのか理解に苦しむ。クラス全員が九十点以上取ったら、胸を張って高ランクの評価をすればよいことだ。なのにその中から最低ランクの人数まで付けさせているとは、大事な成長期にある少年少女たちの精神性など全く無視したもので、管理のための採点であることが分かる。勿論クラスで順位を付けることも、場合には必要ではあるが、どこまでも生徒たちの努力を正当に評価して、更なる努力心を啓発するように計らうべきであり、やる気を阻害してしまうような危険な発想は絶対にすべきではないのだ。
 そうして精神を破壊するから、結果として虐めや登校拒否、家庭内暴力、ぞっとするような非社会的行為が、次々と発生しているではないか。依って起こってくるのは因果関係から見ても当たり前なのである。そうした行為の現象だけを云々をしては子供達が哀れというものである。どれほど惨めに精神が破壊されているか。その深さ、その辛さ痛さ悲しさの心の傷の責任を取ってもらわなければならないものである。それ等は皆文部省をはじめ、そうした諮問機関、いうなればカリキュラムを作った者の責任なのだ。

  教育者と教育研究者は信念を持つこと

 更に情けないのは、いずこの教育大学や教育学部及び教育に関する先生方からも、自分たちの本領として、その不自然な行き過ぎた高度化や採点方法などに対する動議もなく、また上申もされないことである。これらは自分たちが教育者とし教育学者として何らの使命感がないことを意味し、本真剣に教育に携わっていないことを物語っている。教育に対する新しい動向が政府より出されたら、専門家として直ちに検討に入るべきなのだ。それが研究者の態度であり専門家としての使命でもある。教育大学なら、学長の指揮の元に忽ち全教員を上げて検討に入り、学生にも良い学材として詳細に検討すべきである。また現場の先生方に於いても同様である。特に生徒の大半が理解され得ないであろうカリキュラムを不自然とは思わないのであろうか。大半の生徒たちに理解させることが不可能ならば、現場に携わる自分たちで、その内容の不備点を是正すべく検討すべきではないのか。その結論は極めて実証性に満ちているものであるから、そうした現場の実績を元にして、全国規模へと審議会を展開し、実状にふさわしいカリキュラムになるよう改訂を求めるぐらいの信念が欲しいものだ。一人々々の教師が当然の信念を持っていることが大切だと言うことである。
 教育は国体の根幹である。何時の時代に於いても、教育者とそれに携わる行政機関は真剣に取り組んで、しかも世界の変動に対応しながら国家の健全な継続のための、終わりのない努力をしなければならない。その活発な議論が各大学の専門家間、研究機関間に於いて行われてこそ、人間と教育と社会と幸せと、ひいては人権の確立によって秩序や平和等々の基本理念が形成共有されることになる。それによって国の教育方針が定まるというのが最も妥当なのである。全専門家が関与し検討したものが国に反映してこそ国家的叡知となるのではないだろうか。権威の場で少数の者が決定すべき時代でも事柄でもない。間違っていなければ別だが、権威というものが一人歩きし始めたら最後、権威たらしめているシステムが働く限り、実状は分かっていても、結局は大儀精神のない幼稚で賤しい少数の者たちの思惑で決められてしまう。今、本来のきらきらした子供の魂をずたずたにしているのは、そこから出る無理なカリキュラムのためである。何処の学校も多くの問題行動が現れて、その対応に右往左往しているのが実状である。まず人間がどういう存在なのか、精神はどのようなメカニズムで構築されていくのか。その大切なことが解っている人の叡知を、早く国レベルに反映することが急務なのだ。当然ながら官僚の人達一人々々が、将来世代への危機感と責任感を強く持ってほしい。でなければ本当の、血の通った人間教育などを構想することは出来ぬ。

  教育行政を県単位にする

 日本は確かに小さい国である。しかし列島から見る長さは相当なものだ。季候から言語から慣習や気質、経済格差や文化や立地や物理的条件などは可成りの位相がある。従って個性に富み広がりを持ち、且つ郷土を深く愛するような心豊かな教育をするためには、教科書やカリキュラム作りから指導から何から、九十パーセント以上をその地域の自治に任せることである。中央で総て管理したがる官僚独裁的傾向は、極めて時代性に於いても国際性将来性に於いても、いわば実状にずれている事を自覚しなければならない。各県ごとに専門家で研究所と諮問機関を組織し、世界から情報を集めて独創性に富んだ教育システムを開発するのである。国はそうした建設的動きを支援していくのが理想である。それによって育った結果の子供達を評価しあい批判しあうことが、改革の最も手近で早道であろう。結果への責任ある対応が現実的であり本当なのである。今後のためには教育行政も程良いサイズに整理して、健康的に競いあい反省しあっていく自主性が必要なのである。そして先生方の意味のないつまらない報告書の作成のために割かれる時間も解消しなければならない。それだけ本来の教育に専念できるというものだ。先生方の管理は程々にしなければいけない。余りにも本質ではない事柄に忙しすぎるからだ。その最大の原因が制度化した報告書であり、管理の象徴を撤廃すべきである。又、末端の教育行政である教育長とか教育委員長とか教育委員が、専門知識や経験はおろか、ビジョンも使命感も指導力もない者が多すぎるために、学校が本来の機能を発揮することができないのだ。つまり根本解決をするための行政対応がないからである。また、恥ずかしいような教師は別として、譬え行政監といえども、先生に対してはもっと信頼し敬意を払うのが本来である。教育者は聖職者なのだから。そして行政と学校とが一体となって、荒廃していく家庭の健全化を図らなければいけない。何となれば、小学生の親たちの未熟さには驚くばかりである。いくら優れた先生方でも、家庭で破壊されたのでは堪ったものではない。全部教師の責任にされている現状を救う手だては、行政と学校とが共同作業をすることである。愚かな親の言い分をまるまる聞いて、それで教師を責めてお役目と思っているお役人たちでは、到底教育現場の健康管理など出来るものではない。既に行政指導型で父兄を集めて、親の心得のいろはから家庭のあり方まで指導する必要がある。常識とマナーを教育するのである。行政マンはそのくらいの責任感なり使命感を持っていただきたいと思う。
 文部省の指導力は、学校や教育者を管理することで目的を遂行するのではなく、人間究明がなされた最高の人達を基軸にして、さらに魂の輝きを増すように、体と知力と感性とを育て上げていくための、我が国に相応しい教育理念を磨き上げ、その指導をするのが行政目標ではないのか。

  私立学校への補助金制度は如何なものか

 特に思うことは、国立大学の研究機関・設備の質の低下は国際的な評判である。嘗てニュージーランド及びオーストラリアの先生方と語った時である。或る先生は「自分は京大で研究してきたのですが、設備の乏しい、大変粗末なところでした。医学部の或る部署では廊下の狭いところへ測定器などを於いてやっていました。それでもいい結果を出していまして驚きましたが」と。また或る先生は「日本の研究室とは思えませんでした。我が国の大学研究室は最先端の設備を備え、民間の研究者も一緒になって大きなテーマを研究していますよ」と言われた。帰国後、早速先生方に問い合わせてみると、「抑も助手がいないので実験の継続が出来ないし、設備の改善をしてくれないので自分たちでしなければならない。また助手が居ないのは研究費が無いためである」というのだ。国立大学及び研究所は、資源のない日本にとって人材と技術が資源であり命である。国立大学及び研究所はれを支えるための基幹なのである。何としても世界の水準は最低必要である。何故そんなにお粗末になったのか。それは決定する人たちに高度な理念も観点もなかったからだ。つまり元と末、国体と個、将来と使命といった本質的な中心を踏まえた分別が出来なかったことに起因する。今こそ英断が必要なのは、私立大学への配分は全面的に止めて、国立機関の建て直しを計ることである。私立大学は企業である。儲けを目的にしたものも少なくない。福祉施設は別として、教育の場であるからといって個人の企業に対し国が支援をするところに問題がある。何処かが不健全になっていくからである。自由であること自体が元々平等ではない。差別でもない。それが自然の様子である。どちらかに固定した見方をした時から偏っていくのである。だから総てが平等であることに絶対価値があると考える事はまちがっている。有り得ないからだ。なのにその様にシステム化すれば、した時から悪平等のもたらせる、もっと根元的な大きな問題が始まると言うことを知らないからだ。何でも一方から眺めれば変形して見える。それは現象面でしか見えていないことが矢張り根本なのである。げに国立大学の研究機関が著しく機能低下しているではないか。この場合両方同時には出来ないのだから、まず国立系が整って後、余力が有れば私立に回せばよい。国家は先ず国立機関を尊重すべきなのだ。大切なことは国の存亡に関わる故に、優れた人材資源、健全なリーダー育成と技術開発を進めなければならない。私立もそうであろうが、だからといって私立に依存するからこの様なことになるのだ。これからの私立は出来るだけ専門化した質の高い単科が望ましい。その資質を最高点にまで延ばし得る、小回りの利く大学である。優れた人材が競って集まってくる様にし、その上で拡大発展させていくべきなのだ。国立はどうしても権威主義になりやすく、学閥が出来る。人間性の向上がない限り、その点からすれば只の人であるから仕方がない。そこからすると私立は自由で小回りが利かされるために、幾らでも向上のための手が打てるというものだ。学歴社会ではあっても、内容が問われる時代に入った。知性機能だけではこれからの難問解決は無理である。だとすると、より専門的に優れなければならないと同時に、人間として求められる要素の確立を目指すべきである。

  教育は聖職である

現在の教育関係には問題が幾つもある。その一つに、教員の質が大問題である。時どき徒党を組んで教育現場を荒らす国賊のような魔の手を、早急に切断しなければ質の向上は有り得ない。その最も効果的な方法は小中高の総ての学校を私立にすることである。優れた校長先生を中心に、使命を持ち理想教育を目指す多くの本当の先生方を大切にしたいからである。人類的使命感が無く、教育の基本理念が理解できない様な愚かな教師を教壇から追放することである。既にまともに育てられていない男女が親になっているケースも多いので、考えていることが折々的を外していたりする。そうした父兄をも教育し、時には人間として叱りとばさなければ成らないので、本当の教育者でなければ駄目だと言うことだ。私立化が出来なければ、アメリカが取っているように、生徒による教師の評価点性を導入するか、さもなくば一年契約で自動的に職権が消滅するようにするかである。つまり、生徒から信頼も尊敬もされないような、教育資質も能力も人間的にも劣っている者は教壇に立たせないことである。主体は生徒であって雇用の問題、思想の問題とは本質が違うと言うことだ。生徒に信頼も尊敬もされない者が教師であること自体信じられないことである。加えて、知力は勿論、品性と信念とユーモアを持ち合わせ、且つ普遍的人間性を教育出来ることと、誠実な人柄でなくてはならない。何となれば、それが教育に携わる者の基本的絶対必要条件であるからだ。教育は聖職であり、教育者は聖職者であるから。

 一般の生活者は取り敢えず自分が得になり便利が良く、結果的によりハッピーであれば目前の事物に流れていく。そこには長期的に諸事情を見て、将来の人達が困るからとか、以前を思えばもう充分、これ以上はいつか自分たちの首を締めることになるとか、地球上の大半の人達は食べるものさえ充分ではない気の毒な人達を思えば、とにかく我慢しようと言った徳性の良く利いた健全な判断には至らないものである。これが現在の平均的な家庭の意識であろうから、この見えざる精神性の大事なことを子供に教えるということは無理である。だから現実は家庭がどんどん頽廃するばかりだ。更に不気味なのは、学校でそうした大事な人間性を教えることに対して、軍国思想だなどと言う政治家や愚かしい教育者が居ることである。動物人間から霊性ある人間にと導き教え、高い人格性を形成させていくのが教育であり教育者である。しかしながら精神に関しては無理であろう。精神教育、人格教育とは人間の根元に関する事柄である。だから先生といえども精神に関しては素人故に、自ら門を叩いて、迷える自己の問題を常に研鑽することが大切なのだ。今でもよく覚えているが、私が子供の頃の先生は、我が師の元へ足繁く来られていたし、中国地方一帯の校長研修会にはよく招かれ、請われるままに法を説き参禅指導をされていた。忙しいこともあるが、向上心や使命感が無い教育者が増えていることは、次世代の低下を意味しているので危険である。
 また通産省を母体とした経済最優先の国策があって、企業の温存を第一とする国家的構造があることも確かである。自立をもたらす精神性・人間性が育ちにくい世界的な社会システムに起因していることも事実である。であるから尚更のこと、教育によって個の人間性を確立することしかない。平和も差別問題も環境問題もそこから解決されていくので、根本的な教育力を持たない者を教育者にすべきではないと言うことである。更に混沌としていくこれからの地球に、漢たる指導性を発揮し救済していくことができる人材を育てたいものである。そのための基本的条件を整えることこそ、国の政策であり政治というものではなかろうか。そうした基本的考えを育むのは、やはりきちんとした教育によるものである。

  フィリピンの教育には未来がある

 なお混沌としている今日のフィリピンに於いてさえ、教育は実に健全なのだ。校舎も教育内容も驚く程素晴らしい。そうした教育によって子供達が急変貌しつつある。それとは対象的に、日本はいじめや非行、登校拒否等、殆ど末期症状である。フィリピンの中、高、大を十校近く回り、総長、副学長、教授、一般の先生方、学生、生徒にお会いし、金先生の講演、私のちょっとした禅指導等を通しての全体を評すれば、何れの学校に於いても授業態度と生活態度がとにかく美しい。先生方には品性が有り使命感もあり、生徒からしっかり尊敬され信頼されていた。教室にも校庭にも屑一つ落ちてはいない。或る中学では、廊下にずらりと空き缶が並んでいた。何のためかと思ったら、更に貧しい国の子供達を支援しようと呼びかけ、小遣いを出し合っていたのである。これにはまたまた金先生と共に感動した。我が国の中学でこれをしたら、多分お金はなくなるだろう。それが今日の教育であり結果である。金先生の講演に対する感想が又素晴らしかった。言葉を忠実には再現し得ないが要点は、「経済成長は確かに貧困とか難病とかを無くし、勉学の公平や自然災害の復興など、いいことは沢山あるけれども、人間の心は物やお金ばかりに向い、平和のため、社会のため、人類のため、環境保全のためというような、大変重要な人間性をどんどん狂わせていることは、将来が大変だと思う・・・」という視点の高い世界観を育んでいて、「自分たちは大変恵まれていて、こうして素晴らしい教育を受けているが、フィリピンの多くの子供達は、なお教育とは程遠いので、早く立派になって我が国を助け、皆で勉強して立派になり、安全で快適な国にしたいし・・・」。例え先生からの思想的な思惑でそのような意識にさせられたとしても、根本的な世界観が正しいし、普遍性に富んだ思想であるから、彼等は更に高い理念でもって自国のフィリピンを分析し、世界を見、改革を要する点を確実に浮き彫りにして対処する時が来るであろう。ラモス現大統領の肝いりで、今教育を最大課題として取り組んでいると大統領補佐官が誇らしげに語る。その補佐官は、「是非、大統領はじめ、関係閣僚とフォーラムをして欲しい。いま、我が国には貴方方のその理念・哲学が欲しいので、段取りを付けますから」。我々は承知した。一九九六年中には実現するだろう。(一九九七年現在、残念ながら実現していないが今後は分からない)彼の真剣な態度は誠実さからである。我々はラモス大統領に密かに敬意を抱いた。危険だらけのフィリピンに、これほど確かな花が咲きつつある姿に感心した。反対に富める日本は、とうとう限界まで行き着いて、最低の自律性さえ育ち得なくなった今、その貧しさを見せ付けられて恥じた。健全な教育こそ健全な精神遺伝子であり、それなくしては明るい将来世代はない。日本は確実に、教育という精神の遺伝子を破壊し続けていて、更に精神性奇形児が続出し、家庭の崩壊から社会崩壊へと進行している現状は一刻の猶予もなさそうである。噫。

  「教育大国」を目指すクリントン米大統領の一般教書演説の意義

 クリントン大統領は、「最優先に取り組む課題は、国民が世界で最良の教育を受けられるようにすることだ」と力説した。そして財政困窮の中で予算を二十パーセントも増額する方針を打ち出したから驚いた。具体的な目標として「総ての八歳児が字を読め、十二才の子供が総てインターネットを使用でき、十八才になれば総ての者が大学に進学し、総ての成人が学び続けることが出来るようにしなければならない」と訴え、国家護持に欠かせない人材育成の大事さを呼びかけた。さらに大統領はその理由として、「教育は我々の将来にとって極めて重要な安全保障上の問題である」と指摘し、米国を二十一世紀の教育超大国にする意向を鮮明に打ち出した。そうした目標達成のため、父母への公立高校の選択権の付与・優秀な教師の採用と不適確教師の解雇・個性重視教育の実施等である。これらを十項目別にして詳しく語っている。要するに、質の高い学校にするためには良質の教師が必要であり、既に確立している「教育優秀証明書」の制度に加え、最良の教職員には奉酬を与え表彰すべきであり、有能ではない教師は速やかに排除するという。また、父母と教師がチャーター学校(最高の教育水準を設定し、達成するための民間委託の公立学校)を二千年までに三千校創設するのを支援する。また、大学と国立研究所を、現在より千倍早い通信システムを開発して結ぶ等々である。(鈴木 博 時事総合研究所研究員)
 超大国アメリカが本腰を入れて教育に取り組み出したと言うことは、世界の傾向が教育に向かうことになるだろう。これは将来の世界にとって、武力を無力化していくための大変な朗報と言うべきである。けれども大統領の求める世界が知性の範囲を出ていないために、人間性・徳性の向上は無理なことである。つまり、個人レベルに於いての律度が、根元的でないために低いということである。二十一世紀もまた力のアメリカなのだろうか。大統領ほどになれば、矢張り現象を越えた人間性・精神性こそが普遍的叡知であることを、その重要性を主張して欲しいし、平和とその持続、そして個の幸せのために心の大切さを世界に訴えて貰いたいものである。「精神教育・徳育こそが、我々の将来にとって極めて重要な安全保障上の根元的解決である」からだ。クリントン氏も三十棒を免れず。世界を浄土にする器には非ざりしか。時には悪口も許されよ。

  真の平和を

 いよいよ平和の問題である。「平和を叫ぶ時は平和無し」と昔から言われている。無いから求めるのではない。生きとし生けるものは総て不安なく健全に生きたいと願っている。アミーバーに於いて然り。安全な方へと移動するではないか。どの生き物でも生命を脅かされるような不安や恐怖から逃れ、安全な世界へと移動するのが本来なのだ。人間が平和を望むのはそうした生物本来の自然な要求に他ならない。精神はだから元々そうした不安から平安へ、苦痛や忍耐から開放へ、より快適へと向う本来生き物としての指向性を持っているのである。安心が一番なのである。なのに、どうして愚かで馬鹿げたことをするのか。ここが人間の深い業なのである。どんなに知性が発達しても、人間が生命誕生から二・三十億年の進化の歴史を通して存在している動物である限り、経験的に獲得した遺伝子情報がしっかり潜在している。つまり先天的に持っている働きの一つなのである。例えば、かつて天敵に襲われ恐怖におののきながら、生きるために食料として弱いものを捕獲するために攻撃し、外敵に対して防御攻撃するという、獰猛なる性質まで潜在的に持っているので、人間の残忍性や攻撃性が国家間、民族間に於いて絶えず問題行動を起こすのだ。基本は種の存続が第一目的の生命維持本能からである。そして恐怖という感情が注意力を繊細にし、安全を確保することが出来たので、それによって今日まで生きながらえ人類に到達することが出来た。そこには、同種族以外は仲間ではなく、外敵とする敵対観念・天敵観念が育ってしまっているから、何かが行き違い、恐怖観念からそれらを刺激し顕現させてしまったら、極限的に狭量化して、殺すか殺されるかと言った動物的思考しか出来なくなっていく。そこからは知性も理性も判断自体総て原始精神に帰属し野獣化してしまう。だから殺し合いが正当化できるし、殺すことに意義や使命さえ観ずる精神構造になるのである。
 確かに民族紛争も国家間の戦争も、互いに意識されている点に於いてはしっかりした理屈で成り立っている。戦争の正当性である。だとしたら、知性によって結論的に戦争を選ぶこと自体、気違い沙汰であり、知性自体が悪魔的存在ということになる。それでは人間が余りにも空しいではないか。実は、知性とはそのように言葉に置き換え、成文化し、概念構成をするのであるが、そう発露させている元の部分が、無量無遍に潜在している動物としての生命現象であり、それらに纏わる単純な本能であり動物的習性からである。潜在しているだけなら無いも同じだが、健全な知性の枠を越えて顕現してしまうと、この様に大変なことをしてしまうものだ。人間の忍耐とか許容量とか妥協には限りがあり、特に自尊心や魂などに直接関わる存在の元を傷つけたり、財産など欲望感情が対立すると、親兄弟友人の間でさえ簡単に殺し合い、戦争にまでもなってしまうものだ。精神が狭量化してしまうと甚だ御粗末で怖い存在だということを知るべきである。精神を乱す最も大きな力は感情である。その感情は生命力と直結している。だから感情エネルギーが巨大なのである。この巨大なエネルギーを持った感情を、小さな知性や意志などで、完全統御出来るはずがないではないか。この感情が混乱を起こす根元を解決するには、その巨大なエネルギーと感情やイメージが、動物的に習性化しパターン化している癖を破壊しなければならない。機能が人間動物として働く構造になっているから問題化するからである。命がけで修行する必要があるというのはそのためである。少なくても自分を冷静に深く見通す心の静寂さを、早くから通常教育の中に於いて培っておかなければならない。個の人生のためにも、世界平和のためにも。

  平和は自律から

 平和のために大切なのは、幼小の頃から無条件に信ずる心と遵法精神を育てることである。それには家庭が第一である。家庭に於いて恥の心を育て恥を知るようにし、恐ろしさの心を育て恐ろしさを知るようにし、悲しみや思い遣りの心を育てつつ、自分の心の全体の様子がよく分かるように、自内照する力を育てなければ霊性ある人間には成らない。そうした心を育てる家庭が健全なのである。そのためには、親が親らしく、社会秩序を守り、子供に対して人間の手本となっていなければならない。駐車禁止とはっきり指示されている処へ、親が車を平気で止める無秩序な家庭では、どうして人間としての秩序ある精神を育むことが出来ようか。ましてや人皆信じ合って平和を実現するためには、更に冷静で厳しい対応と愛情が必要なのだ。人間の精神には恐ろしい部分が潜在していることを良く知り、明るくて素直な人間になるよう育てることである。
 学問が進み核爆弾の理論が成立したなら、相手国に越されたら大変なことになるという恐怖を抱くのは当然である。まさに国家の存亡が掛かった状態であれば、是が非でもと全力を投球することになる。具体的なたとえとしては、潜在している残忍性や獰猛性が顔を出す時期が来た時、自然の中で健全に発露させ通過させるようにしなければならない。十才前後になると小動物を虐待する反面、一方ではすこぶる動物を可愛がる時期が来る。これはそろそろ人間動物から脱皮して、魂を持つ霊性としての人間に向かう大変大事な過程である。育つという成長過程の流れは自然なものである。だから必ず次の精神要素が台頭してくるようになっている。つまり自己認識という、人間にしかできない知性の作用がそれである。正しくこれが人間性である。自分が人間であると自覚することである。これが存在の自覚である。この精神要素が大事なのだ。これによって自分の行為が何たるかを知ることが出来るようになる。自然発生的に自己反省するようになるのも、この精神要素が有ればこそで、自分に潜む残忍性の自覚と同時に、殺した小動物への恐慌心の芽も出てくる。この心が人間の尊厳性となっていくものである。これを大切にし、自然に流れて滞り無く脱皮するように生活をすれば何も心配をすることはない。ところが今は人工環境故に、そうした自然の流れを促す自然も無く、人間の関係も自然ではない中では、子供の心を自然に発露させ、健全に脱皮成長させると言うことは殆ど不可能な状況にある。この様な時代であればあるほど、家庭の大切さ、親の教養が絶対力を持ってくるのである。一般教育で出来ることは、世界中の違った多様な国と、状況と、人達がいて、皆大切な仲間であると言う認識を、先に精神構造へ焼き付けるのが残された方法であろうか。そして成長したならば、内側に起こる諸々の問題、つまり不安や拘りによる感情の動揺などは、単に本来の心がはっきりしていないだけだ。つまり、瞬間に発生し瞬間に消滅している事実を体得すればよいということである。そのことを決定的に決着させる方法がある、ということを教えておくことである。それが禅である。行き詰まったら、自らその門を叩けと教えておけばよい。決してプロパガンダに支配されない信念を持つことが、根元的平和の道である。本当に自立し自律しなければならないと言うことである。
 ウガンダにおけるフツ族とツチ族の民族紛争は、明らかにフツ族のプロパガンダに依るものである。単なるラジオ放送の声にマインドコントロールされて、同族の者はそれによって恐怖と怒り憎しみを喚起されたのである。そうなると知性など何の役にも立っていない。殺すことに寧ろ使命感や意義さえ感じてしまうから恐ろしい。我々の精神は人間としての自覚を失うと、単なる人間動物でしかない。人間は自己啓発・自己批判が深く出来ない限り、極めて危険で不安定で脆い要素がある。簡単に変質するということだ。
 隠しカメラで見た、山刀でツチ族を滅多切りにするフツ族の様子は、決して人間を切っているのではなかった。我々がゴキブリやムカデをやっつけるように、いやスポーツでもしているように叩き切り、惨殺していた。そうした非人間的扇動をするものがいる世の中である。それを素早く見て取る程に成長しなければ、民族紛争や戦争は収まらないと言うことなのだ。若者の中には、人間が人間として見えていない、宇宙人的人間になっている者が増えた。これは親が親に見えていないと言うことであり、先生を先生として見えていないことであり、社会が何なのか、責任が何なのか、秩序が何なのか、自分が何なのかさえ分からないほどの未熟児人間だということである。まともな家庭や学校は最早伝説的な存在と成りつつあり、低年令に於いて震撼とする事件が多発している。その条件が更に整いつつあるということだ。これで平和が勝ち取れるなんてとんでもないことである。

 平和を確立するためには過去の反省が不可欠である。人類の経過途上として語る総ての歴史は、人間の複雑さであり野望である。人間の不完全さを象徴している事柄が実に多い。されど真理を追究し平和を築こうと、叡知を尽くして努力研究した人もまた大勢居たことも事実である。とにかくその不完全さから生ずる、とんでもない悲劇を繰り返さぬようにと、歴史の示すところに学ぶのが歴史的反省である。アウシュビッツにしろ原爆被災地広島長崎にしろ、その示すことの意義が大きいがゆえに、世界遺産とすることで継承し続けて、将来の世代にその愚かさを訴えるのである。このことも重大な歴史的意義があり、立派な文化活動である。

  生存本能と帝国思想

 でももしパールハーバーが無かったならば、その様な大それた覇権思想がなかったならば、或いは原爆投下はなかったかも知れぬ。そうした覇権思想が元で起こった事柄である。殺るか殺られるかまで切迫し、他に選択肢がなくなってしまうと、誰でもあらゆる可能性を持って対応する。これが核開発競争を含めて、総ての争いが進展していく心的様子である。その結果、罪なき大勢の一般市民を殺害している事実を見ても、潜在している人間の野獣性というものの恐ろしさを、余程警戒しなければならない。
 こうした危険思想は、第一次世界大戦から世界的に起こったようである。国家は如何なる手段を使っても護る、と言う発想である。急速な進歩を始めた科学技術は、軍事関係者にとってみれば、遅れれば国家が滅亡する、と言う危機感を募らせたに違いない。それは相手も何をするか分からないと言う疑心暗鬼と恐怖感からである。これが世界的風潮となった瞬間から、人間が人間を徹底的に殺すことを第一目的にする、その様な獰猛な精神構造になってしまう本来があるのだ。これが生存本能であり、種を守ろうとする生き物としての生命現象でもある。知性のその奥に潜む、動物としての天敵本能と自己絶対・他否定の原始精神がある限り、我々は自己に対して徹底した責任を感じなければならない。当然そこには、自分自身が統理仕切れない不気味な構造を有していることに対して、恐れと慎みを抱き、それを越えるべく向上心を養わなければならないと言う自覚がなくてはならない。
 我々日本人は、過去の国家が恐ろしいことを企んだという歴史的事実もまた軽々に忘れては成らぬ。その一つに国際条約で使用を禁止されている化学兵器毒ガス製造を密かにし、それを中国大陸で一部使った。地図から消された島、広島県の風光明媚な瀬戸内海にある大久野島の毒ガス製造所がそれである。今は平和な国民休暇村として、また平和学習の島として遺跡保存の運動が進められている。記録に依れば、戦後処理として島内に埋められた数三十余万本となっている。勿論殺傷性の物ではない。けれどもこれら保存以前の重大問題が未処理のままになっているのだが、一体如何にするつもりなのであろうか。間違えばやはり人命に関するとんでもない事柄である。科学的調査に依れば、基準値の百倍を越えるヒ素の検出は、それら残存弾容器腐食による漏洩とも言われている。とするとその夥しい数の弾頭処理こそ急を要する事柄ではないのか。
 一日も早く島内埋蔵残存ガス弾の徹底処理をし、矢張り自戒のために心の墓標として視感覚的に、感性に対してぞっとする体験的物証として永久保存すべきである。被爆体験は高らかに訴えているが、我が国も他国に対してとんでもない加害者になるところだったのである。平和を願うのは当然である。それ故に恐ろしいことを企んだ過去の指導者、いや人間のエゴの怖さを警戒することが大切なのだ。今の国家がしたことではないが、過去の国家が取った過ちを、国家として対応し国民として反省するという姿勢こそが大切なのではないだろうか。これらは平和を祈っての保存が目的であって、それ以外の理由にしてはならない。けしからんのは、徒党を組み、党利党略の材料にし民衆や世間を欺く輩が居ることである。平和運動でありながら勢力争いをする愚かしさは、平和を訴える資格など無いはずである。特に教育者は、この矛盾や社会の不健全性の元は一人々々の心にあると言うことを常に説くことが肝要である。そして人間としての反省と正しい信念を持たなければならないことを訴え続けて欲しいものである。総ての人が、人間とし人類として真摯なる自戒が常に必要だということである。自戒するために守るべき事柄とは、自分にではなくすぐに相手の責任追及をしようとする、そのことがすでに攻撃心・初期天敵観念から始まっている怖い心の様子を反省しなければならないということである。責任追及が悪だと言っているのではない。ただ、そんなことばかりしていても、個が改まり向上しなければ決して平和には成らないと言う根元の話である。個というのは自分のことであって人の個のことではないのだ。また、こうした平和への社会運動に対して、否定的であったり無関心であったりすることも、平和を妨げる影の大きな要因であることを知らなければならない。いずれにしても良き人生するには平和無くしては有り得ない。そのためには誠意を尽くし、自戒と努力がなけねばならぬ昔からの教訓通りだと言うことだ。


  宗教と心の平安

 さて、極限的な恐怖や悲しみに遭遇したとき、誰もが何かにすがり、何かに祈り、何かに訴ずにはおられなくなる。自分独りでは、その強烈な感情作用をどうすることもできないからである。感情は個人の内面的問題であり、それを刺激するのが外部の事象である。そんな事象の起こらないことを祈るのも信仰であり宗教である。又内面的問題としてその不安定不確定要素を解決しようとするのも信仰であり宗教である。
 宗教の定義が定まったから宗教となったのではない。宗教の起源はタブー・マナ(畏懼・畏敬)である。即ち、我々人間は諸々の事象によっては、恐れ悩み苦しみ悲しみといった、耐え難いまでに感情を刺激される。それが精神の惑乱・混乱をもたらす。それは絶対にあって欲しくない事象によってである。そういった事象は人間の力を遙かに越えた、大きな存在によって生まれる。タブー・マナという精神作用が元となって、そのような事柄の起こらないことを祈り、逆に安全と豊かな実りなどをもたらせてくれるように祈るようになった。アニミズム信仰の心理的背景である。
 大自然は無限大の時間と空間の存在である。ということは、何が起こるかを確定的に知ることなど出来ぬと言うことである。別の言い方をすれば、縁次第で何が起こるか分からないことをいう。縁次第と言うことは、原因が有れば必ず結果があり、結果があるという事は必ず原因があったと言うことだ。限りない生命が生まれたのも縁である。縁には必ず時間と空間が伴っている。しかも時間とは流れ流転して時間である。限りなく流れ流転するということは、空間が極大から極小まであるということである。そこで起こることは、形有る物は必ず滅する。時は必ず過ぎ去っていく。生死を繰り返すとは、生死自体が大自然の命であり、無常がベースであることが分かる。これが自然であり、これが宇宙の戒律であり法である。宗教が生まれたのは、大自然がもたらせる大きな力の働きと、その自然を動かしているであろう根本の存在を認めたとき、創造者としての絶対存在が神として登場したからである。
 利害が共通し、而も定期的に繰り返される災害などには、全体が一丸となって対応する。お祭りは絶対者に感謝の意を表したり、怒りを静めたり、且つ多くの恵みを祈ることである。しめ縄は、災いを成す恐ろしい霊に対して、此処から出ないで下さい、その代わりお供えを致しますから、とて色々お供えをする。それより奥へ入れるのは、霊魂に取り付かれたり汚されない神通力を持った者だけである。それが各種の宗教者であり、身に纏う物であり儀式である。それでも起こった災害には、潔く諦めることができる。お祭りをしなかったら、罰としての祟りが、個に対しても、全体に対しても、児孫に対しても及び、みんなが怯えることになる。こうしたタブー・マナは大凡どの民族も同じで、形は異なるがたいてい祈りとしてのお祭りを形成している。

 何故ひれ伏して祈りお祭りをすれば安心できるのか。
 それは、その様にしたことに於いて、その聖なる行為によって願いを叶えてもらえると思えるし信じられるからである。
 何故信じたら安心できるのか。
 信じるという精神行為は、一つに集約して単純化することで、疑ったり比較したり反発したりしないので、精神が安定するからである。
 何故精神が一つに集約し、単純化することが安心となるのか。
 それは迷い苦しむということは、感情も知性もそうした多様化多彩化作用することによって、決まりが着けにくくなり、更に不安定状態となる。それが直接に心の揺らぎを刺激増幅するからである。つまり定点が無くなったと言うことである。その反対に、信じて一つに定めることによって、他の精神行為を起こさないので、乱れる元が無くなる。従って、どんな信仰であれ宗教であれ、それを信じて居る人は、心が定まっているが故に平安であり、内面に於いて迷いがない。少なくとも信仰を持たない人より安定しているのは、精神のメカニズムとしてちゃんとした理由があるのだ。

  神を信じ切るとどうして排他的になるのか。

 簡単である、自分の世界に於いては、それしか存在を許さないからだ。また、信じるという精神行為は、単純化し無批判・無知性世界となり、それ一筋になる点に於いて強靱となる。そこが宗教の純粋性であり、確固とした信念になる理由であると共に、排他的になる理由でもある。他は存在意義のない存在となるために、根元に於いて無意識に否定しているのである。そうした内面の、否定された他者存在に対する態度を表に現せば、他の宗教、他の信仰と衝突するのは当たり前である。
 親を誹謗されたり中傷されたり貶されたら、怒り心頭に達する。親は子供にとって絶対存在であり、信じ切っている状態だからだ。信仰においては、それが壊されることは自己を否定されたことであり、恐ろしい天敵観念を刺激することにもなる。即ち、信じるという絶対視状態は、信念であり執着なのである。他を認めないと言うことでは迷いでもある。根本が正しければこれほど素晴らしいエネルギーはない。体も命も越えてしまうからである。もし間違って絶対視し信じ切ったら、場合によっては闘争本能と使命感とが融合一体化して、人の命までも平然と奪ってしまうという代物なのである。これが宗教の最も危険な面である。
 従って絶対者を立てていく宗教は、絶対者を認める自己が先ず有るために、他との対立を免れることは難しい。道理の正当性や崇高性、つまり教理も立派な真理であり間違ったこところは少しもないのに、宗教の違いが元で戦争が起こる。何故そんな残酷なことが起きるのかという理由がこれである。全く気の毒としか言いようがない。
 何でも純粋に信じると言うことは良いことであるが、信じるに値する点に於いて信じなければ危険なのである。簡単に信じる者は、簡単に騙される。これは古来からの定説通りである。信じる前には、理性をとことん駆使して、疑うべき処は徹底疑って解決しておかなければならない。信仰は、救われるために純粋一途にならなければならない。その理由は科学を初め、一切の知性を脱した世界に昇華することによって救われるので、そのための必要条件だからである。しかし、信仰を根底で支えていくものは鋭い知性であり、科学性であり常識良識でなくてはならない。それは信仰の前に、良識ある人間であることが優先するからだ。それによって誤った信仰や宗教を見破ることが出来るからである。

  宗派と信仰

 一般日本人の宗教観は、自分の家の宗派をまず言う。人は必ず死ぬ。その時の世話と、仏教思想や儒教などの、いわゆる人間教育をする依り所としての壇家制度が確立した。こんにちの宗派やお寺は心の世界とは直接関係なく、人生が終演した命の尊厳に対する葬送儀式であり場であり、宗派はその相違である。宗教宗派の如何を問わず、人間同士の結盟として、無常の世界を互いに悲しみ、先立たれた人の冥福を祈ることは大切なことである。けれども決定的安心をもたらすための信仰とは直接関係がない。だから家の宗派が何であれ、個人の精神に関する宗教は、信ずるに値すると信じた世界で解決していくことになる。ただ、確かな救いの信仰でなければ自他共に苦しむことになる。宗教や信仰は人に押しつけたり強制する性質のものではない。精神的により豊で安心度の高い人生が良いに決まっている。人間として、より立派でありたいと願えば、そのための尊い教えを信じ、それを実行することは必要なことだ。人間生身である。自分が何時、何処で、どの様な災難に遭遇するか分からないのがこの世である。最愛の人、大切な人にもしもの事があったときとかも、自分を支える確かな信念しか寄る辺は無い。それは確かな信仰、確かな指導者によって、心を決着させることである。
 家庭に信仰がない場合、因果の世界でありながら因果の道理を弁える動機がない。結局は親子共に道理を知らざるが故に、絶対尊厳とか無常観とか慈悲など、心の領域を広げるための、またけじめをもたらすための要因がない一家になってしまう。また、学校教育において宗教を排除したことは、確かに一面の公平さがある。ところが色々な宗教や信仰があること、その中心となる真理について教えないと言うことは、すこぶる精神の発達に偏りを起こす。つまり、その証明が今日のとんでもない子供達であり、日本の社会的意識である。特に教育やその行政に関わる人はよく見るとよい。人間性が育つ大切な次期に、高次意識を培う事が出来ない状態にわざわざしているのだ。それは現場の教育者がすればよいと言うかも知れぬ。だが、教師はその点、全くの素人であり、教育するほどの内容が有ろう筈がない。その様な時代となった以上、今確かな精神指導者が必要なのである。その主な理由は周知の通りである。科学・技術の無限大化は、結局は経済活動に反映し、経済価値観の専制化に繋がっている。即ち、それは滅亡への高速化なのである。我々だけが一時の夢を貪って良いものなのか。それをよしとしている訳ではないであろうが、地球市民のそうした無意識生活感を一新させるものは何か? それこそそれは精神教育であり、心のけじめを着けることしかない。真の宗教が必要なのだ。

  「真の宗教」とは心の決着である

 ここからは自己救済というか個の完成度の問題である。自分が迷わなくなり、確かに安心するためにはどうするかと言うことであり、本当の救いとは何かと言うことである。従って「真の宗教とは」と言うことになる。本当に信じ切らなければ救われないし、相手を立てて信じれば執着になる。執着の信じ切りは無知性になり、排他的になる恐れが多分にある。そうした信仰や宗教は問題が生ずるという点に於いて、「信じるだけの宗教は、真の宗教とは言い難い」と言うことになる。
 では本当に救われる「真の宗教」とは、如何なるものであろうか。惑乱し苦しみ迷うのは、まぎれもなく自己自身である。たとえ外部刺激によって心が大混乱するとは言え、それらは見聞覚知の対象であり、どれ程多彩であってもその限りの刺激に過ぎない。迷うのは自らの心が迷い、自らの心が苦しむと言うことである。つまり、迷いの原因は自己自身であり、外部条件が根本原因では無い、ということの自覚から始まっていく教えでなければ根元的ではない。しかも、外部と自己との関係を究めていくのではなく、徹底自己に原因を求め尽くし、窮め尽くす教えでなければ、本当の自己究明することは出来ない。それこそそれが根元的解決であり、畢竟解脱である。解脱すれば、自も無く他も無い絶対世界の人となる。故に、現実には自他でありながら、根元的に対立性が無くなるので、総てに一体同化する。精神状況としては、現実と同化しているから、勝手な精神現象が起こらない。極めて自然であり、端的であり、常に安定しているから内的な問題が一切ない。縁に従って自由自在に躍動し、総てそれがそれで終わっていくのだ。充足と言うことさえ間に合わない、豊かな心が総てを慈しんでいく。必然的に敬愛尊敬と感謝の生活であり、日々是好日である。この今のままの自分の世界が、涅槃であり彼岸であり極楽浄土であったと確信するのである。心に掛かる何物もないからである。争う動機が根本的になくなることに於いて、完全平和の世界であることは当然である。そこで、「真の宗教とは、心(自分)を究明解決する実践の教え」と言うことになる。

  解脱への道・方法と実践

 では、どうすればその様な境地に達することが出来るか、と言う具体的な問題が最後まで残る。それはその指導者に引導してもらうしかない。ここが信じるだけの知識や観念の信仰と根元的に異なるところである。頭の世界でなければボディーの世界であり、まぎれもなく実践世界である。だから客観性があり具体的だから、正しい原因を踏まなければちゃんとした結果が出ないのだ。指導者に総てをゆだねて行くに当たり、目的を明確化しておかねば、真に純粋を願いながら間違った方向へいってしまったら大変である。この節は特にである。そうは言っても、本当の真意は言われるままに修行しなければ分からない。指導する側もその事を強調するために、疑う余地を初めから与えないようにする。従ってそこの不明確性を確かめること自体、それを信じて実行するしかないことになる。絶対矛盾に極めて近い。そこで歴史的に高く評価され磨かれてきた教えを選ぶことは間違いがない。が、直接の指導者が本物かどうかでその真偽が決まるとなると、真の信仰は大変難しいというのが結論である。
「師を悉く信ずるは師無きに如かず。書を悉く信ずるは書無きに如かず」とある。一言忠告すれば、霊や神を説く者は、霊も神も知らざる者が殆どと言っていい。故に、それらをしきりに説く類は、自己究明という大目的に関する限り大いに注意することである。メッキにあらざれば恐らくは絵の餅ならんか。後悔する時は後のまつりとかや。

 執われとか執着とは、どの様な精神構造に依る作用なのだろうか。
 迷いや苦しみはどうして起こるのだろうか。
 精神の何処が、どの様に問題なのであろうか。
 自己究明とは、何を解決することを言うのであろうか。
 自分に迷わなくなると言うことは、知性の縺れや葛藤など、精神現象の混乱が起きない状態を言う。一般ではたえず自分の観念や感情が勝手に連鎖していて、一時もそれらから完全解放されることはない。鎮まり切ることが無いと言うことである。何故か?
 人の噂であれ何であれ、見聞覚知に模様された刺激に従って、次々と観念が連鎖していき、イメージされ、それに刺激誘発されて感情が乱れていく。昔の悔しかったことなどを思いだすと、思いは単なる記憶の再現に過ぎなくても、その事をイメージした途端に感情を刺激し、全く関係ない時にでも新たな怒りが起こる。これが乱れのシステムである。ここに問題が生ずる決定的な要因がある事が分かる。それは観念とイメージの連鎖性である。状況的には精神の揺らぎに過ぎない。この連鎖性が、感情をも無制限に刺激し拡大する決定的な「心の癖」であり、揺らぎの原因である。人間が獰猛化し狂ってしまうほど問題化する揺らぎは、何故起こるのか。
 勿論連鎖性からである。その連鎖性は、身と心とが遊離し隔たりを起こしているからである。身と心とが遊離すると、仮想的に観念世界が存在することになるのだ。つまり、現実の世界にあって直接関わっていながら、精神が独断で浮遊し虚像世界を構築する。しかもその虚像世界を事実だと誤認しているのである。執われとか執着の様子である。ここからは精神作用の総てが絡み合い、イメージを膨らませ、感情を限りなく刺激して、欲望も疑心暗鬼も怒りや妬みも、愛も憎しみも、思考という形で想像を逞しくしていく。その結果を知りたければ、現実の社会や地球に起こっている現象がそれである。総ての迷いも苦しみも「隔たり」が根本原因なのだ。

 我々人間の特性は知性によるところが大きい。知性は観念作用が主力である。それはそれで決して不自然な作用ではない。ただ、現実としては知性が作用してあれがどうとか、これが何とかと意識で理屈を言うのだが、それ以前に、歴然と、堂々と、因果のままそれがそこに、既にちゃんと現成している。眼耳鼻舌身意が自ずから色声香味触法として現成しているではないか。この大自然の様子が明確になりさえすれば、総ての精神作用はその現実に則して働き、一切勝手な浮遊的現象は起こらないのだ。つまり、現実は一瞬の世界であり、本来連鎖性も揺らぎもない世界だからである。目の自在さを試してみればよい。目を開ければ瞬時にそのものが現成している。目を移せばたちどころに消滅して、別の世界がそこにある。耳に於いても口に於いても、何一つ前後に渉っているものはない。もし有ったら、作用が作用に重なって大混乱を起こし、人類は既に人類ではなくなっているだろう。
 この様に、大自然は本来脱落し解脱していて、一切人間の計らい事とは関係なく、総て円満無碍、自由自在に作用している世界なのである。知るとか知らないとかに関わりなく、我々自身が既に完全に救われた存在なのだ。ただ、心に留めて色々詮索し始めると、たちどころに現実の生きた世界が虚像化し、迷いの世界と化するのである。
 問題は、直ぐに認めて意識を働かせること。定義付けなど観念化する癖、理屈を言う癖である。言おうとする主体が居るからである。これが自我である。隔たりであり仮想世界を構築する主である。こうして哀れにも苦しみをわざわざ作り出しているのが、通常の精神構造であり、不安定極まりない状況にある。そうした苦しみや混乱は、いくら知識があり、知的能力に優れていても、どうにもならないと言うことを、人間してきた者はよく知っている。とにかく、「隔たり」を起こした精神構造である限り、知性や意識的な努力では、決して解決することが出来ないところが一大事因縁なのである。これをどの様にして解決つけるかである。
 
 苦しみ悩むのはいつか? 今、この瞬間である。
 それを解決し、救われるのはいつか? もちろん、この一瞬である。
総てが瞬間と言う、捕らえることが出来ない無存在の存在が、大事な着眼点でありポイントだということが分かる。前も後ろもない一瞬の世界と聞けば、全く手が着かないはずだ。その通りだが、さればである。この瞬間でない存在があるか? 有るはずが無い。であるから、一瞬に起こる総ての心の作用を、一瞬のその時のそのままにして、一切認めたり概念化したり観念化しないことである。それが執われないと言うことなのだ。
 感情であれ観念現象であれ、一瞬の作用である。だから次の一瞬には消滅している。これが事実である。悟るとはこの事を明確に実証し体験することである。この一大自覚の大事件を悟りというのだ。認める主体を超越するということは、本来に帰ると言うことなのである。その事が何故自己超越になるかと言えば、本来が一瞬の世界だから、自他と言う意識や区別が生まれる前の、無二一体の世界だからである。対立拘束の起こる余地の無い、思う思わないでは無く、死ぬとか死なないとかではなく、有るとか無いとかではない、つまり概念を離れた何者もない真空の世界だからである。だから完全なる自己救済であり大安楽であり極楽の世界だというのだ。
 このように大きな世界であるから、どうしても正しい師によらなければ達成できない理由がある。その師が、又極めて希有な存在だと言うところに、聊か運命的な問題となってしまうのだが。本当に救われるには、とにかく解脱しかないということなのである。そのためにはその師を捜し当てるしかない。
 総ては人の問題であり、人が問題である。人の中心とは言うまでもなく精神である。精神の健全化、育成、形成、教育とか、言葉は幾つもあるが、より人間らしくあるためであって皆一つことである。極まるところは個の幸福と全体の幸福の根元をめざしている。物理的な問題を別にすれば、これ以上の重要課題はない。我々は常にこの問題を人生の中心に位置づけて、総合的・総括的に自己を掘り下げつつの生活が大切なのだ。物金と言った外部的なものに重きを置かず、諸々の事象に淡々と対応していくことである。そこには運命的な絶対条件もある。きっちりとした信念無くしては到底安らかな人生をすることは無理である。知性を磨くことも勿論大切であるが、知性や感情を浄化し、それらに捕らわれることなく光明として使っていく力を培うことが、百千万倍尊いと言うことを知るや知らずや。侘びしき人生を送って、何の人生ぞや。

 地球の課題は限りなくある。人口問題も環境問題も南北問題も、民族紛争、資源の件、ロシア、南ア、北朝鮮、核の件、経済、思想、宗教、教育と、上げてみるだけで三年も掛かりそうだ。何れも決して簡単な問題ではない。けれどもたった自分一人を真に自立せしめ、健全な精神による良知で事にあたれば、総て自然に解決する。事柄とは時節因縁のものであるから出来るべくして出来、元が無くなれば崩壊するように出来ているのである。固執し執着し、収奪しようとするから天下が縺れるのだ。そこで、人生とは程よく死ぬのが一番! と、自らを決着付けて生きることである。そうした爽やかで、且つ歯切れのよい逞しい精神には、俗悪な思いは起こらぬようになっているものだ。されば、ただ、自己の信念に基づいて良しとする最良の道を歩むことになり、常に極楽往生底である。更に何をか言わんやだ。


第二十 オーストラリアに大学を作る夢を見た


 早くも一九九六年、平成八年とはなった。げに無情の世とは重ねての実感がする。一九九二年の六月、ブラジルのリオデジャネイロで開催された「アース・サミット」からすでに四年を迎えようとしている。取り留めのないルポも、指に任せペンに任せて縁に遊んできてしまった。しかし、実際には今まで述べてきた色々な理念の追求を、学際の場で、本格的に、恒久的に、しかもグローバルにすべく、「将来世代大学・ヒューチャー・ゼネレーション・ユニバーシティ」をオーストラリアのセントラルコーストに設立することになって、既に具体化に向かっていた。日本とオーストラリアの二財団による国際大学である。総長も理事長も両国五分々々の責任で運営するという麗しいスタートであった。私は精神教育の総責任者として、理想への理念と実行に必要な時間やそのエネルギー確保に些か心を砕いたのである。その必要性と価値があるから当然である。
 何故オーストラリアなのか。それは第一に、我々の提唱する大乗精神を求めている国柄であったからだ。カナダのトロント、北京、インドネシア、フランス、アイスランド等、有力な候補であり、将来そうしたところへは派生していくであろうが、今、現実的に最も相応しい国であるからだ。気候や環境、経済動向や安全性、宗教的拘り、一般モラル、教育理念、歴史認識、倫理観や自立度、文化水準、本国へ(イギリス)の意識、ヨーロッパ意識、アジア意識、アメリカ意識、日本意識等、何れの角度からも極めて健全であり、小を捨てて大を取り、過去を生かして将来を夢見る努力が、国としてなされているからである。カナダも素晴らしい環境と学問的背景があって適したところである。オーストラリアは更に国情の安定と、国家の教育に対する姿勢が優れている。全人格的な面を大切にしているし、力の入れようが違う。個人主義も全体の調和にたったもので、バランスが取れていて、一人一人の自律性が可成り育まれている。
 自由諸国の目立つものに、自律と言うかマナーにけじめがないことにある。甚だ勝手気ままな部分が大きい。これこそ全体合一認識から確かな解決が得られるというものと相反する精神である。そうではなく、他を思い遣り、美しい関係を形成しなければ、健全な文化は育ち得ない。それはお互が徳性を大切にしあって信頼と尊敬、謙譲と協調、寛容と忍耐等を基調にして、深く天下国家を論じ合えるような共通精神に達する必要がある。その本元がなければそのようにはなれない。それで武道がいるのである。礼に始まり礼で終わる。激しくぶっつかり合いながら、勝つためではなく相手から学び、相手に学んでもらう体からの人間学習法である。そして、姿勢を正し、静にお茶を頂き、深く花の精神に浸って、見えない深遠高邁な世界を見て取れるように、健全な肉体と知性と感性の合一こそ知性が叡知へと輝くのである。けじめ、それは自己の健全な存在を確立し、相互の最も良い関係を構築する社会的自己、文化的自己へのパスポートなのである。そこには自然に国家の恩や社会の恩が優しく感得される美しい精神が宿るのだ。我が国では心を捨てて、国民上げて金欲し餓鬼道へ走り出して三世代、教育も受験症侯群に罹って完全に崩壊してしまっている。救いがたいと言うことだ。噫嗚。これは内緒の打ち明け話。
 我々はここで出会った多くの、素晴らしい有能な友人にこよなく曳き付けられ、理想を共有することになった。この国から大乗精神を、世界へ向けて発信することにしたのである。ここオーストラリアの連邦政府を始め、今まで開催してきた多くの国の学者先生方が、最大関心事として見守られ、絶大な期待を寄せてくれているのだ。
 これもあれも矢崎理事長あっての実現ではあるが、同時に彼の地に同志がいたからである。我々の理想は具現に向けて可成り進んできた。今までの既成大学とは全く構想を新たにした、世界初の大学である。既に広大なキャンパス地も(建設実行地六〇万坪・湿地帯・保護区・公園等を含むと一五〇万坪)、第一次資金として政府より無償の援助資金一千万ドルを頂く話も整ったらしい。近く連邦政府の認可が下りる筈である。
 その大学の特色の一つは、キャンパスに三万坪の禅センターを設けることである。そこには禅堂をはじめ、逐次各種の武道場(剣道・柔道・弓道等)と各種の禅文化に関する施設(華道・茶道・書道等)を整える。坐禅は全教授、全学生にしてもらい、人間探求のための修養を通じて人間存在の原点を実験・実証する事から始めるというものである。つまり、人間として先ず自分を良く知り、精神の帰着するところを明確にしてから知性を磨くと言うところにある。西洋の歴史在る大学には必ず立派な教会があり、知性も信仰と同時に磨かれて成長してきたことを思うと、今更ながらその意義の深さを痛感するのである。現代に生まれた既成の大学は、知の拡大と技術開発が中心で、人間としての根源的本質的な追求が全くなされては居ない。研究所はあっても、皆現象的実験と机上の知識に過ぎないから、生きて輝く叡知には遥かに遠い。
 我が大学の基本理念は、「人間として自らを照し、自らを深く知って、それをベースに科学・技術を研参する。即ち人間としての自律性を高めるのが基本」である。昨日の今日ではなく、昨日を越えた今日でなければならない。そのために常に自己を固定化させることなく、健全且つ建設的に自己破壊・自己超越出来る、いわば成長のための基礎要素として、この心の目を育てたいのだ。この心の目に依って真の学問が何たるかを知り、本質的な存在意義を先ず理解し、それを全人類的に、且つ将来世代の安泰のために生かせる追求の場にして行くのが目的である。
「アース・サミット」から始まったものが、オーストラリアで「地球救済・人類救済のための実行可能な構想とその研究。自己研鑽の場である禅センターを備えた大学形成。そこから本当のリーダーを世に送り出す」に向かって努力してきた。一九九七年には一部開校となり、二〇〇一年に全面開校の予定である。精神面の全責任者として、私はここに完全平和の基となる自己研鑽の実践指導と、人間の本質に基づいた教育学の講座を持つ予定である。なお、精神性の重要性は世界の学際の場で次第に深まりつつ、広がりつつあって、世界の各地に第二・第三と続きそうである。甚だ結構なことだと一面喜んでいる。時間と人材が大問題となることを思うと、多くを望むこと莫れと遺訓された白隠禅師の師、正受老人が偲ばれる。我が師が居られたら、決して門外へは私を出さないであろう。そは何ゆえに。ただ、大法重きが故である。常に一個半個の世界であるからだ。
 ただ、国際化して積極的に幅広く優秀な人材を集めねば、間に合わないぎりぎりの現実がある。このオーストラリアの地より、この人類の夢を掛けた大学から新たなる幕開けが開始されていくのである。人類はなお愚かしいことを限りなく続けるであろうけれども、決してそればかりではない。我々は元々から限りなく反省と改革の努力を続ける、唯一の星の生き物でもあるのだ。それが人類という、知性の悪戯者にして、愛すべき存在なのではないだろうか。さればこそ菩提心を肝に命じて日々の努力が必要なのだ。真実のために、道のために。

 こうして我々の夢は進行していった。理想と情熱と友情で、そこには人間の最も生き甲斐とする躍動があった。勿論建設予定地であるワイオング市当局の力の入れようは大変なものである。トニー・シェリダン市長自らの陣頭指揮は、当然議会丸ごとで運ぶことになる。より純粋を求める矢崎理事長の理念は常に当局の姿勢に反映され、既に議会決定済みである幾つかの事項も変更さえされていったのである。理想理念と経営学とからなる発展的全体的公益性を重んじての構想は、充分理解され受け入れられていた。我々は当初、英断としてこの市長を評価し疑うことはなかった。完全なる理解は無理だとしても、大学構想のための勉強のような小規模大規模の会議は十数回にも及んだ。その都度、我々と理想を共有するオーストラリア側の財団全員「深く勉強になった」と、その時の学びの成果を率直に感謝していたからである。こんな田舎に降って湧いた大規模プロジェクトが来るとなれば、各企業体はあらゆる手を使って直接間接関わって来るであろう事は一般論として誰もが予測していたことではあった。しかし、市当局とオーストラリア側財団の思いが、どこまでも単なる地域開発の一環に過ぎなかったのだ。大型貨物航空機用空港建設とか、住宅団地とか、ホテルとか。よくある地域開発であった。我々の言う地域と自然環境と学際とが、将来に亘って益々健全な関係でなければならない当然の理念とは全くかけ離れていたので驚いてしまった。我々は彼らのこうした思惑にまんまと乗せられていたのだ。
 第一、このような地球規模の救済と恒久的健全化を目的にした大学構想に、連邦政府までが深い関心と期待を寄せ、州政府の幾つかの省は具体的に協力をしてくれていたので、よもやだましをかけるとは思っても居なかったからである。このことがはっきりしたのは住民から環境問題として取り上げられたからであった。一般生活者の力は立派なものがある。そうした事の無いようにと、ずっと合意形成を重ねてきたのに。政府及び各関係機関はたちまち警戒感を抱き、協力どころではなくなってしまっていた。我々にとってはまさに晴天の霹靂であった。
 早速会合を持つこととなり、激論の結果、壮大な理想建設の夢はあっけなく露・幻と消え去ってしまったのだ。地域の経済開発を主体にしたら単なる大学ではないか。我々が今更作る必要など無いのである。「そうした趣旨の教育をしたいのであれば、計画書を提案しなさい。我々がよく検討してみて、可能であれば仲間にしてあげましょう。でなければ降りてもらうしかない」と言う決裂であった。何という傲慢、何という慇懃無礼な。名通訳の中塚美沙子女史は、涙しながら最後の任務を果たし終えた。その痛々しい姿はむしろ勦絶の感がした。女史は言うまでもなく我々の良き同士であり、将来世代の断末魔を涙で聞き取っている暖かい使命感の人であったからだ。人生無常一瞬の夢、とでも言うのが似合う、在って欲しくはない切ない幕はこうして落ちた。夕闇の中、肩を落とした矢崎氏はタクシーの人となり帰国の途に付かれた。愛するシドニーの美しい夜景も、涙する者にとっては果てしなく、果てしなく空しかった。しかし、金先生と私は最後の会議をもったキーウエスト・ホテルのバーで、彼らと共に理想にときめいた過去の良き仲間として別れを惜しんだし、その明くる日の午後にも会合を持った。出来ることなら、互いの夢と使命感に燃えた大学構想を貫徹し、例え三流に落ちたとしても開講に向けて努力してもらいたいことを頼んで終えんした。とんでもない連中ではあるが、どうしても恨むことや憎むことが出来なかったからである。何故なのかよく分からないが、我々の中に潜む深い使命感からであろうか。人類哀れの魔の縁へと突き進む、その絶対危機への挑戦者として、人皆同士としてその奪回戦士であるべきだからであろうか。「蝸牛角上何事をか争わんや」(かたつむり同士が牛の角の上で、自分の角の方が素晴らしいのだと争っている愚かさを言う)の心境もあり、また「この大馬鹿者どもが! おまえ達は何も分っとらん、只の欲呆け人間に過ぎんではないか!」と言う叱責の心も確かにあったのだが。嗚呼。
 機縁熟さざれば只空しく消ゆること是の如しかと。


第二十一  露・幻もこの世の花かも


 理想を為す者は余程相手を選ばなくてはいけないと言う、最も基礎的な注意の教訓通りに終わった。にしても、信じればこそ同士となって出発したのである。それを疑うとすれば疑うにも自ずからそこに限界がある。況や初めから巧妙に騙して掛かっていたわけではないから、初めのあの忍従と努力から何を疑えばよいのか見当も付かない。自分が惨めになるほど相手を蔑めば出来るであろうが、同士を裏切る行為は我々には出来ない。ようするに善人を騙すくらい簡単なことはないと言うかもしれないけれども、彼らの成り行きが、途中から独断専行に走り出してから狂い始めたのである。しかしながら、かかる我々を騙すと言うことは、人類救済の使命感と果てしなく必要な理想にたいして、それを利用し自分たちの地域目的にすり替える程の知的悪人をどうして見破れようか。災難と思うだけでは済まされない、人間の尊厳に対する挑戦と言っても過言ではないのである。それは心あるオーストラリア国民にとっても恥であり、自分達で裁くぐらいの道を愛する果敢なる決断が欲しいと思うのは私だけではあるまい。その事が社会の良識として実行される国であって欲しいと願ってやまないのだが。
 とにかく馬鹿げた結末であった。事が各企業体まで巻き込むところに至っていなかったことを思うと幸いと言うことになるが、善悪というものをそのように相対化してはならない。完全なる善意から生まれたそれらの理想というものの重大性は、最早比較論の世界ではないし計量的比較などはしてはならない事柄なのである。如何なる理由であれ、個を越えた全体への善意と理想は絶対に騙してはならない人間としての契りがある。これが問題なのである。秩序がいつの間にかなし崩しに弱体化していくのは、普遍の中心が見えなくなり、理屈で物事を見るからである。被害程度で善悪の重さや大きさを決めるような現象対処観であってはならないのだ。何故なら、騙すこと自体が既に悪であり、悪なれば許してはならない。その上人類の将来を救済しようとする者を騙し、人間の尊厳と祈りを無視したけしからん輩には、だからそれらを明快にした罰が必要なのである。何が世の中を無秩序にするかというと、たった一つの筋道を通すという事がいい加減になったところから崩れていくという事なのである。約束の遂行である。この事が理想を達成させてくれるのである。当事者の社会的責任も当然であるが、悪いことはみんなですれば一人の責任は軽くなる、若しくは価値観が変わり正当化を期待する精神性がある限り「悪貨は良貨を駆逐す」という諺の通り自分の利になることを優先する。という事は良心の低迷によってもたらせられる事柄なのである。これは過ぎたことへの愚痴ではあるが、秩序というものは社会全体の安定と、個々間、国家間の信頼関係をなす基盤なのである。従って勝手な個々の主張が強く反映し始めると、この現象界の関係性に於いては全体の安定と健全性を失うことになる。つまり、全体としての統一性が崩れていき、そこから自然発生的に混迷化がすすむ。個と全体とはそういう宿命的な因果関係にあると言うことを忘れてはならない。
 今、我が国の政治家や官僚の中には、使命や責任観の欠如すること甚だしきに及んだため、全体が人間性と秩序とを失ってしまったのだ。それら人間性の大事な要素不在が善悪の線引きを崩壊させたものである。結果あのような不埒極まる不祥事が、次々と至る所で生ずる所以である。とにかく秩序無くしては健康的な存続はないと言うことなのだ。当然ながら秩序とは守らねばならない範疇が元であり、それが個を越えた尊厳性であると同時に公明正大なる世界である。これが全体を健全に守る力となるということである。人格とはこれらが自然の状態に於いて履行が出来る人間性のことを言い、そういう人間に育てることを「人格教育」と言うのである。とにかく教育の基本目的を間違えている今日的教育には未来も秩序も理想も在ろう筈がないではないか。このことはどうにも我慢がならないのだ。だからこそ我々は本当のリーダーを育成すべく努力してきたのだが。いや、これからもずっとしていく覚悟である。

 こうして矢崎理事長を初め我々がずっと訴え続けてきた大学構想の理念は、地球規模で各方面から大きく期待されていただけに、決裂と同時に新たな反応が起こってきた。どこかで聞いたような言葉だが、一つの扉が閉じれば他の扉が開かれる。この現象界は因縁の寄せ集めであり、不安定な精神性が一人々々を動かしているのだから、元もと何事が起こるか分からない世界なのである。そうした定義を実証しているかのように、思いがけない扉がいきなり現れて、それがいきなり開かれのである。その不気味さと同時に、だから面白いのもこの現象界であり我々の人生なのだ。
 決別の明くる朝、この国における教育界の頂点である、シドニー大学副総長自ら足を運んで、我々に面会を求めてこられたから驚いた。教育とは、教育者とはこの様に人類的課題と使命の帰結するところである「人作り」のために身を張ってこそ本当である。我々はその明快さと潔さに感動した。何となれば、いかにも既に夢と使命感を共有しているが如き話しが始まったからだ。夢事では済まされない大躍動物語が、我々の小さな体を熱くした。殆どの点で合意を見たのである。理念ベースではそうであっても、具体化させ臨床と言うことになると突如として幾つものハードルが現れる。それが現実というものである。「先ずは理事長と相談をしてから」、と言うことになる。これが現実であり我々の限界でもある。地位を持つ者、お金を出す者が、権威という力を持ち、それがいきなり絶対化する瞬間である。財団という組織の宿命でもある。
 その明くる日も衝撃の日であった。クインズランド大学の元副学長であり、未来学の世界的研究機関の総長をされている先生と、これまたマレーシアの教育顧問や主に東南アジア教育連盟の事務局長をされている女性教授のお二人が訪ねてこられたからだ。こちらはもっと現実的具体的だったので、矢張りここオーストラリアこそ、これからの地球をリードするに足る国家である、という確信を深めたのだ。その具体的な策と言うのは次のような内容であった。

 クインズランド州に於いては中高の学校で「未来学」を教えなければならないと言う法律が出来たというのである。だが、その事を教える先生方が居ないので、急を要する故に我々に力を貸して欲しいと言うのである。まずテスト・ケースとして四回ほど中高の先生方を教育する。その結果次第では州全体の先生方を教育して欲しい、と言う遠大且つ即効性の高い計画を依頼されのだ。我々は「将来世代」と言う言葉で未来に対する動的・立体的に関係付けて語ろうとしている。「将来世代」と言う概念の確立は今しばらく掛かるが、「将来世代」と「未来学」との、定義や概念の違いや深浅を確立しようとしている面もある。それらはどこまでも理念のことであり話である。理屈や言葉や定義にあまりこだわると碌なことはない。とにかく「未来学」「将来世代学」も共にこれからの時代や世代をよく認識し理解することからはじまることには代わりはない。先のことを理解し知るためには、今現在の状況を正しく見て取るための質の高い知識と判断力が必要である。それによって現在この今が原因として見えるようになり、更に現在の総てが結果をもたらせ、それらが将来を決定するという因果関係を深く知ることが出来る。
 国の意図は将来を健全なものにするために、将来の世代に観点を置いて、来るべき将来の悲惨な結果を自覚させようとするものである。それによって、将来の世代にとって取り返しの付かない事態になることだけは回避しようという、まことに素晴らしい意図ではないか。それが一番大事なことであり根元的な解決策である。そうした総合理念が教えられるように、先生方をよく教育して欲しいと言う要請であった。建物や学生集めなど、教育活動が出来るようにするまでの膨大な資金と時間とエネルギーを注がねばならぬことを思うと、そのほとんどが既に整っている状況は何と有益なことか。矢張りこれも理事長と相談をして、と言う門切り型で分かれた。

 こういう教育をするとして、理念の注入に走ったら失敗をする。理念はどこまでも知性の世界であり理屈に過ぎない。いわば知識量を増やし思考半径を拡大するに過ぎないからであり、一般の教育がこれである。教育は心と体を通じて、まず人間性を基調にして育まねばならない。知性的には劣っていたとしても、誠実で謙虚で責任感が強く、優しくて暖かい人柄であるなら、文句無しに人間として立派ではないか。こうした精神の重要な要素は、正しい信念や自信を育むことによってしか育てる方法はない。個として確立させるためにはどうしてもこれらの要素が必要なのである。その上で知性を高めていかねば、その知性は時に凶器にすり替わってしまうことが起こる。知性を使う人間に問題があるからである。知性よりも感性・情操の浄化・拡大・発展をもたらせることが大事だと言うことなのである。それらを育てるには、とにかく教育者が使命感を持つことによって始めて道が開ける。理屈よりも、「しては成らない・しなければならない」事を貫く信念を確立させることが出来るからである。如何に高度な知性であっても、結局は「する」か「しない」かであり「守る」か「守らないか」である。究極的には「〇か一」かなのだ。それが行為を右か左に決定するのであるが、健全な感性と信念がなければ、雑多な多くの情報と多彩な考え方や価値観に対して、正しく統理することは大変困難なことである。いきなり魂に働きかけるもの、それは信念であり使命感である。正義感でもあり、生き方の美学となって滲み出てくる自尊心でもある。教育者にそれらがなければ、それらを育てられるはずがないのだ。そうした精神性の重大性とメカニズムを根元的に解明した指導者によく学ぶことである。

 オーストラリアは素晴らしい教育理念を貫いている国のように感じる。我々を騙した連中の存在さえ不自然なほど、教育という事に対してこれほど真摯なる国を知らない。その事は将来の世代に対する期待と責任の現れであり、政治家も官僚も極めて健全な精神の持ち主でなければこうゆうことには絶対にならない。本当に健全なる国家を目指しているからこそ、教育が常に見直され改革されていくのである。実に素晴らしいことだ。だが、ご多分に漏れずオーストラリアも世界的傾向の通り、やはり教育予算の削減によって、或る種の切りつめ策を余儀なくされていることを実感した。そのことは実に残念に思う。国民の意識や質が低下した暁がどのようになってしまうのかは考えるまでもない。他の如何なる事柄が発展しても、その世代を担うに必要な人間が居なければ社会はたちまち暗黒となるのである。
 オーストラリアは確かに若い。いや、これからの国家という方が現実的であろうか。今や母国のイギリスから完全に独立体制になり、「我々は女王を必要としない」とまで国民の意識が盛り上がっている。人類史的時節から見るなら、従属関係は既に不自然であり、そうした支配的専制君主的意識は危険を孕んでいることをよく知る必要がある。力でもって過去の如く従えようとする支配意識は、地球が或る方向へ収斂していくための自律を妨げるものである。独立することを促進しても妨げては成らない。公平平等な意識になって始めて静かに統合への収斂が進むのである。その事をお互いがもっともっと大切な流れとして期待し願うべきなのである。この観点は、中国と台湾もであり、北方領土問題も、竹島問題も、高次解決するために有効である。支配や所有権から国益を護ろうとする帝国思想は混乱を招く危険がある。今、実現した新たな国家オーストラリアは、英国的でもヨーロッパ的でもない。だからキリスト教的精神の拘束性や固定性や偏った宗教的価値観もないところが健全なのだ。勿論アジア的でもアメリカ的でもなく、全くこれからの新しいスタイルの国家として、健康管理の行き届く国造りが期待できるというものである。多民族融合国家としてはアメリカもブラジルやカナダもそうであるが、治安や経済などの日常的現実面に於ける社会全体の健全性から見る限り、オーストラリアが断然突出している。勿論今日的世代の持つ問題も沢山ある筈である。けれどもその事は何時の時代でも、何処の国でも同様の現象であって、悪性化させるのも、悪性を正していくのも総て一人々々の人間性に依るのである。その事を充分に知っている国家であるかどうか、つまり政治家も官僚もまともかどうか、それらが国民の意識レベルで保たれているかどうかで将来が決まってくる。とにかくオーストラリアは教育に対して国家が常に危機感を抱き、健康管理がしっかりなされていることからして、極端な拝金主義や物質文明中心にはならないであろう。

 それらとは別問題として、建国と同時に始まった原住民との関係がある。アボリジニ民族虐待という不名誉な批評がそれである。国策として可成りの経済支援が執られ、勿論教育にも力を入れているが、完全なる融合は、今のあり方だけでは難しいと言うことである。その理由は、彼らが築き上げてきた文化や文明と言うものは、人工環境にしてしまうような科学技術的なもの、大量エネルギー消費型の文明を目指したものとはおおよそ異なっているからだ。文明人とはひとりの資源消費が極端に多く、それを可能にするためにはどうしても効率の良い環境を収奪していくようになってしまう。今日に見る通り、都合の良い快適な地域は総て取り上げ、彼らは見捨てられた不便な環境に追いやられてひっそりと生活することを余儀なくされてしまった。こうした中、法整備も進み、国民的公平を期すべき運動が起きた時、基本的にどうにもならないほどの落差が付いていたのだ。移民の人たちがもたらした、新しい文化に直ぐ溶け込む事が出来る柔軟性と発展的能力があったならば、教育から生活様式から必ず同化が進んでいた筈である。同化し得なかった彼らの文化とは、まさにデカルト的知性の扉を開かなかったからであり、当然ながら科学技術によって巨大なエネルギーを作り出すと言う発想すら無かったからである。従って彼らの生活様式とは、自然と密着した第一次的な技術の上に成り立っていたのである。つまり、太陽の出現と共に起き、日没と共に眠る。魚を捕り、獣を捕り、自然の果物を採って静かに暮らすという人生であった。彼らの太陽とか自然は総ての始まりであり、恵みの根元なのである。彼らの自然観とは人生するために関わる一切のことであって、命そのものを体で感じての生活なのだ。彼らのあの繊細な芸術品などを見ると、総て自然に存在する者達であり、それらは恩恵に対する敬意と感謝の現れなのだ。文明社会で生きるということは、文明の持つ特性を理解し、それらの法則性や範疇に従わなければならない。文明に対してまるで無知なる第一次的単純生活者が、そうした文明環境の隣で生きることが出来るとしたら、それこそその社会は最も理想的であり、この上なく健全な環境という事が出来る。

 話しが飛躍するが、日本のように社会システムとして熟成し固定化した国では、いわゆるの難民を受け入れて、国際社会からさすがだと言われるようなことをしても、決してうまくいくものではない。単純生活が殆ど出来ないから、生きること自体が大変なのである。例えば清掃業一つにしても、極めて効率的なシステムによって管理されていて、単に掃いたり拭いたりすれば済むような、質の悪い原始的なやり方では到底受け入れられる世界ではないと言うことなのだ。合理性と効率とを窮め尽くした社会というものは、それに対応することが出来る知力と技術とがなければ地獄と同じであり、心の安らかさを定番にした生活など到底考えられないと言うことを知っておくべきである。生まれた時からそうした環境で育てばそれが当たり前であっても、洗濯機さえも存在しない環境で育った者がいきなり先進国へ入り、起きて眠るまで、総てが効率中心にしつらえられたハイスピードの機械文明と接していくことがどれほど困難なことか。特に日本は単一民族であると同時に、教育もゆきとどき、歴史的慣習やしきたりを含めて、共存していくための共通価値観やかなり高い認識レベルを持っている国民である。しかも合理的に考え、共同作業を得意とし、忍耐も諦めもいい加減さも身に付いている国民性なのだ。それのみならず「人がやれるんだから自分に出来ない筈がない」とする平均的自己観から起こる自己開発精神と器用さとで、凡そ何でもやってしまう優れた能力をもった民族なのである。だから能力のない者が生息するとなると正に命がけとなり、現実としてトラブルが絶えない事態となってしまう。隙間がない一枚岩的国柄というものは、そこを住処としている者には何でもないとしても、そうではない人たちにとっては総てが大変なのだ。外国人がよくトラブルを起こすのも、だから全く無理からぬ事だとも言えるのである。隙間のない社会とは効率性がやたら高く、無駄を認めたり許したりする余裕などは無い。況や「無駄こそ可能性の開発と健全性の元であり重要な要素だ」などと言おうものなら、即刻打ち首獄門か磔の刑に処せられてしまう程悪視し、効率主義に統一された国柄ではないか。それは数値によって徹底管理さた環境だと言うことである。
 社会の完成度はどちらにしても程々がよい。せいぜい七・八十パーセントが理想であろう。でなければ総てが沈滞低迷化し固定化し権威化してしまうので、忽ちにっちもさっちもいかなくなる。良いことだから遂行しようとしても、そのためのシステムとしての手続きが必要となり、それぞれが権威化しているために結局は潰されてしまうし、不自然だから改めようとしても同じように実行することは困難なのだ。これが成熟した社会の決定的悲劇であり、この運命的混乱と滅亡を避けることはもはや難しいことである。
 理想社会とする、単純生活者も文明的生活者も存在し得る社会ということは、環境として極めて懐が深く、安定したリズムの緩やかな社会でなければならない。アボリジニの人たちにとっては、高度な知識や勉強に費やす長い時間などが人生する絶対条件とは全然思っていない。彼らの言う人生とは自然の中で、自然のリズムで、自然のスタイルで、総て肌に感じながら実感の時を形成することにあって、人工的に創られた美しいドレスを被着することや、自動車を乗り回すことが人生の理想とすることではないのである。面白いことに、そうした非文明的原始的と言うか自然な生き方に共鳴する人たちが増えている。消費文明が必ず行き着く混乱的人生の救いを、彼らの自然観から見出し学ぼうとする動きがそれである。それはその通りであろう、自然から収奪し征服し続けてあらゆる物を消費する生き方は、忽ち限界が来るが、彼らのように自然に育まれて自然の摂理のままに静かに生きる限り、特殊な事象が起こらない限り限りなく平安に生き続けられることは間違いないからである。ここに「人類と存在」とかいうことを論ずるとして時間軸を加えたら、文句無く彼らの生き方に軍配が上がる。だからこれからの相互関係は、搾取と軽蔑と供与に対して、恨みと忍従と諦めと享受といった経済面や教育などの一方的な今日の文明関係性を越えて、永続性と平安という人類の最大テーマを基盤とした共通認識から始まらなければならない。となれば人生するゆとりと本当の豊かさ等、彼らに対して学びの関係になっていくであろう。それは紛れもなく双方にとって本当に素晴らしい融合化であり救いなのである。
 文明人とは、文明の持つ固有の能力とでもいうか、利便性とか物の力に依存して生きている人である。とにかく本人自身の能力でも価値でもなく、他の外部条件に支えられて生きている、一面空しい存在なのである。それも限りある化石エネルギー一極に依存している、窮めて危険で短命な種族と言わねばならない。さりとて引き返すこともできないほど、人工環境にしたのだ。ところが自然と共に、身体全体で生命を燃焼させて生きていることは、自分に存在する総ての能力を、自然体で出し切り、そしてその範囲内で生活しているということである。そこで教育の質を問題にするとして、大事なことはその人の生き方を、その人なりに向上し豊かになるためである。例えばアボリジニの人たちに、今日的な教育がどれ程のものかとなると、大いに問題である。単に現代的な欲望をそそる知的作用の増大やその情報だとすると、彼らが教育を拒絶する、その事の方が余程健全なことではないか。素直に単純に永続と平安を願うとしたら、現代の文明社会に於いて、彼らの様な単純生活を失うまいとして人生している民族が居ること自体、生きると言うことと教育を見直すための有り難い手本である。尊い学びと救いの存在と言わねばならぬ。

 考えてみると、第二次世界大戦以後は、思想のために二極分断され冷戦が長く続いてきた。その間に科学技術はあらゆる分野に於いて飛躍進展した。少なくても情報収集力とその伝達技術は、個の存在に対して直接間接的に、命の尊厳性とその自覚を育み続けている。そして結果的に思想で拘束し、人間の尊厳を無視する非人道的あり方は否定さた。それもどんどん全地球規模化し続けている。それだけ世界的には安定の方向に向かっているということである。ベルリンの壁にしてもソ連崩壊の大事件もそのための胎動であり、人間性復権に向かっての大きな人類史的うねりなのである。いわば過去にそうした歴史を作った人間に対する厳しい否定であり、将来への無言の警告でもある。
 この人間性復権は過去への責任追及という形というか目覚めにも発展している。先住民を抑圧して栄光を築いた植民地支配国家は、冷戦終結に依って緊張感から解放された瞬間、新たな問題国家へと突入することになった。それは我慢忍従を強いられた先住民達が、抑圧と搾取された怨恨からの開放を求める運動となったからである。人間性復権の自覚は怒りと共に責任追及という形で現れたから、国にとってはいきなり切実な問題に直面したことになる。

 矢崎理事長が率いる我が財団は、一九九五年六月十九から二十一日まで、ニュージーランドのハミルトン市に於いて、ワイカト大学哲学研究所と「将来世代と環境倫理」という国際会議を共催した。ここでも先住民との問題が、国家としてゆゆしき事態にまで発展していたことを知った。いずれの分野の科学者も皆真剣に、しかも鋭くこの問題の具体策について尋ねてこられた。既に「主要な土地は返還する」取り決めまでに至っているというのである。政府がどこまでも原点に立ち返って、平和的に解決しようとしている誠実な姿勢が全面に出ている。一辺倒的過去との割り切りは、責任は総て過去の人に押しつけて、過去のことを言ってもしようがないではないか「今は今」と、いわばぶんどり勝ちだと言うものである。内面に帝国主義的不気味さを秘めていることが分かるであろう。ニュージーランドはそれとは反対である。大変潔い国民性に美しい未来を見ることができる。この精神は禍根を断ち切る上で絶対必要条件である。だが、それまでの時間経過が、様々な結果をもたらせていることを軽く見てはいけない。解決のためには反省と責任遂行は欠かせない基本的条件だけれども、過去へは戻れない宇宙の掟がある以上、公益性の高い健全な未来を目指した解決でなければならない。相互間に横たわる諸問題は、現象面から精神面に至るまで、計り知れないほどある筈である。土地を戻せば元に返るような、所有権の復活だけですむほど、この現象と人間との関係は簡単ではない。返還の瞬間から新たな問題が起こってくることを覚悟しておかねばならない。時間の経過というものは、常にその時から新たな関係を形成するので、或る意味に於いては同じスタートとも言える。もちろん獲得した側と、盗られた側とでは決定的に条件が異なる。何と言ってもこれが確かな怨恨関係の元であり、この心理的軋轢が問題を起こすのだ。こうした心理の如何を問わず、そこから双方によって新しい社会を形成したという、この事実の意味付けが大切なのである。法の整備に従って社会も成熟し、国民として当然その恩恵を受けているはずである。法の整備は社会の整備でもあり、当然教育も公平に授かったであろう。そのことは個人の能力や努力が活かされて、人生の可能性がぐんと増加されたと言うことなのである。つまり社会が整備されると、個人が確立していく。それにともなって、個人の能力が無限大に発展させられるということである。法の元に公正に能力を培ってもらい、公正にチャンスを与えられたということも決して小さな恩恵ではない。最早国家として熟成したこんにち、社会という全体構成に於いて個が確立しているのであるから、その基本的絶対条件を覆すととんでもない混乱が起こり、その収集は容易なことではないのである。過去と現在だけの現象的責任関係には健全な未来が無い。将来を健全に発展させるためには当然将来世代への危機感と共に熱い思い入れが必要である。そのためには国民上げてその任に当たらなけれはばならない。過去への責任の取り方も余程注意しなければならないと言うことだ。過去の人種の違いを越えて、地球上で最も美しい最後の楽園のような恵まれた国を誇りに思うべきであり、その国民であることの自覚の有無が本当に健全な解決をもたらせるであろう。

 そもそも、地球という星は誰の所有物でもない。自然とは人間以前の普遍的存在であることなど今更言う必要もない。しかし「国家」は大地が元で始まったものだ。そして「国家」は大地を「占有物」とし、独占意識を確立した。これらが問題を複雑にし対立を深くしている元なのである。ただそこを住処とする民に対して「責任を持って預かっている」ということに過ぎないし、また先住民族の独占物でもないことを彼らも知らなければならない。この地球と言う大地は、やがて誰もが自由に往来する事ができるようになるであろう。その時のためにどの国の法も整備され統一されていることが肝要である。そうした将来を見越した上で、人類の歴史的転換として眺めるならば、それぞれの激しい時代の模様も「それに至る過渡期的状況に過ぎなかったのだ」と解する事が容易に出来る。さすれば過去の深い恨みも、愚かな人間の姿だとして流せるはずだし、人間に内在する不気味な独占意識への警戒と自戒にも繋がるのではないだろうか。そして、将来に対して自由で大きな可能性を夢見ることが出来得るならば、独占所有の執着観念も希薄となり、怖い事態への突入だけは避けられるのではないだろうか。人生はできるだけ静かで優しく、みんなで自由に、楽しく生活するに越したことはない。また、この大地は人の生き死にに左右されたりする物ではない。ましてや地球という生き物は、何時かは今の大地を地中に飲み込んで新たに作り直していくものである。しかし、どんなに長くて遠い将来であろうとも、そこを住処とする多くの生物が居たとして、その時にもやはり健全な人類が人生していて欲しいものである。彼らは紛れもなく我々の児孫であり、我々の時代をも検証しながら、世界の安定と個の幸せのために努力していることを思うと、つい胸が熱くなる。その事を滑稽だと思う者には笑ってもらうしかない。その時の人類の血は殆ど融合し合っているであろう事を思うと、これ又胸の奥が熱くなってしまうのだ。同時に民族間の争いも自然に消滅していることを大変幸せに思う、と又また胸の奥の奥から熱くなってくる。想像でしかないが、その時には「国家」と言う概念もなし崩しに変革し、国の舵取りも野心と欺瞞に満ちた今のような政治家任せではなくなっていることであろう。大地は生き物であり、生き物を育む祖である。大地を始め自然は我々の祖である。況や誰の物でもない。
 深く案じて止まないことは、こうした絶対関係を教える総ての要素を削除してしまったので、益々精神は腐っていく。さればこれから先の僅か三十年後さえも、自然環境を始め今日の安定・安全性と静けさを保ち得る可能性は薄いと言うことである。それは自分たちの現実の膨大な消費生活が如何に破壊的であり、且つ罪悪であるかを自覚し反省する事ではあるまいか。それが出来なかったら、我々は将来世代を破壊し、無限の生命を奪う、いわば罪状なき無限大殺戮と言う途方もない罪を犯すことになる。しかる後、死に神に捕まって食われてより閻魔様の前に引きずり出されて、その裁きを受けることになる。そして無限地獄での永遠に続く火炙りから八つ裂き磔等々、阿鼻叫喚を楽しみとする鬼どものフルコース料理の素材となること間違いなし。またそれが因果の上から当然なのである。その時になって、「お釈迦様、何とか助けて下さい!」などと言っても、冷たくせせら笑って「そなたは地獄しか行くところはないぞ。性根に入るまでしっかり苦しんで来い。人間の馬鹿者どもが!」と叱られるのが落ちだ。己のことしか考えないような輩は、もうこの地球に存在する資格は無いからである。そういう世代になりつつあることを、切実に受け止めなければならないのではあるまいか。
 地獄も極楽も、宇宙の掟が有る限り存在する。何となれば、厳然たる原因結果の世界だから、原因が有れば必ず結果があるのだ。当然地獄にはあの恐ろしい赤鬼青鬼が居なければならない。そいつが待っていて、来る者を片っ端から掟に則って裁いていく。赤鬼青鬼とは因果の事である。それは極めて正確に運ぶので、匙加減等有ろう筈がない。誤魔化しなど全く利かないから、最も恐ろしい世界だということである。地獄へ堕ちる輩は、総て掟を無視し破ってきた連中であるから、この上なく恐ろしいのは当たり前なのだ。
 ところが、それ程確かな世界だから信じられ安心が出来るのだ。己を慎み誠実に生活していれば、結果は当然極楽しか行くところはない。どちらへ行くかは本人が決めることだが、責任を執ると言うことは常に出た結果に対してである。当人は責任を取って地獄で制裁を受けているからと言っても、時間が引き返せない以上、破壊されたこの世界は取り返せるものではない。この厳しい状況を救うには、地獄行きの者は早く地獄へ行くことである。つまりこれ以上荒廃原因を積まないようにするしかないのである。地獄にだけは行きたくなければ、即刻懺悔し悔い改めて、今の大消費生活をトータル十分の一に切りつめることである。それでも多いのだが・・・ であるなら閻魔様も許してくださることを請け合いましょうぞ。


第二十二  健全な未来への扉


 大学新設撤退劇は、当然ながら矢崎理事長に大打撃を与えた。そしてシドニー大学構想もクインズランド大学構想も、暫く様子を見ようと言うことになった。それ程傷つき、慎重にならざるを得なかったことと、一方に於いて貧しい中国に経済・教育・思想面に生命を掛けていたからだ。地球の人口的構図はと言うと、四人に一人は中国人という比率で展開する。すると、今、中国が健全に成長しなければ、地球の安定は困難だと言う彼の発想がそう結論付けたのである。中国に対して、今、これほどの信念を持って力を入れている者が他に居るであろうか。私の知る限りでは居ない。大きな打撃の中にあって、尚巨大な理想と信念に生きてる男がここに確かにいるのである。
 我が財団には関係ない話であるが、財団という性質を推敲してみると、財団が機能するに当たり、理事全体の意志が根幹の決定に反映するような組織であるかどうかは、その財団の質を決定する。それがもし無いとなると、これは私的財団であって志を共有して皆で理想を追求すると言う存在とはかけ離れることになる。お金と権威が中心の財団か、理念と理想が中心の財団か、と言う問いかけと選択が当然起こる筈である。だが、決して片方だけで機能し作用するものではない。意志と理想を具体化させて結果を出すとなると、げに財団運営の健康管理は大変だろうなとつくづく思う。矢崎理事長の卓越した能力あればこそと感嘆する。特に感心するのは、教育に最も深い理解と危機感を持った理事長だと言うことである。飛谷亜紀子さんという優れた事務局の一人を、イギリスのペダレス・スクール(中・高)へ日本文化大使とでも言うか先生として送り込んで、無功徳の功徳を押し進めたりしている。これらは着実に成果をもたらせ、正統派の日本理解と将来世代への建設的な精神基盤育成に貢献していることからも伺える。だから彼の慎重なる選択の裏には、現実と理想との狭間に立つ者のみが味合うであろう苦悶が見え隠れする。これでよいのか! 将来世代はどうなる? 今までの努力を無駄にしては成らぬ! 私には、常に矢崎理事長のこの叫びが聞こえてくるのである。尊いことではないか。

 そうこうしている内に、又々大きな扉が目の前に現れた。根元的な全人格的精神性を重要視した教育をしなければ人類は滅亡する、という先生方が居たからである。それがオックスフォード・ブルックス大学の幾人かの先生方であり、後ろ盾になったのが副学長である。その大学に於いて、新たなる学部を新設しようという動きである。即ち、急を要することは指導者でありリーダーの育成だと言う。教育学部長その他の先生方と理想を共有したこととは、「リーダー育成科(仮称)」の新設であった。二千六百年の伝統を持つ禅精神を持ち込むと言うもので、全く新しい学部を創設し、人間性を最重要視した全人格的教育を目指したものだ。そして、一日も早く健全なリーダーを世に送り出さなければならないと言う我々の結論であった。若し出来たら世界初の勇気在る学部であり、人類と社会にとって極めて有益な学部となるであろう。当然ながら世界的注目を浴びると共に期待をかけられるであろう。
 個人的な協力関係故に意志決定は自由に出来る。即理想実現に向かうことにした。それが現代版の衆生済度であろうか。私には年十五名の推薦枠を頂いたことは、隠れた逸材を発掘し世界的なリーダー育成の早道にも成るというものである。もしこれが実現したならば、日本人の明晰な頭脳と人間性や理想の高さ素晴らしさを世界に知らしめられるチャンスでもある。健全な地球是としての精神教育に於いて、日本が世界的に貢献できる絶好の機会でもあるような気がするのだ。

    速かりし由良の助 西洋での精神教育は尚夢か?

 物事の総てには順番があり手順がある。結果を出すためには、そのために絶対必要な充分条件があって、これらが整えば結果は自然に成る。これを無性因果とも因果無人とも言う。つまり誰がどうこうするのではなく、原因があるところには必ず結果があると言うことであり、結果があれば必ず原因があると言う宇宙の法則である。一九九七年六月十一日、三度目の英国訪問である。しかも一年足らずの内に。金先生・通訳の飛谷女史と共に、オックスフォード・ブルックス大学に赴いた。オックスフォード市より車で二十分。広々とした郊外に現代感覚の建物が点在する。大学関係の人以外は居ないであろう。健康的で勉学の環境としては純粋すぎるほどだ。純粋すぎることは決して良いことばかりとは思わないが、坐禅をし勉学をするにはもってこいの純粋な環境である。早速学部長のウェルトン教授等関係者と会談に入った。結論から言えば、私の方からこの話は無かったこととして白紙撤回させてもらった。とても悲しい結末であったし、あれほど気を入れた重要問題を反故にすることは大変辛かった。理由となったのは、やはり異文化間のコミュニケーションであり、双方に互いの依存や思惑のズレもあった。が、それ以上に時節が可成り速かったようである。こちらが思うほど先方の意識や信念が確固としていなかったのが、私を不安がらせ諦めさせた理由である。その実、私にはこれ以上、今時間やエネルギーを傾注することは不可能であった。折角賛同を得て北海道・東京・大阪の各事務局も出来たというのに。貴重な協力資金をひとまず返済すべく、極めて高額支援者にその旨を伝えたら、今回の縁はそれで仕方がないが、老師の理念と情熱に人類への望みを託したので、世界の精神改革と、その教育活動に遣って下さいとの返事であった。私は新たなる決心がめらめらと沸き上がってくるのを覚えた。彼らの気高い理想こそ、私の心的エネルギーでなのだ。
 しかし理念と信念のズレを、こちらがずっと資金がらみで、しかも地球の裏から通って補わなければならないとすると、早晩私がつぶれてしまう。傷は浅い内に塞ぐことが肝要であり、時節が来なければ決して良い実は成らぬものである。又、世界はどうしても人間の中心、即ち精神に向かった教育に進むしかないし、時節は何処にあるか分からないものだ。私には決して希望や理念を捨てることは出来ない。只時節と同時に、精神教育への理念の広がりを待っているのである。「魂の教育は心の生もの・人間の生もの」を扱う事なので、そのことの重大性が分かっていたら、体制として確立すべき大事な事柄があるのだ。その確かな理解に基づいた、しっかりとした土台がなければ本当の教育は出来ない。それが分からない限り、本格的な人間教育はできないし、この理念を譲ってしまったら何にも成らないからだ。つまり、技術的なものや学力や知性以前の問題なのだが、その事が分かっていない限り、その根本で双方に問題が起こるし、学生が一番困惑することになる。現在の西洋における教育観点に、精神教育を導入するには尚十年の歳月が必要であろう。伝統の化石化が濃厚なイギリスだからであろうか。だが、私から基本的願いが消えることはない。必ずやらねばならぬ。

   理想の共有と、その実現に向かって

 地球の抱えている危機的問題は何一つ猶予はない。今の比較的安泰と豊かさは後三十年は続かないと、気象学者・環境学者・社会学者・海洋学者等、現象問題を扱う自然科学者は皆口を揃えて言う。つまり、一年に一億人弱の人口増加と、一年に日本列島程の砂漠化と森林消滅が進んでいること、温暖化現象・オゾン層破壊、大気・河川・大洋の汚染、資源の枯渇に加えて生活の文明化に伴う大量エネルギー消費の急増と拡大。八割の発展途上国が、各家にテレビ・冷蔵庫・自動車・クーラー・電気釜・電子レンジ等を持つようになるのも時間の問題である。売り込みにしのぎを削っている世界の経済競争は、彼らを忽ちその様な生活に追い込むであろうから。その時のエネルギー消費量と大気汚染と酸欠とだけからしても人類の将来は絶望的だ。その上に理想も使命感も秩序もないマスコミがたれ流す低俗卑猥な宣伝や番組によって汚染される精神から、どのような危険な社会になっていくか見当も付かない。どう楽観的に見ても、今のままでは取り返しが付かない世界的危機しかないのである。マスコミはこの様な恐ろしい将来の状況を、報道にたずさわる者の使命として真剣に訴えて、我々の生活に慎みと秩序を取り戻させるようにしなければならないのではないか。
 猶予のないこれらの難問題は、決して個の国の問題ではなく、総てが地球的課題であり将来の存亡そのものに関する事柄である。この事を今日からでも全教師が、次世代を担う生徒に徹底理解させ、精神の根底から自律と良知によって生きることの大切さを身につけさせねばならない。そして人間の平等公正さと尊厳性を育てなければならない。そのための精神性を指導することができる本当の信念を持ったリーダーが必須なのである。これを育てることしか確実な道はない。純粋学問は勿論大切である。そして科学技術も大切である。が、彼ら俊才の頭脳と情熱をそれだけに終わらせる限り地球環境は決して改善されはしない。これらの旧態依然とした学際を一歩進めて、勇気を持って乗り越える必要がある。将来のための改革として根底的な斬新性を導入することが、健全発展となり鍵となるのである。それが精神性・人間性を重視した教育者作りと言うことなのだ。
 希望を抱くとしたら、まず我々人類の存続あってのものであろう。勿論教育だけでそのような大問題が解決できるものではない。けれどもこの危機的自覚を心底から徹底させない限り、何一つ改善されてはいかないので、俊才集団に熱い期待をかけたいのだ。それも地球全域に拡大して。夢と希望は持たねばならない。それも大きいほど、公益性の高いものほど素晴らしいではないか。限りなく遠い道のりではあるが、初めから諦めたり躊躇ばかりしていて実行がなければ、時は容赦なく改善不能へと向かっているのだ。我々の孫たちの時代には、安全のために酸素ボンベを携帯し、オゾン層破壊による紫外線防御のために宇宙服まがいの防御が必要となるかも知れないほど、大気の汚染やその他が絶望的になっていっているのだ。
 その様な地球環境や世の中にしないために、何としても人間性復活のための精神教育を学際の世界に於いて、急ぎ展開さすべき時が来たのだ。私たちの児孫のために。


第二十三  是非実現させたい夢


   序説  

 教育機関について歴史的考察をすれば、どこの国にも何らかの教育機関は早くから在ったはずである。我が国においては千二百年前、既に弘法大師や最澄によって、仏教思想を中心にした、高度な精神文化を教育する専門機関が、寺院という形で存在していた。更に言えば、凡そ二千五百年以前、インドの釈尊や中国の孔子聖人、ギリシャのアリストテレス等は、仰天するほど高度で専門的であった。しかし、学問として知性が知性を刺激し、多彩化し拡大化していく専門教育集団を、総合的体系的に発展形成させた機関としては、何と言ってもオックスフォード大学でありケンブリッジ大学であろうか。学の世界をリードしてきた一面から、最高の権威を誇る学際の祖的存在であろう。
 そうした機関によって学問が発達し、それによって人類は未曾有の文明を築き上げた。それは計り知れない科学と技術とによって形成された、いわば知性と努力の結晶であり、我々はこの絶大な恩恵に浴している。ここで言うところの恩恵とは、物理的現象的な目的ならば、簡単に達成する事が出来るようになった事であり、生きるために命をすり減らすと言う過酷な環境を改善したことである。それは確かに人類にとって有り難いことには違いない。それだけなら問題はない。教育とは学問だけではないからである。

   人間の危機と文明

 文明の絶頂に達して二三十数年になり、今やその付け回しのための技術開発が必要となった。最早文明の恩恵どころか、危険な存在にまで成ったことは憂慮すべき事である。人間にとって科学・技術が総ての原点でもなく、勝るものでも優先すべきものでもないと言うことである。科学・技術によっては、ある種の不気味な世界が創造されることが分かったからだ。今日の全般に何が起こっているかを知れば、一人として震撼とせざるを得ないはずである。
 人類にとって文明の所産した事柄をもう一度まとめてみると、最も顕著な事柄は、時間空間が極度に短縮し狭隘化してしまったことだ。これらは総てが高速化するに従って、一人ひとりの占める時間空間が計り知れないほど拡大した事である。それらの複次的総合的結果として、全人類の命に関わる危険な環境になったということである。
 これらは科学・技術が間違っていたからだというのではない。携わる人間に問題があるからである。つまり、人間の方を重要視しなければとんでもないことになるということだ。文明の成長は事ほど左様にして、大気や河川や海洋は汚染され、資源は枯渇し、食品は不健全となり、教育は人間性不在となり、家庭は崩壊し、伝統文化は世代間断絶によって伝わらなくなり、情報過多は不信感を増長し、常識は欠如し、人間としての尊貴性も尊厳性も潤いも育たない人工環境になってしまったのだ。人生に夢も安らぎもなくなったとしたら、生きている価値そのものが崩壊するのである。これらの総てとは言わぬが、大半が文明によって成ったことは否めない事実である。
 畢竟精神の退廃をもたらせた今日の結果は、家庭においてさえも誰もが孤独である。どこにも人間としての自信も信念も尊厳もなく、自らの不安を誤魔化す人生をして日々を過ごしている者が何と多いことか。空しく歳月だけを重ねて、子育てすら出来ないほど未熟化しているのである。次世代を育むという機能は、本能の中でも最も強烈な作用であり自然な生命現象である。でなければその種は絶滅するからである。それほど文明に毒されて、我々に内在している極めて自然で健全な本来の人間性が発露しなくなってしまっているのだ。かといって文明を否定した社会は最早あり得ないし後戻りも出来ない。また、文明が本質的に悪いわけでもない。問題はそれを使う人間の精神であり、我々の心なのである。ここに重点を置いた教育でない限り、問題解決には向かわない。
 いずれにしても今日的な結果を出している諸々の学者・教育者に於いては、深い反省と自戒が必要なのだ。頂点と目される各大学での人材育成とは、学問を極める学者と、技術及び技術者を追求し育てることであった。それ以上でもそれ以下でもない。それ自体は価値在ることだ。しかしその応用結果が今日の地球環境をもたらせ、物質中心・文明信奉の社会現象を極度に促進することになった根元ではある。人格完成を無視した知的教育は、企業的には高い意義があっても、社会的歴史的な問題以上に、人間の心を破壊することに怖さがある。そろそろ学者・技術者・教育者自らがその事を悟り、人間との関わりに於いて科学・技術・及び教育が有する二面性の矛盾をはっきり自覚してもらいたい。

   新しい教育学コースを

 こうした願いの元に、学と行をもって自己追求をするための、精神教育のコースを新しく設けたいのだ。即ち、教育学者及び教育者を目指す大学院に、禅による人間探求を加えようというものである。人間性が物質や科学・技術以前の、最も根元的な存在であることを知ってもらいたいからだ。根元的な、全くシンプルな人間の様子に従った教育をすべきだからである。そのためには無理のない、自然で健全な教育学を組織化し体系化してもらわねばならない。ここが地球規模で、今一番早急に必要なことなのである。これを為し得るには、学をする自己本人の心の究明が必須なのだ。現在の教育学の最も抜かっている点である。それが元で人間性不在の教育となっているので、それで禅が要るのである。
 何故禅が必要なのか? 学を通して学を超えること。つまり自己消化が出来うるまでに、心の成長が大切だからである。大抵は学に染まり、学の理屈でしか語れないものである。学と人間が離れているからであり、学が心になっていないと言うことなのである。即ち、「知性の中に集められた物に過ぎない」と言うことだ。
 何故なのだろう? それは知性で概念化して捕らえ、「理解する・しない・分かる・分からない」限りの処理しか出来ないからである。知的探求というか、認識論的追求というか、理論体系に留まる学は、悉くそれが限界なのだ。心という世界を、そんな小さな扱い方をしていたら、心にも成らず血も通わないのは当たり前なのである。禅は自分で構築した一切の概念的構築物を、消化吸収の後、自分で破壊もしくは除去する力を与えてくれる。つまり、自分が知的生産した文化を、手も下さずに血肉にし心にしてしまい、且つ闊達自在に日常化する。心が言葉の拘束を受けないと言うことである。従って、学を本当に生かす道、それが学を超えると言うことであり、本当に人間としての学をすることなのだ。即ち、学をする自己自身を学すると言うことである。知性が知性自身を知ることは出来ぬ。目が自分を目だということを永遠に知ることが出来ないと同様である。それを明らかにすることが出来るのは、そのものを通して冷暖自知する禅の世界しかないと言うことを知るべきである。禅は孤高の絶対境地故に、一般化の困難さがあることも確かである。しかし、人間の本質的追求の手だてとして見たときに、教育の対象である人間の理解にこれほど役立つ物はない。生涯を教育者として、或いは教育学者として本物になろうとする場合、是非とも自己究明をしなければならない。また、人類救済を教育に依って為そうとするならば、尚のこと人間の本質に基づいた教育学を完成しなければならない。そのためにも、自己追求としての実験実証体得学は今、教育には古くて新しい不可欠な要素なのである。
 これが実現すれば極めて高い歴史的意義をもつことになろう。即ち人類救済の根元的示唆となり、その方向転換の道が開かれるからである。勿論そこには、多くの困難なハードルが横たわっている。しかし、そのハードルを越えなければ、再起不能なまでに荒廃した人類のなれの果てを目にしたとき、我々は断腸の悔恨にのたうちまわることになるのだ。今こそ、人間的にも優れた若い有能な指導者が多数必要である。そのためには如何なるものも惜しんではならない。人類滅亡・地球滅亡と比べるべきものが在ろう筈はないからである。最早、相対的二元論的な精神不在の学問や教育は、人間性の確立はおろか世界の救済にはほど遠い。教育に限って言えば陳腐化しているのである。或いは遅かったかもしれぬが、今その重大性に気が付いたならば、東洋の叡知を学際の場に取り入れたいのだ。極めて勇気と英断を必要とするが、我々は人類的使命のために努力すべきなのである。それが人の道だと信じているからである。

   ハーバード大学大学院にこのコースを

 何故ハーバード大学なのか? それはアメリカという国家に有ることが一番の理由である。次に、世界の俊才ばかりが集まった、世界を代表する大学であり、環境が素晴らしいから。更には、多方面に多大な影響力を持った大学だからである。とにかくアメリカという国は、一口では語れない不思議な国家なのだ。それこそ建国史に見るとおり、民主主義という新しい人間価値観をもって多民族を纏め、自由と夢と努力を機軸に発展してきた国家である。銃の所持も、個人を信頼すると同時に、個人の安全は個人で護るという徹底した個人主義が原点なのだ。人を殺傷することが出来るから敵を倒せるし、それによって身の安全を守ることが出来る。この矛盾が若者の自律性不全によって、今アメリカ社会を物騒にしている問題だが、銃が悪いとは決して断定しない国である。これを懐が深いととるか、意見を纏めにくいと言うだけか、個人で安全を確保するためには尚必要だからか、責任は持つ側にあるととるか。いずれにも安全に関する言い分があるところに、一方ばかりで裁かない。これがアメリカの面白い国柄であり不思議さである。麻薬もエイズも急増していて、銃と共に危険がいっぱいなアメリカだ。しかし、夢があるものとか、将来に役立つとか、それ自体に意味があるとかの場合、建設的に検討し取り上げ可能性を育む。つまり、受け入れ、試み、活用する可能性が最も高い国家である。加えて、アメリカが一番早く健全化してもらいたいし、世界をリードしてもらいたいからである。クリントン大統領の演説が具体化して、本当に地球の救済、人類の安全保障に関わる教育として、アメリカ自身が大飛躍して欲しいのだ。だからアメリカ、だからハーバード大学なのである。
 私はその大学と直接関係はない。有るとすれば学者グループであろうか。が、ことここに到った以上、理事長と総長に命がけで直接説得する事にしている。それで通じない人とは思えないから。実際にその学部を開設しなければ何の救済にも成らない。そのための開設費用を目の前に差し出して、「これでも出来ぬと言うのか! 死ぬのも近いというのに、一つぐらい命がけで人類のためにしたらどうなんだ!」と詰め寄れば、「分かりました。すぐに開講できるようにしましょう!」と言うに決まって居る。ここから始まっていくのだ。その始まりの出来具合が地球的広がりを左右するので、効率的にもここが一番よいと決めている。

   成果に驚くぞ

 精神教育を標榜したコースであるから、精神性の高い理解者、精神文化の追求度の高い学生しか集まらない。本格的に自己究明が始まると当然実践が伴う。実践とは具体化であり、現実的に結果を出すと言うことである。時間の経過と共に逸材が頭角を現すことになってくる。つまり、外見からも一見して分かるほどに態度が浄化し整うので、品性も高くなったことが誰の目にも判然としてくる。
 俄然人間の理解度が深まって、極めてすっきりとした根元的な教育論が進む。一方では心の偉大さに気付き、徹底して心の究明に向かう学徒も現れる。どちらも大切である。そこで自己究明を徹底してやろうとする実践学徒者こそ、心の指導者となり人類の指南車となる人材なので、大切に徹底指導し育てなければならない。無限の価値があるからだ。この様に現実では純粋学に向かう者から、短期的に純粋実践に向かう者とが現れる。その実践者のために、半年コースと一年コースぐらいを用意して、徹底した坐禅をさせる。時を急ぐには質を選ぶことである。そのための専門の場所、専門の指導者、そして専念する時間である。ためにあの風光明媚な聖地、広島県三原市の白滝山竜泉寺に、その人たちだけの十名規模の専門道場を設け、そこで惜しみない努力をして貰おうと思っている。そのお寺の住職が、長岡恵樹老師と言う、隠れた希に見る道心家であり、この遠大な理想に全面的な理解者協力者なのだ。しかもそこには、アメリカの道心家である道育という優れた禅僧が居る。法を求め来日すること二十年余り。あの発心寺で原田雪渓老師に就いて研鑽してきた強者なのである。これ以上の効果的な方法はあるまい。ここで、心が発生する元の様子が判明し、総て瞬時に消滅している実体が明確になったら、大学に帰って理論武装するのである。
 その理論対象とは、結論的にはそれぞれの国に合った、実践可能なカリキュラムを立てることである。教育というものを人間の本質性から見直していかなければならないので、それぞれの国の歴史と国情データーから、その国の実状を、教育的見地から詳しく分析する。現行教育と環境が、今の子供達の様子であり結果である。結果として子供達が素晴らしければ、その教育は素晴らしいのだ。
 例えばワシントン州の教育改革案を作成するとする。先ず現行の総てのカリキュラムを詳しく分析する事から始める。その急所は、人間の完成度を評価の中心に置く。となると、人間性がどれ程育ち、どれほどの自律性が育まれるか。逆に、そのカリキュラムの何が自律性を阻むか。倫理観・正義感等から、責任・義務・忍耐・努力・思い遣りなど、健全な人格を備えるために、必要な精神要素が育つ教育であるか否かである。その決めどころ、角度を定める眼力が、理論や理屈ではなく、子供の本来が無理なく自然に発達し得るか否かで見ていかなければならない。それには自分の本来を知っていなければ、方向さえ定めることが出来ないのだ。それにはどうしても自己追求の力が無くてはならない。カリキュラムをこうした根元的な観点から分析評価するのである。
 そして次に、現状の子供達を徹底解明していく。そこには可成りのズレが明らかとなり、それだけ子供達の歪んだ成長が、結果としてでてくる事になる。その次からが本当の目的である。即ち、健全な発達成長を促すための、訂正要素を、年代的にどの時点で、どの様に組み込むか、である。当然環境との兼ね合いも、知性と感性と精神性の関係、心と体のバランスもあるので、総ての状態を把握し分析する基礎研究に、相当の時間とデーターが必要である。ただ、基礎研究によるデーターは勿論、関数的変則値をも出して、いわゆる方程式にしておけば総てに共通する。だから、全研究者が手分けして共同作業すればよい。総ての教育研究所とも、末端にいたる行政からの資料寄せも、その分析も。子供の本来が全員に把握されていることは、人間性を如何に育てるかの基本目的と、それに必要な条件などの検討にはまことに無駄がない。そして、成果の総てを、何処からでも結合拡大する事がでる。そこが根元から出発した最大の得点であり、普遍性の証明でもある。
 こうして作成したカリキュラムを、州の文部省へ持ち込み、働きかけるのである。日本ではとてもではないが絶対に受け付けるものではない。そこがアメリカである。そこでハーバードの名前が役に立つというものだ。しっかり分析したデーターを元に、補足した大事な点をしっかり説明するのである。彼の大学出身官僚も大勢居るはずだから、必ず気を引くはずなのだ。小手調べとして、三年間小学校で試みてもらうのだ。そして分析すれば、その効果は歴然とする。結果を知れば、同じ努力をするのであれば、より効果的な道を選ぶのは寧ろ自然である。後は政治的に促すだけでよい。各州の特徴にあったカリキュラム作成を依頼されるかも知れない。文化的落差が極端でない限り、同じカリキュラムでも多分さほどの差は無いはずである。さすれば、全米に普及するのも時間の問題だけとなる。
 
 この時には、既に次の国のカリキュラムも出来ているので、成功例は文句無く実行に繋がっていく。基礎力が備わり、基礎研究の応用段階からは、手分けしてそれぞれが各国のカリキュラム作りのための研究にかかる。第一回生十名でスタートしても、三年には三十名を遙かに越えるであろうし、その意義と確かな実績は更なる注目を浴びて、世界から優秀な学生が参画し増大するであろう。三年の後には教授陣も二十名近くになるはずだし、研究室も世界を網羅し得るほどの、数と内容を備えているはずだ。教授には当然オックスフォードやケンブリッジ、いや世界の優秀な大学にも通じているので、この新しい大学院コースが設立されていくだろう。だが、気の毒ながら知性の世界だけからアプローチする限り、本来が分かるはずがない。研究者も教育者も中途半端な事しかできない。そうなるとハーバード出身の若き教育学者が教授しに行くことになる。
 もしアメリカ全土で実行と言うことになって実際に成果を上げたら、国連指導型で全世界の人間と教育、そして地球と将来が根元的に見直されていくだろう。一人々々の自律を高めればよい。それも子供が本来持っている自然で豊かな心を発露させれば済むことである。それでいて全体の知育の程度が決して下がったりはしない。寧ろ健全な精神によって、人生に希望を持ち、素直さと忍耐努力が全体の質を高めていくからだ。精神の浄化向上が進めば、毎日の生活も見直され、環境への温かい心が注がれると同時に、民族の違いに対しても心がおおらかになり温かくなっただけ、自然に優しく好意的となる。紛争も自然に消滅するのだ。風圧でマントを脱がせようとするよりも、暖かい太陽の光を受ければ、自然に脱ぎたくなるものだ。経済活動も紳士的になり、相手を思いやる心も働くため、結果として世界が落ちついてくる。安定にも多大な貢献をすることになる。子の心を「大乗精神」と言う。その頃の日本は一体どの様になっているだろうか。それでも官僚支配は変わらないだろう。それが日本なのだ。今の官僚と家庭と子供達を見れば分かるはずだ。

   目前のハードルを打開すれば

 何事であれ、全く新しいことを始めるためには、必要な総ての条件を整えなければ形にならない。ここが我々の泣き所である。建物も教授陣も、第一一切の準備資金を持たない我々は、この点で最大の苦慮を迫られているのが現実である。このハードルを越えられるか否かが、人類救済の一つの突破口を構築し得るか否かにかかわってくるということである。環境や背景がどの様に変化しようとも、人間は健全な精神を育まねばならない。その指導が本当に出来る実力者を養成するのである。極めて実践的なリーダーを、早く、多数世に送り出さなければならない急務があるのだ。
 こうした重大事に、惜しみない協力者が欲しいものである。であれば人間の永続と尊厳が保たれ育てられると言うものだ。せめて五十億円ほどあれば、少なくても世界の教育の方向性だけでもきちんと出来ると私は確信している。それが本当に五十億ぐらいで出来るものなら、何と安いことか。開講するに当たり、まず幾つかの部屋が必要であり、研究室も必要である。それもあり合わせで狭い物では忽ちパンクする。コンピューター関係の設備を中心に、色々な資料を広げてみんなで検討作業することが出来、且つそれらを効率よく収納しておかねはばならない。その研究室は、やがて世界的な「精神教育と人間本質研究所」として権威の中心に成るであろうから。そして白滝山には、そのためだけの国際禅堂を設けるとなると、建設費とその維持運営費も忽ち必要である。また優れた教授陣に支払う俸給も、学生数とのバランスが取れるまでは確保しておかねばならない。研究指導のために掛かる諸経費も大きいはずだ。その情熱と行動力と確かな手段があるが故に、資金を寄せる人と、それを最大限に生かす人とのコンビネーションが確かなら、確実に成果をもたらせられる。それはそうだと理解する知力と、それが必要だと信ずる力が無い限り、そこから発展するものは何もないであろう。とにかく高い理念と信念、そして深い人類愛がなかったら出来ないことである。その無功徳の功徳は無量無辺であり、六族九天に生ずと。大燈国師は大悟して後二十年、京の五条橋下の乞食隊裏にて聖体長養された。曰はく、「我にその禄を問わば、名月水中に浮かぶ」と。そんなにまで苦労して、一体何の得があるのかと修行者の私に問うたら、こんなに清々しい晩に、勿体ないほどの美しい月が、ほら、水を汚すこともなく水中に浮かんでいる、それで充分ではないかと。流石に明眼の宗師、いい境界ではないか。どこにも理屈がない。損得勘定もない。ただ、大切なものを身を捨てて行じているだけだ。召し出されていきなり御醍醐天皇の師となった。とにかくあの白滝山は俗化させてはならない希なる聖地であり宝である。ここでみっちり心の探求をし、大器を養うのだ。自己追求にはできるだけ俗塵から離れた環境が好ましいからである。

東京事務局より


   理念と提案

 我々後援会の基本理念は、「人格を基調とした精神教育の実践とそのリーダーを育て、人間性復活によって地球救済・人類救済をなさろうとする先生方を支援し、その精神をひろめる」事にある。
 誰を、どのように支援するのか。これが具体的な目的である。
 結論から言えば、「少林窟道場主師家・井上希道老師」の支援である。まだ計画段階であればこそ、その具体化・実現化に向かって大いに努力していただきたいと願うものである。言うなれば、全く新しい教育活動を推進しようと決意され、大学院に新しいコース「自己追求による人間の本質的究明に基づき、根元からの教育論とその実践教育」を目指す老師に希望を託してみたい。そのための支援活動である。なお更なる確かな夢、その教育効果として期待できることは、単にハーバード大学にとどまらず、その必要性から可成り関心を持っている大学が多くあると言うことである。俊才の集まっているこうした大学に同様の教育路線が開設されていけば、そうなれば世界的発展へと繋がり、老師の仰る通り国連レベルで教育に関する根本的見直しもされる時が訪れるであろう。そこから地球規模へと発展し、本当の平和を初めとして文化人類的進化をとげることになるであろう。
 また卒業生の人材の尊さも国際的に評価され、地球のクリーン化と活性化が進むことが期待される。これはあくまで理想への図式想像に過ぎないが、特に老師の実践指導は深い論理的科学的裏付けによって、確実で精細な達成力を持っておられ、既に我々が体験済みである。老師が秀才の彼らの前に立ち、ひとたび心と心が対峙した時より、彼らの心は俄に暖かく新鮮な魂が躍動し初めるであろう。そして、人間としての高い徳性が磨かれ、更なる向上心が発露していくことを確信する。そして、彼ら一人々々が地球の危機的状況に対して果敢にも根本的教育に挑んでいくであろう。我々の夢は勿論のこと、将来に対する責任という立場からも、これほど確かな成果が期待できる理想を共有し、その実現のための原動力として、微力の結晶を願うものである。
 後援会は単に資金支援にとどまらず、全国的に理解者・賛同者・協力者の輪を広げ、その遠大な理想や思想と将来世代への責任や危機感を啓蒙しつつ、我々日本人の生活自体を見直していこうというものである。
 我々は老師に心の指導を願うと共に、本質的教育活動の永続性と地球規模的発展を目指していただき、真に人類救済の夢を実現していただきたいので、息の長い支援をしなければならない。そのためには、「薄く、広く、長く」をモットーに、同士の草の根的な理解者・協力者の拡大を必要としている。また、私心のない事を信じ切って最大の努力をして下さることに夢をかけ、「お金を出しても口を出さない」事を原則としていきたい。つまり、信頼と尊敬と夢を大切にしてこそ我々の側の尊厳が保たれるのではないでしょうか。如何なる高額寄贈者であっても、この精神でなければ受け入れない、と言う信念を貫きたいと思う。老師の現実的活動に成果が掛かっているので、とにかく思い切り信念と情熱を投入していただきたいものである。そのための支援こそ本当の理想共有ではないだろうか。とにかく、この新しい希望の星を、是非実現していただきたいと切望するにあたり、諸兄からの暖かいご支援のほど、心からお願いする次第である。

                        東京事務局  石田秀樹


第二十四  滅多に語れないこぼれ話


 一九八九年十一月三日、「京都フォーラム」が発足した。矢崎氏の理想と信念に共鳴し、清水榮先生を座長として(京都大学名誉教授・原子物理学者・最初の広島原爆科学的調査班のメンバーであり、現在現地調査した唯一の生存者・第五福竜丸の灰からビキニ環礁で爆破実験されたものが新型原子爆弾(水爆)であることを発表して世界の原子力関係者を驚かした)私との三人で「(将来世代のために)宗教と科学は如何にあるべきか」と言うコンセプトを中心にして発足した「京都フォーラム」は、矢崎氏の鬼才によって忽ち立派に組織立てられて、京都国際会議場を中心に五十回以上もの会議を重ねてきた。一日という会議もあったが大抵は三日間、それも朝九時から夕方六時頃までずっと熱っぽく続けられたのである。関わられた先生方は、延べにして二千人にも及んだそうである。
 その三年後、一九九二年、ブラジルで開かれた「アース・サミット」を契機に、矢崎氏は「将来世代国際財団」なるものを設立して、そこから国際化していったのである。一九九三年十月十一日ソウルでの国際会議を皮切りに、一九九六年まで各国に於いて三十三回開いてきた。その殆どに参加してきた間には、思い出すだに吹き出すような、語れない様な秘事があった。本当にここだけの話である。とにかく当人の了解無しだから、私もどんな目に遭うか覚悟無しでは書けない代物故に、ここだけに・・・

   口角泡をとばす

 初っぱなのソウル会議最終日の朝、私は突然ぎっくり腰しをやらかして、とうとう万博には行かれなかった。ホテルの都合で清水先生と私は大石武一先生(初代環境庁長官)のスイート・ルームに入ることになり、そちらへ移動した。とにかく人生してこられた長年の経緯を、世界を舞台にして語るのだから止まるところを知らず。広い学識があって意識レベルの高い語りというものは益々お互いを刺激し合うために、調子は上がる一方である。食事に行く合間も、最中も、帰りも。そんな調子であるから、食べることと喋ることと殆ど同時進行である。どれ程食べたかと言った自覚どころではない、喋る課程の一種の動作に過ぎない。だから当然知らない間に食べ過ぎる結果となってしまう。夕食可成りのボリュームがある鉄板焼きもぺろりと平らげ、残してしまった私の分まで難なく両先生の腹の方へ収まってしまったから驚いた。勿論赤ワインの量も進んだ。八十を回っている大石先生とそれに近い清水先生の、あのダイナミックな会話劇のエネルギーは、成る程若者以上の食事に有ったのかと感心した。部屋へ着くや又テーブルを挟んで始まった。三十分もたった頃、大石先生はトイレに行かれたのだが、少々長いので心配になり、声を掛けたら別段な事もなかったので我々は先に眠ることにした。私は体調の性でベットでは眠られないために、いつも床に俄仕立ての寝床で眠る。清水先生は枕が高くなければこれまた寝られないとかで、ソファーの肘もたれを枕にして白い毛布をかけた珍妙な寝姿であった。
「先生、棺桶の中で寝てるんですか? それはどう見ても棺桶ですぞ、清水先生。それとも、その時が近いので、寝心地でも確かめておられるんですか?」
「希道さん、こんな寝心地のいいベットは無いね。棺桶? 何ちゅうことを!」二人は大笑いをして互いのベットに就いた。間もなく、「ちょっと小便がしたくなった」と言いながら立ち上がった先生は、
「希道さん、その格好は、ボスニア・ヘルツゴビナの死体置き場に並んだ死体だね。白い布にくるまれてさ。一つ、成仏するようにお経でも読んでやろうか? がっはっはっは」と笑いながらトイレ。
 その明くる朝、
「昨晩は大変でしたよ」と言いなが大石先生が現れて、三人は直ぐにテーブルに就いた。「井上先生がトイレの僕に声を掛けて下すったでしょう。参ったね、あの時は」
「どうされたんですか?」と私。
「調子に乗って沢山よばれたでしょう。ワインを。そうしたら下痢をしましてね。酔っぱらっとるもんだから、間違えてビデの方で出しちまったんですな」
「それは大変だったですね、それからどうされましたか?」私は意地悪質問が大好き人間である。
「先生が声を掛けて下すった時は、こうして両手で糞をビデから便器へ移しとったところだったんですよ」
「そうだったんですか、全部ですか? 手で?」
「とにかく糞で詰まってるもんだから、流れんでしょうが。殆ど出したらようやく流れる様になりましてね。ところがビデが汚れてるでしょう。どうしたものかと思案してたら、風呂のホースが届きましてね、それでやっと片づきました」元々お医者様だから実に明快且つ物証的に淡々と語られるのだが、三人は朝から大笑いとなって、そこから笑い狂わんばかりの豪快な失敗談義に花が咲いた。その内に清水先生。
「昔は飛行機で出るコーヒには、素敵なスティックが付いていましてね。今は出ませんが。もって帰っては学生にそれをお土産代わりにしたもんです。ある時、ホテルで私も間違えてビデに糞をしてしまったんですわ。飲み過ぎたか何かで。水を出しても流れんもんですから、しかたがなく例のスティックで掻き回して流したんですわ。こうやって」と清水先生は愉快げに大きく掻き回すポーズをする。すでに大石先生も私も笑いが止まらない。
「それを捨てるのは勿体ないので良く洗って持って帰り、例の如く学生にやりました。早速コーヒーを入れてそれぞれのスティックで掻き混ぜたんですな」笑いでしばし言葉が止まる。
「で、おもむろにですよ、かくかくしかじかの、そのスティックがこの中に有るんだがと、わざと言ってやったんですよ」もう、大石先生の顎が外れたかと思った。
「そうしたら・・・(笑いで途切れる)みんな、げっ! とか言って洗面所へ駆け込みましたよ。愉快でしたね。がっはっはっはっ」何ちゅう悪戯好きな先生よ! と感心する。まだまだ色々続く。
「大石先生、私はビデが何をするためにあるのか未だに良く分からんのですが・・・」
「ビデですか。あれは一発やるでしょう。そしたらその後、女があそこを洗うためですよ」
「そうなんだ。希道さんには分からんだろうな」と笑いながらの清水先生。私は始めてその存在に納得。まさか顔を洗うところだとは思っていなかったが、一発やるって一体何のことですか? と意地悪く聞きたかった。でも、私も二人の子供の父親故に、しらばっくれるにはちと抵抗があった。大石先生に対し、この時以来大変親しみを覚え、その豪快な人柄が大好きになっていた。右足を引きずっておられたので、下手な手当を何度もして差し上げたら、帰る時には殆ど正常になっておられたのを確認して嬉しかった。今、先生は如何におわしますことやら。お変わり無ければと思う。されど、形有るものは必ず滅し、生有るものは必ず死ぬ。これほど確かな真理はないので、先生も既に此の真理のままに大海に帰したか? 我れ知らず。ままよ、いずれ自分も死する身なれば。

   馬のような美女

 一九九三年十二月二十四日、矢崎理事長と私は内モンゴルから北京へ、そして香港から夜のホーチミン市に入った。空港での入国手続きの意地悪いこと。不親切なこと。世界一質が悪いところだ。この国は今こそ世界中から、あらゆる支援を受け入れなければならない筈ではなのか。意味のない馬鹿げた手続きは社会の未熟さ、無秩序さ、不安定などを曝け出した姿に過ぎない。でもどうしようもない、長い時間をかけて通る。時がクリスマスにてどこのホテルも満杯である。金先生はベトナムで体を壊され大変難儀をされていた。が、同僚の一大事、と言うわけで共産党幹部を動かし、五つ星のホテルを無理矢理に確保してくれたから助かったのだ。熟成した社会体制では絶対に出来ない事柄である。まあ、此の国に貢献するために来たと言うことで許していただくことにしたのだが、決して良いことをしたとは思っていない。が、助かった感謝は絶大であった。当然である。
 大きな湖に三十センチもの厚い氷が張っている世界から、いきなり三十度過ぎの真夏の世界。どちらも地獄と言うよりベトナムの方がずっと快適であった。早朝に起きて空港へ向かい、政治の首都ハノイへ入った。因みに商業都市は何と言ってもホーチミン市、昔のサイゴンである。とにかくハノイで無事諸先生方と合流することが出来てほっとした。人間はとことんつまらん事もしでかすが、戦争という破戒と殺戮で、言い分を通そうとする傍ら、ハノイ・サイゴンという共に相手の首都に対して爆撃をしていないのだ。この事を知った時、温かい人間の心を見た思いであった。良かった、良かったと感激した。だからどちらも旧市内は健全な建物が多く、ホーチミン市の見事な街路樹はリオ以来である。しかし、ハノイでは市の中心地以外は総て殺風景で、市民の全体気の毒な感がして成らなかったのだ。のさばり回しているのは共産党の幹部連中ばかりである。思うところ、此の国を健全な体制にするための諸々の要素は余りにも多く、思想のしでかしている問題が国民の意識から体制から、感性・自発性等、全体が枯渇し歪められているので、個人の意識は容易に改まらないであろう。だが、共産圏ではあっても、既に開放政策は凄まじい勢いで進んでいて、ちゃんとしたホテルは実に国際色豊かなのである。そのホテルのロビーでの事。
 私が部屋から降りた時には、平井先生(微生物的環境技術研究所所長)・金先生(元韓国国立大学学長、元東大大学院客員教授)・法橋先生(元国連国際原子力機構特別研究員)・小林先生(筑波大学教授)方は実に楽しそうに歓談していた。それもその筈、大変な美女のジャーナリストを中心に、世界中の情報を交換し合って一時の情操浄化を計っていたからである。日本語専門の自分にはさっぱり通じない別世界となっていた。そこへ矢崎理事長が降りて来られ、出発と言うことで立ち上がった。彼女も立った。その背の高いことに驚いた。見たこともないサイズではないか!
「これは何と、馬みたいですな!」
「いや、ありゃキリンですぞ!」
「怪物ですな!」とここまでは視感覚におけるイメージに止まっているので、あくまで個人的感想故に至って人畜無害である。どうでもよいことで身近なテーマには至らない。だが、
「あの手の腹へ上がったら、一体どうなるんでしょうな?」
「どうもならんでしょうな」と現実化してきたから身近になる。
「どうもならなかったら、相手に恥をかかせてしまうことになり、要求不満のために恐らく絞め殺されるでしょうな」と有りそうな無さそうな怖い話に発展し、可成り有害化してきた。
「でも、相手は倒れているんだし、方法として無いこともないでしょ。面倒だが上下行ったり来たりすれば・・」
「じゃ、先生は出来ますかな?」
「やっぱり止めときますわ。しんどいだけですから」
「でしょうな。どう見ても。あれはあきまへんわ」
「やっぱり、不釣り合いなサイズには、手を出さん方が安全と言うことになりますな」「しかし、美人でしたな」とようやく素直な感想に達し無害化したかと思うと、
「美人でも、あれでは男が近寄らんでしょうから、居ないんじゃないですかな?」
「まあ、そう言うところでしょうな。だからああやって記者として、世界を侘びしく回って居るんですな」
「そうでしょうな」と言う会話。本人が聞いたら、ほっといてくれ! と怒鳴られる前に派手なビンタを喰らわされそうなほど立ち入った心配までして話は終わった。何だか殺伐としていた気持ちも、何故か人間臭さに浸ることによって、人としての温かい人間味を感ずるのだから人間とは不思議な生き物である。
 旅には未知に対する不案と期待があり、日常生活という安定した精神状態とは異なる。自然に直ぐ慣れるものもあれば、どうしても馴染めぬものもある。全く意味のない会話をするために言葉を交わすのだが、内容はともかくもその事で人間を実感することが大切なのだ。旅の途で受けた僅かな親切が忘れられないのも、それはその時、その人にとってはとても重要なものだったからだ。言葉であっても、物であっても、音であっても、色であっても、味であっても、総て心に反映し尽くされていくからである。温かい心なら尚更深く染みわたる。こんな他愛ない会話ですら、その時にはちゃんと意味があったのである。家庭に於いて、他愛ない会話が自然に流れていればこそ、その中にダイヤモンドの小粒を差し挟むことで、充分精神の温もりと規律が備わって成長すると言うことを忘れてはならない。

   どついてやろうか

 再び南ベトナムのホーチミン市へ戻った。暑い日差しの中、ホテルの屋上のレストランにて朝食を取っていた時のことである。市街の様子とは全く異なり、先進国の近代的なレストランと少しも変わったところがない。むんむんした健康的な人間の蠢きが何とも言えない上に、物価がぐんと安いときている。とにかく前近代的な躍動感があり、大変魅力的な国なのである。その魅力に惹かれて集まってくるのは殆ど西洋人である。そうした人たちにとってここは絶好の処なのであろうか。その中に若い母親と、歩き出してまだ危なげな様子の子供が居て、気になって仕方がなかった。勿論美人である、がその事ではない。とうとう出掛けていった。すると、間もなく子供を小脇に抱え、何やらぶつぶつ言いながら出ていった。それを聞いた先生方が、
「老師、何をされたんですか?」と聞かれて、
「えっ、どうしてですか?」
「私の子供だから勝手でしょ。ほっといて! とか何とか言って出て行ったんですがね」
「そうですか。実は、あのよちよち歩きの子供が、箸をくわえて歩いているのが危なくて。前に転んだら喉を突き破るでしょう。だから母親に危ないから注意した方がいいですよと注意したんですよ」
「老師ならですな。それは本当ですよ」
「全くけしからん母親ですな」
「有り難いとは感じないんだから困ったものですな」
「どついてやりますか、人の親切も分からん馬鹿女は!」
「西洋人の個人主義には、ああ言った心のひからびた連中が多いですな」
「いやー、本当に驚きますな。そこえいくと倫理観が低下したとは言え、日本人はまだまだ素直で真心が伝わりますからな」
「それは子供に対する責任感と愛情の結果、何が大切かが分かっているからでしょうよ」
「西洋には儒教的な倫理観、つまり生活上に人間関係を豊かにさせる教えのようなものはないんですかね」と話は次第に高次化していき、タイムリミットがくるまでずっと続いた。我々は常にフォーラムをしているので、こうした先生方と世界を廻る間にどれ程多くの貴重な勉強が出来たことか。テンションの高い人とは、問題提起が常に発展的であり根元的なのだ。教養の有る人と無い人との違いは、こうした意識の起点で、質的内容的に既に基本から違っているのである。学ぶべき要点は知識の量ではなく、意識の持ち方であり、心の質なのである。

   コブラ酒

 会議も終わり、夕方サイゴン川を船旅して一時間ほど楽しんだ。二十年前、この川を挟んで思想対立による熾烈な戦いをしていたと思うと、平和の有り難さは何物にも代え難い。この川で幾人が命を落としたのかは知らぬ。がその代償は如何にも悲惨ではないか。「この愚かな為政者どもが! 何が主義だ!」夕暮れの川面と対岸の果てしない葦を見つめている内に涙が出て来た。でも、今は違う。戦いは終わっているのだ。良かった良かったと思う。やがて着いた処はジャングルの中の劇場であった。とくに民族音楽は素晴らしかった。その一つ一つのレベルの高い演奏力には感嘆した。世界中何処へ行っても立派に通用するだろう。最後にお酒が振る舞われた。目出度いストーリーの結末に合わせて、観客も同族として祝うというものであった。金先生が
「井上先生、このお酒は一体何ですか?」と聞かれたので、
「コブラ酒です」と答えた。思った通り、
「え! あのコブラが入っている酒ですか! 私そんなお酒飲みませんから!」と言って私にくれた。先生は途轍もない頭脳の持ち主である。それは超スピードで判断しイメージすると言うことでもある。怖かったこと、嫌だったことなどが折り重なって意識されイメージされるので、感情も揺すぶられて身動きが出来なくなってしまう働きにも成ると言うことである。嘗て先生はコブラのご馳走とやらで腰を抜かす程驚いたという。そのことを話してくれていたので、ちょっと試してみたのだが、それが本当であったから意地悪をしたことになってしまった。それが何酒であったのか、私は未だに知らない。先生には今持って悪いことをしたと思っていると同時に、そのお酒は大変美味しかったので合わせて感謝もしているのである。合掌
 必要以上に頭脳がよいのも、時には不幸をわざわざ作ることにも成るので、私のような出来の悪い者もまんざらではない。出来の悪い者よ、しっかりと自信を持て! 但し、人の言は誠意を持って聞け! 但し、それらに捕らわれるな! 旨い酒を飲み損ねるから。

   無法で候

 会議二日目の朝、やおら下に降りてみたら法橋先生が居られた。伴って外に出ると早速に自転車タクシーなるものが、「乗れ」と言って催促してくる。無視して進み、公園を横切ったらそこへさっきの御仁たちが極めてしつこくすり寄る。ここベトナム人の執拗さは本格派の筋金入りであるから、あきらめが肝心と乗ってみた。明け切らない朝の歩道では、それぞれ朝食の支度が始められつつあった。何しろ生活文化と言った社会状況ではない。戦争で何もかも失い、今何もない処から起き上がりつつある市民に、少しずつ生活物資が入って来つつある状態である。だかからテーブルとかコンロとか炊飯器などというような物を持っている人は希なのだ。さすがにスプンやどんぶり・皿・一つの鍋は有る。誰の存在も気にすることなく、思い思いに何かを食べるべく支度をしている。公園にはそこかしこで太極拳か体操かをしている人も居る。二台寄り添ってのんびりと語りながら、道路から異国の朝を観察する。天才の誉れ高い先生の広い学識を加えて見るには、底抜けに遅いこの動きは実に良いものである。ものの二十分も経った頃より、俄に自転車・二三人乗ったバイク・自動車などが勢い良く駆け抜けて行きだした。バスに至っては「神奈川交通」とか「送迎バス」とか書かれたままの日本の中古車が、元気に走る。トラックも乗用車も八十パーセント以上が日本の中古車である。小型バイクに至っては百パーセントがメイド・イン・ジャパンだ。しかも一人乗りは銃殺するとでも言われているのか、皆二人ないし三人、ひどいのになると四人も乗って堂々と直ぐ側を勢いよく駆け抜けていく。瞬く間に通行洪水である。しかも信号もなければ道路のラインもない。そんな道路を可成りのスピードで走るのだから驚く。しかも最も遅い我々がど真ん中を悠然と邪魔しているのだ。只でさえはらはらしているのに、平気で右へ行ったり左へ行ったりすることだ。後ろの者はたまったものではないだろう。そんなこと一切お構い無しである。なのに何処にも事故らしきものは起こっては居ないのだから又々驚く。人間驚きの真っただ中にしばらく居ると、驚きという自分でその様に感ずる感情作用が鈍ってくるのか、皆の確かな判断や操縦技術に安心したのか、いつの間にか適度な心地よいスリルに収まってしまっていた。周りを見ると、動けるものなら何でも有りきなのだ。バイクの前半分が吹き飛んだものは、何と乳母車を引っ付けて、乳母車の握り手にアクセルやブレーキを取り付け、それをハンドルにして走っているのだ。もうあきれと関心と感動と興味とで、気が付いたら自分が悪戯盛りの少年に還っていた。痛快、痛快! その人の発想考案で作らた自由作品、そんな類の、飛びきり珍妙な乗り物が公道を往来しているのだから面白いどころではないのだ。誰にも咎められずに。今の日本の少年たちがここへ来たら、どんなにか救われるであろうと思った。
 今この国に潜在体力は無い。だが、瞬く間に国を豊かにするであろう。実用的な素晴らしい発想と技術とを持ったねばり強い彼らが居るからである。このまま自由にしておけば、あらゆる物を活かしていく技術屋が自然に育って行くこと間違いなし。私はいつしか、その無法地帯の自由とスリルだけではないものに感動していた。徹底個人の判断と責任で、自分を守り他人を守りあって、しかも寸分の無駄なく嬉々として生活している元もとの姿にも感動した。本来これで良いのだ。熟成した社会は整然とし過ぎていて、それ自体が法と化し、個人の能力や判断が介入する隙間を見つけるにも、高い技術が必要となっているのである。個人の自発を阻害する要因が殆ど無いここは、これぞ発展途上の役得であろうか。私は次第に悪のりをして、びゅんびゅん走っている洪水の中で、あっちへたのむ、こっちへ行ってくれ、と道路を蛇行する。何という感の冴え切った連中なのだろう。一体全体が意志と神経で繋がっているかのように、皆何の抵抗もなく我々を受け入れて走る。一時間ほど絶妙なスリルを味わって帰った。
 こんな素晴らしい快感は、皆に味わってもらうべし。その明くる日、皆を誘って再び早朝の路上へ繰り出した。案の定、矢崎理事長も林兄も他の先生方も、健康的なその無法のスリルと快感に満足していた。そこで
「小林先生、どうですか、経済学の原則論が、ここで通用しますか。私はしないと思いますよ」と議論を吹っかける。
「私は考えを新たにしました。経済活動の原則というものは、決して高尚な、理論的なものではないことを知りました」と小林先生。
「その筈ですよ。人間は先ず生きるために衣食住を確保する。自然なことです。その生活第一要素での活動は、経済学として取り上げる以前の原始の様子ですから、総て個人の能力によって獲得する範囲に止まっているように思うのですが」
「その通りだと思います。その事を、今実感しているところです。これが経済活動の原点なんですね。生き生きしていますものね」と言われる。法橋先生はどの様に理解されているかな。「次はあそこ」と手で示す。目指す先生の側へ行きフォーラムが始まる。二人の横を自動車や単車が走り抜けて行く。声も手まねも次第に大きく成っていく。そうして次々に議論したい先生の処へ接近して、スリルの中でフォーラムを展開したのである。これを我々は「ベトナム路上フォーラム」と名付けた。矢崎理事長曰く、
「これは素晴らしい。一度ここで、このフォーラムをすべきかも知れませんな。全く原則的観点が生々しく響く中で、人類的課題をじっくり一人々々の先生と論じ合い、その後で全体会議で絞り込む手は」と。大賛成である。発見と言うほどではないが新鮮な思いとして、横からの介入が無いだけ納得するまで語れるという良さがある。平素の残尿感が晴らせるというものだ。この上ない爽快感と共に、発展途上国の言葉にならない豊かさに対して思った。こんな健康的な発展をしようとしている国に、売るだけの市場として物を持ち込む先進国の貞操の無さには不快感しかなかった。食生活の道具さえ揃っていないのに、日本の電機メーカーやバイク店等は、羨望をそそって止まない、目の毒物ばかりが豪華に並んでいる。凶悪性があれば強盗が何時起こっても仕方がないだろう。「いい加減にしろ! こんなに国民上げてけなげに頑張っているのだ。彼らを食い物にするな!」と言う気持ちは隠せなかった。ベトナム国民は実に勤勉である。そして実直でたおやかな性格に加えて、恨みや怨念よりも現実的発展的であり極めて友好的である。自分たちの家族を痛めつけ殺したアメリカ人であろうとも、今の平和を大切にし前向きに努力しているけなげさには正直言って参った。
 ベトナムの路上無法は、個人レベルにおいて安全と平和を守り、混乱に見える勝手気ままな自由の中に、スリルと活力あふれる秩序が存在していると言うことである。そのバイタリティーに諦めと優しみを秘めているからこそ、過去への怨念を越えているのではないだろうか。健康的な無法こそ、最も活性化した自由だと言うことなのかも。世の中の愚かな無法どもが無法を破戒するから困るのだ。健全な自由をお互い大切にし、途上国の溌剌とした活力と豊かさを学びたいものである。
 
 一つの法の元で公明正大になるように整えた社会が法治国家である。法治国家の最大の特徴であり功徳は、法の元では誰もが絶対公正であること。そしてこれが民主主義の大原則である。従って個人と国家との関係は法に準ずることから始まることになる。より安定を社会の進歩と言うのであれば、総ての人の曖昧さや不安定要素がないようにしなければならない。そのためには、法が益々細分化していく国家と言うことになる。つまり法治国家は進めば進むほど法制化する事によって、固定化していく状態にあると言うことである。一方の見方をすれば、徹底制度化された管理社会になることでもある。これが法治国家の秩序であり社会の熟成と言うことになるのだ。が、例えば邦人救出一つにしても、時急を要する事柄に於いてさえ、その主体より法の手続きが重きを為し優先する。つまり人命より法の運用管理が基本となってしまうのだ。そのために、馬鹿げた議論に時間を要して、結果的に意味のない政府の動きになったりする。文句無く国民救出が出来る政府でこそ、国民から信頼され威信ある国家になるのではないだろうか。人の救出にそんな議論が必要なのか無用なのか、国民として深く考えてみる必要がある。いや、こんな当然なことなどに理論で固めようとするから、そこから直ぐに言葉からの問題が起こってくるのだ。する必要がないほど、人の命を優先した意識が大切なのである。
 何処かがおかしいのは、人間の尊厳よりも法が上位に存在することにある。勿論個としての人間より、全体としての法が上位存在でなければ、社会全体の秩序を保つことは出来ない。即ち、法治国家が行き着く世界は、法が絶対化し一面化して人間味が無くなり、法で人を縛っても法で人を活かす上位存在としての「人・尊厳・誠意・心」が無くなっていく怖さがある。従って何でも法に触れなければ罷り通るという、下限の法を以て主張する輩が増える状況になってしまうからだ。道義よりも倫理観よりも人間の尊厳よりも以前に、それが法である以上総てに優先することになり、その下限の法が正義になってしまう。つまり、法治国家が熟成すると、法の優位性が個の自律を阻み、次第に社会が倫理的道義的に退廃して、人間性がうんと後回しになってしまうことになる。民主主義であっても法であっても福祉であっても、絶対化し行き過ぎてしまうと、それ自体が権威となり、目的である人間の尊厳をより高く育み、一人々々の人間的文化的成長によって、より自由で心豊かになると言う主眼からとんでもなく外れてしまう。精神の健全な人間によってのみ、人のために法を活かすことができる。この事を何より大切にした、国体精神でなければならないと言うことである。時として政府の馬鹿げたピント外れは、法の上限解釈と下限解釈とのズレ調整、即ち道義虚弱と不信感対立からのつまらない議論のためである。要するに人を救出するというたったそれだけの目的に対して、理屈無く最大スピードで対応をするのが人の道であるにも関わらず、法の示す範囲の管理意識と不信感と自己主張の覇権意識が、人間を重んずることより優先しているから、そのような馬鹿げた議論に明け暮れが出来るのである。人を救出するのに、余りにくだらない理屈をこね回す次元の低い一部の政治家には、いい加減うんざりする。法治国家と人間とのメカニズムは、人間性によってこの様に多彩で運命的な関係にあることを真摯に受け止めるべきではなかろうか。即ち、かような者(下限の法を振り回す)を選択した我々の自戒こそ、法治国家の致命傷を救うことになるのである。いずれにしても制度も含めて社会の熟成度は七八十パーセントが理想である。後は一人々々の健全な良心と努力と忍耐や諦めと言う、人間らしい昇華によって、ベトナム的な活力ある自由性を大切にしたいものだ。そして政治家は人一倍向上心を起こして坐禅をしてもらうか、差もなくばヘッドが必要なのである。

   お洒落と駄洒落と

 明くる日、フライトまでの時間を自由に過ごすことになリ、珍しさもあってとてつもなくひしめき合った大きな建物に入った。小さな個人の店が、僅かな通路を境にぎっしりと集まって商いをしている。懐かしいむんむんとした活気である。値段なんて有って無いようなもので、そのやり取り掛け引きの面白いこと。インドネシアの何とか通りと同じである。子供の頃、楽しくて面白くて仕方がなかったお祭りを、この年になって実感出来たことは素晴らしかった。日本では難しいだろうとも思った。私は一種異様なスタイルのためか、それ程ではなかったが、小林先生は特級の出で立ちで、しかも何処から見ても紳士且つ富豪家に見えるから、乞食にしっかり取り囲まれてにっちもさっちも動けないくらいにモテモテであった。終いには必死で鞄を両腕に抱え込み、恐怖で青い顔をしておられた。こうなるとお洒落というものは自己満足でしかない変わりに、環境によってはお洒落は駄洒落にもならなら、怖い因縁をもたらせる馬鹿げた格好と言うことになってくる。ていの良い追い剥ぎもどきのるつぼであるから、決して虚栄的な格好などはするものではない。安全が第一だと思うならば、譬えそれが紳士のたしなみと自尊心と教養からであってもだ。がそれしかないのだから、先生は正しく災難だったのである。こうした混沌とした不透明要素が多分にある環境へまかり来す場合は、カメレオン的適応性が必要だという教訓は如何なものか。より乞食に近ければ決して乞食の標的には成るまいから。

   モミジと出家

 一九九四年二月二十二日から二十三日、香港大学に於いて「環境教育と環境倫理ーアジアの視座」と言う国際会議を開催した。香港大学は我がスタッフの一人であるマリアンヌさんでも落っこちるような大学である。彼女は何カ国語もこなすという秀才であり、腹の据わった努力家なのだ。その大学の先生方とのシンポジウムは、法律に寄り過ぎて堅い感がしたけれども、それだけクールに環境と人間との関係を捉えていて勉強になった。思うに、どこの会議であれ人間の本質的究明に於いては、些か物足りないことでは共通している。会終了後の会食と言うか晩餐は、大学の中のゲスト・レストランとでも言った風な処で模様された。学生は入れないグレードである。正面に座られた魅力的な女性教授は、弁護士であり主婦であり、見るからに知力に恵まれたと言う四十代半ばの切れ者である。私は何故か、こうしたタイプというか人物には、ちょっとした興味が湧く変態性があるようである。私独特の質問は可成り正統派から離れ、学問的でもなく、脅迫的でもなく、尋問的でもない。生き方の質の問題点と価値観と、いわば人生観がもろに出てしまうような問いかけである。問いかけもはぐれて煙に巻かれぬように、予め充分に相手が考えるであろう心理的背景を理解した上で、本人に替わって考えの幾つかを並べ、それを選択してもらうようにするのである。だから決して私の視界から消失するようなことはさせない。とうとう他人には一度も語ったことはないであろう、際どくて問題化するかも知れないような話まで聞き出してしまった。その要点の一つに、夫婦の関係は極普通に堅持しながら、個人の理想とする愛人関係は別に居るというのだ。その先生には独特の人生観があり、きっちり責任を持っていて、学者としても実績を上げていた。周りの日本の先生方が補足的に合いの手を入れてくれるので、自白も寧ろ人生観・世界観の実録披瀝としてさらりと語ってくれた。その素直さに加え、生き方に自信と質の高い誇りを持っておられたので、私は或る種の共感を得ていた。
 そんな少女のような純粋な響きを醸す人柄の、心の奥の大切なものまで引き出してしまった事に少々申し訳なさを感じた。多分皆ではなかろうか。こんな場合に一番反応が早いのが矢崎兄である。ちょっとお茶目で揶揄も利いているし、知識は有り余っているから文句無しに進む。彼女の素直な自白に対する返礼でもあったようだ。私も彼がどのように展開していくのか興味があったから、黙って聞いていた。
「先生ね。この老師は今を遡ること八歳の頃、或る女の子に恋をしてしまいまして」と始まった。何とも艶めかしい話ではないか。八才とは如何にも早すぎるが、私も話しに合わせて神妙に頷きながらうつむく。話は面白いほどいいからである。
「余りにも早熟なので、両親はとうとう、京都の或るお寺へ入れて出家をさせてしまったんですよ」矢崎兄の即席ドラマは以外に新鮮で真実味があった。私の出家ドラマは彼によって次第に形を見せてきた。
「彼女はモミジと言う名前でした。ところがそのお寺の庭にモミジと言う木があったんです」その先生も次第に私の出家ドラマに興味を示す。
「秋になるとそのモミジは美しく紅葉して、それを見る度に彼女を思い出し、儚く散るのを見ては泣き、恋慕の情は募るばかりであったそうです」先生の視線には明らかに哀れの同情が加わってきた。ここから先の話は、宴会が盛り上がる度に修正と加筆とで変形し熟成していったために、最初の草稿段階のものは忘却してしまった。矢崎兄の文学的才はなかなかのものである。この話はオーストラリアでも好評を博し、全員がこの話を信じ切っていて、「大学を作ったときには、京都から是非モミジを持ってきて、禅センターの庭に植えたい。昔のモミジさんを忍んで頂きたいので」と言う作者の彼が言うに至っては、皆感動さえして大賛成であったほどである。確かに彼の話は生きていた。それはそこはかとなく去来して心を騒がせる、悲しさや期待、無情と運命とを織り交ぜながら、そんな自己に打ち勝って理想実現に向かって努力する苦心談などを、とても美しく筋立てて語っていたからである。語っている時の彼は紛れもなく文学者であった。恋愛物の。

   早漏坊主

 しかし、矢崎兄は決して美しい表現ばかりの人ではない。実は世界最高ランクのユーモア精神の持ち主なのだ。一九九四年九月三十一日より十月二日まで、地中海の真ん中にあるマルタ共和国に於いて、「将来世代の守護者−国際法上の位置」と題する国際会議に出席した時のこと。二日目に至っても議論は外郭をなで回すことばかりであったために、私は我慢できなくなっていきなり中核の論議を始めた。そのために全体些か混乱状態となりコーヒーブレイクとなった。金先生は流れの計画性を壊されたために些か腹を立て、矢崎理事長に対し、私のことを大変厳しく叱責して、勝手な発言をしないようよく注意をするように言い渡されたらしい。わずかな休憩時間の出来事故に、手短にその意を伝える必要があったわけだ。その伝達言語が「早漏坊主」であった。相手が乗ってこない間に勝手に自分だけが飛び出す不作法者、と言う意図としては見事な表現である。が、何とも品性に欠けた、人格性に可成り問題がある表現なのに、自分ではこれが要の適確性に於いて金的を得た心地がしていたようであった。当分の間、至る所でこれを披瀝し、ついでに金先生を「マス学者」(マスターベーション)、自分のことを「オナニー経営者」とも評していた。如何に機知と適確性に富んだ表現とは言え、彼自身が品性を落とす結果となることに少しばかり危惧していた。矢張り若い女性より注意されたとかされなかったとか。それがお嬢さんであったとかなかったとか。因みにこの会議は最後まで核心的高次化には至らなかった。成田に着いて別れのお茶を頂くとき、
「金先生、あの時、あの様に言われましたが、結局は核心に達しなかったじゃないですか。寧ろ私の発言方向で展開した方が良かったですよ。だのに私を叱るなんてけしからん。こうゆう場合は謝るべきです」と私は冗談百パーセントで申し込んだら、先生も冗談百パーセントで、
「いや、謝りません。何故なら、あの時はあの時ですから。その後の結果はその後のことですから」とこれ又きっぱりと言い放った。誠に禅的であり、この明快且つその時その時に展開していく、生きた様子をちゃんと掴んで居られるのを知って驚いた。そして皆で大笑いをして、この度の別れの言葉としたのだった。この金先生が本当に坐禅をされたら大変な事になっていくだろう。多分、世界を振動させるに違いないが、今のところその様な気配は全く零である。惜しいことに。

   ウンコロジーとセクシオロジー

 金先生は初対面の先生方に、「この井上先生には二点について気を付けて下さい。それはウンコロジーとセクシオロジーのことです。食事の時など、必ずこの話を出されて試されますから、驚かれんようにして下さい」と言われる。ウンコロジーとセクシオロジーは金先生の命名である。こうして前もってバリアを張られるようになってからは面白くなくり、もう殆ど語らなくなったのだが。どれほど言葉の世界に拘束を受けているかを知るためには、それとなく食事の時に、糞の話かセックスの話をすると直ぐばれるので格好なのである。言葉は何処まで行っても概念と感情の世界であり、自分でイメージして感情を攪乱する、いわば言葉は道具に過ぎないのに、それによって自己を見失っていく。自分と言う存在がこの現実の体から始まった場合は、必ず道具に振り回されていく。大事を貫徹しようとする場合、主体である自分の安定性の度合いが決定的となることが多いので、まず、初対面の挨拶と観察を兼ねて、食事にこの蘊蓄あるとっときの会話をするのである。矢崎理事長は坐禅をしているために、只音として終わらせる力があり、さすがである。「老師はね、言葉から直ぐ概念化して、自分で迷い込む知性の癖を知らせようとされているだけですから」と私の覆面を剥ぎ取ってしまう油断の成らない男である。経験というものはたび重なると、新鮮な意識無しに意図だけを抽出してしまう回路が出来る。この回路は時として進歩を妨げるものだ。つまり固定化し化石化する本元であって、合理化ではあるが知性のフィルターを用いない回路だけに自覚がない、そのことが厄介者になるのである。総ての諸悪の根元は人間の精神にあり、それもこうした不安定な心に依って起こるものである。人類の幸せをもたらせる元は、自分の心を自分で浄化する以外には根本的解決はない。そうした自覚と実行を促し広めていくリーダーを作ろうとしているのであるから、その任に堪える人、その重大性が直ぐに分かる素地が必要なのである。少々荒っぽい方法ではあるが、今までにこれによって事件化したことはなく、寧ろいきなり親しく心を通わせられる関係になっているのだから、食事の時のウンコロジーも功徳は大きいのだ。しかし心の奥底がはっきりしていない者が、こうした場所でこうした話をしたら絶対に混乱する。自分の心も人の心も治めきることが出来なくなるからである。人間の弱さ儚さを知らしめ、努力心を啓発する意図と力が根底にあるから出来ることで、これこそ禅者の有する油断出来ない力の一つであり妙技でもある。
 オーストラリア州政府議事堂へ招かれ、文部大臣主催の昼食会の時である。偶然私は大臣の左に座ることになった。
「老師、何かお話は御座いませんか?」と発言の機会を回してくれた。私は直ぐに、
「今日は大臣よりこのようなおもてなしを賜り感謝いたしています。処で大臣殿、大臣という職責には何時までも居られるものではありませんから・・・」と始まったばかりの話を、或る男性が
「失礼だから通訳しないように」と遮った。この手合いが二三度あった。普通の様子はそうかも知れないが、私の意図を完全に無視した若しくは分かっていない事に少々残尿感を覚えた。
「人生とは実にあっけなく短いものです。大臣に成られたと言うことはその要職に堪えられる力量があればこそです。ですから大臣が大臣であられる時こそ、歴史に残る最も意義があり最も大切なことを、果敢なる決断と実行力で成し遂げていただきたい。何時までも大臣ではおられないのですから。私たちは今、このオーストラリアこそ最も世界の健全化に寄与できる国家だと信じています。それは優れた内容と方向性を備えて居られるからです。野垂れ死に覚悟でこそ大事というものは成し遂げられるものです。信念ですよ、大臣殿。今や教育も自国だけでの政策観では不十分なのです。将来世代をよく見越して、しかも地球規模の健全教育を計らねばならない時代を迎えたのです。世界を見据えた教育でなければならんのです。私たちは将来世代のために、今、教育は如何にあるべきかの問いかけから始まり、人間の本質的解明から人材育成という具体的成果を出すべく、ここに大学を設けようとしているのです。大臣殿、一つこの国から優れた世界のリーダーを作り出しましょうよ。どうかそのためにお力をお貸し下さい」と言いたかったのである。
 私のウンコロジーとセクシオロジーは、げに熱病を冷まし、長夜の眠りを覚ます妙薬であることを知って欲しいものである。多少危機感を抱くとしても、時にはそれもぴりっとしていいではないか。大いにこの毒舌を利用した方が得策と存ずるのだが。こちらは身を捨ててかかっているのだから。

   貞操帯と釈尊像顛末記

 嘗て大英帝国と称して七つの海を制していた頃のイギリスは、世界中から有りとあらゆる物を持ち帰っていた。体よく言えばそうなるが、通称で言えば盗人であり分捕ってくると言う、いわゆる国を挙げて自国への富収奪を企てていたけしからん時代があった。とは言っても今日的合意形成時代を迎える以前は、世界中が強い者のしたい放題というわけである。何とも乱暴極まりない暴力の時代がたった昨日まで続いていたのだ。或る程度の意識的全体合一性が整うまでと言うものは、須くこんな力関係による経過過程を経るものらしい。人間群とはその程度の存在なのだ。征服者論理による秩序である。今の時代に於いても合法的秩序の中には本質的にこれと同じ様な事柄が多く存在している。その根本は野望と野獣性と権力欲・征服欲と達成快感の総合引力に対応して、知性や情熱や権力が荷担し促進させるのだから堪ったものではない。欲望の止まるところを知らずと言うことである。こうした我々の人類史は文明史的に見るか、政経史的に見るか、思想・宗教史的に見るかという、或る部分的視点を定めて、それを論点として見るというのも勝手次第ではある。もう一つの見方として、何故、そのような意識を形成することができたかという意志的背景を究明して、そこから歴史を見る。その見方もまた面白いのではないか。その動機がなければ歴史的転換は起こらないからである。
 全体共有意識が形成し得なければ、まだまだ愚かしい覇権争いが続いていることであろう。従って世界観的精神史的には、ベルリンの壁崩壊と冷戦終結と言う劇的象徴とを以て一皮脱皮した、と見るべきである。つまり、人間が狂わない限りここ当分は世界大戦のような事は起こらなくなったと言うことである。それはまさにメディアであり、リアルタイムを共有するに至った情報伝達機器の力に依る。世界が世界を見ているからであり、見られているからである。もう人道上勝手次第は世界が許さない。そう言う全体意識の状況を形成する事が出来たから沈静化へと向かっているのである。
 と思いたいところだが、国を挙げての分捕りごっここそ出来ないが、精神文化面の思想や宗教や民族固有の価値観等に対する嫌悪感とか、対立心や過去からの怨恨などは大変危険である。個人の意識や感覚のずれなどから起こる小規模集団の際だった差別意識・蔑視敵対とかの、そうした精神の凶暴化が拡大していく傾向は何とも不気味なことである。それら低次化した心的エネルギーは僅かな行き違いから直ぐに行動化する恐ろしい代物なのである。その背景もまた力であり権力であり、それを裏付けているのが多彩で高性能な個人持ち武器の蔓延である。金儲けだけのための技術開発と卑しい戦争商人が居るからであろうか。
 随分横丁に脱線したが、その分捕り品を大切に保管管理をして、世界中の人に何の補償も求めず開放し見せている大英博物館は、イギリスと言う国家の底力を思わせられる。その分捕り品の多彩性にはただ唖然とするしかない。よくもまあ、こんな物を持って帰ったものだと、その文化性の高さと執拗な途方もない執念に舌を巻くことだらけである。盗むと言うことはお金を払うわけがないので只であろう。けれども石の構造物などを持ち帰るとなると千円や二千円で済む訳がない。それもとんでもない数である。そしてあれだけの保管管理に掛ける年間費用となると想像を絶する筈である。けしからん叱責心理が、何時しか敬意となり、更に尊敬へと変貌していたが、それとて自然であり、自分に対して「おまえは貞操がない奴だ」とは思えなかった。寧ろ、世界に先駆けて貴重な文化遺産を斯くも大切にする国家が有ったればこそ温存できたのだ。でなければ、何百年もの間、荒らされ続けていたなら、全く姿形も無くなった物が多くあったろう、と謹敬の思いを深くしたのだ。しかも、その管理の膨大な経済的裏付けの多くが、民間からの寄付と言うではないか。担当者は誇りを持ってお願いし、深い意義に共鳴して喜捨するという。これがイギリスの文化に対する意識なのかと、七つの海の覇者に根付いた国民性に深いものを感じたのである。図書館さえ日曜日は閉館というお国とは、如何にも国民層の文化性に於いて差があり過ぎる。個人の自由は大切である、が同時に個人を越えた社会的文化性をもっと大切にして貰いたいと思った。個人を越えた高い意義の自覚がなければ本当の文化性ではないからだ。こうしてみてみると、日本の文化性は個人的経済的範囲を超えられないもので、大きく文化を育てる本来のものではないことが分かるであろう。図書館や研究所などは、通常の日曜日は開館稼働してこそ意義が高い。又、国立及び県立博物館クラスなら、文化の尊厳と国の誇りに於いて無料にするくらいの見識が欲しいものである、文化国家として。経済価値観に傾きすぎた国民性は、自律の退化を防ぎ切れないことになってしまうからである。

 私は長く胸中に暖め持っている、確かめたい物が二つあったので、だから金先生と何が何でも大英博物館を訪れたかったのである。「先生、その二つとはなんですか?」ごった返している館内に入るや、金先生は私の意志を確かめにかかられた。「一つはですね、貞操帯です」「貞操帯? 何ですか、それは?」「金先生も当然ご存じでしょう。中世のヨーロッパでは十字軍など遠くへ遠征に出掛けるに当たって、奥さんの浮気を阻止するために作られたあれですよ」「ええ! 井上先生にして貞操帯に興味があるとは。一体どんな因果関係が有るんですか?」「いや、不思議でならんのですよ」「何が不思議なんですか?」「用いるところが股くらでしょう。と言うことは、先ず排尿が完全な状態で機能しなければならないし、その上男性の一物を拒絶するというメカニズムがどうしても分からんのですよ。それに、柔肌に被着するほどの代物となると、余程のデザインと完成度の高い仕上がりと構造など、見なければどうしても分かりませんよ」金先生は足を止められて、「いやー! さすがに井上先生らしいですね。そう言われますと・・・ 一体どんな形状で、どんなメカニックなのか分からないですね」初めはとんでもない物をと言った様子であったが、その社会背景と男性の強引な意識構造などからして、可成り面白い問題提起となり興味を示された。と言うわけで該当する地域と時代性の館を隈無く見て回ったのだが、遂に見つからなかった。歩きながら、その不思議な倫理規定強制執行器なる珍物の機能や構造について、それぞれの思考を駆使して語り合った。その内容については、学問的?超ユーモアの種故に機密扱いとしてここでは語らぬ。
 金先生曰く、「こうなりますと、単なる歴史的物的証拠を探すと言うより、中世に於ける性の自由性と男性倫理観が、如何様に女性を振る舞はさせたのか知りたくなりましたね」「やはり性と倫理観との関係は民族を超えて、いわば男性が女性の性を管理するという一方的な思想が長く変わらずにあった様ですね。これはどうやら人間の本性の様ですね」と私。「こいつは一つ、学問的見地として大英博物館に、有るのなら見せろ、我々は中世の歴史家である。特に中世の倫理観と女性差別政策について研究しているのだが、と言ってみましょうか」「それは面白いですね」と私は大悪のり。言うが早いか、金先生は係りの知性的で品の高い老紳士に語りかけた。腰掛けていたその紳士は次第に真剣になり、立ち上がって話し始めた。可成りの会話であった。その紳士も次第に興味を持ち始めたようであった。紳士は、やがて次々に係りを廻り、丁寧に訪ね廻ってくれた。先生は、「これは偉いことになりましたね。とにかくこの大英博物館、開館以来の質問だと言うことで、みんな真剣に探してくれていますよ」そうこう話している内に回答がもたらされた。「確かに有ったという組と、そんな物見たことが無いという組と、二派に分かれています。とにかくこの大英博物館にして無いと言うことは宜しくないので、世界中に連絡して、責任を持って歴史的証明品として、必ず展示いたしますから又来て欲しい」と言うことであった。金先生のこうした時の話し振りというのは、誰だって敬意を表さずには居られないほどの高度で学術的で品性が高いのだ。彼らが本気になって探索してくれたのも、先生の威厳有る学者としての詰問だったからである。この日、我々は何となく文化的に満たされたような満足感に似た心地がして、その老紳士を思い出しては語り、大英博物館の対応の潔さを思い返して楽しんだ。
 その二ヶ月後、大切な用件を済ませた金先生と私は再び大英博物館を訪れた。勿論一目散に例の処へ行った。しかし、それらしき物もなく、その時の老紳士も居なかった。たまたまお休みだったのかどうかは分からないが、面白みが半減したかにさえ思えた。しかしそれくらいで引っ込む程度の興味とは違う我々である。訪ねてみると、やはり一度は問題になり、展示すべく八方探したらしい。だが、展示されていないのだから見ようにも術がない。「インフォメーションで訪ねてみてくれ」と言うことであった。またまた金先生の学術的追究心か使命感的脅迫心かを誘ってか、忙しい彼らは分厚い収蔵名簿とコンピューターを駆使して探索してくれることになった。だが、見つからなかった。そこの責任者風な見識を持った紳士が、「実際に実在したことはしたらしい。実在していないと言う説もあるのです。何とか言う国王が、女性を信頼せず、この様な物を作り女性を拘束すると言うことは人類として恥ずべき行為である。と言って処分を命じたと言う説もあるのですが・・・ とにかくここには今ありません」と言う結論であった。
 極小の物から極大までの収蔵品の多様性には驚く。しっかり楽しませていただきながら、「この博物館は世界最大ではなかろうか」と思いつつも、「畢竟どういうメカなのだろうか」などと未だ未練がましくもその疑問が去来していた。人間の心理としてどうしても確認をとり納得したい、そのたったの一品がない、その事によって満たされない思いが残ってしまうものだ。又、それを増幅する条件として、この度ももう一つの確認したい物が無かったからでもあった。それは明治時代より出回っていた釈尊の写真である。勿論釈尊の人物写真など有ろう筈がない。嘗て大英帝国がインドを支配していた時、持ち帰って展示していたと言い伝えられている釈尊の尊像がある筈であった。それを写した物と言われているからである。又一説には、釈尊が大悟して始めて父国王に相見した時、国王が直ぐに釈尊を写生させたものだとも言われている。四十才前であろうか、その聡明な顔つきと気品は正しく釈尊そのままの出来映えであろうと信じて疑わない私である。何時の世でも、どこの国にも名工・名人と賞される達人が居るからである。げに、何十年も暖めてきた遭遇の時のその夢は、又夢として消えた。我が弟子に、浅田幽雪なるなかなかの禅僧が居る。「おい、君はガンジーに似ているぞ」と誉めたつもりで言ったら、「老師、何を言って居られるんですか。私は釈尊に似て居るんです」とクレームを付けられた。が、そ奴がそう言ったのは少林窟道場にある例の写真を毎日見て、確かに似た雰囲気があるからであろう。けれどもどうしても違うので、釈尊の崇高なる全体の面もちを語ってやりたかったのだ。そんなことを思いながら館を辞した。その写真は海蔵寺にも掲揚礼賛している。私にとっての大英博物館は、だからこういう心的背景があって特に親しみと憧れがあるのだ。館を背後に、心の慟哭を置いていこうと、一歩一歩に釈尊の命を感得しながら去ったのである。私は今後も、何度でもここを訪れては、特に釈尊に遭えるまでは同じ事をしつこく訪ね廻ることであろう。そして、変わらず心の慟哭を置いては帰ることになるであろう。
 北欧の冬の夕暮れは人を愁殺するけしからん落日である。嘗ての偉大なる石の文化イギリスの、ほんに弱々しくも雄々しく華麗な夕暮れであった。間もなく手にしたお互いの杯が、妙に切なく感じられた。語る言葉さえ歴史の重厚味からであろうかとても重たくはなっていたが、ここ紳士の国イギリスの健全な発展を願っている自分が静かに居た。私は禅僧でありながら、時としてこうした感傷をする自分が素直に許せるのである。但し、禅僧の感傷は自己の残り物有るが所以で、決して是認できるものではない。尚、鑑賞とは別世界であることを知るや知らずや。
 それから又四ヶ月余りが過ぎた。緑美しい北欧の初夏は、特に英国だからではないであろうが、大英博物館界隈とを問わず、素晴らしい光景であった。六月九日、関空発の直行便はとにかく総て満席なのだ。日本人がロンドンの何に惹かれて行くのかは分からない。が、可成りの要素として重厚な歴史や文化にあるのではないだろうか。我々が三回目の博物館訪問をして、意外なほどに日本人のロンドン参り、博物館参りが多いことに驚いた。直接他の世界に触れることは良いことである。又も出会うことが出来なかった我が思いを残して去ることになったのであるが、タクシー一つにしても気を使って、歴史的雰囲気を壊さないように勤めている健全な拘りに敬服していた。だからかも知れないが、我が国の若者のだらしのない態度や服装をまま見るに付け、極めて大切にしている貴重な、而も只で、且つ大きな思いを込めて解放し見せてくれている事に対して、その国家の文化に掛けている心を汚す行為であることを恥じるべきではないかと心が痛んだ。
 三回目の慟哭には、このような裟婆臭い不純物があって、建築中であるあのとんでもない京都駅の歴史的雰囲気の破戒者に悲しい憤りを感じてしまった。世界的屈辱感であった。余程の馬鹿者でなければする筈がない、世界の古都を何と心得て居るのか! 決定を下した、その愚か者の幸せを願う心が有るか無いかと問われたら、その様な者を選定した選考者を、先ずどうすべかを考えてから問うべし。どうせ裏では大枚の金が暗躍した結果であろうよ。そうとしか考えられぬではないか。大戦に於いてさえ、連合国は京都の文化財を人類的財産として守りたかったから爆撃をしなかったのである。京都は京都であるから価値がある。而もその価値は単に京都という一地域の財産ではない。このところ京都を見るに、とみに古都が破壊されているようである。官民共に大切な何かが破壊され、京都を忘れているからだ。寧ろ逆で、如何なる誘惑にも屈することなく、多少不便であっても古都の「らしさ」を損なわぬ決意で、将来の人たちのためにも守るべきなのだ。それが京都という都市の命なのである。JRだか何だか知らないが、その様な者に掻き回される様な不見識では、早晩京都が京都ではなくなってしまうであろう。今は本当に深い見識を持った為政者が居ないから、歴史的に見ればとんでもないことを日常的にしているのが現実である。もしロンドン市街地でたばこや酒、週刊誌などの自動販売機を設置しようものなら、住民の手で朝までにはテームズ川へ投げ込まれているであろう。いやいや、あの川へは投げ込んではいけないが。その理由は、風紀環境の面、歴史文化の面、教育将来の面、もう一つは使命感と言うか拘りと言うか自尊心であろうか。比べてみるまでもないことである。京都という特殊な高い歴史的文化都市は、単に一般的自治観だけでは駄目なのだ。すべからくロンドンの理念と心意気を見習うべし。余程気を付けなければ、卑しい企業家が歴史を種にして、歴史を破壊しながら金儲けを企むから。大原三千院や寂光院という掛け替えのない史跡地から叡山にかけて、大ロープエーを作るなどと言うけしからん輩が現れるから。それにしても京都駅は世界の笑い物、日本人の文化意識の低さを証明した物と言えよう。如何に機能的建築的に優れていたとしても、それらと歴史的文化とは全く関係ない。意識の問題、文化性の問題、いわば精神が経済価値観や利便性に汚染されない高い見識がなければならないということである。
 

第二十五  これからの政治


 二十世紀最大の特徴は科学技術の進歩であり、僅かな期間ではあるが、それによって人間と文明の極限的良好関係を構築した世紀である。後になってみれば人類の最も幸せな歴史的時代であったかも知れない。しかし、今日に見る通り既に文明は度を超して人類の滅亡を促すに至った。こうした背景に基づいて、一九九六年十一月十二から十四日まで、ケンブリッジ大学において「哲学・社会科学と将来世代ー東西からの多角的接近」というテーマの国際会議が催された。さすがに内容の高い会議であったので、その会議録は即出版をすることに決定された。私はたまたま光栄にもランチ・タイム・スピーチといういわば特別講演をすることになり、それも何とか勤めることが出来た。特に感謝して止まないのは、千葉大学から研究に来ておられた小林正弥先生ご夫妻の徹底したご尽力であった。会議の成功は一重にご夫妻の誠意による学者間の面倒な橋渡しがあったからである。終了するや否や、矢崎理事長と他の先生方はその日の内に帰国の途につかれ、金先生と私はロンドンに残った。一泊した我々は、地球のリーダーの一人として著名な、或る政治家にお会いすべく訪ねていったのである。金先生が矢崎理事長のメッセージを伝達するためであり、私は只の随行であった。「地球サミット」以来何度もお会いしているのだが、そのお変わりのない溌剌とした様子に安心をした。早速理事長のメッセージを受けて、その政治家は次々と多くの有意義な提案をされた。その提案自体は極めて高い意義を持ってはいるが、ここ五・六年間の世界の変動は、誰も予測がつかなかったほどのものであり、今後も又その予測は大変困難なほど変貌するであろう。我が国の政界を見てもその変貌は凄まじいものであった。
 私は思った。政治の仕事はその国の法律に則って社会という現象に現象で対応する。その立場の難しさと限界を感じた。確かに政治は大切である。そしてそれを司る政治家は勿論大変大事である。しかし、国家を代表した政治家に依る国際会議というものは、場合によっては何らの意味を持たないことがある。特に地球規模の各課題はクリアしなければ、人類の未来は無い。そのような分かり切った問題を論ずるとして、必ずしも好ましい結論には達し得ない。それは、それぞれ国を背負っているからである。当然ながら、まず自国の安全、自国の利益確保から交渉が始まる。その限りに於いてでしか進まない。例えば平和を論ずとして、全く存在意味のない核兵器の除去さえ出来ないのが現実である。意義があるとするのは政治的力関係だけであり政治家だけである。世界の平和には全く関係ない、寧ろ大変危険な品物であり、そのために平和論の合一見解が縺れるのである。地球規模の問題を論ずるならば、国家を越えねばならぬ。したがって政治家では限界があるが故に駄目だということになる。超国家、超文化、超歴史、超民族に於いて論じ得る優れた知者、人格者が主体であらねばならない。二十一世紀であっても、勿論政治家が政治を執るのではあるが、党利党略や個人の欲望や野心に関わらない神聖なヘッドが必要な状況になったのだ。即ち大宗教家であり、大思想家であり、大学者・科学者であり、大ジャーナリストであり、大教育者の魂が必要であり、その結晶が政治家のヘッドとならなければならない。つまり、そういう偉い人たちは、現象面以前の個の段階に於いて高い人間性に基づき、使命と理想と責任と愛とに裏打ちされた知力を駆使することが出来るから尊いのである。国の大小ではなく、武力の強弱ではなく、文明の進歩非進歩ではなく、絶対人類の尊厳に立ってしかも時代を超えて、全体の安全と個の幸せを最優先して考えることが出来るのはそう言う人たちなのである。政治は常に現象化していくために、必然的に力の関係に成らざるを得ない、そこが政治の絶対限界である。限界を越えた政治、それは政治家を越えた政治ということである。即ち「事」を越え「理」を越え「人」を越えた政治と言うことである。まさにこの叡知のヘッドが必要なのだ。国連が政治家指導型である限り、今以上の成果はもちろん、何の発展性も無く地球の改革も期待する事は出来ない。政治家による政治だからである。早く各国に政治家の上部組織としてのヘッドを設けることである。それがこれからの政治であろう。更にその代表が国連に集まり、地球の課題を論ずるべきである。その決議を各国に持ち帰り、その国柄に合わせて大切な内容を遂行する政治を行えば、やがて本当の平和が訪れるであろう。
 ロンドンで語り合った、その偉大な政治家に提案したかったことは、「健全な二十一世紀、健全な将来世代、健全な地球経営・国家作りのために、政治家は理念の部分から退こう。そして本当の叡知の結晶たるリーダーを設け、それを尊重し、政治家はその示すところの理念に従った政治を執るべきではないか、そう言う意味合いの国際会議を開くべきである」と。その事を言う機会が無かったので、残念ながら私の勝手な理想論について論ずるまでには至らなかった。
 それからおよそ五ヶ月後、彼の政治家がロンドンの我々のホテルに訪ねてこられ、金先生と共にお会いすることになった。金先生に通訳していただいて恐縮であったが、いきなりその事を話した。彼は「国連に提出する国連改組委員会の報告書の最後に、政治家が地球のリーダーシップを執る時代は終わらなければならいと書いた」と言われた。そのためのリーダーシップを自分が執ろう。そして政治的指導は止めて本当のリーダーを育てるために努力する、とは言われなかった。その人は常に秘書二人を従えて、ファーストクラスを条件として動かれる。わたしは、「政治家では地球は救えないから、その事を自覚して政治家を超えて欲しい。貴方が政治家なら本質からズレているので遠慮して貰いたい」と申し出た。彼が人生してきた中で、このように自負心を否定された事は多分無かったであろう。その人の心中を思うまでもなく、ぽつぽつ政治家の目覚めも始まりつつあるのかも知れないとも思ってみたのだが。やはり本当のリーダーを育てなければ。

 過ぎたことだが、一九九六年、その政治家の提案でマンデラ大統領主催の「民族紛争を根元的に解決する為の国際会議」を開催することになり、実現に向けてその政治家を中心に矢崎理事長を初め金先生方は奔走された。私には「大乗精神による超越と愛で真の世界平和を」というようなテーマで講演するよう依頼があった。勿論同僚であるNHKの林勝彦プロデューサー一行も参加することになっていた。私は金先生に「民族紛争というものは、国家間の戦争と異なり、長い歴史的経過の中で個人一人々々の心に培われた、恨み、憎しみ、怒り、悲しみが相手民族に注がれ行動化したもので、政治家が集まって決議したくらいで治まる性質のものではない。原因の根が多種で深い。まず、歴史的な流れを解明し、一般思想を高め、生命の尊さを諭し、殺し合いの残忍さや怖さ、そしてそこからは何事も生まれてこない空しさを知らしめなければ治まらないので、そのために教育面、経済面、文化面、宗教、習慣等の根元的諸問題解決のための解決策を同時進行させ、それらが総て整ったところで現象の取りまとめとして最後の段階で、政治家が集まり、武器放棄等などの会議をするのなら有効であろう。でなければ歴史に見る通り、いくら政治家間の会談がうまくいっても、総て底辺から崩れてしまい、民族紛争終結の成功例はほとんど無かった通りである。全く効果の無いことが分かっている大会議のために、拠出する巨額のお金ももったいないし、私も時が惜しいので止めたほうが良いのではないか・・」と言うようなことを話した。
 私の言い分が効を奏したわけでは決してない。ただ南アに於いて紛争が激化し大変危険になったために、幸か不幸か中止になった。彼の政治家は、それが流れたことに対して尚自分がリーダーシップを執っているかのような口振りで、その会議の開催を願っているようであった。勿論そうではない政治家もいるが、一般論として政治家は自分が総てを取り仕切りたがり、自己存在の有能性を強調する癖が強い。そこがリーダーとして人間としての限界なのである。つまり心の内では常に支配欲と自己有能意識とが強く働くために、諸々が野心化し易く、その自己中心的精神が濃厚にあって稼働していくようである。だから結局は政治家間で争いを起こし、国家間に於いても力関係の次元でしか問題を語ることが出来ない、自国とか他国と言った対立観点なのだ。また殆どの政治家が徳性欠如のため社会問題などもしでかして自ら失脚していくのである。利権に群がる卑しい連中を見るに付け、熟成した社会現象として、政官一体となっての本分忘却政治劇こそ、これが今日の政治であり体質である。益々混迷化する地球社会の状況に対してこれで済まされる筈がないではないか。本当の「地球リーダー」としてのヘッドが必要ではないかと言うのは、当にこのためである。
 本当に人類のことを思っての大国際会議を催すべきだと信ずるのであれば、新しい政治思潮と政治機構を構築するための、地球のリーダー作りの会議であって欲しいと思う。それは政治家自身が自戒して、自らが世界の政治家に呼びかけない限り、絶対にその様な発展的会議は有り得ない。しようとしないところが政治家の限界なのである。このことがこれからの地球とそれぞれの国家の決定的致命傷をもたらせる宿命となるであろう。このこと自体が、やがて我々自身にとって悲しい運命となるのである。

 

第二十六  終わりに因み


 真実のために、愛する人類のために、愛する地球のために、愛する家族のために、我々は自らの生活と人生観・価値観をもう一度徹底的に見直さねばならない。祈ることも大切であり、勉強することも議論することも考えることも大切である。しかし、もっと大切なことは己を律し慎むことであり、心を浄化し平安を確立するために菩提心を興し努力することである。それによって人間の誇りとしての信念を持つことである。それが無用な欲望を調御し、健全な判断と決断をもたらせる道なのである。我々は数え切れないほどの拒否不能な運命の中にいる。どうしようもない原則的条件と言うことである。避けられない数々の宿命は誰も平等であり、しかも、何時、何処で、どのような運命に出会うか分からないのが人生である。潔く諦めることも、認めることも、妥協することも、捨てることも時には必要なのだ。そのためには健全な信念を持っていなければ出来るものではない。ここで言うところの健全な信念とは「勉学理想」「義務責任」「謙虚反省」「誠実自信」「忍耐努力」「果敢決断」「率先垂範」「報恩感謝」を踏まえたものであり、加えて「品性尊厳」があれば如何なる事態といえども本質を失うことはないであろう。これらを纏めたものが「菩提心」である。この信念は知性的科学的な精神性とともに上質な感性と純粋な行動力を伴うものでなければならない。
 一人々々がこの信念でもって不自然な社会現象を改めようとするならば不可能ではない。今はとにかく上に立つものの質が大問題である。そうこうしている内に、家庭も学校も社会も自然も回復不可能な事態に到達してしまうだろう。このままではそれが道理である。文明による利便は一時の平安と満足をもたらせた。それを次々と貪り過ぎたためにブレーキが利かなくなり、自律性と程度の認知力が退化してしまったようである。満足も大切である。しかし、そこには感謝が無くては成らないし、当然慎みが無ければならない。それが人間性というものであり誠実というものである。それは「事の外」「理の外」「自己の外」の様子と言うことである。つまり、目前の現象のみに捕らわれないことである。こうして将来世代や地球のことを深く案ずるということは、生と亡びの哲学と美学を自らに問いかけ追求することでもある。それは紛れもなく物事の神髄を求めることであり命の尊厳を明らかにすることでもある。
 今、臓器移植時代を迎え、クローン人間の出現も可能となり、精子バンクにて思いの人間を作り出すことさえ可能になった。このことは命の尊厳を根底から脅かすものである。と同時に生命とか人間の本質的価値とは一体何かを、自分の人生を掛けて徹底的に問い直す時節が来たことを意味している。我々は医学や科学や諸々の文明及び学歴に対して異常な価値付けをしてきた。その結果ここまで命を人工的に操作し、合成人間・コピー人間出現にまで迫った今、これからは余程真剣に対峙していかなければならない。大勢の意見任せではなく、積極的に自戒と警告に受け取るべきである。そして、無常と亡びと不可解な運命をもしっかり条件にした信念を持つことである。即ち、計り知れない自然の様子を素直に理解し、しかも順境にも逆境にも拘り無く明朗快活に生きることである。そうした清貧華麗な生き方と亡び方をモットーにして、潔い生活をすべきではなかろうか。それが人間の尊厳であり、それが人間らしい誇りである。それを信念として生きることである。その生き方が人類を永遠なものにするのである。
 そうするためには、何遍も言うように、とにかくきちんとした信念を持つことである。精神の根元を究め、絶対安心を得ることであり、真に自己確立し自律することである。つまり、心の決着を付けることである。その元は向上心であり菩提心である。努力心である。この心が何者にも打ち勝つ力であり、何事も成し遂げる力である。それが宇宙大の光であり救いなのである。我々自身が本来もっている底力なのである。眩まされているので分からないだけである。真心は真心に通じ、努力心は努力心に通じ、祈りは祈りに通ずるのである。根元的に人皆敬愛し合う、本当に豊かな世界が個々に存在しているのだ。ただ、その事を確かなものにするためには、どうしても努力心の有無による。ここが大きなネックであり、人間的問題が人間で解決し難いと言うことなのだ。ここが当に問題なのである。
 二十世紀最大の国際会議「アース・サミット」で達し得た結論「アジェンダ」の示すところは、地球を守ることも人類を守ることも、総て自己自身の改革に帰することを訴えているのである。一口で言えば、人間が作った地球上の色々な事象や現象の健全化であり、事の根元が一人々々に有ることを言っているのである。即ち一人々々が「必要なことを実行する」と言うことであり、「してはならないことはするな」と言うことに尽きる。今日的絶対危機も、結局は総て自己からであり精神の不健全からだということだ。だから因果の法則、宇宙の掟を守る以外の何ものでもないと言う結論である。私もこの事を強く訴え、我々の唯一の住処であるこの青く美しい星が永遠に続くことを祈り、人類の明るい将来を夢見て終わりとする。

    明日ありと思う心にほだされて 今日も空しく過ごしぬるかな
    言い捨てしその言の葉のほかなれば 筆には跡を残さざりけり


 後書き

 人生無常一瞬の夢、とは私の常用語である。一九九七年一月十八日、妻が心臓発作を起こし、生縁尽きて相談無しにいきなり消えた。それも又風流。よき相棒であったに、あっと言う間に死に神の餌食になった。否否、ただ生縁が尽きたまでよ。生あらば必ず滅す。それも又風流。形あらば必ず滅す。それも又風流。これは宇宙の掟である。これを戒法という。幸い我々は禅僧である。生死は常の事にて共に是是であり、また非非である。生死、是非、これ何の出来事ぞ。三世の諸仏と共に、我も又知らず。知らずのところ最も風流。誤って言句上に遊ぶことなければ天下泰平なり。是は此れ順境逆境共に無性因果であり、而も人生にて毎日の生活である。平常心であり、これが道である。道に生死はない。常に一体である。道は一つである。存亡無きが故に。その物には過不足無く円満現成、自ずから報恩感謝である。更に何事かあらん。物言わぬは風流ならざるところなれども、それも又風流。
 世間は左に非ず。道理理屈の世界、我欲損得、対立欺瞞、自己絶対・他否定の交錯した環境、つまり自我の世界であるから収まらぬ。その結果いよいよ人類滅亡へと急ぐことになる。自分の為している事柄の全般が自覚できない自己不明、即ち無明故に、そのような事をするのである。これらを知性で解決しようとすることは、夢で夢を求めることなので無理である。自分の心、自分の感情一つが、自覚以前に既に発動しているという根元的な精神構造上の理由がある。こうした心の自由さと固定性のない作用の正体を明らかにしない限り統理出来るものではない。統理出来ないから今持って縁に翻弄され殺戮が行われているのだ。これが人類史の姿である。ここを完全に明らかにすることが出来る道が人類救済の教えであり真理である。今これが絶対必要なのだ。それを緊急に、謙虚に、そして真実に学ばなければいけないと言っているだけである。
 人生は甚だ短い。たかだか八・九十年の喫茶喫飯であり行住坐臥である。眼耳鼻舌身意であり色声香味触法に過ぎぬ。この消息を明らかにすることが自分の心の決着を付けることなのである。この事を学際の場で布衍する最初のチャンスは露と消えたが、支援し希望を託してくれる我が同士に、心からにんまりと喜んで貰うべく進むのみ。
 矢崎理事長のご縁で、一九九二年の「アース・サミット」から始まったこの稿は、縁に任せての私の吐露である。まだ指は踊り出しそうだが次回に譲る。特に心の問題・教育問題・家庭問題・育児問題等は必ずや取り上げたい。振り返ってみればとにかくこれを引き出してくれたのは「明彩会」主宰の角田明舟先生である。感謝に堪えない。各地で地球と人類に熱い思いを致し、粉骨砕身して居られる諸先生方には頭が下がると同時に、その尊い精神が一日も早く布衍していって欲しいと切望して止まない。また、その志を受けて出版へとご尽力下さった欠野アズ紗女史(欠野アズ紗会計事務所所長、欠野ファイナンシャル・プランナー社長)、そしてまたその志を受けて出版して下さった致知出版社長の藤尾秀昭氏には格別の感謝と理想を託する思いがある。また、編集にご尽力賜った柳沢まり子女史に、心から感謝すると共に一日も早い参禅を期待するものである。有り難う御座いました。
 
   君ならで誰にか見せん梅の花 色をも香をもただ知る人ぞ知る


     平成九年九月九日


                                 著者 合 掌